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第一章 2「物乞いの少年」 上

 ジンの黒いマントが寒風にあおられている。

 フギンが着ている服の右袖は、ぱっと見では、ほとんど普通と変わらない。棒切れに布を厚くまいたアラーハの義手をつけているからだ。だが、関節が曲がらないうえ微妙に左右の太さが違うので、やはり不自然だった。今は、大急ぎでフギンの大きさに仕立てなおしたジンのマントを着て、腕を隠している。

 きりりとしまった固い表情。目は鋭く、憎しみの炎をちらつかせている。ぐっと引きしめられた口元には、マライを助け出すという絶対的な決心と、助け出せなかったら自分も死んでしまおう、という悲しい思いが同居していた。

 これが、あのお調子者のフギンなのか。ジンをからかい、冗談を言って、みんなを笑わせていた、あのフギンなのか。

「お前、行かないほうがいいんじゃないか」

 じっと黙ったまま街の城壁から監獄の外壁を見つめていたフギンに、アラーハが声をかけた。太い、低い声。

「俺に、行くなってか。俺がそんな腰抜けだと思うのかよ」

 フギンは喧嘩腰だ。

「行かなければお前の気が済まないのは、わかる。だが現実を見ろ。お前は追われている上、顔が割れている。片腕がなくて目立つ。戦うことも満足にできないだろう。俺がひとりで行ってくる。必ずマライを連れて帰ってこよう」

「この野郎!」

 フギンがアラーハの胸ぐらをつかむ。アラーハのほうがずいぶん背が高いので、ぐっと引き寄せる格好になった。

 そこまでされてもアラーハの目に、怒りはない。淡々とした静かな色だけがある。

「ちょっと、フギン!」

「ウラルは黙ってろ! これは、俺の復讐戦なんだ」

 ふっと、無造作にアラーハがフギンの手をふりはらった。本当に軽く力をいれただけのように見えたのに、フギンは体勢をくずしよろめいてしまう。

「わかった。そこまで言うのなら、俺は、止めない」

 アラーハの目が光った。アラーハが着ているつやつやとした毛皮のコートも、一本一本の毛が朝日に光っている。

「ただ、ひとつだけはっきりさせておけ。お前はマライを助けるために監獄へ行くのか、自分が死ぬために行くのか」

 フギンがうつむいた。痛いところをつかれたようだ。ぎりりと奥歯をかみしめているのが傍目にもわかる。

「決まってるだろ」

「それならマライを助けることを第一に考えろ。もし助け出せなかったときはすぐに逃げてくれ。死ぬまで戦おうと思うな」

 アラーハの目が揺れた。それを隠すかのようにくるりと後ろを向いてしまう。

 ふたりともジンや〈スヴェル〉のことを考えているのだ。

「俺が城壁の近くでひと暴れしよう。今のお前に戦うことは無理だ。敵をひきつけるのは俺の役目、マライを助け出すのは監獄の内部に詳しいお前だ、フギン」

 自分も戦えるとわかってほっとしたのだろうか。フギンの表情がゆるんだ。わかった、とすねたように答える。

「私は?」

 ウラルははなから非戦闘員だ。一緒に行っても足手まといになるだけだろう。援護だろうがなんだろうが、手助けになることがしたい。

「ウラルは俺と一緒に来て。俺はこの通り、片腕だ。片方の腕だけじゃかんぬきをはずすのに手間どるから」

 思わぬ言葉にえっ、とウラルはつまった。たしかに片腕ではかんぬきをはずせない。だが、それだけのためにウラルが行くのはあまりにも危険だ。

「ああ。そうしてくれ」

 アラーハまであっさりとうなずいてしまった。

「そんな。私」

 とまどうウラルの肩にぽんと暖かな手が置かれた。ウラルの肩をすっぽり包みこんでしまうほどの大きな手だ。

「しっかりフギンを補佐してくれよ。お前なら、大丈夫だ」

 有無を言わさぬアラーハの口調にウラルはおずおずとなずいた。

「じゃあ、市場へ行こうぜ」

 フギンが城壁を降りる階段をくだっていく。続こうとしたウラルの肩をもう一度、アラーハがつかんだ。早口で小さく呟く。

「ウラル。お前は、フギンのブレーキ役を頼む」

「ブレーキ?」

 ああ、とうなずいたアラーハの表情はいつにもましていかめしい。

「絶対に、あいつを死なせるな。お前がいればやつもそうそう無茶はできん。頼んだぞ。死ぬか捕まるなら捕まる方を選べ。必ず助け出す。親しいやつを失うのは、もうたくさんだ」

 城壁の下から「アラーハ、ウラル、何やってんだよ!」とフギンが叫んでいる。今行く、と答え、ウラルは階段をくだりはじめた。

 市場でウラルは服を買った。ウラルが着るには少しサイズの大きい上着と、足にぴったりするズボン、それから頭から肩にかけてをすっぽり覆う頭巾だ。ジンが死んだ年以来の男装だった。

 それから武器屋へ向かう。つけひげと大きな帽子で人相を変えたフギンは短い槍を買うか、片手で扱える剣を買うかで迷っていた。

「使い慣れてるのは槍だけどなぁ。でも目立つし。だからといって、左手でサーベルを扱う自信はないしなぁ」

 ぶつぶつ言っているフギンを横目にアラーハはあいかわらずの無表情で店先に立ちつくしている。アラーハの武器はいつでも巨大な剣の形をした棍棒、イッペルスの角だ。鉄の武器はどうやら嫌いらしい。

「なぁ、アラーハ。どうしようか?」

「左手だけでも使える武器を使ったほうが、よくないか? できれば、ネザがよく使っていたような武器も買っておいたほうがいいと思うぞ」

 ネザは〈スヴェル〉の軍医であり、カラクリで動く槍ぶすまや、蜂の巣を敵の陣営に投げこんだりする戦法がお得意の奇策士だった。

 結局フギンは片刃のサーベル一振りと、投擲用ナイフを何本かと、まきびしを一袋買った。アラーハも不本意そうな顔をしながら、防護用の革よろいを買う。ウラルも威嚇のため短剣を一振り買わせてもらった。

「これは、ウラルの護身用」

 ぽん、とフギンから渡されたのは、袋に入ったマキビシだ。鉄製の小さな杭が三、四本べつべつの方向に突き出たもので、地面にまき、追ってくる敵の足を傷つけるためのものだった。

「いざとなったら相手の顔めがけて投げつけてやれ。できれば目を狙うんだ」

 ウラルはうなずき、一緒に渡された革手袋と一緒にそれをしまいこんだ。

 人気のない場所を探して着替え、腰には短剣をつるす。ジンの形見、儀式用のアサミィも一緒につるした。すべてがうまくいくよう、風神に祈りをささげる。

「いつ、行くか」

「夜のほうがいい。少しは警備がゆるむ」

 人気のない路地にもぐりこみ、アラーハとフギンが作戦会議を始めた。

「昼間のほうが囚人の一斉蜂起を狙えるんじゃないか?」

「それなら夜でも同じさ。騒げば全員、目を覚ます。ただ暗くて目が見えにくくなるから不便になる。監獄の構造はかなりやっかいなんだ。リーグ建築とはちょっと違うから。俺はまぁ、頭に地図は入れてきたし、大丈夫だけど」

「俺も大丈夫だ。暗闇でも昼間と同じように見える」

 アラーハの目、闇に光る獣の瞳はこういうとき強い。誇張でもなんでもなく、アラーハの目には一寸先も見えないような暗闇でも昼間とほとんど同じくらいに見えるのだ。その上、おそろしく鋭敏な聴覚と嗅覚も持ち合わせている。

「じゃあ明け方に突入しよう。ナタ草がオレンジになって、少ししたら」

「俺はどのあたりで事を起こしたらいいんだ?」

 フギンが地面に簡単な地図を描きはじめた。利き腕でない指で描いているせいか、妙な感じに線が曲がる。だが、何度も練習したのだろう。十分にわかりやすい地図だった。

 監獄に入るには、まず二枚の高い壁を越えなければならない。ゲートは南、西、東の三箇所。南が正門だ。

 一枚目の壁には、夜は警備員がいない。ゲートの格子に足をかければウラルでも楽に登れる。問題は二枚目の壁だ。こえたところに警備員の詰め所がある。夜通し二、三人の警備員がいるそうだ。

「アラーハはここでひと暴れしてほしいんだ。警備員が三人いたら二人は殺してしまっていい。一人は生かしておいて、ほかの警備員を呼ばせる。おそらく十人くらいは出てくるはずだ。それをナタ草が黄色になるくらいまで引きつけてほしい」

 アラーハが低く「わかった」と呟いた。

「俺とウラルはその隙に警備員の制服と鍵を盗む。監獄の鍵を開けて、二枚くらい分厚いドアを開けなきゃならない。その先にずらっと独房が並んでる。そのひとつがマライの部屋だ」

 不意にフギンがぱっと立ちあがった。

「誰だ」

 ごとっ、と何かが地面に落ちる音がする。

 フギンがぐっと膝を落とした。剣を抜こうとしたのだろうか。だが、どうやらなくなってしまった右腕で剣を抜こうとしたようだ。とまどったように一瞬フギンの動きが止まる。その間がどうやら幸いしたらしい。おそらく右手があれば、剣を抜くが早いか、斬りつけていただろうから。

 子どもだった。狭い路地で驚きのあまり尻餅をついている。その顔に、ウラルは見覚えがあった。前に監獄の前で会った物乞いの子どもだ。

「どこから聞いていた」

 アラーハの声も険しかった。

 子どもは答えない。恐怖のあまりか、もしかすると口がきけないのか、唇をふるふると震わせるばかりだ。

 前に会ったときはじっくり観察する間もなく逃げてしまったが、その時よりずっと、あどけなく見えた。年のころは十を少しこえたくらいだろう。やせて、目ばかりがぎょろぎょろしている少年だった。

 一瞬、ウラルが殺してしまった赤ん坊の泣き声が耳によみがえった。ぐっと歯の奥をかみしめる。

「答えないと、斬るぞ」

 フギンは左腕でサーベルを抜いている。

 ウラルと少年の目があった。その瞬間、耳の奥に響き渡っていた赤ん坊の泣き声が、ぱたりと聞こえなくなる。

「待って」

 ウラルは右腕を伸ばし、フギンを制した。少年の前にしゃがみこみ、しっかりと目をあわせる。

「あなた、私を見かけて、ついてきたんじゃない?」

 子どもがすがるようにウラルの目をのぞきこんできた。死にたくない、という気持ちがとても伝わってくる、涙にうるんだ、澄んだ目だった。

「知りあいなのか?」

「前に一度、少し話したことがあるの。ね?」

 少年に同意を求めると、こくりと小さくうなずいた。

 フギンが剣をおさめる。困ったようにアラーハと顔を見あわせた。

「名前は?」

 できるだけ穏やかな声で尋ねてみる。少年はおどおどと視線をさまよわせた。

「ナウト」

 ナウト。徴兵され、ベンベル軍と戦って戦死した、ウラルの兄と同じ名前だ。なつかしさに全身が震えた。その震えをナウトは怒りのためと勘違いしたらしい。殺さないで、と後しざりしながら小さく叫んだ。ウラルは首をふり、ほほえんでみせた。

「大丈夫。殺さない」

 きっぱりと言い切る。ナウトが安心したように肩の力を抜いた。

「だけど、このまま帰らせるわけにはいかないよな」

 フギンの一言に、またナウトは肩をこわばらせてしまった。

「お前、物乞いだろ。仕事はできるか?」

 仕事? とナウトが小さく聞き返す。フギンがポケットを叩くと、ちゃり、と銅貨の鳴る音がした。

「俺ら三人をかくまってくれ。今夜一晩、家に泊めてほしい」

 ナウトがかすかに首を振った。緊張しているのか、表情も動作も固くこわばっている。

「食事、だせない」

「俺が払う。お前の分も、今日の夜と明日の朝の食事、作ってやるよ」

「三人も寝る場所、ない」

「土間でも、家の裏でもいい。一晩、泊まれればいいんだ」

「兄ちゃんが、困る。兄ちゃん、疲れてる」

 どうやら、ナウトは兄とふたり暮らしらしい。兄も物乞いなのだろうか。

「お前の兄ちゃんの邪魔なんか、しないさ。兄ちゃんの分も、食事、用意してやる」

 きらっとナウトの目が輝いた。

「いくら出してくれる?」

「銅貨十五枚」

 銅貨一枚で芋一個が買える。十五枚あれば、農民ひとりが十日は暮らせる。

「二十枚なら、いいよ」

「十五枚と、食事代を持とう」

「十八枚」

「しつこいな、よっぽど困ってるのか」

「困ってる」

「わかった。十八枚だそう。そのかわり、別の仕事もやってくれ」

 フギンは苦笑しながら、銅貨の入った袋をだした。中身が全部銅貨だとしたら、どう見ても二十枚以上は入っている。袋の中身を数えもせず、フギンは袋ごと子どもに渡した。

「別の仕事って、なに?」

「明日の朝はやく、俺らは、あの監獄の中にいる友達を助けに行く。で、このアラーハってあんちゃんが、門で役人を引きつける役をすることになった」

 アラーハは「あんちゃん」と言われるほど若くはないが、どうやらナウトにはちゃんと伝わったようだ。

「すごく危ない役目なんだ。少し離れた路地裏とか、見つかりにくい場所から、お前はアラーハを見てろ。それで、アラーハがやばそうになったら、西の門へ走って、大声で叫んでくれ。よく覚えておくんだぞ。『囚人が逃げたぞ、三人だ』」

「囚人が逃げたぞ、三人だ」

 ナウトが復唱する。次ははっきりとした声だ。フギンが満足そうにうなずく。

「そうだ。しっかり覚えとくんだぞ」

 ナウトが満面の笑みでうなずく。

 次の瞬間、フギンがナウトの横っ面をぶん殴った。

「何するの、フギン!」

「こいつ、俺の財布、すろうとした」

 ナウトが顔をゆがめて立ちあがる。どうやらフギンはちゃんと加減して殴ったらしく、そこまでひどい怪我にはなっていなかった。

「次やったら覚えとけ。俺は元、盗賊だ。すりや盗みの手口はしっかり頭にすりこまれてんだよ」

 フギンの声には、旅人を襲うオオカミのように粗暴な迫力がある。今にもサーベルを抜いてナウトにつかみかかりそうな、凶暴な目だ。しばらくその目でナウトをにらみつけたあと、ちらりとアラーハの方を見やった。

「こいつ、信頼できると思うか? 今ここで殺したほうがいいかもな」

 そんな、と言いかけたウラルを、アラーハが目で制してきた。

「こいつの誠意を見て、決めよう。どうせ今夜はこいつの家に泊まるんだろう」

 アラーハとフギンがふたりでナウトをにらみつけた。ナウトは小さくなって震えている。

「市場へ行くぞ」

 フギンがナウトの腕をつかみ、強引に立たせた。小突きながら歩かせる。

「なにも、そんなに言わなくてもいいじゃない!」

 ウラルの言葉にフギンは一度振り向き、すぐナウトの進む方向に目を向けた。フギンが着ているジンの黒マントが、ぱっとひるがえる。

「少しは脅して、こっちの力を見せつけないとな。ウラルは優しすぎるんだよ。俺もうかうかしてたら一文なしになるところだった」

 ナウトの後姿がびくっと縮んだ。こんなに小さいのに、物乞いや盗みで生計を立てなければならない子なのだ。一緒になってこれ以上怯えさせるなど、ウラルにできるわけがない。

 職人町を抜け、市場へ戻る。ナウトの目つきが鋭くなり、きょろきょろと周りを見回すようになった。もしまったくナウトのことを知らなかったら、田舎から出てきた世間知らずの子どもなのだろうと、気にもとめなかっただろう。だが、今のウラルはナウトがスリやかっぱらいで生活した子どもだと知っている。獲物を探しているのだ。

「ナウト、夕ごはん、何が食べたい?」

 つとめて明るい口調で話しかけてみる。ナウトがびくりとウラルのほうを振りかえった。

「好きなもの作ってあげる。私、料理には自信あるよ」

 フギンとアラーハが顔を見あわせた。ナウトはおどおどと視線をさまよわせている。ずいぶん迷った後に、おいしいもの食べたい、と小さく呟いた。

「おいしいものかぁ。じゃあ、おいしそうなもの、探そうか」

 ナウトは困ったような顔をしながら、はずかしそうにはにかみ笑いを浮かべた。



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