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第一章 1「隻腕」 下

     **


「具合、どう?」

 フギンの部屋に入り、ドアを閉める。病人特有の重たいにおいと、フギンの体にはられた薬草のにおいが鼻をついた。

 フギンがこの隠れ家に転がりこんできて、四日になる。まだ一日の大半をベッドの上で過ごしているが、家の中を歩きまわるくらいなら大丈夫らしい。帰ってきて一日目、二日目は自分で体を起こすことすらできなかったのだから、すごい進歩だ。

 フギンは外を見ながらぼんやりとしている。服の右そでが妙な感じにぶらぶらしていた。ほかの部分はちゃんと着られた服らしい形をしているのだが、右側のそでだけが、ハンガーにかけられた服のような、中身のない、不自然なかっこうをしている。

「だいぶ、よくなったよ」

 具合はどうか尋ねてから、だいぶ時間がたって、返事が返ってきた。

「何か欲しいものはある?」

「ちょっと喉がかわいたな。お茶、いれてもらっていい?」

 ウラルはうなずいて、外へ出た。ちょうどマームが残していったハーブ園から新芽がとれる時期だ。ほとんど雑草化しているハーブで辛みが強いのだが、とても香りがいい。

 別にドライハーブでもいいのだ。実際、ウラルが茶を入れるときは、乾かしてあるものを使う。でもフギンには、新鮮なものをたっぷり使ったお茶を飲ませてあげたかった。マライを助けにいけないイライラをほんの少しでもやわらげてやりたい。

「おまたせ」

「ありがと。上から見てたよ」

 フギンの視線の先、窓の外を見ると、のび放題のハーブ園が小さく見えていた。

 熱いお茶をふたりで一口、二口すすった。甘みが少ないので、少しハチミツを加える。

 ウラルは棚に置いてあった薬箱を持ってきて、フギンのベッド脇に置いた。

「薬、かえよっか」

 フギンが自分で包帯をほどきはじめた。ウラルもフギンを助けて包帯をほどき、ガーゼをはがしていく。

 今までに何度も怪我をしてきたからなのだろうか。傷の治りがおそろしく早い。四日前まで血をだらだら流していた傷跡もすっかり乾き、かさぶたになっていた。

「まだ痛む?」

「痛いというよりは、かゆいな」

 フギンはぽりぽりと頭をかいた。髪をととのえ、のび放題だったひげを整えたおかげで、かなりフギンらしさを取り戻している。

「ねぇ、フギン」

 ウラルは薬液の入ったボトルにガーゼを漬けこみながら声をかける。フギンが手持ちぶさたそうに窓の外を見ながら「なに?」と答えた。

「あの戦いのこと、聞いていい? 気になってたの」

 フギンの表情が曇った。

「〈スヴェル〉軍が全滅した、あの夜のこと?」

「私が眠り薬を飲まされてからのこと」

 フギンがそっとわき腹をさすった。わずかに赤みを帯びた、長い、そうとう深かったであろう傷。ウラルはそれにガーゼをあて、ていねいに包帯を巻いていく。

「そっか、知ってたんだな。何もわからないまま、寝ちゃったんだと思ってた」

「お酒に薬を入れたのはジンよね? フギンが『それはひどいんじゃないか』って怒鳴る声が聞こえた。アラーハの声も。『どういうことだ』って」

「うん、薬をいれたのは頭目だったらしい。俺、そんな問答無用でウラルを追い出すようなこと、してほしくなかったんだ」

 フギンが遠くを見る目つきをした。

「でも、あとから考えたら、それでよかったんだろうな。ウラルが無事に生き残っててくれて、俺、本当にうれしかった」

 にかっと人懐っこい笑みを浮かべる。やつれたせいか、少年のような底抜けの明るさはない。一年前に〈ゴウランラ〉の要塞で見せた、死を前にして見栄を張るような笑いかただ。

「ウラルとアラーハが出て行った次の朝、ベンベル軍が襲ってきた。あのゴーランってトカゲ、本当に嫌なやつだったな。本当にスルスル城壁を登ってきやがるんだ。〈ゴウランラ〉、岩山の上にあったろ。普通の敵が相手ならだいぶ有利なんだけど、あれはさすがに、きつかった。俺たちも熱湯をぶっかけたりして応戦したんだけどな」

 フギンが包帯の上からわき腹の傷跡をおさえた。

「昼になって、いったん敵は退いた。たぶん、ゴーランが疲れやすかったんだろうな。ゴーランがいなかったら、そうそう簡単には攻められない要塞だから」

 すっとフギンの目つきが暗くなる。

「でもな、このまま篭城しようにも、敵にゴーランがいる限り〈ゴウランラ〉にこもりつづけることはできない。ちょうど〈アスコウラ〉が近くまで来ていたから、俺たちは敵が退いた隙をねらって騎兵を出して、一気に挟み撃ちにかかったんだ。ムールもいるしな。数は少ないとはいえ、ネザの罠もあったし、地の利はあると判断したんだ。頭目が」

 その先は言わなくても、ウラルにはわかった。

 フギンがマグをとり、お茶を飲んだ。ウラルも自分のマグを取り、唇を湿す程度に茶を飲む。

 フギンは続きを言わない。

「それで、負けたのね」

 居心地の悪い沈黙に耐えかねてウラルが確認すると、フギンはゆっくりとうなずいた。

「頭目、負けること、わかってたと思うんだ。やけになったのか、違うのか……。やべ」

 フギンが目頭を押さえた。後ろを向いてしまう。

 フギンの体に包帯を巻き終えていたウラルは、ただじっと、後ろを向いて嗚咽をこらえようとやっきになっているフギンの二の腕に刻まれた雄牛の刺青をながめていた。雄牛は軍神である火神の紋章、勝利を約束するしるしだ。その雄牛もフギンがしゃくりあげるのにあわせて、苦しげに体をゆがめている。

「俺さ、最近、夢を見るんだ。死んだ仲間が次々出てきて、俺を責めるんだ。なんで、お前だけ生き残ったんだってな」

「そんな!」

 思わず声をあげたが、フギンは顔を伏せたままだ。つつ、と頬をつたった涙をフギンは一瞬、なくなってしまった右手でぬぐおうとしてから、あわてて左腕でぬぐう。

「でも、夢って妙に現実感あるだろ。目を覚ましてからよく考えてみたら、そんなことをみんなが言うはずがない、ってわかるんだ。死んで本望だって、言うに決まってる。ずっと死ぬのを覚悟で戦ってたんだ」

「そうだよ。フギンが生きていることを、責めるなんて。むしろ、喜ぶはず」

「わかってる。なんだけどな、俺も、こうやってのうのうと生きていて、よかったのかなって思うんだ。そうしたら耳元で、そうだ、お前だけ生きているのはおかしい、って、悪魔の声がするんだ」

 フギンがやっと顔をあげた。もう涙は流していなかったが、目が赤く充血していた。

「俺たち兵士や軍人は、戦場には悪魔がいる、って考えてる。人の心を読んで、願望とかそういうものを幻覚として見せるんだって。死んだ人とかにばけて現れることもあるらしい」

 それから、ぽつりと小さな声で続けた。

「俺、こいつに取り憑かれたみたいなんだ」

 フギンがウラルの顔をまっすぐに見る。助けを求める目つきだ。

 そんなこと言わないで、とウラルが言いかけた瞬間、それを止めるようにフギンが笑った。また、フギン特有の明るさのない、死を前にして見栄を張るような笑いかただ。

「急にこんなこと言い出してごめんな。泣いたりして」

 はずかしそうに目をそむける。

「忘れてくれないか? ごめんな」



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