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第一章 1「隻腕」 上

 戦争の夢を、みていた。

 ウラルが自ら剣をとって戦ったことはない。だが、ウラルはそこらの村娘よりは、よほど戦というものを見ている。

 矢が耳をかすめて飛んでいった。赤ん坊の泣き声がどこからか聞こえる。

 布団がこすれる音で目が覚めた。椅子に座ったまま寝ていたのだ、背中や腰が痛い。クッションをもってこればよかった、といまさらながらウラルは思った。

 フギンがぐぅっとうめいた。大声をあげ、右肩を押さえてのたうちまわる。眠気が吹っ飛び、ウラルはあわててフギンの肩をゆすった。

「フギン、起きて。フギン!」

 フギンの動きが止まった。ぜいぜいと苦しげにあえいでいる。ゆっくり、怯えたように目を開けた。

「気がついた? おはよう」

 ウラルのほうも冷や汗をかきながら、とりあえず挨拶をした。フギンを安心させようとしたのだが、はたして伝わっただろうか。

「私、わかる? ウラル」

「ウラル?」

 フギンはゆっくりと動かしにくそうに唇を開き、何度か目をしばたいた。ひげや髪はのびほうだいで頬もこけ、ひどく顔は老けこんでいるのに、そのしぐさは最後に会ったときと変わらない。むしろ子どもっぽかった。

「本当にウラル? よかった、夢じゃなかったんだな。久しぶり、ウラル」

「おかえり、フギン。大丈夫? すごく、うなされてた」

 フギンは横たわったまま肩をすくめ、痛かったのか顔を思いきりしかめた。

「右肩、切り落とされた夢を見たんだ。一年も前のことなのにな。まだ、よくこの夢を見るんだ。この腕の話、したよな? ぼんやりとしか覚えてないんだけど」

 フギンはげんなりとしたような表情を作ってみせる。

「困ったな、すごく発音しにくい」

 ウラルの知っているフギンは、どちらかといえば早口な方だった。ゆっくりと話されるのは新鮮というか不自然というのか。ひどく違和感があった。

 話さないで、とウラルは言いたかったが、どうやらフギンは話さずにはいられない様子だ。無理もない。まる一年も檻の中に閉じこめられていたら。

「お水、飲む? しみると思うけど」

「ああ、うん。飲みたいな」

 体を起こそうとするフギンを、ウラルは手伝った。背中に手をさしいれただけでも痛むようで、フギンがうめき声をあげる。襟ぐりを噛み、声をあげるのを無理やりこらえる様子を見せながら、やっとのことでフギンは半身を起こした。

「大丈夫?」

「だいぶ、痛いな」

 へらへらと苦しげに笑っている。この体で、どうやって隠れ家まで帰ってきたのやら。

 ウラルはとりあえずベッド脇に置いておいた水差しをとって、フギンに水を飲ませてやった。

「ありがと」

 空元気もつきたのか、苦しげな笑みをフギンは見せた。

「大丈夫?」

「うん、少し休めば、大丈夫だよ。ここにはウラルだけ? マームさんは?」

「私と、アラーハのふたり。マームさんは帰ってきてない」

「アラーハも無事に生き残ってたか。よかった。会いたいな」

 ウラルは思わず笑ってしまった。

「昨日、あなたが起きたとき、隣にいたのに。覚えていない?」

 フギンは首をかしげている。そうするだけでも、片目をつぶるだけでも痛いだろうに、フギンは笑いながら首をかしげている。

「ほら、腕のこと、説明してくれたときだよ」

「覚えてないなぁ。俺、この腕のこと、何か言ったっけ?」

「もう。起きたときは覚えてたのに。薬、とってくるね。包帯かえなきゃ。楽にしてて」

 二階への階段をあがり、キッチンに置いてあった包帯と薬草を油漬けにした瓶を手に取った。

 玄関の方でノックの音がした。ウラルが返事をする前にドアが開く音がする。どうやらアラーハが心配して来たらしい。フギンの歓声が聞こえた。

 ウラルは薬の瓶をテーブルに置いた。ガーゼを敷き、薬液を綿にしみこませる。あれだけの傷だ、漬けてある化膿止めや消毒の薬草もすぐに底をついてしまうだろう。

 アラーハの太い笑い声が聞こえた。めずらしく笑っている。いつになく機嫌がよさそうだ。薬の瓶と包帯をかかえてフギンの部屋へ戻る。

「包帯をかえるのか?」

 アラーハはがっしりとした手でフギンを起こしてやる。フギンはまた袖口を噛んで声をこらえた。

「声を殺さなくていい。こんな森の中で叫んでも、近所迷惑にはならないからな」

 アラーハが彼らしくもなく、妙に人間くさいことを言った。フギンは苦しげに笑ってみせる。

「ウラル、驚かせたくなかったから」

 思わぬ一言に、ウラルは一瞬手を止めた。

「あ、格好つけすぎたかな」

 ウラルは肩をすくめ、フギンの肩にテープではりつけられていたガーゼの一枚を、容赦なくべりっとはがしてやった。痛みにフギンがうめく。

「もうちょっと、そっとやってくれよ」

 ウラルは笑った。次からはゆっくりと優しくはがしてやる。

 フギンの上半身があらわになった。傷跡と、ミミズ腫れと、火傷のあと。赤く充血している部分。紫になっている部分。青や緑になった部分。膿んでいる部分。左手は、傷だらけではあるが無事なのに対し、右手は肩から先がない。あらためて見てみると、気持ちのよくないものだった。

 フギンはわき腹の傷を指した。

「こいつのせいで捕まっちまった。槍で突かれたんだ。死んだと思った。すごい量の血が出たからな。実際、意識も失ったんだけど。目が覚めたら、牢屋だった」

 ウラルは、うなずいた。どう反応すればいいのかわからなかった。

 ぬるま湯にタオルをひたし、傷にさわらないよう気をつけながら、体をふいてやる。軽くふいただけで、タオルは茶色く染まってしまった。どうやら監獄では体をぬぐうことすらできなかったらしい。

「これ、ぜんぶ鞭のあと?」

「いや、こっちは焼きゴテで、この背中のは棍棒。でも、やっぱり鞭のやつが多いかな」

「ひどいことをするのね」

「マライはもっと悲惨だぞ。目、えぐられてた。手に杭を打ち込まれたやつもいた」

 息を呑み、ウラルは震えた。タオルをしぼる手が、つかのま止まる。

「マライはどこにいるの?」

「監獄」

「どこの?」

「ヒュグル森を抜けて南西、アラス地区に向かっていくと、ヒュガルトって街がある。いつだったか、みんなで夏祭りに行ったろ。あの街だよ。そのヒュガルト街の北にでっかい監獄ができた。戦で捕らえられたリーグ人捕虜を収容する場所として」

 ヒュガルト街にはウラルもよく行く。市場で生活に必要なものを買い、森でアラーハに教えてもらった薬草をとって売っていた。ヒュガルト街の北の監獄のことも知っていたが、そこにフギンとマライがいるなど、考えもしなかった。

「そこにマライもいる?」

 フギンはうなずいた。

「早く、助け出してやろう。今もどんな拷問を受けてるか、わかったもんじゃない。もう、一人で起きあがるのもつらいらしいんだ。目も見えてない。なのに、毎日鞭で打たれて。明日にも殺されるかもしれない。畜生」

 くやしそうに歯の奥をかみしめ、フギンは左手のこぶしで足を殴った。

「アラーハ、頼みがある」

「何だ」

 フギンは無事なほうの手で、腕のない肩をさすった。

「義手、作ってほしいんだ。棒切れか何かでいいからとりあえず服を着たら片腕がないこと、はたからはわからないようにしたい」

 罪悪感と責任感と、こらえようのない怒りがいりまじった口調。底光りのする目が怖かった。

 やはりフギンはマライを救うため戦う気でいる。利き腕を失い、筋力も落ちた体。戦える状態ではないことはわかっているはずなのに。

 アラーハが暗い目つきでうなずいた。ウラルは目をそらす。フギンの目も、腕も、直視する勇気がない。


     *


 ウラルは市場にいた。夏祭りにこのヒュガルト街へ来たときの活気は見る影もない。

 あの祭りの時期を境に北部地方の特産物は姿を消し、南部地方の穀物も国境で戦う兵士らにほとんど送られていた。南北交易の主要都市として栄えていたヒュガルト街だが、品物がなくなっては寂れるばかりだ。

 フギンは、追われている。それなのにフギンは、もう一度、監獄へ乗りこもうとしていた。むろん、ウラルとアラーハも協力する。イズンを見捨てるわけにはいかない。

 道の確認をしておいても損にはならないだろう、と町の北へ向かってウラルは歩いていった。

 市場が住宅街になり、なにかの工場がたちならぶ道になり、それでも広い道をたどって歩いた。道は工場から、また住宅街になった。どうやら貧困層のようだ。道に座り込んだ人々の目が、ウラルが背負っている袋にそそがれているのがわかる。道はカーブになり、その先に高い石壁に囲われた監獄が見えた。貧困層の家々とはほとんど離れていない。近づくだけなら簡単そうだ。

 それだけを確認してウラルはもときた道を戻ろうとした。

 子どもが、立ちはだかっていた。両手をさしだし、ウラルがつっ立っているのを見て、じれたようにウラルが背負っている袋を指す。子どもの後ろには老人が、老人の隣には病気らしい女が、子どもと同じ目でウラルを見ている。

「お嬢さん、あなたに風神の祝福を」

 老人が帽子をさしだした。

 子どもと、もう一度目があった。村が襲撃されたときウラルが抱いて逃げ、隠れた陶芸窯で恐怖のあまり絞め殺してしまった赤ん坊が目の奥に浮かぶ。死ぬことがわかっているのに、かたくなに村に残った叔母のぎょろぎょろした目も、一緒に浮かんできた。

 ウラルは子どもを押しのけ、足早にその場を離れた。子どもの視線が、ウラルの背中にぶつかっている。ウラルは走りだした。

 なぜ自分が走っているのかわからないままウラルは足を速め、走り続けた。



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