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風神の墓標【初稿版】  作者: 白馬 黎
第一部‐第二部間章
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間章 2「帰郷」

 ここで待っている、と言ったのに。

 ウラルは胸元のペンダントをにぎりしめた。真鍮の小さな円の中に、八枚花弁の金百合が描かれている。それが、ちかり、と夕日の色に輝いていた。

 ウラルは陶芸じいさんの窯を見やった。もう、故郷の村まで国境が南下しているのだ。ウラルの立っているこの地点はぎりぎりリーグ国だったが、丘をくだり、小さな森を抜ければ、ベンベル国領コーリラだった。ジンの死から半年が経ち、もうここまで国境が南下している。

 その国境で、今、戦闘が行われていた。

 リーグ軍が優勢に見える。ちょうど雨あがりで、ベンベル軍は頼りの火薬が使えない。夕日に照らされ、真鍮色に輝く甲冑。剣。馬の毛皮。ゴーランのうろこ。

 だが、この戦に勝っても最終的にどちらが勝つかはわかりきっている。武器の違いもあるが、兵力が段違いだった。限界に近づくリーグ軍に対し、ベンベル軍は無尽蔵。どれだけ敵をたおしても、海の向こうから兵を満載した軍艦が何千何万と押しよせてくるのだ。リーグ国とコーリラ国がいかにちっぽけな島国であったか、思い知らされる。

 ほんのりと、握りしめたペンダントが、ウラルの体温で暖まっていた。

 ジンは何のために死んだのか。国を守るため、というだけだったなら、ジンは犬死したことになる。

(たとえ俺たちが全員死んでも、生き残ってこのことを伝えるやつが必要なんだ。伝える人がいなければ、また同じことが繰り返される。俺は、それが怖い)

 ジンは何を願い、何を目指して〈スヴェル〉を組織したのか。

 何のために、勝ち目がないとわかっている戦をして、死んでいったのか。

 ウラルは胸元のペンダントをぎゅっと握ったまま、じっと陶芸じいさんの窯を見つめていた。 アラーハは少し離れた場所で、何も言わずに立ちつくしている。どこを見ているかも定かではない。あえて言うならば、夕日、なのだろうか。

 アラーハはあの戦でウラルの命と自分の命をとって逃げるか、ウラルを見捨てジンと戦うかの選択を迫られた。ジンと共に戦う道もあったのだ。今は、もしかすると、そのことで後悔しているのかもしれない。

 アラーハ、とウラルは呼びかけた。アラーハは黙ったまま、ウラルに耳だけを向ける。「私、村に行ってみたい。今は危ない?」

 故郷の村には、おそらく誰もいないはずだ。ウラルがジンと出会った夜、そして翌日の隣村襲撃の両方で生きのびた村人がいたとしても、ここまで敵軍が迫っているのだ。南へ逃げているに違いない。

 アラーハは村の方向に顔を向けた。

「大丈夫だろう」

 においと音をしばらく調べたあと、ぽつりと許可を出してくれた。

 ウラルはふりかえった。墓石の群れがある。

 ここも、もうすぐベンベル領になってしまうのだろう。そうなれば、もう、ここには来られないかもしれない。死者の眠りがさまたげられないよう、ウラルは風神に祈った。

「じゃあ、行ってくるね」

 アラーハはうなずき、ゆっくりと村へ続く道を歩いていく。じっと立っているだけだったので、てっきりアラーハは行かないものだと思っていた。ウラルもアラーハの後を追う。

 アラーハは身長が高い分、歩幅も大きい。ゆっくりのんびり歩いてくれるくらいで、ウラルにはちょうどよかった。

「ウラル、この村を出たら、森へ帰らないか」

 歩きながらアラーハがぽつりと呟いた。あやうく独り言と聞き逃しそうになるほどの、小さな呟きだった。

 ウラルがアラーハの目を見つめながらも答えずにいると、アラーハはばつが悪そうに横を向いた。

「俺も、ジンの遺言通り、この戦を見届けたい。が、そろそろ森へ帰らないと、面倒なことになる」

「面倒なこと?」

 アラーハは重々しくうなずいた。

「秋には、俺の森で、守護者の座をめぐる戦いがある。俺は、若い雄から挑戦を受けなければならない」

 アラーハは人の姿をしているが、本性は獣。「森の守護者」という役割についているから人の姿に化けることができるイッペルスなのだ。

 草はまだ青いし、暑いが、空を見あげれば秋の雲が出はじめている。

「でも、去年の秋は?」

 ジンが死んだあの戦は、秋から春のはじめにかけてだった。

「俺が行くと言ったときの、あいつの顔を覚えているか」

 あいつとは、ジンのことと考えて間違いないだろう。たしかに、ジンは驚いていた気がする。そればかりか、「森はどうする」とアラーハに聞いていた。

「秋から冬にかけては、俺は必ず森にいなければならない。あいつも知っていたことだ」

 その掟にあえてそむき、アラーハは戦に同行していた。

「一度なら、森の連中は許してくれるだろう。二度目は、わからない。怒っているはずだ」

 アラーハの足がだんだん速くなる。ウラルも小走りになりながら、わかった、とうなずいた。

 村は、当たり前と言うべきか、ずいぶんと様変わりしていた。家のほとんどが焼け跡のままだ。再建された家もいくつかあったが、どこもぴったりと戸が閉じられている。中に人の気配はなさそうだったが、どうやら村人の数人は生き残っていてくれたらしい、と胸がじんと暖かくなった。

 ウラルは住んでいた家にアラーハを案内した。ウラルの家は焼け跡のままだった。

「このあたりに入り口があって、むこうがリビングだったの」

 燃えかすをつまみながら説明する。アラーハは黙って、じっと話を聞いてくれた。

「私、四人家族だったんだ。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃん。妹もいたんだけど、うまれた年の冬に死んじゃった」

 こげて本来の半分ほどの長さになった柱をどけ、焼け残ったものがないかを探す。砂や煤ばかりで何も見つからない。レンガや瓦もほとんどないので、生き残った誰かが持っていったのかもしれなかった。

 黙って話を聞いてくれていたアラーハが、ふいに、ぱっと後ろを振り返った。何事か、とウラルは反射的にふところの短剣に触れる。

 誰もいないと思っていた家の戸が、ぎぃときしんだ。

「ウラルちゃん? ウラルちゃんじゃない!」

 聞き覚えのある声がする。

「ユタおばさん!」

 ウラルのよく知る果樹園のユタだった。ウラルの叔母にあたる人だ。身構えたアラーハが「危険はないか」というメッセージをこめ、ウラルに視線を向けてくる。ウラルは「大丈夫、知りあい」と小さく答えた。

 ユタは目を見開き、信じられない、という顔をして、よたよたと歩み寄ってくる。

「本当にウラルちゃん? 悪魔か何かじゃないだろうね?」

「ユタおばさんこそ、どうして村に残ってるの? もう、すぐそこまで敵軍が来てるんだよ」

「そういうウラルちゃんこそ、逃げるべきなんじゃあないの? 今までどこで何をしていて、なんで、今になって帰ってきたんだい? とにかく、生きていてよかった!」

 ユタはウラルを痛いほどに抱きしめ、頬とまぶたに何度もキスをした。ウラルもユタを抱きしめ、顔中にキスをする。

「おばさんも生きててよかった」

 ユタが目頭をおさえた。ウラルもこみあげてきた涙をぬぐう。

「ところで、こちらは?」

 ユタの視線がアラーハに向けられる。

「怪しい人じゃないから、安心して。アラーハ、っていうの。この村が襲われた日、私を助けてくれた人」

 アラーハが黙礼する。無表情、むしろ仏頂面だが、不機嫌なわけではない。警戒をといた目は、とても穏やかだった。

 ユタはアラーハに向き直った。小柄なユタはアラーハの胸までしか背がないので、見あげるかっこうになる。

「私の姪を助けてくれて、ありがとうございます。あの、どちらの軍の方でしょうか?」

 軍、という言葉に、アラーハの目が揺れた。ジンや〈スヴェル〉のことが頭をよぎったのだろう。

「〈スヴェル〉義勇軍だ」

 ジンが死んでからも、アラーハは「どこの兵士だ」と聞かれるたび、こう答えていた。もう、崩壊してしまった軍隊であるにもかかわらず。

 ユタは〈スヴェル〉のことをまったく知らないらしく、はぁ、とあいまいに答える。

「心配しないで、国軍の人でも敵国の人でもないから。ユタおばさんは、あの日からどうしていたの?」

「二年前の、一回目の襲撃で、この村の半分が死んだ。あの丘に、誰が作ってくれたのか、みんなのお墓があったよ。悲しいけど、嬉しいことだったね。私は隣のキヤ村じゃなくて、大婆さまと一緒に親戚のいるコナ村へ逃げた。その村も襲われたばっかりでね、人っ子ひとり、ねずみの一匹残っちゃいない。で、みんなが逃げたっていうキヤ村へ行ってみたら、そこも血の海だったの。このあたりの村は、ほとんど全滅だった」

「大婆さまも生きているの?」

 大婆さまはリタ村の長老だった。占い師、まじない師を兼ねる、村一番の長老だ。

「生きてるよ。それで、この村に帰ってきて、みんなを待とう、ってことになって。出稼ぎに出てた子や、遠くまで狩りに出てたじいさんなんかが帰ってきた。ほとんど、また出ていっちゃったけどね。そのあたりからショックでか、大婆さまが変になってきて。悪魔が来る、ってずっと呟いているの。みんな、気味悪がってね」

 丘の向こうで、パーン、と乾いた音がする。ユタは目を見開き、ぎょろぎょろとあたりを見回した。長いこと戦場を見てきたウラルは、これがベンベル軍の使う「火薬」の音だと知っている。どうやら、雨で湿った火薬が乾いて使えるようになったらしい。立て続けに火薬の爆発音が響いた。

「そろそろ、危ない。逃げるぞ」

 アラーハの低い声。爆発音が、少しずつではあるが近づいてきている。

「ユタおばさん、村の人をみんな集めて」

 ユタはきっぱりと首を振った。

「私は、行かないよ」

「どうして!」

「ほかの人も、みんな行かないと思う。どこへ行っても、同じだよ」

 ユタは、怯えとあきらめのいりまじった、なぜか開き直ったような目をしていた。

「どうして」

 ユタは答えない。

 ウラルは唇をかみしめた。村人の全てに向け、あらんかぎりの声をはりあげる。

「私は、レーラズ家のウラルです! 今、この村は、リーグ軍とベンベル軍の争いに巻きこまれようとしています! 早く、私と一緒に逃げましょう! 南へ!」

 答えが、返ってこない。

 ユタは悲しげに首を振り、きびすを返した。

「早く逃げて、ウラルちゃん」

 爆発音はさらに近くなっている。おそらくは、もう、丘のすぐそばだ。かすかだが、騎兵の蹄の音も聞こえてくる。どうやら、リーグ軍は総崩れになったようだ。

 アラーハがぐっとウラルの腕をつかんだ。今すぐこの村を出なければ、危ない。

 ぎぃ、とドアのきしむ音がした。誰か、一緒に来る人がいるのか。ウラルは耳だけでなく全身全霊を音のした方に向けた。

「この悪魔め! とうとう来よったか!」

 声と同時に、小石のようなものが投げつけられた。アラーハがウラルの前に立ちはだかり、小石を受けとめる。

 アラーハの手の中から転げおちたのは、水晶でできた小さな竪琴だった。風神への敬意をあらわす呪具だ。

「今すぐ、この村から出て行け! ウラルの皮をかぶった悪魔め! ウラルはかわいそうに、とっくの昔に死んでるんだよ!」

 大婆さまは老体ににあわない大声をはりあげながら、つぎつぎと呪具を投げつけてくる。ユタも、止めない。家に入って錠をおろしてしまった。

「行くぞ、ウラル」

 アラーハが手を引く。敗走してきたリーグ騎兵が丘をこえてくる。

 ウラルは唇をかみしめながら、アラーハについて走りはじめた。なおも叫び続ける大婆さまの姿がくずれかけた建物の死角になる。アラーハがウラルを小脇にかかえあげた。

 ウラルをかかえたまま、アラーハの姿が陽炎のようにぼやける。大きくふくれあがり、曲がりくねって、一頭のイッペルスに変わった。ウラルはいつの間にやら、その背にまたがっている。黒いたてがみを、ぎゅっとつかんだ。

 アラーハは疾駆する。イッペルスは体が巨大で足が長いだけでなく、足のばねが鹿だから馬よりも速く駆けられる。ごぉおぉおお、と耳元で風が鳴った。

 ウラルの涙が、風にさらわれて、散っていく。


     *


 ウラルの村に生き残りがひとりもいなくなってから半年、ジンが死んでから一年後。

 リーグ国は、滅びた。



第一部‐第二部間章完結 第二部へつづく

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