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第二章 4「別れの言葉」 上

 ゲート前で〈スヴェル〉軍は整列していた。カフスが「フェイス将軍が篭城の決定をくだされました」とつげ、続いてジンが「義勇軍〈スヴェル〉の一時解散、半数は〈ゴウランラ〉の要塞で待機」とよくとおる声で発表した。

 フェイスとジンが向かいあう。ジンは片手を胸にあて、ていねいに礼をした。

「何かあったときは、以前私の仲間を呼びに行ってくださった要塞へ使いの者をよこしてください。すぐに馳せ参じます」

「来てくださって、助かった。ジン殿と〈スヴェル〉義勇軍の武勇、よく覚えておこう」

 フェイスはわずかに笑みを浮かべ、自戒するかのようにすぐそれを消しさった。カフスに何かの合図をする。カフスはうなずき、進みでた。

「ジン殿、お受け取りください。わずかばかりですが」

「ありがとうございます」

 さしだされた袋をジンは受け取り、そのままイズンに渡した。イズンが袋を開くと、ぎっしりと金貨がつまっている。その場でイズンは金貨の枚数を数え、それぞれの組織の責任者に、均等に配った。

「フェイス将軍、火神のご加護を」

「ジン殿にも」

 ふたりは固く握手をかわした。

「それでは、失礼します」

 ジンはスヴェル全軍に向かって「騎乗」と短く指示をした。騎兵が馬にまたがる。城門が開いた。

「〈アスコウラ〉〈エルディタラ〉はそれぞれの頭目が率いてくれ。〈ゴウランラ〉〈ナヴァイオラ〉〈ジュルコンラ〉は〈スヴェル〉が率いる」

 ジンの前に集まっていたそれぞれの頭目が軽く一礼した。〈アスコウラ〉と〈エルディタラ〉の責任者が進みでて、短く別れの言葉を口にする。この二つの組織とはここで別れることになっていた。

「元気でねぇー!」

 〈エルディタラ〉の女たちがウラルに手を振っていた。

「みんなも、元気で!」

 ウラルも手を振りかえす。〈エルディタラ〉先頭の一騎が駆けはじめた。全頭がひとつの獣になったかのように駆けてゆく。〈エルディタラ〉は女も含めた全員が騎兵だった。

 ジンの号令で、ほかの三組織も動きだす。空には三羽のムールが舞っていた。だが、騎手はひとりだ。リゼが三羽のムールを長いロープでつなぎ、引き連れているだけである。

「ウラル」

 ジンがふり返っていた。ウラルはフォルフェスの腹を軽く圧迫し、ジンに追いついた。

「フェイス・ソウェイル将軍が俺の、実の父親だ。気づいていたかもしれないが」

「騎士様だったんだ」

 小声で言うジンに、やはりウラルは小声で返す。

「昔のことだ。今は、俺は死んだことになってる。父上も気づいていなかったようだ。もしかしたら、気づかなかったふりをしていたのかもしれない」

 ジンが遠くを見る目つきをした。元コーリラ国との国境、ヴァーノン山脈を後ろにしているため、目の前に広がるのはほとんど地面の起伏がない平野だ。それがとぎれると、豊かで広大な森に入る。〈ゴウランラ〉の要塞は国境よりやや南、森の中にあるのだとカクオス村へ向かっているとき、ジンは言っていた。

「あの老将、カフス卿は気づいていたと思うけどな」

 ジンを初めて顔をあわせたとき、反応があったのはフェイスだけではなかった。カフスも顔が青ざめていた。

「俺が小さかったころ、よく世話になった人なんだ。将軍だったとは知らなかった」

 アラーハがフェイスを睨んでいたことをジンは知っているのだろうか、とウラルは思った。

「ジンは、ジン・ヒュグルって名前なんだよね? どうしてお父上と名字が違うの?」

「俺はアラーハの養子だ。アラーハには姓がない。獣だからな。姓名をつけて名乗るときは、ヒュグル森の守護者だからアラーハ・ヒュグルと名乗る。俺はその姓をもらったというわけさ」

 馬の歩く邪魔にならないよう、ひとりだけずいぶんと前を歩いていたアラーハの片耳が器用に動いた。くるりとジンの方を向く。聞こえているのだ。

 ジンがふうっと空を見上げ、息をついた。

「このまま何事もなくおさまってくれればいいんだが」


     *


 馬たちが白い息を吐いている。人のほうはいくつかの組になり、たき火を燃やして暖をとっていた。冬至が近いのだ。

 ケーン! とどこかで警戒のさえずりがした。馬も顔をあげ、いなないたり蹴りあったりと急に落ちつかなくなった。

「何だ。見てみろ!」

 近くにいた兵士のひとりが空を指した。ムールのシルエットが近づいてくる。

「急報、急報!」

 ムールの騎手が声を張りあげた。すさまじい突風が吹きつける。たき火の炎がぐぉおぉと大きくゆらめき、ふうっといくつかが消えた。

 風をまとったムールと騎手が、消えたたき火の上に着地する。

 騎手は若い男だ。鉄の胸当てに皮の全身よろいをつけていた。胸に、かっと目を見開いて後ろ足で立ち上がり、前足で前にいる何かを蹴りつける雄々しい馬、異名を悍馬将軍というフェイスの紋章がその胸に描かれている。顔はススにまみれ、疲労の色が濃い。

 ムールは茶色と白のまだら模様をススで黒く染め、肩で息をしていた。「火の薬」の攻撃を受けたのか翼のところどころがこげ、褐色の瞳はどんよりと曇っている。自分の体をかばうように身を縮め、もう飛ぶのは嫌だといわんばかりにくちばしを羽の間につっこんだ。

「ジン殿はおられますか!」

 戦意を喪失したムールと違い、騎手の目はらんらんと光り輝いていた。冷えたからであろう蒼白だった顔が、怒りのためか興奮のためか、みるみるうちに紅潮してくる。

 ジンと同い年くらいの男だ。いや、疲労の色が濃く、汚れた身なりをしているせいで老けて見えるのかもしれない。馬のような面長の顔をした騎士だ。

「俺がジンだ。何があった」

 ジンがムールの前に駆けていき、声を張りあげた。

「フェイス将軍よりお伝えします」

「聞こう」

 ジンが応答するが、騎手はすぐに答えを返さない。何かをこらえるように空をあおむいた。

「どうした。早く言え」

 ウラルは胸騒ぎをおぼえた。ジンも同じような心地を味わっているのだろう。ジンが人をせかすところを見るなど、初めてだ。普段ならどれだけ沈黙が続いても、静かに答えを待っているのに。

 真っ暗な空からジンに目を戻した伝令の目は、真っ赤に充血していた。

「報告します。フェイス軍、三千五百」

 さっきまでの朗々とした口調が、低くかすれたような聞き取りにくい声に変わる。

「全滅、しました」

 ジンの顔色が変わった。

「ジン殿が去られて、すぐです。ゴーランが六千騎も。城壁をよじ登られて、戦う余裕も逃げる暇もなく」

 すすり泣きながら、それをこらえるようにジンをまっすぐに見つめて、騎手が報告する。

「ゴーラン。ベンベル国の動物か。巨大なトカゲで、カモシカでも歩けない道を、人を乗せて走ることができるという」

 フェイス軍にはじめて出会い、加勢した日のことをウラルは思い出した。敗走するベンベル騎兵とそれを追うリーグ騎兵。ベンベル軍の一隊は岩をよじのぼってリーグ軍の追撃をかわした。ベンベル騎兵らはこの「ゴーラン」に乗っていたのだ。

 ジンは息を吸い、一字一句ゆっくりとわかりやすい発音で、確認するように、使者に問いかける。

「フェイス将軍は」

 使者はぼろぼろになった顔で、なんとか悲しみの表情をつくる。

「討たれたようです。カフス将軍とダイオ将軍も行方がわかりません」

 ジンは全身が震えるほど強く、こぶしを握りしめた。

 ウラルの目にフェイスの姿が浮かんだ。今朝、ジンと握手をかわしていたではないか。かすかな微笑を浮かべ、それをすぐに消しさった厳格な将軍。

 ジンの実の父親が、もうこの世にいない。

「ご苦労だった。少し休め。こいつが傷の治療をする。ネザ、任せた」

 必死で冷静さを保とうとしているジンが、あわれだった。ジンの様子にとまどったような顔をしながらネザがうなずく。

「いいえ。わたくしはこのまま王都へ向かいます」

「その体では無理だ。第一、ムールも休みたがっている」

「では、ムールを一羽、お貸しください!」

 ネザが静止するが、涙をまき散らしながら騎手も怒鳴りかえす。

「治療の後だ」

「ネザ、いい」

 なおも食い下がる軍医をジンがさえぎった。

「リゼ。ムールを一羽、貸してやれ」

 野次馬の中のリゼが大きく目を見開きながらうなずいた。だが、ぽかんとした様子で動く気配がない。

 ジンが視線を使者に戻した。

「お前の名を聞こう」

「名乗り遅れました。シガルと申します。この報せを届けたら、ジン殿の命令に従うようにとフェイス将軍に命令されました。王都へ向かうよう、わたくしに命じてください」

「わかった」

 すっとジンの表情が引き締まった。

「お前の主人の息子として、お前に命じる。リーグ国王にとりつぎ、援軍を連れて戻ってくるように。父上の仇は、俺が取る」

「火神の御名にかけて、必ず」

 シガルはもう一度うやうやしく頭をさげ、若旦那さま、と続ける。その頬を涙がつたっていた。

 野次馬がざわざわと視線をかわしあう。困惑の視線だ。

「何をしている、リゼ!」

 ジンの声に鞭打たれ、あわててリゼが走り出す。三羽いるムールのうちの一羽にすぐさまその場で鞍をつけ、引き綱をほどいて連れてきた。連れてこられたのは白黒ブチの、前に一度ウラルが乗ったことのあるムール。ムールは興味津々でシガルのムールをつついたが、シガルのムールは疲れきっているようで、相手にしない。

「この借りは必ず、お返しします」

 シガルがムールに騎乗する。

 舌鼓。ムールが大きく羽ばたいた。まっすぐ南の空にむかって飛んでゆく。ムールはほかの鳥とちがって夜目がきくのだ。

「リゼ。〈アスコウラ〉と〈エルディタラ〉に帰還命令を伝えてくれ。大至急だ」

 リゼが「了解」と短く返事をした。

 ジンはリゼの右手をとる。こぶしを作らせ、それをぐっと自分の手で包みこむように握った。

「頼んだ」

 低く言って、ジンはどこかへ立ち去ろうとする。

「頭目!」

 リゼの呼びかけに、ジンがは足を止めた。

「頭目、あなた、何者だったんです? さっき、伝令が『若旦那』って……」

「言葉のままの意味だ」

 リゼの問いかけは、その場の全員がジンに尋ねたいことだっただろう。だが、ジンはそれ以上、答えようとしなかった。森に分け入り、どこかへ姿をくらましてしまう。

 野次馬もざわめきながら、それぞれ散っていった。今のジンを追いかける勇気のある者は、誰もいない。

 フギンとサイフォスが白い息のかたまりををふたり同時に吐き出し、ムールの治療をはじめた。ムールをつなぎ、翼を広げさせて全身の傷を見る。

「ウラル、水、持ってきてくれないか? リゼのムールの前にバケツがあるだろ。あれでいい」

 ウラルはうなずいて、リゼのムールがつながれている場所へ向かった。リゼは早くもムールに鞍をつけ終わっている。さっと飛び乗った。

「リゼ、このバケツ、借りるね。あのムールに」

 リゼは座りを整えながら、ウラルを見た。

「ウラル、さっきの大将の言葉の意味、わかる?」

「言葉のままの意味よ」

 フェイスは最後に自分の息子を息子と呼ばなかったことを後悔しながら、最期のときに、シガルを伝令として飛ばしたのかもしれない。シガルに、「ジンは自分の息子だから、フェイス軍全滅の報を伝えたら、ジンの命令に従うように」と言って。

「ウラルは答えを知ってるんだな?」

 ジンがフェイスの息子だったことは、アラーハとジン以外の誰も知らない。それなのに、なぜウラルには知らされたのだろう。

「頭目が、フェイス大将軍の息子、か。そういう意味でいいんだね?」

 ウラルはうなずいたが、うつむいて手を動かしていたリゼがそれを確認したかはわからない。リゼは手早く鐙のベルトをとめ、腰を命綱で固定した。

「行ってくる。〈エルディタラ〉と〈アスコウラ〉に召集をかけて、すぐに戻ってくるよ」

「気をつけてね」

「わかってる」

 リゼは白い歯を見せ、口元だけで笑う。

「元気でな」

 不安げに喉を鳴らすムールのくちばしをウラルは軽くなでて、置いてあった大きなバケツを持ちあげた。水は半分ほどに減っていたが、とてつもなく重い。

 後ろで羽音が聞こえた。すさまじい突風がウラルに吹きつける。

 リゼが暗い空に舞いあがっていた。



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