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風神の墓標【初稿版】  作者: 白馬 黎
外伝・番外編
146/147

「アラーハの水浴び」

第一部のどこか。軽いネタバレあり。

 〈スヴェル〉の男は水浴びが好きだ。特にフギンは馬に水を飲ませたり洗ってやったりと一日に何度も川へ行くことが珍しくない。特に示し合わせるわけでもないが、ばったり数人が出くわしたときは、毎度毎度レースをしたり窒息寸前まで相手を沈めたりと大騒ぎになった。

「よし、勝った!」

「いや、俺の方がでかい!」

 今日は魚だ。誰も釣竿など持ってきていなかったから、みんな手づかみかナイフを銛がわりに使うかだ。あまりにバシャバシャ水を蹴立てるものだから、魚はみんな怯えて逃げてしまった。それにも気づかずフギンはがむしゃらに水に飛び込み、サイフォスは岩の間をさぐる。二人がなんとか捕らえるのは犬の餌にもならないような小魚ばかり。漁師町出身のリゼは岩の上に腰かけ、ほうほうのていで逃げてきた魚を笑いながら捕らえていた。

 この場にいるのはこの三人だけだ。ジンとイズンはとうに水浴びを終えて帰っているし、ネザはもっと遅い時間に来る。マライ、マーム、ウラルは別の場所を使っていた。フギンやリゼはこっそりその水浴び風景を拝みに行ったことがあるが、さすが女たちは勘が鋭い。見つかればマライ自らの鉄拳か、マームとウラルの食事抜きの刑か、妻マームへの仕打ちに激怒した夫サイフォスの雷が待ち構えているものだからすっかり懲りてしまった。そしてアラーハは……。

「おい、誰かアラーハが服脱いだとこ見たやつって、いるか?」

 フギンが吹き出した。

「なんだよリゼ、お前そんな趣味だったのか」

「まさか。ひどいな。アラーハの水浴びに出くわしたやつはいるかって聞いてるんだよ。そういえば一度もないからさ、俺は」

 新株のフギンはあてにならない、とリゼは古株サイフォスを見たが、サイフォスも自慢のあごひげをなでながら首を横に振った。

「なんだ、うちの女房のぞきに飽きたら次はアラーハか? 俺もないな。まぁ、アラーハはこの森の住人だからな、どこか俺たちの知らない別の場所を使ってるんだろう」

 いい加減魚捕りに飽きたのだろう。フギンとサイフォスも適当な岩に腰かけた。

「でも森に限らないぞ。戦闘の後、適当なところで返り血を落とすだろ。その時にもアラーハ、姿くらますよな」

「それを言うなら食事のときも寝るときもいないじゃないか。単独行動が好きなんだろう」

「単独行動好きにも程がありすぎる。何かわけありなんだろう? そのわけが気になるわけさ」

「むむ、確かに気になる……」

 サイフォスが不意に立ち上がり、手近な木にかけてあったタオルを手に取った。フギンとリゼにも放る。少しばかり説教がましい顔を二人に向けた。サイフォスはフギンとリゼより二十近くも年上なのだ。さっきの魚捕りの様子からは四十間近のオヤジだとは到底思えないのだが。

「二人とも、そんな詮索するものじゃない。別に聞かれてもいいことなら俺もアラーハとは七年の付き合いだし、知っているはずだ。それでも知らないからには、本気で聞かれるのを嫌がっているんだろうよ。やめたほうがいい」

 リゼとフギンは顔を見合わせた。

「だからって気になるよな」

「気になる」

 サイフォスが苦笑しながら肩を落とす。

「あのな、二人とも、アラーハの怪力を知らないとは言わせんぞ。リンゴ握りつぶすなんざ朝飯まえ、この間はフライパンを曲げたんだぞ。素手で、まっぷたつにだ。やつが激怒したらどうなるか、誰も止められん。放っておくのが一番だ」

「アラーハがあの厚ぼったい毛皮脱いでるところさえ見れれば満足さ、ちゃんと礼儀正しくお願いすりゃいいだろ。そんな怒られないさ。な、リゼ」

「それくらいなら大丈夫だろうね」

「『お願い』で脱いでもらえなかったらどうする気だ」

「どうする、リゼ」

「さぁ。その時になったら考えるよ。さ、とっとと魚を処理してマームさんに持っていこう。それから作戦会議だ」

 サイフォスが再び肩を落とした。その様子に笑いつつ、背の高い草を刈って作った魚篭(びく)をリゼが取り出す。フギンとサイフォスは先を争うようにその中をのぞきこみ、軽くうめいた。

「いつの間に捕ってたんだよ、こんなに」

「漁でアラスの出に勝てると思わないでくれよ」

 くったりとなった魚の一尾をリゼは取り出し、手早く腹を割いて処理を始める。サイフォスとフギンが顔を見合わせ、軽くため息をついてリゼを手伝った。


     *


「毛皮を脱いでくれだと?」

 アラーハに呆れ顔をされ、フギンとリゼは顔を見合わせた。「変態か」とばかり上から下まで眺められては好奇心も失せるというものだ。しかも相手は小柄なフギンとリゼより頭ふたつも背の高い巨漢だった。

「すまんが、無理だな」

 案の定むげに断られてしまう。アラーハの広い背中を見送りながらフギンとリゼはつめていた息を吐き出した。

「絶対暑いよな、あの毛皮」

「暑がりなのにな、あんな汗かいて。あれで水浴びに行かないなんて」

 アラーハは夏だろうが冬だろうが毛皮を着ている。鹿皮か何かのふわふわの毛の生えた上着に皮のズボン。狩人の格好だ。晩夏の今は太すぎる二の腕をむきだしにした袖なしの上着を着ているが、寒くなってくるとこれがデザインはそのまま長袖に変わって、厚みが増し、丈も長くなる。まるで獣の換毛期だ。しかもアラーハはどうやら夏用と冬用の二着しか服を持っていないらしい。あるいはまったく同じ服を何着か持っているのか。

「……気になるよなぁ」

「気になるなぁ」

「こりゃ、やつが水浴びしてるところをこっそり拝むしかないな」

 ぎょっとリゼはフギンを見やった。サイフォスの言葉を思い出したのだ。

「本気かい? アラーハは怒らせない方がいい」

「『お願いして』だめだったら考えるって言ったのはお前だろ? 考えて、次は『見つからなければ』いいと思ったのさ」

 にやにやするフギンにリゼは渋面をつくってみせた。

「だからってな、アラーハの勘の鋭さは半端じゃないぞ。本物の獣並みなんだ、マライやマームさんどころの騒ぎじゃない。知ってるだろ?」

「俺とお前が誰だと思うんだ。元盗賊と元ムール調教師だぞ。俺たちならアラーハって獣を出し抜けるさ」

「なんだよ、その根拠は」

「お前も野生のムールから雛かっさらって生きてきたんだから、ちょっとは獣のことわかるだろ。俺も盗賊だったからには待ち伏せや忍び寄りには慣れてるさ。やつが水浴びしてる場所を見つけて、風下の木にのぼって待ち構える。ここまでやりゃシカでもクマでも気づかないさ。いくらアラーハの勘が冴えてるといっても人間だ、シカよりやつの勘の方が鋭いか?」

「そんなこと言いつつ、マームさんやウラルにも気づかれたくせに」

 にやにやするフギンにつられ、リゼも笑った。リゼもだんだん乗り気になってきたのだ。

「あの時はそこまでやらなかったろ。相手が女の子だと加減してしまうんだな、どうも」

「紳士だから?」

「そ。のぞきしても紳士だから」

 二人で吹き出した。

「決まりだな。問題はどうやってアラーハの水浴び場所を見つけるかだ」

「川をさかのぼればいいさ。どうせこの森には一本しか川がないんだ。水浴びに向きそうな場所も限られてくる」

「そうだな、それでいこう。で、人がタオルかなんかを引っかけた跡があれば完璧」

 こそこそ二人で笑い合っていると、背後からすさまじい視線を感じた。

「何をたくらんでいる?」

 ギクッ。振り向いてみればアラーハが白い眼で二人を睨んでいる。

「悪いことは言わん。やめておけ」

 アラーハのぶっとい二の腕にぎちりと血管が浮かび上がる。力こぶまで含んだ太さときたら、片腕だけでウラルのウエストくらいありそうだ。ふたりはびくびくしながら去っていくアラーハの後ろ姿を見送った。

「アラーハ、なんであんな嫌がるんだろうな」

「それを知るんだろ」

「でもさ。アラーハが見られたがらない理由があるなら、それを俺たちが覗き見するのは悪いんじゃないかって気になったのさ」

「なんだよ今さら」

「アラーハの体に奴隷の焼印か死刑囚の烙印か、そのあたりのものが押されてたらどうする?」

「そんなもの。……誰も恐れないさ。俺たちはみんな国から逃げてきた身だぜ」

「でも気まずくはなるだろ。それにアラーハが激怒して暴れたりしたら骨の一本や二本じゃ済まないぞ」

「仮説の話だろ。もしやつが単なる露出恐怖症だったらどうする」

「それはないだろ、いつも二の腕から先はむきだしじゃないか」

「じゃあ女の下着をこっそりつけてるとか」

「むしろ実は女だったとか? 水を浴びたら絶世の美女に!」

「やめろ想像させんな! くっそ、やっぱりこっそり拝ませてもらうしかねぇな!」

 結局二人はにやにやしながら準備万端整えてヒュグルの深い森へと分け入った。


     **


 アラーハが使っているとおぼしき場所は驚くほどあっさり見つかった。小川をさかのぼること四分の一クル(約三十分)、ある程度水深があり流れが穏やかなところ、しかも〈スヴェル〉者はめったに来ない場所に靴跡が見つかったのだ。フギンやリゼの一.五倍はありそうな巨大な人間の靴跡。もうこれは間違いない。

 フギンとリゼは目配せを交わしあい、顔に黒い木の実の汁を塗りたくって暗い森のなかで目立たないよう色をつけてから風下の樹上に潜んだ。

「今日来るかな。あれだけ言ったから警戒されてるかも」

「あれだけ汗かいてたし日の高いうちに来るとは思うけど、別の場所を使うかもね。夕暮れには帰ろう」

「あちー。俺の方が水浴びしたくなってきた」

 アラーハはどこから現れるかわからない。隠れ家の方から来るのを想定して対岸に隠れてはいるけれど、アラーハがそちら側からひょっこり現れるかもしれない。地面に伏せていて真横を通られ鉢合わせしては目も当てられないから二人は樹上に潜んでいた。長身の男は見下ろすことに慣れているからか、往々にして頭上の気配に無頓着だ。けれど木の上はじっと待ち続けるには辛い場所だ。ふたりは不安定な枝の上で木の葉を鳴らさぬようひっそりもじもじしながらアラーハを待った。

(来たぞ、アラーハだ)

(お、まじか)

(森の奥の方から来た。そこ、そこ)

 聴覚の鋭いアラーハに聞きつけられぬよう声を出さずにフギンは言って、視線で真下を示してみせた。

 アラーハは手近な木にタオルをひっかけると、周りをひとつ見回して、それから小川へ歩いていった。アラーハの木靴の下で岩がカポカポと軽快な音をたてる。

 アラーハはどこで服を脱ぐ気なのだろう。タオルを置いたところで脱がなかったということは、きっと川べりで脱ぐ気だ。もしかするとついでに洗濯する気なのかもしれない。

 アラーハの足元で水しぶきがあがった。アラーハのくるぶしが、腿が、腰が、ざぶざぶ水を蹴立てながら川の深いところへ沈んでいく。服どころか靴の一足さえ脱がないまま肩まで水に浸かったアラーハが気持ちよさそうに目を細め――

「うそだろ、服のまま?!」

 とたんアラーハが目を見開き、顔を上げてフギンとリゼの方をまっすぐにらみつけた。見つかったのは明らかだ。声を出してしまったフギンは樹上で肩をすくめ、その頭を「バカ」と一言リゼが思いっきり殴りつけた。

「……お前ら、そんなに俺の裸が見たいのか」

 低い声にフギンとリゼは震えあがり、木から飛び降りるなり一目散に逃げ出した。

 アラーハは大騒ぎしながらものすごい勢いで遠ざかっていく二人の後ろ姿をにらみつけ、それからふぅっと重いため息を吐いた。

「やれやれ、そろそろ潮時かもしれんなぁ。まったくわからんかったぞ。よく水に入る前に変身しなかったものだ」

 無人の川にアラーハは服を着たままざぶりと身を沈めた。頭のてっぺんまで水に沈み、再びあがってきたときにはアラーハは人の姿をしていなかった。

「いい加減、自分から話すべきかもしれんな。まったく今まで隠し通せたことが驚きだ……」

 シカの枝角と四肢、馬の体とたてがみを持つ巨大な草食獣は水からあがり、ぶるぶると体を震わせて毛皮についた水分を払い落とすと、木にかけてあったタオルを角にひっかけ森の奥へと消えていった。


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