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第四章 4「泣かないで・泣いてくれ」 下

     ***


 目を離してはいけない。目を離したその瞬間ウラルが首を切り裂いていそうで、あるいは舌を噛み切っていそうで、エヴァンスは廃屋の中に横たえたウラルのかたわらから片時も離れなかった。

 ウラルの寝顔は静かだった。一度彼女が「死んだ」ときと同じ顔をしていた。だが黙って見守っていると土気色だったウラルの頬に少しずつ赤みが戻ってきた。少しずつ寝返りを打つようになり、死の匂いはうすれて、不思議にあどけないとさえ言える寝顔になった。悪い夢にうなされている様子もない。

 なにもかも忘れてしまったかのような、かつて野宿のときに見た寝顔よりも穏やかな表情にエヴァンスはただただ戸惑った。かといって何をすることもできず、黙ってウラルのかたわらに座り続けた。

 ウラルが目を開けたのはエヴァンスの朝の祈りの後だった。

「気がついたのか」

 ウラルの目に苦悶の色はなかった。不思議そうに、戸惑った様子で歩み寄るエヴァンスを見つめていた。

「なんといえばいいのかわからないが……。気分はどうだ」

 ウラルは答えない。まじまじとエヴァンスを見つめるばかり。

「わたしがわかるか?」

「あの、ど、どちらさまですか?」

 予想外の言葉にエヴァンスは立ちすくんだ。ウラルはエヴァンスの金の髪と青い目をまじまじと見つめている。それはエヴァンスがかつてコーリラ国を攻撃したときよく受けた視線によく似ていた。

「ウラル?」

「どうして私の名前を?」

 人間かどうかすら怪しむ目をして身体にかけていたエヴァンスのマントを蹴り飛ばし、ウラルは壁際まで身を引いた。怯えた様子にどうしていいかわからず黙りこんだエヴァンスの様子が怒ったように見えたのか、ウラルはドアに駆け寄るなり小屋を飛び出してしまった。

「どういうことだ」

 だん、と一度激しく閉まったドアが力を失ってだらりと開く。

 転げまろびつ駆けていくウラルの後姿をエヴァンスは呆然と見送った。


     ****


「なんなのあの人!」

 ウラルは全力で突っ走っていた。目が覚めてみれば廃屋で見知らぬ男とふたりきり、しかも相手は金色の髪に青い目という人間どころか動物でも見たことのない容姿で、親しげにウラルの名を呼んできた。あっさり逃げ出せたのが嘘のようだ。

 どうしてこんなことになったのだろう。昨日どこでなにをしていただろうと思うのに、どうしても「昨日」が思い出せない。とにかく人のいるところへ。誰かに助けを求めなくては。目的はまったく想像できないがきっとあの男は追ってくる。

 道なき道を走る。走る。走る。――いや。

「え、ここって」

 ここは道だ。朽ち果てた柵が草むらの中に転がっている。まわりの木はリンゴだ。柵の向こうに広がっているのは雑草ぼうぼうだが小麦とジャガイモの畑だ。誰の世話もされていない牧草地と果樹園と畑だ。

 ここが道なら。ここがウラルの知っている道ならば。

「うそ、うそでしょ」

 屋根が見える。半分落ちた屋根が。ウラルの知っているところに。

 ウラルの村があるはずの場所にあったのは廃墟の群れだった。

「だれか」

 ドアを叩きたかった。でもそのドアすらまともに残っている家がほとんどなかった。

「ロロ!」

 幼なじみの朽ち果てた家を見る。

「ユタおばさん!」

 母を喪ってから女らしいことのすべてを教えてくれた叔母もここにいない。

「オルガさん! ヤンじいちゃん! どこ? みんなどこにいるの!」

 誰もいない。誰もいない。誰もいない。どれだけ声を張り上げても答える声はなく、人の気配はおろか犬猫一匹さえ見当たらない。

「私の、家」

 よろよろと向かってみれば、家具家財はおろか屋根も壁も柱の一本すらも残っていなかった。基礎の残骸だけしか残っていない。もう動く力もなくなって、ウラルはそこに膝をついた。

 視界の端で金色がゆらめく。はっとして振り返ると、あの男が黙って後ろに立っていた。

「あなたは誰なの。この村に何をしたの」

「この村が滅びたのは五年前だ」

「うそ……」

「一日や二日でここまで荒れると思うか」

 うそだ。こんな男の言葉を信じられるはずがない。

 うつむいた顔に髪がかかったのにウラルは驚いて顔をあげた。髪が腰まである。ウラルの髪は肩までだったはずなのに。

「ウラル。お前はすべてではないがかなり長い間の記憶を失っているようだ」

 男は手に持ったマントをウラルに差し出した。ウラルにとっていまは夏真っ盛りのはずなのに空気は晩秋の冷たさで、気づいたとたん寒さをおぼえてウラルはマントを受け取った。漆黒のマントは肩幅が異様に広く、そのくせ裾はウラルにぴったりの長さに整えられていて、不思議に悲しいにおいがした。

「わたしはエヴァンス。お前の……友人だ」

 痛みをたたえた目で男は名乗り、ついてこいと背を向けた。


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