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第四章 2「黒い竜と氷の豹」 下

     ***


 翌朝、エヴァンスは銀色の甲冑に身を包み、肩に〈フェスオ・ソルド〉の緋色のマントをかけて戦へ出ていった。腰には漆黒のシャムシールがある。あの大槍が折れた時のためであろう〈黒竜〉アズワド・グライスが帯びていたもの、捕虜になったとき奪われていたものをエヴァンスが受け継いだのだ。

「戦場ではお前をジンと呼ぼう」

 出立前、ダイオはそうエヴァンスに告げていた。

「顔を隠しているのだ、名も知られたくはないだろう?」

「悪趣味だな」

 エヴァンスは一言だけ不満を口にして、受け入れた。

 野営地に残されたフギンは黙ってその後ろ姿を眺めていた。隻腕の彼は後方支援、メイルと一緒に負傷者の世話をしている。〈死病の悪魔〉が現れたとき病にかかるのはベンベル人ばかりではない。〈火神の墓守〉以外の味方の者も一緒に病にかかってしまう。リーグ人の若い男なら抵抗力があるから酷い風邪をひいたくらいの症状で済むが、それでも高熱はでるし吐き気も酷いし戦力にはならなくなる。フギンの役目はもっぱら彼らの治療だった。

「あのベンベル人も戦に出ることになったのね。どういう風の吹き回し?」

 血の匂いのしみついた長い髪をかきあげながらメイルがフギンの隣に立った。昨日彼女は夜勤だったはずだ。今やっと休憩に入って仮眠でもとるところなのだろう。

「私の患者がひとり殺されたって聞いたけど。それと関係あるのかしら?」

「主治医お前だったのか。ベンベル人嫌いなのによく引き受けたな」

「悶え苦しんでるベンベル人の腕を切り落とせるんだもの。こんな素敵なことないわ」

「……お前、本当に医者か?」

「あら、味方のは嫌よ。必要があればやるけど」

 フギンは思わず自分の右腕を見た。この女は医者より拷問官の方が向いている。

 つられてかメイルもフギンの腕を見て「しまった」と言いたげに口を結んだ。

「お前、ほんといつでも直球だよな。相手がどう思うとかちょっとは考えろよ。まぁ、こう複雑な事情で首回らなくなってく奴ばっかの中にお前みたいなのがいるとなんていうか、ほっとするんだけどさ」

 メイルが目をぱちくりさせた。

「今なんて言ったの?」

 聞こえてただろ。フギンは深い深いため息をついてみせた。

「ったく、俺にはウラルみたいな神々しくて物悲しくて何考えてるかわからない女より、きっとお前みたいなまっすぐで思ったこと全部吐き出しちまうような女が似合いなんだろうなぁ」

 メイルが切れ長の目を真ん丸にしている。フギンは慌てて「別に口説いてるわけじゃないからな!」と手を振り回した。

「とりあえず大変なことになっちまったんだよ、エヴァンスの野郎が」

「首が回らなくなったと?」

「そうだよ。博打にのめりこんでばかでっかい借金つくって人殺しちまうみたいに昔の仲間を殺しやがって」

「博打? あの男が?」

 たとえ話だよ。もう一度ため息をついてエヴァンスの行った先を見つめた。

「あいつはこれで晴れて俺たちの仲間になった。喜んでやるべきなのかもしれねぇ。あいつは凄い。野生の獣みたいに怖い野郎だよ。ベンベル軍のことも知り尽くしてるし、あいつがリーグ側につきゃ百人力だ。だけど、だけどよ」

 あいつが哀れなんだ。口をつきかけた言葉を呑み下す。目の前にいるのは治療とはいえ嬉々として〈黒竜〉の腕を切り落とした女、気味悪がられるのが関の山だ。

「悪ぃ、お前あいつのこと嫌ってたよな。せっかくの休憩時間にこんな話しちまって」

 フランメ町からこの戦場までの道中もメイルはこれみよがしにエヴァンスを避けていた。話すことはおろか隣に立つのも嫌がってフギンを必ず間に挟んでいたくらいに。

「そうね、ベンベル人はみんな嫌いだけどあの人はウラル様の大切な人でしょう。あの人だけは毛嫌いするわけにいかないわ。あの金の髪も青い眼も見るだけで吐き気がするけど」

 フギンはメイルをまじまじ見た。よく言うよ、あれが毛嫌いじゃないならなんて言えばいいんだ?

「なんなの、その顔」

「いや、なんでも」

「とりあえずあの人の腕を落としたいとは思わないわ」

「大嫌いだけど一応仲間だとは思ってる、俺があいつのこと心配してても嫌じゃないってことか?」

「そういうことよ。湿っぽい顔しないで、イライラするから。私だってあなたの熱血なところ好きなんだから」

 さっき褒めたお返しらしい。顔をそむけてうつむいたうなじが綺麗だった。フギンも思わず顔をそむけて「まいったな」と頭をかいた。

「なんだよ、暴走女。惚れちまうじゃねぇか」


     ****


 〈鋼の髑髏〉と〈荒天の碇〉の二将軍はさすがに戦上手だった。火神軍の動きが変わり、銀の全身鎧に身を包んだ手ごわい新手が現れたとみるや、すぐに兵をひいて王城の隣にある駐屯地まで下がり籠城の構えを見せた。

 コーリラからの援軍が来るまでここで粘るつもりだったのだろう。「援軍求む」「グライス将軍が囚われた」という手紙が〈エルディタラ〉によってすり替えられていることにも気づかずに。そして火神軍の総大将は神話時代からこの国を守り続けていた軍神だった。

「――ここだ」

 ダイオが示したのは時の重さに今にも潰れそうなネズミだらけの隧道だった。

「百八十年前に王族が作らせた通路だ。ここから王城の地下につながっている。が、我々にとって用があるのはその途中」

 王族が退路を兵に守らせるため、〈髑髏〉と〈碇〉が逃げ込んだ駐屯地のど真ん中につながる通路があるという。今は塞がれ忘れ果てられているはずだが、ベンベル軍から盗み出してきた火薬があれば簡単に穴をあけられる。

「工兵、前へ!」

 なぜダイオがそんな隠し通路を知っているのかという疑問は誰も持たない。夜陰に乗じ、ランタンの明かりにツルハシやシャベルを光らせひた走る。

「爆発に巻き込まれるな! 穴が開いたらすぐに瓦礫をどけて退け!」

 真っ暗な通路の奥で火球が炸裂する。衝撃波。年期の入りすぎた隧道がみしみし揺れる。

「工兵下がれ! 『ジン』、道を拓け!」

 銀の甲冑が闇に躍った。着の身着のまま何がなんだかわからぬという表情で剣を向けてきたベンベル兵をなぎ倒す。

 爆発を合図にアズ、カームの二将軍が要塞の外からも総攻撃をかけている。激しく鳴り始めた警鐘のなか、エヴァンスはふたりの将軍の姿を求めてあたりを見回した。

――〈碇〉ハ右翼ノ見張リ台ニ。総大将ハコチラヘ向カエ。

 上空からムールに乗った参謀イズンが決められた符丁でフルートを鳴らす。

――〈髑髏〉ハ左翼デあず将軍ト交戦中。じん将軍ハコチラヘ向カエ!

 この二将軍は同時に叩かなくてはならない。エヴァンスは血刀を引っさげ左翼へ駆けた。

――〈碇〉〈髑髏〉ハ共ニ中央ヘ向カッテイル。合流ヲ阻止セヨ。

 フルートの合図。空からもムール騎兵の槍が降ってくる。見張り台から射られる矢からイズンをかばいながら弓兵を次々と倒している。

――あず将軍負傷。じん将軍ハ急ギ〈髑髏〉ノモトヘ向カエ。

 髑髏の紋章の入った鋼色のマントが見えた。脇腹に重傷を負い、足元をふらつかせながらも剣を振り上げるアズにとどめを刺そうとしている。エヴァンスは二人の間に割り込み〈髑髏〉の剣を受け止めた。

「(お前が新手の将軍か)」

「アズ将軍、ここはわたしに任せて退け」

 シャムシールを〈鋼の髑髏〉の喉にぴたりと向ける。

「〈鋼の髑髏〉。貴様の首、わたしが貰い受ける」

 喉笛を狙った一撃。重い甲冑などものともせず、しなやかに獰猛にエヴァンスの身体が躍った。〈髑髏〉のシャムシールがそれを受ける。瞬間、エヴァンスはさっと身を縮めて〈髑髏〉の間合いに入るや脇腹に鉄拳を見舞った。うめきながらかけられた足払いを跳んでかわし、突き込まれた剣を受け流して反撃する。喉笛を。脇腹を。手首を。ゴーラン鎧の弱い部分を執拗に狙う。それはさながら豹のように。

「(……貴様、まさかベンベル人か!)」

 シャムシールの扱い方がさまになりすぎているのに気付かれたらしい。それとも打ち合ったときに兜の奥の青い眼を見られたか。

「(なぜベンベル人が我らの神を裏切りリーグ側につく。顔と名を明かせ!)」

「(力づくでこの兜を打ち払ってみたらどうだ、〈鋼の髑髏〉ケルヴィン卿。お前はわたしを知っている)」

「(その声、たしかに覚えがあるぞ。誰だ貴様は)」

 エヴァンスは答えず〈黒竜〉のシャムシールを構え直した。

 いきなり顔面に来た。エヴァンスはただ顔をそらして致命傷を防ぎ、兜が吹き飛ぶに任せた。

「〈氷の豹〉……!」

「そうだ」

 〈髑髏〉の手が驚きに止まった一瞬、エヴァンスの剣が豹の牙と化した。

「すまない、ケルヴィン」

 頸動脈を裂かれ首からだくだく血を流す〈髑髏〉を押さえつけ、エヴァンスはとどめとばかりその心臓を剣で貫いた。

――敵将〈髑髏〉、〈碇〉共ニ戦死。残ル敵兵ヲ追撃、火神旗ヲ掲ゲヨ!

 合図と共に旗が次々と掲げられた。赤地に雄牛と剣が描かれた鮮やかな旗が誇らしげに翻る。

 リーグ王都奪還。王城に掲げられた火神旗にリーグ全土が沸いた。


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