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第四章 1「死神きたる」 上

 風神の心はもう限界だ。もう数日ともたず〈反転〉するだろう。

 〈墓所の悪魔〉、またの名を〈憎しみの風神〉。目覚めた〈悪魔〉は最も近しかった〈風神の墓守〉に取り憑き〈火神の墓守〉にしか癒せぬ病を撒き散らす。

 相手がごく普通の〈風神の墓守〉であれば〈戦場の悪魔〉がフギンに憑いたときと同じだ、その場で大暴れするだけで済む。だが一度死に、風神の力を受けて蘇った場合は被害が桁違いに大きくなる。

 お前も知っての通り、この世界の生物は地火風水すべての神の加護を受けている。その割合はそれぞれの生物で違う。女は風神の加護を多く受け、男は俺の加護を多く受ける。だが四人の神の力すべてを受けているのは変わらん――が、一度死に、風神の力を受けて蘇ったお前はその体すべてが風神の力で満たされいる。地神、水神、俺の力は風神の力に押し出される形で失せているのだ。

 今のお前は風神の分身といっていい。お前の体はもはや見せかけだけのもの。地神の肉と骨も、水神の臓物も、俺の血潮も。お前が〈悪魔〉に憑かれたとたん消え失せ、黒い風に姿を変える。そしてリーグ、コーリラ全土をさまよい、死病をもってこの世の生物すべてを死に追いやる。

 安心しろ、俺もこの世界すべての民の父だ。そうそう簡単に殺させはせん。

 〈墓所の悪魔〉の病への抵抗力は俺の加護の強さで決まる。つまり若い男は軽症で済むが、年取った女は病に弱い。そして、俺の加護をまったく受けていないベンベル人はほぼ間違いなく死に至る。それに〈火神の墓守〉の力を受ければ病は癒える。

 全国の都市に〈火神の墓守〉を配した。〈フェスオ・ソルド〉の戦力も落ちたが、それを補って余りある力をお前がもたらす。二国両断まで半年ない。俺ひとりでベンベル人を追い出してもいいが、戦を仕掛けもみ合っている間にふたつの世界が分かれる、その混乱を突いてベンベル人を一掃するという方法しか取れん。お前はできるだけ多くのベンベル人を血を流さず国へ帰すことを望むのだろう。どちらにせよ風神が〈反転〉するとなれば。利用しない手はない。

 首尾よくふたつの世界が分かたれれば、俺が責任をもって風神を正気に返そう。だが心優しき聖女よ、そのころにはお前の心は壊れているだろう。お前は何百人、何千人という人の命を奪ってなお正気でいられる人間ではない。今までの〈風神の墓守〉も皆そうだった。

 もう一度言う、お前に残された時間はあとわずか。あがくなり受け入れるなり好きにしろ。悔いの残らぬよう過ごすがいい。

 今がお前にとって最期の時だ。


     *


 フギンは倒れ伏したエヴァンスの胸に手を置いた。

 火神の加護を願う。己の内にある炎の力がエヴァンスを救うことをフギンは知っている。

 エヴァンスの顔から苦痛の色が薄れたとき、フギンは思い出した。

 自分がベンベル人を憎んでいることを。

「お前が死んだらウラルが悲しむ。気をしっかり持ってくれよ」

 弁解のように告げ、フギンは愛馬の胸に、ついで血みどろの神官たちの胸に手を当てた。


     **


 〈フェスオ・ソルド〉は静かだ。ウラルが「消える」その日の早朝、ダイオがこの要塞とフランメ町を守れる人数だけを残し王都へ発ったのだ。

 ダイオがあげた「狼煙」は多くの者を〈フェスオ・ソルド〉に引き寄せた。多くの志願兵を。軍資金の提供者を。刀鍛冶を。蹄鉄工を。誰もが胸を張り底光りのする目をして、ベンベルに勝てるならば全てを捧げるとダイオに誓った。今まで顔を伏せ背を丸め、力も財産も才能も隠していた彼ら。その手をダイオは力強く握った。

 希望を見据えろ。

 その両手に備わった力を思い出せ。

 膨れ上がった火神の軍が王都を目指す。王都で準備を整えるベンベル軍本隊が見えていないかのように――火神軍、解放軍、狂戦士軍……。彼らは後にそんな名で称えられ畏れられることになる。

 怒れる火神の右腕で〈(フェスオ・)(ソルド)〉が燃え盛る。


     ***


「こんなときにメイルさんが倒れるなんてな」

 アラーハの包帯を替えながらナウトがため息をついた。

 ここ数日ウラルの様子がおかしかったのはもちろんだが、その一方でメイルの様子もおかしかった。今までの気性の激しさが嘘のように不安げな顔をして、ウラルの部屋の近くへ行こうとすると目元を固く押さえて震えていた。なにか恐ろしいものを見たかのように。

 王都へ発つダイオにかわり〈フェスオ・ソルド〉の要塞を任されたイーライは無理をするなとメイルを遠ざけ、ウラルには別の医師を付き添わせた。「ウラルのやることを妨げるな。どこかへ行こうとしたら止めずに自分へ報告せよ」という奇妙な指示つきで。

 そしてウラルは消え、その日の夕方になってメイルが激しい息苦しさを訴えて倒れた。酷く怯えた様子で、錯乱し、涙をぼろぼろこぼし――今はイーライの介抱のもと、薬を飲んで眠っている。

 疲れていたんだ。誰もがそう言ったが、誰もそう思っていないのは明らかだった。少なくとも〈フェスオ・ソルド〉で剣を手にする男は誰も。

「ウラルに何かあったんだ」

 病床のアラーハが低く呟くのに、ナウトはぎゅっと顔をしかめた。

「なんでそう思うのさ?」

 アラーハは答えに窮して窓の外を見つめた。彼は嘘が下手だ。

 窓際ではナタ草が風に揺れている。陽は西の空へ消えあたりは夕闇に沈み、ナタ草の花は青から藍へゆるりと色を変えようとしている。

「ちえ、子ども扱いもいい加減にしてくれよ。それにウラル姉ちゃんに『何かあった』って今さらすぎない?」

 そうだな、とアラーハは苦笑した。ウラルの身にはずっと「何かがあった」。これ以上なにが起こるというのだろう。

 どこまで行く気だ、ウラル。人が何をしようと構わない。一緒に森へ帰ろう。

 戻ってこい。誰もがそう望んでいる。お前自身も。

 アラーハはもう一度外を見つめた。ウラルが行った南の地。

 その時だった。半開きだった窓が不意にものすごい勢いで弾け飛んだ。壁に叩きつかれ木端微塵になる窓ガラス、アラーハは反射的にナウトの手を引き大きな体で包み込む。

「何だ?」

 突風。ガラスの細かな破片を自前の毛皮で防ぎながらアラーハは目を細めて窓際を見やった。

 目を開けているのもやっとな、耳を聾さんばかりの暴風の中。アラーハはそこに今までなかった人影を見た。ガラスの破片の海の中。黒衣の女が立っている。

「ウラル!」

 ウラルの足元にはナタ草の鉢植えが転がっていた。根をさらしぐんなりと横たわったその花の色。漆黒。さっきまで青かった花が。

 風神の奇跡がおこるときナタ草は純白に変わる。そしてナタ草が墨染めに変わるときは。

 アラーハは青ざめた。彼はその意味を知っていた。

「〈墓所の悪魔〉」

 こみあげてくる吐き気と悪寒。アラーハの腕の中でナウトが激しく咳込み、血の混じった胃液を吐く。アラーハも濁った胃液を吐きだした。

「ウラル……行くな……」

 病み上がりの体が一気に冷たくなっていく。暗くなっていく視界の中、ウラルでないウラルが近づいてくる。怒りではなく深い悲しみをたたえて。その目に何か付け足すとしたらぎらつく瞳よりも涙を。けれど彼女は〈憎しみの風神〉と呼ばれている。その慈愛のあまり自分自身も含めたすべての人を憎んでいるから――

「アラーハ、大丈夫か!」

 激しい声と共に病室のドアが開いた。

 マルクが、〈火神の墓守〉が姿を見せると同時にウラルは黒い風に変わって消え失せた。


     ****


 死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。誰かが死ぬのを見送るくらいなら。これからずっとずっとずっとずっとずっと見送り続けるくらいなら。私が何人も何人も何人も何百年も殺し続けるくらいなら。私が今ぜんぶ殺すから。無になればいい。なんにもなくなればいい。誰もいなくなればいい。火神はばかよ。被害を最小限にするなら全部救うか皆殺し以外しかないのはわかっているでしょう。いくら手を尽くしても誰も救えない。誰一人笑わせられない。ずっとずっとずっとずっとこれが続くだけ。残された道はただひとつ。

 私がぜんぶ、背負うから。


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