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第三章 2「首切り斧」 中

3/10 前回「首切り斧」上の後半が少し変わりました。「ウラルがフギンについてきてほしいと頼む」→「フギンが強引についてくる」になってます。

     ***


 誰に話したわけでもないのにウラルについてくるという人はどんどん増えた。セラをはじめとする〈エルディタラ〉の二十人。それに「ウラルの部下」の半数。五十人は麻薬中毒者の手当てのためフランメ町に残ったが、残りの五十人がついてくると言って聞かなかった。

 ダイオ率いる〈フェスオ・ソルド〉はまだ動いていないようだ。ダイオに止められるとばかり思っていたのに。不自然なほどに静まり返ったまま。

 ウラルらは人気のない橋を渡り〈壁〉を超え、町をひとつ横切り畑道を駆け抜けた。そうして日没の前に町近くにたどりついたが、オグランは窪地にある町だ。町が一段さがったところにある上に町壁があるものだから、かなり近づいてもまったく町の様子が見えなかった。

「ウラル。中の様子、わかるか」

 ウラルは風神に呼びかけ、風に耳をすませ、それからゆっくり首を振った。

 エヴァンスを助けに向かう。そう決めたときから風神はどういうわけかウラルに力を貸してくれなくなっていた。ここにいないわけではない、ずっと視線は感じている。でもなぜか問うても、どうすればいいのかと叫んでも、風神はまったく答えを返してくれない。ただぼんやりとした不安な風がウラルの頬をなぜるだけ。

「ジン」

 胸のペンダントを握りしめ、何度目かに呼びかけたときだった。

(やめて……みんな死んじゃうよ……)

 ざわりと全身の毛が逆立った。

「ジン?」

 目の前が風景が急に遠ざかり、目の奥に棺の群れが広がった。サファイヤの棺、ファイヤオパールの棺、アレキサンドライトの棺。エヴァンス、フギン、アラーハ。そしてここにいる全ての人の棺の中にその主の影が浮かんでいる――。

「ウラル? 何か聞こえたのか?」

 フギンの声とともに目の前の風景が戻ってきた。オグラン町を包む壁が。

「いま、風神から警告が」

「警告?」

「いまここにいる全員に命の危険があるわ。風神の様子もおかしい。震えてるの。なにかに怯えてるみたいに」

 殺戮の気配に風が細かく震えている。その場の全員が押し黙った。

「やっぱりみんなは来ちゃいけない。ここからは私ひとりで行くわ」

「馬鹿言うな」

「ひとりの命とこんなたくさんの人の命を引き換えにしちゃいけない。みんなはここで待っていて。私一人で行くわ」

「お前はエヴァンスを助けに行くのか。それとも死にに行くのか?」

 どこかで聞いたことのある台詞にウラルは顔を上げた。

(ただ、ひとつだけはっきりさせておけ。お前はマライを助けるために監獄へ行くのか、自分が死ぬために行くのか)

 マライを救いに監獄へ入る前、アラーハがフギンに投げかけた言葉。決まってるだろ。そうフギンは答えた。ウラルの答えも同じだ。決まっている。でも。

 ふと、遠くで空気が震えた。大通りの方を見てみれば閉じられていた町門がゆっくり開いていくところだ。

「どうやらお待ちかねらしいな」

 見つからぬよう道ではなく林の中を歩いていたのに。でもこの人数では見つかって当然かもしれない。

「お願い。みんなはここにいて」

 相手は準備万端整えてウラルらを待っている。行ってはいけない。

 ふっとフギンが笑った。

「あのな、ウラル。ここにいる全員はお前の優しさに心の底から惚れてるんだよ。この戦争の真っ只中で人が死ぬのを心底悲しんで、人を殺すってことを心底憎んで。でも人は敵でも味方でも決して憎まないお前のこと、聖女とかそういう以前にみんな大好きなんだ。傷ついてほしくないし一緒に行きたいんだよ。わかってくれ」

「フギン……」

「ハッピーエンドで幕閉じようぜ。誰の血も流さずに。信じろよ」

 にかっとフギンが笑う。座って休んでいたその場の全員がうなずき立ち上がった。

「行くぞ。話し合うんだろ」

 フギンが先頭を行く。「しょうがない子ね」と言いたげな笑みをウラルに送ってセラが続く。〈エルディタラ〉が続く。ダガー、ウラルを「刺し殺した」男がウラルにうなずいて先へ行くよううながす。アラーハが続く。もと麻薬中毒者の五十人がウラルに続く。

 そして町門の大扉をくぐり、真っ向から敵陣に入った。


     ****


 そこはベンベル人の世界だった。大通りには目がくらみそうなほど沢山のベンベル人が軍服や甲冑をきっちり着込んで整列し、壁から無数に吊るされた香炉の煙を受けている。窪地の縁から見おろす町はまるで劇場。聖歌の反響も申し分なく――町の中央にある「舞台」もはっきりと見えた。

 腰布一枚という姿で両手両足をがっちり縛られ、エヴァンスは神父らしき男の前にひざまずいている。祈りか、あるいは懺悔か。周りのざわめきは聞こえているだろうに顔をあげようともしない。

「(主賓が到着したようだ。待ちかねたぞ、魔女の軍勢よ)」

「(アウレヌス卿)」

 鈍い音と共にウラルらの背後で町門が閉ざされた。

「(私は軍勢を率いてきたわけではありません。ただあなたと語らうために来ました)」

「(そのためにわざわざ? ご苦労なことだ。道をあけよ)」

 整列していたベンベル兵らが一斉に回れ右をし、まっすぐな道を作る。門から大通りを経て中央広場に至る長い道。

 ウラルらは歩んだ。何百人もの武装したベンベル人が両脇に並ぶ道を。そしてアウレヌスの前、処刑場の前に立った。

「エヴァンス……」

 儀式用の壮麗な斧をたずさえた処刑人を後ろに立たせ、エヴァンスはじっとうつむいていた。天秤棒に似た長い手枷を肩に負い、長い金髪を前に流して。むせかえるような香の煙の中、黙ってうなじをさらしている。

「(フランメ町はつつがないか、魔女殿?)」

「(ええ。今日は朝から大騒ぎでしたが、みんなお酒を飲んで眠ってしまいました)」

「(永久の眠り、か)」

 アウレヌスがにやりとする。ウラルは首を振った。

「(いいえ。みんな明日には目を覚まします)」

 アウレヌスの顔から笑みが消えた。エヴァンスを振り返る。エヴァンスはぴくりともしない。

「(なるほど、あなたは本物の魔女らしい。ただの臆病な小娘とばかり思っていたのに化けたものだ)」

「(どうかウラルと呼んでください、アウレヌス卿)」

 魔女ではなくひとりの人間として見てください。私もあなたを敵国の将軍ではなく一人の人間として見ますから。

「(エヴァンスの罪状を教えていただけませんか)」

「……わたしはお前を甘く見すぎていたのだ、ウラル」

 アウレヌスの言葉を待たず、低い、耳になじんだリーグ語が処刑台から落ちてきた。

「(貴様は話してはならん、カクテュス)」

「あの一言でお前がこうも戦況を変えるとは思っていなかった。わたしはベンベルを決定的に裏切ったのだ。この身をもって償う」

 重い、意思を込めた声が。最後に会ったときにはまだ揺れていたのに。

「エヴァンス。私はあなたのお陰で千人近い人の命を救うことができた。それがあなたの罪になるの?」

「お前にできることはない。去れ」

 紅い残光を残して太陽が沈む。どこかでコゥウーン、と高い鐘の音がした。

「(魔女よ、せっかく来てくれたのだから踊ってもらおう)」

 日没の読経が始まる。彼らの祈りが。

「(日が沈んだ、刑を執行する。魔女ウラル、隻腕の悪魔フギン。今よりこの二人を神に捧げ、騎士エヴァンスの減罪を乞い願う。神を讃えよ。我らの神は偉大なり)」

 エヴァンスが「なんだと」と顔をあげる。何十という鞘が不穏に鳴った。振り返れば退路は既に閉じている。

「逃げろ、アラーハ!」

 フギンの怒声にアラーハが後ろ足を蹴りあげ宙に舞った。

 瞬間、どこかの建物から投げられた魚くさい網がアラーハの大角にからまった。急に視界をふさがれたアラーハは体勢を崩し――落下と同時に骨の折れる音がした。

「アラーハ!」

 足が折れた。アラーハが苦痛にうめいた瞬間、横から突きこまれた槍がアラーハのわき腹を突き破る。うめきながらも立ち上がろうとしていたアラーハが膝を折り、そこへさらに槍が突きこまれた。

「ウラルっ!」

 ウラルを狙って繰り出された剣を追いすがってきたセラがサーベルで受ける。

「立って、ウラル! 諦めないで!」

 ウラルに注意を向けたセラの胸にベンベル兵の槍が吸い込まれた。

「セラ……!」

 ウラルに向けて剣が振るわれるたび、槍が繰り出されるたび。誰かがウラルの盾になって血柱をあげる。読経の中で「生贄の羊」が屠られてゆく。

 シャルトル。彼はこれがわかっていてウラルに救いを求めたのだろう。それであんなに謝り続けていたのだろう。それであんな悲壮な目でウラルを見、すがるように生きて戻ってくださいと告げたのだろう。ウラルを危険にさらすことを知りながら、それでも彼は頼みの綱を握らずにいられなかった。

 ああ、棺の蓋が閉まる。貴石でできた重い蓋が。がこん。がこん。がこん。

 髪を乱暴につかまれた。もう周りに立っているリーグ人はいない。血を流し苦悶にうめき、あるいは声ひとつなく地に倒れ伏している。そしてフギンは。

「(これがカクテュスもおそれた隻腕の悪魔か。ずいぶんとあっけないものだな)」

 フギンはエヴァンスの隣で地面に押しつけられていた。体の下には赤い水溜り、もがく動きも弱々しい。両の肩甲骨を押さえられ、屠られる鶏のようにあえいでいる。

 引き立てられたウラルもまたフギンの隣に横たえられ、押さえつけられた。処刑人の斧がおそろしげに光る。

「(人をたぶらかしベンベル軍に大損害を与えた魔女だ。むごたらしく殺してやれ)」

 アウレヌスがにやりと哂い、ウラルの顔に唾を吐きかけた。ウラルの頭に硬く重い靴が乗る。そのままぐりぐり踏みにじられる。

 アウレヌスの目に、口元に、口調に。全身に溢れる残忍なもの。

「(やめろ、アウレヌス!)」

 狂奔する赤の中、両手両足を拘束されたまま立ち上がろうとしたエヴァンスが押さえつけられるのが見えた。

「(それは神の言葉ではないな? 神はお前にこの二人を殺せと命じられていない。これは神の言葉を借りた私刑だ。我らが神よ、この傲慢なる男に雷を!)」

 ばかな男だ、とアウレヌスが哂った。ひざまずいておとなしく祈っていれば苦しみなく逝けたものを。

「(カクテュス、貴様はこの女の魔力に囚われているのだ。いま解放してやる)」

 エヴァンスを拘束している縄がぎりりと音をたてる。処刑人がウラルの脇へやってくる。

「(この男は魔女に魂を奪われ闇の道に踏み込み、あまつさえ教会が与えた最後の改心の機会さえいま自ら放棄した。相応の罰を与えなければならん。魔女ともども煉獄の底へ叩き落してやれ!)」

 白服の処刑人が巨きな斧を振り上げた。


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