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第三章 2「首切り斧」 上

 右に逃げ去るベンベル人を、左に歓声を受けるウラルを見下ろして、門の上の火神は弓をとった。常人には到底引けぬ強弓だ、力強く盛り上がった筋肉に押されて肩甲がきしむ。

 ばすっ、とムールの羽音に似た音とともに矢が解き放たれた。

 ベンベル兵が倒れる。まさか今になってこんな遠くから狙われるとは思っていなかったのだろう、身を隠す場所もない彼らはたちまち恐慌状態に陥った。

「死体を隠せ、門の内側の者には知らせるな。士気にかかわる」

 十五の心臓を射抜いた彼は伝令を振り返り、強い光をたたえた目で笑った。

「進軍準備。叩くぞ!」


     *


 〈フェスオ・ソルド〉は鳴動していた。運ばれる武器ががちゃがちゃ不穏な音を響かせ、鞍と鎧をつけられた軍馬が勇み足を踏む。フランメ町の門前は兵士と軍馬に埋め尽くされていた。

「どうして戦うんですか。せっかく無傷で終わったのに!」

「だからこそ今、攻めねばならん。もとより目的は同士討ち、こちらが弱った隙にとどめをさす気もなかったのだろう。相手は何の備えもしておらん」

 深紅のマントが宙を舞い、雄牛の頭を模した兜が天を突く。磨きあげられた甲冑は陽の光にきらめき、エナメル模様のほどこされた鞘は剣を抱いてがちゃがちゃ不穏な音をたてる。その双眸はあたたかさとおそろしさを同時にたたえる炎のごとく。味方を鼓舞し敵を威圧し、待ち望んだこの時を見据えている。

「思い上がるな、ウラル。今朝は死者を出さないことが最良の対処だったからお前に任せた。今は違う」

 ウラルも風神に耳打ちされて、ベンベル軍のスパイが城壁を乗り越えた直後に皆殺しされたことは知っている。彼のことだからしっかりとした軍事的な目的があったのだろう。でも、でも。

「人の命より大切なものがほかにありますか」

「たしかに俺もこの世界の人民すべての父、殺戮など望みはしない。だが命よりも大切なのは生き方だ。子孫代々ベンベル人に隷属し麻薬にとらわれ生きていくのか。その掌の上で踊らされ翻弄されるままに、かつての仲間を殺し獣のように生きていくのか。叛旗を翻す機会も与えられぬままに? 戦うべきときに戦わずして何とする!」

 わかっている、でも理不尽だ。どうしようもなく理不尽だ。どうして話し合いの場を持たない? どうして別の道を探さない? どうして戦う? どうして殺しあう? どうして、どうして、どうして。

「ダイオ様、報告します。門の前でベンベル人ひとりを捕らえました」

「なに?」

「それにしては様子が。拷問の後のようにぼろぼろです。伝令には見えません」

「何と言ってきた?」

「自分はシャルトル・ミョゾティという者でエヴァンスの従者だ。ウラル様にお会いしたい。エヴァンスが危ないと、そう言っております」

 ウラルは目を見開いた。シャルトルが帰ってきた?

「ウラル、エヴァンスを助けるためだと言ってできるだけ多くの情報を引き出せ。その後の対応はお前に任せる。聞き出した情報は俺に報告せよ」

 聞き出した情報をどう使うつもりですか? 口には出さなかったが目で語っていたのだろう。ダイオは「困った女だ」と言いたげな視線をウラルに向けた。

「相手の望みもそれだろう、異存はあるまい。相手がエヴァンスの従者でなければ拷問して同じことを聞き出すところだ」

「エヴァンスを助けてくれるんですか?」

「状況が許せば助けよう。だが部下の命とひきかえになる場合は退かせてもらう。エヴァンスを殺したくない、だが敵も味方も誰一人死んでほしくない――気持ちはわかるが道理は通らぬ。お前もわかっているはずだ」

 この人はまっすぐで、正直で、激しくて、強くて。優しいけれど残酷な人だ。誰もの幸せをウラルとは違う形で願う人だ。共感できる部分も多い。でも人を駒として、道具として見るところはどうしても受け入れられない。彼から見ればウラルは愚かな女なのだろう。どうしようもなく愚かなのだろう。

「私はあなたの部下じゃない。できる限り従いたいと思っていますが……。私は風神に従います」

 ウラルはダイオに背を向けた。


     **


 シャルトルは門の脇にある建物の中にいた。シャルトルは敵国の人間、何か酷い目にあわされていないかと心配していたが、さいわいにして小部屋に閉じ込められドアに鍵をかけられているだけだった。ベッドもない小さな小さな取調室でシャルトルは傷だらけの体をひとり床に横たえていた。

「ウラルさん」

 慌てて床から起き上がろうとする彼を制す。全身アザだらけ傷だらけ。でも深い傷はないのを確認し、ウラルはほっと息をついた。骨まで達するような傷はないし、手指も無事。しばらく休めば元通りになるはずだ。

「ウラルさん、スー・エヴァンスが。僕のせいで……」

 でも心の傷は深そうだ。ウラルがうなずいて先をうながすと、シャルトルの頬を涙がつたった。

「あなたに頼むのは申し訳ないんですが、僕にはほかに頼る人がいません。どうかスー・エヴァンスを……」

 横になっていてと軽く肩を押さえるウラルを振り切って起き上がると、シャルトルは深々と頭を下げる。顔をあげてと仕草で示すのにシャルトルは頭を垂れたまま動こうとしない。男にしては長めの前髪の隙間から雫がぽたぽた落ちるのにウラルは言葉を失って、ただもつれた栗色の髪をそっとなでた。

「エヴァンスはどこにいるの?」

「オグランという町です。このままだと日没と同時に首を……。火あぶりや車裂きにならなかっただけましですが……」

 嗚咽の間から漏れ聞こえる声をなんとか聴く。

「ベンベルの目的はリーグ人の内戦だと、そう魔女に……ウラルさんに教えたのはスー・エヴァンスだと……。僕が話してしまったんです、自白剤を飲まされて……。これは神とベンベル国に歯向かう行為であり、死をもってつぐなうよりほかにないと……。スー・エヴァンスも受け入れておいでで……」

 こらえきれなくなったのかシャルトルは歯を食いしばった。まだ何かを言おうとするのに声が出ない。この数日のうちに起こったことに、今このときのおのれの無力さに、未来に起こるであろうことに、憤り、怯え、震えて。背を丸め肩を震わせ、息することさえ精一杯で。

 これ以上聞き出すのは無理だ。ウラルはシャルトルの背にそっと手を置いた。

「心配しないで、シャルトル」

 破れた服の隙間から白い傷跡がのぞいている。古い傷だ。かつてウラルが刺した傷、ウラルとシャルトル、エヴァンスが出会うきっかけになった傷。あの時は敵同士だった、でも今は。

「私にとってもエヴァンスは大切な人だから。あなたが来なくても私はエヴァンスのもとへ向かってた」

 処刑されるマライのもとへ向かったときのように。

 もうあんな思いはしたくない。今度こそ助ける。

「ごめんなさい、ウラルさん……。ごめんなさい……」

「私もだてに聖女と呼ばれてないから。信じて」

 ベンベル人にとってウラルは魔女なのだろう。けれど今このときは聖女であれますように。身を絞って泣く彼の希望になれますように。彼の主君の命を繋げますように。

 時間があまりないみたいだから行くねとその耳元でささやき、ウラルは立ち上がった。

「ウラルさん」

 ドアの前で呼び止められ振り向くと、涙でぐしゃぐしゃになった翠の瞳がウラルを見つめていた。

「あなたも死なないでください。どうか」

 しがみつかんばかりの、必死の声が胸を打った。

 ドアを閉めると同時にこらえきれなくなったのかシャルトルの号泣が耳をつんざいた。

「あいつ、具合はどうだ? なんかすげー泣き声聞こえるけど」

 ドアの向こうにはいつの間に来たのかフギンが立っていた。その奥に女の影があるのにウラルは驚き目を瞬かせた。

「医者連れてきたぜ。説得たいへんだったんだからな」

 彼の後ろ、曲がり角の向こう。そこに救護兵用の背嚢をしょったメイルがたたずんでいた。ベンベル人嫌いのメイルが。どうして。

 ウラルの視線を受け、メイルは隠れていたところを見つかった猫のように肩をこわばらせてこちらをにらんだ。

「ほら、メイル。ウラルに言いたいことあるんだろ?」

 フギンにうながされ、メイルは小さくうなずいた。

「何日か前、夢に姉さんが出てきたの。あなたの言った通りに。あなたに協力しなさいって言ってたわ」

「あのときはごめんなさい。立ち聞きしてしまって」

 思い出したのかメイルの目に怒気が閃いたが、今はそんなことを言う時ではないと思ったのだろうか。それ以上何も言いはしなかった。

「今日のあなた、すごかった。あなたのことはやっぱり狂ってると思うけど……。狂気の力であろうがなんだろうがリーグを救う力があるなら従いたいって、そう思った」

 聞こえるかどうかの小さな声で早口に告げ、それからまっすぐにウラルを見据えた。

「聖女ウラル、あなたに従います。ご指示を」

 どうしてこの人は言動がいちいち極端なのだろう。ウラルは苦笑しかけ、でもきゅっと唇を引き結んだ。

 この人は〈フェスオ・ソルド〉の人々の代弁者だ。みんなメイルほど極端には表に出さなかったが、今までウラルを胡散臭く思っていたに違いない。今の一件でウラルは多くの人の信頼を得られたのだろう。メイルの行動は今までと正反対、でも芯は一貫している。リーグを救ってほしい。そのために動きたい。ただそれだけで。

「シャルトルをお願いします。体の傷はたいしたことないけど、心が傷ついてるの。動けるようになったらエヴァンスのいたところに案内して世話をしてあげて」

 メイルは凛と冴えた声で返事をし、シャルトルのいる部屋へ入っていった。

「俺も残ってるよ。あいつ、ベンベル人相手だと何しでかすかわかんねぇから」

「待って、フギン」

 メイルと一緒に行こうとしたフギンの腕をウラルはひっつかんだ。耳の奥にシャルトルの悲痛な声が蘇る。

「どうしたんだ?」

 エヴァンスの処刑のことを話そうとしてウラルは口をつぐんだ。フギンに伝えてどうするのだろう。一緒に戦ってとでも言うのだろうか。武器を持たず話し合いを望むウラルが?

「なにかあったのか」

 もしフギンに助けを求めれば、彼は剣をとって戦うだろう。それでは終わらない。憎しみが続いてしまう。

「エヴァンスに何かあったんだな?」

 隠せない、こんなこと。でも。

「今日、日没と同時にエヴァンスが処刑される。シャルトルはそれを伝えに来たの」

 やはりと顔を歪めるフギンの手をにぎりしめ、ウラルはぎゅうっと背を丸めた。

 これから来るかもしれない痛みの予感が胸を突く。マライの時のように目の前でエヴァンスを失うのではないだろうか。怖い。怖い。怖い。

「ダイオ様に報告は」

「もう知ってるわ。助けられる状況なら助けるって言ってた。でもたぶん」

 進軍ついでに救えるようなら救うというあの言い方では。助けるならウラルが動くしかない。

「行かせて。もう誰も失いたくないの。あなたがエヴァンスのこと嫌ってるのは承知で言うけど……」

「もう嫌ってねーよ」

 え、とウラルは顔を上げた。フギンは何かを決意するかのように息を吸い、吐き出して、それからしょうがないなと言いたげに笑ってみせた。

「あいつも人間だってわかったからさ、今となっちゃ。恋もするし女のために命張るし。部下を人質にとられりゃ危険承知で助けにいく。そりゃあいつへの憎しみは消せないさ。胸の奥でこのまま一生くすぶるさ。でもな、もう死んでほしいとは思わねーよ」

 フギン。まさか彼の口からこんな言葉が。あれほど憎んでいたのに。あれほどエヴァンスの死を、復讐を願っていたのに。

「仲間、集めるな。お前の名前出せば何人かはこっち来てくれるだろ」

 俺が止めてもお前は行っちまうんだろ。それなら俺たちも一緒に行くさ。もう二度とお前を失いたくない。誰も失いたくないのは俺も同じだ。

「来ないで」

 反射的に口を突いた言葉にフギンが目を見開いた。ウラルはぎゅっと身を縮めてフギンから目をそらす。

「あなたは戦う気なんでしょう。だからどうか、来ないで」

 フギンの顔に苦い笑みが宿る。そっか、お前はそういう奴だったよな。

「お前また無茶する気なのか。また死ぬ気なのか?」

 答えられない。一人で行けば危ないのはわかっている。でも。

 フギンの隻腕が伸びてきて震えるウラルの肩に触れた。

「俺に無断で行くなよ、ウラル。お前より俺の方が速い。絶対に追いつくから」

 優しい左手をほどけない。ウラルはぎゅっと目を瞑り、胸の奥の痛みに耐えた。


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