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第三章 1「芽吹いた種」 下

 自分は何をする気だろう。相手はベンベル人、それもスパイとして送り込まれてきた兵士だ。彼らも傷つけずに帰せなんてどのつら下げて言えるだろう? でもここで攻撃しろとも言いたくないい。ウラルが望むのは誰も傷ついてほしくない、誰にも死んでほしくない、それだけなのだ。ここで彼らを皆殺しにしては憎しみ合いの連鎖が止まらない。

 剣を振り回し槍を突き出し、戦う男らの姿が近づいてくる。輪の外には負傷者が衛生兵に助けられ退却する姿があった。

 負傷者が出ている。ざぁっと血の気が引いた。

「やめて。戦わないで!」

 ウラルが割りこむと、周りの者はウラルの方が驚くほどすみやかに相手を牽制する構えを取りながら後ろへ引いた。彼らの指揮官はウラルでなくダイオでありこの場にいる将軍アズなのだが、ウラルの影響力は知らないうちにかなり大きくなっていたようだ。包囲をとかず、互いに剣の切っ先もさげず、けれど戦いは止まった。

 ウラルはその場にただよう妙なにおいに気づいて顔をしかめた。腐肉にお香をまぜたような。なんのにおいだろう。

「魔女の女王のお出ましか」

 指揮官らしき男がウラルを見上げた。馬よりはるかに体高の高いイッペルスにまたがっているウラルは包囲の外からでも十分彼らの姿が見える。

「あなたたちはウィグード・アウレヌスの部下ですね」

「お前はエヴァンス・カクテュスと一緒にいた女だな」

 この町を襲うからにはアウレヌス卿の部下だろう。でもエヴァンスと一緒にいたのを知っているということは、エヴァンスとアウレヌスが話し合っていたとき後ろに控えていた部下のひとりに違いない。ウラルはあのときのことを思い出そうとしたが、彼の顔はさっぱり浮かんでこなかった。あのときアウレヌス卿の背後には十数人の臣下がいたのだ。髪の色も染めているのだろうし、思い出せた方が不思議だ。

「ひとつ聞かせてください。あなたたちの目的は? 私たちにどうしてほしくてこんなことをするんですか? こんな酷いことを」

「尋ねるからには見返りはもらえるのだろうな?」

「私に答えられることなら」

「ならば先に尋ねさせてもらおう。どうやって群集を操った?」

「私たちはもともと憎しみあってなんかいなかった。憎む理由も見せかけだけのものだった。それを思い出してもらっただけ」

 指揮官は低く笑った。

「ベンベル人の狙いはリーグ人同士をいがみあわせ、戦わせること。だから戦ってはならない、か。そう周りの村で言いふらしていると聞いたが。その考えはどこから得た?」

 背筋を冷たいものが走った。

「カクテュスだな」

 この男をアウレヌス卿のもとに帰してはいけない。直感的にそう感じた。彼を帰せばエヴァンスは間違いなく危機に陥る。ウラルの身の内の動揺を悟ってか、彼の唇がつりあがった。

「聖女様!」

 警告の叫びにウラルは空を振り仰いだ。

 ゴーラン。するすると鋼の町門を這い上がってきたゴーランの群れがウラルめがけて――いや、ウラルの目の前にいるベンベル軍の指揮官めがけてすさまじい勢いで向かってくる。ひたひたひた。ぺたぺたぺた。互いに折り重なるように、競うように、目を血走らせて。

 ウラルと指揮官の間に割り込むようにしてきたゴーランは、指揮官の足元の石畳に狂ったように体をこすりつけ始めた。腐臭とお香のにおいの源、指揮官の足元にできていた小さな水たまりに。

 彼がウラルと話したのは情報収集でもなんでもなく時間稼ぎだったのだ。このにおいにつられたゴーランが自分たちの元へ来るまでの。彼は知っていた。エヴァンスがウラルの手助けをしたことをあらかじめ知っていて、ウラルが動揺することをわざと言ったのだ。

「ならばこちらも質問に答えさせてもらおう、魔女よ。我々がこの戦いをしかけた理由は、おそらくお前たちが戦う理由と似たり寄ったりだ。戦う理由など突き詰めればいくらもない。そうだろう? 奪うか、守るか、その両方か。それだけだ」

 いつの間に取り出したのだろう、指揮官の男が火打石を打ち鳴らす。ふたつの石の間で生まれた火花はどんな魔術でか爆発的に大きくなって、一瞬にして消え失せた。その一瞬の間に彼らは全員がゴーランの背をまたぎ、鋼の大扉をのぼりはじめている。

 行ってしまう。逃げられてしまう。指示を求める視線がウラルに向く。でもどうすればいいのかわからない。

「いいよ、逃がしとこうぜ。何が起きたか伝える奴も必要だ」

 すぐ隣で声がした。振り向いてみれば、いつの間に来たのか栗毛馬にまたがったフギンの姿がある。

「ウラル、お前誰も傷つけたくないなら最後まで自信持ってそれ貫けよな。とりあえずこれで同士討ちなんて卑怯な手は通じないって伝わったはずだ」

 フギンは変わった。早馬乗りの細く引き締まった小柄な体に筋肉がつき、隻腕にもかかわらず片刃のサーベルのような凄みある気配をまとっている。少し前まであった「盗賊の若頭」の雰囲気はなりをひそめ、かわりに将軍然とした空気をかもしていた。今まで火神を宿していた名残が、力が、今のフギンの身の内にしっかり息づいているのを感じる。

 フギンが唇の持ち上げ、にかりと白い歯を見せた。

「そんな顔するなよ、ウラル。振り返ってみな。なにが聞こえる?」

 聞こえるもの? 言われるままに後ろを振り返り、ウラルは首をかしげた。

「なにも……」

「そうだ、何も聞こえない」

 うなずき、わからないのか? と言いたげにウラルに目配せする。

「終わったんだよ。誰も死なずに。これだけの人数がぶつかったってのに」

 奇声も、悲鳴も、剣戟の音も聞こえない。なにも。なにも。

 呆然と町を凝視するウラルの目の前、大階段の中腹に見事な栗毛馬にまたがった女がひらりと姿を現した。路地から飛び出してきた彼女は視線を感じてか驚いた様子で馬を止め、まぶしげに門の前の一団を見下ろした。高い位置で束ねられた髪が愛馬の尾そっくりに揺れる。

「みんな、お集まりじゃないか。こっちは片付いたかい? 町の方は今しがた最後のひとりを運んできたとこよ!」

 セラのなつかしい、男勝りな声が響いた。

「片付いたぞぉーっ!」

 フギンが叫び返す。片方だけの腕を空につきあげて。セラの倍以上はある大音声で。

 ぅぉぉぉぉぉおおおおお! フギンの声を追うようにして野太い烈風が、歓声が、巻き起こって吹き荒れた。

 蘇りの聖女ウラル! 慈悲深きその娘は無血をもって八百の大軍勢を鎮めん!

 自分に向けられた激しい歓呼に、ウラルはただただぼうっと周りを見回した。この選択で本当によかったのだろうか。町は本当に救われたのだろうか。

 ウラル! ウラル! 聖女ウラル!

 ウラルは目を閉じ、ぎゅっと自分のからだを自分で抱いて、いま起こっていることが心にしみこむのを待った。優しい風がウラルを包む。ねぎらうように。抱きしめるように。

 痛みを消すことはできない。エヴァンスのことも心配だ。けれど今はこうして笑っていてもいいのだろうか。少しでもましな道を選べたと、そう誇っていいだろうか。

「ありがとう」

 ウラルはまっすぐに背を伸ばし、ほほえんだ。


     ***


(あの女は何者だ? 逃げ出せたのが嘘のようだ。我らが神に感謝を)

(処女の顔をした魔女だ。見たか、あの狂った目を)

(おぞましい)

(とても人間の所業とは思えぬ。まさか八百人もの男をたぶらかすとは)

(エヴァンス・カクテュスまで。あの玉無し狂犬が)

(だからこそ。あんな男は一度女を知れば抜け出せまいて)

(これから南部の制圧はどうなるのだ)

(わからんが、カクテュスは処刑されるだろうよ。近いうちに)

(スー・アウレヌスはもう奴を捕らえたんだろう?)

(当然だ。あんな外道相手に手こずる方ではない)

(背教徒め。せいぜいむごたらしく死ぬがいい)

(地獄へ堕ちろ。下種が!)


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