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第二章 1「交錯のとき」 上

 エヴァンスはその後すぐアラーハを止め、道端に上着を敷くとウラルを横たえた。

 エヴァンスはものも言わずに傷口の周りの服を破くと傷を診、傷口をきつく縛った。

「ウラル。まだ聞こえているか」

 ウラルは閉じていた目をぼんやり開いた。視界はひどく濁っていて、エヴァンスとアラーハのシルエットしかわからない。ウラルの額に浮いた脂汗を、口元の血をエヴァンスが不器用にぬぐっていた。

「……致命傷……そうでしょう……?」

「これだけ時間が経っているが、お前の意識ははっきりしている。大丈夫だ」

 ウラルはうっすらと笑ってみせた。

「……じゃあ、これだけ言わせて……」

「あまり話すな。力を残せ」

 言いつつエヴァンスはウラルの口元に耳を寄せた。長い髪がウラルの胸元にかかる。

「もし私の容態が……危なくなったら……そのときは……」

「何を言っている」

「そのときは……いいよ……私の命が……いるんでしょう……?」

 ぱっとエヴァンスが顔を離し、ウラルを見つめた。

 至近距離の青い瞳。

「……わかった」

 ウラルの瞳に何を見たのか、エヴァンスは不思議なほど静かにうなずいた。

「楽にしてやる。その時がきたら」

 ウラルはうなずき、目を閉じた。

 見慣れた丘が眼前いっぱいに広がった。


     *


 エヴァンスはフェラスルト町を振り返った。町門は閉ざされ、中からはまだ奇声が響いている。とてもウラルの治療を頼める状況ではない。

 森の中にはシャルトルがゴーランを連れ、身を潜めている。だがそこへ戻ったところでウラルの治療ができるとは思えない。

 第三者の協力を仰ぐほかがない。ならば。

「アラーハ、一昨日の孤児院へ向かってくれ。全速力だ!」

 アラーハは疾駆する。その背に息子を殺した男を乗せて。虫の息の娘を乗せて。孤児院へ。マームのもとへと。力の限りに駆け続ける。


     **


 丘は夕暮れの中にあった。丘を下りきった先、村があったところも林があったところも草原になって、ずらりずらりと棺が並んでいる。

 ウラルはこれだけの人に出会った。一緒に暮らした人、友達だった人、顔しか知らない人。地平線のかなたまで埋まるほどの人に出会った。

 ウラルは棺の前にひざまずいた。フギンの棺をのぞきこみ、ダイオの棺を見つめる。フェラスルト町の門を守っていたひとりひとりの棺を探す。麻薬中毒者たちの棺を探す。

 どの棺の蓋も閉まっていないことを確認して、ウラルはほっと息をついた。


     ***


 マームが孤児院の前でいたずらっ子のジェシを叱っている。しどろもどろに視線をさまよわせていたジェシが孤児院に向けて疾走してくる巨獣を見つけた。

「見るな。今すぐ家の中に戻れ。ほかの子供にもこちらを見ないよう言ってくれ」

 立ちすくむ少年にエヴァンスは言い、マームの前に降り立った。

「アラーハ! どうしてこんな人を連れてきたの? ここは孤児院よ! わかってるでしょ!」

 マームがジェシの腕を引っ張って背後にかばう。死体を抱いていると思ったのだろう。孤児院のドアの前に仁王立ちになってエヴァンスをにらみつけた。

「迷惑は重々承知だが、どうか助けてもらえないか。ウラルが瀕死だ。場所と治療道具を借りたい」

「ウラル? 聞き間違いじゃなきゃ、あなた今ウラルって言ったわよね?」

「ウラルが瀕死だ、助けてほしいと言った。一分一秒を争う」

「ウラルが、瀕死?」

 マームがエヴァンスに駆け寄った。もうウラルは脂汗すらかいていない。乾ききり冷えきった土気色の顔。マームが声にならない悲鳴をあげ、ウラルの頬を両手で挟みこんだ。

「まだ生きている。場所と道具を貸してくれ!」

 エヴァンスが声を荒げた。おびえてマームの背にすがったジェシの手を握り、マームは唇を引き結ぶ。肝っ玉母さんは子供の前で動揺してはいけない。

「ジェシ、おばあちゃんとエリス呼んできて。こっちよ!」

 だっとマームが廊下を駆け出した。


     ****


 後ろに人の気配を感じて振り返ると、黒衣の男が立っていた。ウラルはそっと歩み寄り、その大柄な体を抱きしめる。

「泣かないで」

 ジンの姿をした人の胸に顔をうずめ、そのぬくもりを腕に抱いて。

「これは私の意志だから。あなたが手伝ってくれて本当にありがたかった。私ひとりだけじゃ止められなかった」

「無茶をするなと言ったはずだ」

 胸から悲しい振動が伝わってくる。ぬくもりが伝わってくる。

 けれど、鼓動が聞こえない。


     *****


 ごほ、とウラルが血を吐いた。血のかたまりが喉につまらないよう顔を横に向けてやりながら、エヴァンスは奥歯を噛み締める。

 エヴァンスはすらりとシャムシールを抜き放った。

「なにをするの」

「ウラルの遺言だ。もう助からないとなれば、わたしの手で殺してほしいと」

「何言ってるのよ! 助からないなんてどこをどうやったらわかるっていうの!」

「瞳孔を見てみろ」

 マームがおずおずとウラルの目を開かせ、ランプの光を当てた。

「光を当てても収縮しないだろう。もう息もしていない。心臓だけがかろうじて動いている状況だ」

「うそ……」

「そこをあけてくれ。ウラルの遺言だ、とどめを刺す」

 目を見開き唇を震わせるマームをそっと押しのけ、エヴァンスはウラルの胸の上に剣をかかげた。


     ******


「ごめんなさい。あなたは私の生を願っていたのに」


     *******


 けれどエヴァンスはウラルの胸の上で剣を掲げたまま、微動だにしなかった。

「――わたしの負けだ、ウラル」

 剣をおさめ、ウラルの首筋をさぐる。ごくかすかな鼓動をさぐりあてると、静かに目を閉じた。つぶさぬようにそっと、けれどごく弱い鼓動を感じるだけの力で。二本の指にすべての意識を寄せて。

 エヴァンスがウラルの首筋から指を離した。右の手首に指をあてがう。もう一度首筋をさぐる。丹念に脈を探す。けれど。

「わたしの負けだ、ウラル。わたしはお前を殺せなかった……」


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