私がフランちゃんになった日
※注意※
この作品は長編小説の本編「精霊術師の終着点 〜 短い言葉に込めた重い物語 〜」の内容に関するネタバレを含みます。
本編を未読の方は、本編を先に読むことをおすすめします。
幼い頃の私は、両親のことが大好きだった。
でも、パパとママは共働きだったから、家で一人で過ごすことも多かった。
そんなある日のこと。
きぃ…
静かな家に、玄関の扉が開く音が響いた。
「…!」
私は両親が帰ってきたのだと思い、部屋を飛び出した。
急いで階段を駆け下り、玄関へ向かう。
そこには、仕事から帰ってきたパパとママの姿があった。
「パパ! ママ!」
嬉しくなった私は、ママのところへ駆け寄り、その足にぎゅっと抱きついた。
「どうしたんだい? そんなに嬉しそうにして。何かいいことでもあったのかい?」
パパがしゃがみ込み、嬉しそうに目を細めながら尋ねてくる。
「きっと、パパとママが帰ってきたのが嬉しいのよ。そうよね?」
ママはそう言って、私の頭を優しく撫でてくれた。
「うん!」
私は満面の笑みで頷いた。
ただ、パパとママが帰ってきてくれただけ。
それだけで、私は嬉しかった。
休日は、もっと楽しかった。
パパとママがずっと家にいてくれるし、お出かけにも連れて行ってくれる。
私にとって、休日は大好きな日だった。
「ほら、フランちゃん。桃のジェラートだよ」
パパが手に持っていた二つのジェラートのうち、一つを私に手渡してくれる。
「ありがとう! パパ!」
私は大喜びで、その宝石のように綺麗な桃色のジェラートを受け取った。
「どういたしまして」
パパも嬉しそうに微笑んでくれる。
「じゃあ、こっちはママのね」
ママはそう言うと、パパの手からもう一つのジェラートをひょいと取り上げた。
「そんなぁ…」
パパが悲しそうに呟く。
「パパはダイエット中でしょ?」
ママはそう言いながら、パパのお腹のお肉をつまんだ。
「うぅ…そうだけど…」
図星を突かれたパパは、何も言い返せずに肩を落とした。
そんなパパの様子が可哀想になって、私はスプーンでジェラートを一口すくう。
「じゃあ、パパには私のを一口あげるね」
そう言って、パパの口元へスプーンを差し出した。
「フランちゃん!」
パパは嬉しそうにジェラートを頬張った。
「ありがとう。フランちゃんは優しい子だね」
そう言いながら、パパが私の頭を優しく撫でてくれる。
私は、この頭を撫でられるときの、くすぐったいような温かさが大好きだった。
「フランちゃん、パパを甘やかしちゃダメよ?」
ママが優しく微笑みながら言う。
「ごめんなさい…」
私は怒られたのだと思って、しょんぼりと俯いた。
「ふふっ。怒ってはいないわよ」
ママはそんな私を見て微笑むと、パパに代わるように私の頭を優しく撫でてくれた。
「次はどこに行きたい?」
ママが尋ねてくる。
「おもちゃ屋さん!」
私は元気よく答えた。
本当は、パパとママが一緒なら、どこへ行ってもよかった。
ただ、目に入ったお店を言っただけだった。
パパとママにもっと甘えるために。
「じゃあ、それを食べ終わったら行きましょうか?」
ママがそう言って、優しく微笑む。
「うん!」
ジェラートを食べ終えると、私はパパとママに手を引かれて、おもちゃ屋さんへ向かった。
そんな何気ない毎日が、私にとっては何よりも幸せだった。
パパとママがいて、私がいて。
三人で笑っていられる。
私は、それが当たり前なのだと思っていた。
これからもずっと、この幸せな日々が続いていくのだと…
この時は、疑いもしなかった。
ある日の夜。
「…そんなことを言って、フランちゃんのことはどうするんだ!」
「フランちゃんの未来のために行くのよ! どうして分からないの!」
パパとママが喧嘩をする声で、私は目を覚ました。
「…んぅ…」
寝ぼけ眼を擦りながら、私はゆっくりと階段を降りていく。
「パパ…? ママ…?」
二人の喧嘩を止めるため、私は恐る恐る扉を開いた。
「フランちゃん!?」
「フランちゃん!?」
パパとママは、驚いたようにこちらを振り返った。
「喧嘩は…ダメだよ?」
二人の喧嘩を見ていると、胸がぎゅっと締め付けられる。
私は涙を目いっぱいに溜めながら、それでも泣かないように必死に声を絞り出した。
「…仲直り、しよ?」
「フランちゃん…」
ママは悲しそうに私を見つめると、ゆっくりとパパへ向き直った。
「…ごめんなさい。私も少し、感情的になっていたわ」
「いや…パパの方こそ、ごめん」
パパも申し訳なさそうに頭を下げた。
「この子の未来を考えているつもりで、フランちゃんの気持ちを考えていなかったよ」
「私も同じよ…」
二人は顔を見合わせる。
そして、今度は二人揃って私のところへやってきた。
「フランちゃんも、ごめんね」
「ごめんな、フランちゃん」
二人がぎゅっと私を抱きしめてくれる。
少しだけ苦しかったけれど、パパとママが仲直りしてくれたことが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
「もう、喧嘩なんかしたらダメなんだからね!」
私は涙を拭いながら、二人を叱った。
「ママの真似かい?」
パパが優しく私の頭を撫でてくれる。
「パパの真似よ」
そう答えると、今度はママが優しく私の頭を撫でてくれた。
「ふわぁ…」
二人が仲直りしたことに安心すると、急に眠気が襲ってきた。
「ふふっ。もう遅いし、寝ましょうか?」
ママが愛おしそうに私を見つめながら尋ねる。
「じゃあ、三人で寝ようか?」
パパも優しく声をかけてくれた。
「うん! 三人で眠る!」
私は、残った力を振り絞るように元気よく答えた。
その夜、私たち家族は三人で寝室へ向かった。
そして、仲良く川の字になってベッドへ入った。
翌朝。
「フランちゃん、いい? 聞いてほしいことがあるの」
ママが真剣な顔をして、私の前にしゃがみ込んだ。
「何? ママ?」
何を言われるのだろう。
私は首を傾げながら尋ねた。
「パパとママはね…今日から、少しだけ帰りが遅くなるの」
ママは伏し目がちに、寂しそうな声で言った。
「ヤダ!!」
私は、大声で即答した。
ママの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわざわした。
何かがおかしい。
ママは嘘をついている。
子供だった私にも、なぜかそれだけは分かった。
「ヤダ! ヤダヤダヤダ!」
大粒の涙を流しながら、私は必死に駄々をこねた。
パパとママが、どこか遠くへ行ってしまう。
そんな気がしてならなかった。
「フランちゃん…」
ママは困ったような、寂しそうな、それでいてどこか嬉しそうな…そんな複雑な表情を浮かべた。
「フランちゃん。パパとママがいなくても、教会の人がいてくれるから大丈夫だよ」
見かねたパパが私を抱き上げ、寂しそうに微笑みながら優しく言う。
「ヤダ! パパとママがいい!」
私は必死に抵抗した。
私にとって、パパとママ以上に大切な人なんていなかった。
「弱ったなぁ…」
パパが困ったように呟く。
パパを困らせてしまったことに、少しだけ胸が痛んだ。
それでも、私は抵抗するのをやめなかった。
その時だった。
コンコンコン。
玄関から、扉を叩く音が響いた。
「お邪魔します」
扉が開くと、シスター姿の中年女性が入ってきた。
「これはこれは…」
ママが頭を下げる。
「これから、よろしくお願いします」
パパも頭を下げた。
そして、私をシスターへ手渡そうとする。
「ヤダ! パパとママがいい!」
私は必死に手を伸ばして抵抗した。
けれど、子供の私の力では大人には敵わなかった。
シスターに抱きかかえられた私を残して、パパとママは玄関へ向かっていく。
「すぐに帰ってくるからね」
「お利口にしているのよ?」
二人は振り返りながら、優しく声をかけてくれた。
「待って!」
私は必死に手を伸ばす。
「すぐって、いつなの!?」
その問いに、ママはすぐには答えなかった。
しばらくして、振り返ったママが嗚咽を堪えるような声で答える。
「フランちゃんが…優しく、いい子にしていたら…すぐよ…」
「ママ…?」
ママの目には、涙が浮かんでいた。
パパも、泣いているようだった。
「行かないでよ!」
私は閉まりかけた扉へ向かって、必死に叫んだ。
「パパ! ママ!」
涙が止まらない。
「私、もっといい子になるから!」
「もっと優しい子になるから!」
「わがままも言わないから!」
必死に叫び続けた。
けれど
閉じられた扉が、再び開くことはなかった。
パパも、ママも、戻ってこなかった。
私が小さい頃、シスターはよく私を慰めてくれた。
「フランネルちゃんのパパとママは、精霊術師の旅に出たんだよ。これは、とても立派で誇らしいことなんだよ」
その言葉を聞くたびに、私は思った。
パパとママは、立派な精霊術師なんだ。
だったら、私も精霊術師になればいい。
そうすれば、いつかパパとママに追いつける。
いつか、二人に会いに行ける。
だから私は、勉強も運動も魔法の特訓も、私にできることは何でも頑張った。
それに、ママが最後に言ってくれた言葉も、ずっと心の支えになっていた。
『フランちゃんが…優しく、いい子にしていたら…すぐよ…』
だから、頑張れた。
いつかパパとママが帰ってきたときに、立派になった私を見てもらいたかった。
けれど
努力だけでは埋められない、才能という壁に私は突き当たった。
学生時代に行われた、魔法の適性診断。
私は、五行すべてに才能があることが分かった。
「フランネルちゃん、凄いね!」
「五行全部に適性があるなんて!」
周りの人たちは、私を褒めてくれた。
その言葉は嬉しかった。
けれど、私にとって五行すべての才能は、あくまで通過点だった。
私が目指していたのは、精霊術師。
そして、精霊術師になるためには、魔法の才能だけではなく、魔力容量も重要だった。
私は緊張しながら、魔力容量の検査を受けることになった。
検査台に手を乗せる。
しばらくすると、検査を担当していた神父さんが声を上げた。
「おお! これは!」
その声に、胸が高鳴る。
「素晴らしい才能だよ!」
神父さんは嬉しそうに私を褒めてくれた。
これなら
私も精霊術師になれる!
ようやく、ママに追いつける!
そう思った瞬間、胸がいっぱいになった。
「私も、精霊術師になれますか?」
念のため、私は神父さんに尋ねた。
すると、神父さんは少し困ったように笑った。
「精霊術師になるのは難しいね。でも、他の職業なら何にでもなれると言っても過言ではない。素晴らしい才能だよ」
「…え?」
私は、自分の耳を疑った。
「精霊術師に…なれない…?」
「うん」
神父さんは不思議そうに私を見る。
「どうして…?」
聞き間違いかもしれない。
そう思いながら、バクバクと鳴る胸を押さえ、必死に声を絞り出した。
「どうしてって…魔力容量が足りていないからだよ」
神父さんは、何でもないことのように答えた。
まるで、それが当然のことだと言うように。
精霊術師になれない。
聞き間違いではなかった。
その事実を理解した瞬間
今まで歩いてきた道が、足元から崩れ落ちていくような感覚に襲われた。
私が歩いてきた道は、何だったの?
私の努力は、何だったの?
勉強も。
運動も。
魔法の特訓も。
全部、パパとママに追いつくためだった。
なのに
私は、パパとママに会いに行けないの?
「…」
何も考えられなくなった。
頭の中を、様々な思いがぐるぐると巡っていく。
そして私は、立っていることさえできないほどの脱力感に襲われた。
「ひっく…ひっく…」
気がつけば私は、街の外れで壁にもたれかかり、座り込んでいた。
流れ続ける涙を、何度も何度も手で拭う。
いつの間にか、日は大きく傾いていた。
「こんな時間に、こんなところで一人なんて危ないよ…」
突然、誰かが恐る恐る声をかけてきた。
「…アインシュ族!」
私は、慌てて声のした方へ顔を向けた。
そこに立っていたのは、白い髪と赤い瞳を持つ青年だった。
その特徴的な姿を見た瞬間、私は反射的に立ち上がろうとした。
逃げなきゃ。
そう思った。
しかし、長い時間座り込んでいたせいか、足に力が入らない。
「…っ」
立ち上がることすらできない。
もうダメだ。
そう思った、その時だった。
青年が私の前にしゃがみ込んだ。
そして、警戒させないようにするかのように、柔らかな笑みを浮かべた。
「君って、もしかしてさ…僕を昔助けてくれた…えっと…」
青年はおっとりとした口調で話しながら、必死に昔の記憶を探しているようだった。
「…」
アインシュ族の知り合いなんて、私にはいない。
私は一刻も早く逃げ出さなければと思い、青年の隙を伺っていた。
すると
「そうだ!」
青年が突然、手を叩いた。
「フランちゃんって呼ばれてた子だ!」
「…え?」
その呼び方を聞いた瞬間、私は固まった。
フランちゃん。
その呼び名は、パパとママからしか呼ばれたことがなかった。
「…どうして?」
私は驚きながら、目の前の青年をじっと見つめた。
そして、ふと気づく。
どこか見覚えのある顔。
昔、パンをあげた少年。
あの時の面影が、目の前の青年には残っていた。
「もしかして…昔に会った、あの少年?」
「そうだよ! そうそう!」
青年は、思い出してもらえたことが嬉しかったのか、ぱっと表情を明るくした。
「久しぶりだね!」
「…」
私は、しばらく何も言えなかった。
「元気ではなさそうだけど…どうしたの?」
青年は心配そうに私を見る。
「僕でよかったら、話してよ」
そう言って、青年は私の隣へ移動すると、その場に腰を下ろした。
敵では…ないのかもしれない。
そう判断した私は、もう一度壁にもたれかかるように座り込んだ。
そして
「…実は…」
私は、ぽつりと話し始めた。
両親が精霊術師になり、旅に出たまま帰ってこないこと。
私も精霊術師になるために、ずっと努力してきたこと。
勉強も、運動も、魔法の訓練も頑張ったこと。
それでも、才能が足りず、精霊術師にはなれなかったこと。
話しているうちに、次から次へと言葉が溢れてきた。
きっと、話している内容はめちゃくちゃだったと思う。
何から話しているのか、自分でも分からなくなっていた。
それでも
「よく頑張ったんだね」
青年は、嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
「辛かったよね」
優しく相槌を打ってくれる。
「分かるよ」
私の隣で、ずっと話を聞いてくれる。
否定もしない。
笑いもしない。
ただ、私の言葉を受け止めてくれた。
それだけだった。
でも
それが、その時の私には何よりも嬉しかった。
そして、太陽が完全に沈み、満月が二人を照らす頃。
私はようやく、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
そんな私の様子を見て、青年が少し気まずそうに口を開く。
「あのね…フランちゃんに、伝えないといけないことがあるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわざわと騒ぎ始めた。
嫌な予感がする。
「…何?」
聞き返したものの、怖かった。
だから
「その前に、あなたの名前は?」
私は心の準備をする時間が欲しくて、無理やり別の話題へ逃げた。
「あっ、そうだったね! 名前を言うのを忘れてたよ。ごめんね」
青年は慌てたように頭を下げた。
私は、そんな彼の様子を見て少し戸惑った。
アインシュ族といえば、噂や教典で語られている姿しか知らない。
もっと恐ろしくて、冷たい人たちだと思っていた。
目の前にいる青年は、そのイメージとはあまりにもかけ離れていた。
「僕は、ナルシサスっていうんだよ。よろしくね、フランちゃん」
ナルシサスは屈託のない笑顔を浮かべ、私に手を差し出してきた。
その笑顔は、あまりにも眩しかった。
私は思わず目を逸らしてしまう。
「…私は、フランネルよ」
せめてもの抵抗のつもりで、小さな声で名乗った。
「フランネルちゃんだったんだね。ごめんね」
ナルシサスは申し訳なさそうに謝る。
「これからは、フランネルちゃんって呼ぶね」
「…フランちゃんで、いい…」
なぜか、その呼び方を変えられるのが嫌だった。
理由は、自分でも分からない。
ただ、どうしても「フランネルちゃん」と呼ばれることに抵抗があった。
恥ずかしくなって俯きながら、小さな声で呟く。
「うん? 何だって?」
ナルシサスが首を傾げる。
「フランネルちゃん、もう一回お願いしてもいいかな?」
「…っ」
もう一度言うのが、ものすごく恥ずかしかった。
顔が熱くなる。
私はその恥ずかしさを誤魔化すように、思わず声を張り上げた。
「フランちゃんって呼んでって言ってるの!」
ナルシサスは一瞬、驚いたように目を丸くした。
けれど、すぐに柔らかな笑顔へ戻る。
「…フランちゃんだね。よろしく!」
そう言って、もう一度私へ手を差し出してくる。
「…」
私は、その手を見る。
握手するのが、なんとなく恥ずかしかった。
だから、差し出された手には触れず、無理やり別の話題へと切り替えた。
「…そんなことより、話さないといけないって何よ?」
ナルシサスは少し驚いたように瞬きをした。
そして
「うん。そうだったね」
月明かりの下で、ナルシサスは先ほどまでとは少し違う表情を見せた。
「何から話そうかなぁ…」
ナルシサスは、少し困ったように考え込んだ。
「…そうだね。じゃあ、精霊術師について、どこまで知っている?」
しばらくして、話す順番が決まったのか、ナルシサスが私を見つめながら優しく尋ねてきた。
「精霊術師について…どこまでって…?」
何を聞かれているのか分からず、私は困惑した。
「そういう反応になっちゃうよね」
ナルシサスは苦笑しながら頭を掻く。
「じゃあさ。精霊術師って、何をする人?」
質問の仕方を変えてきた。
「何をするって…魔王を封印する人じゃないの?」
その言葉を口にした瞬間。
心の奥底から、言葉では説明できない恐怖が込み上げてきた。
「うん、そうだね」
ナルシサスは優しく頷く。
「じゃあ…どうやって?」
「どうやってって…精霊様の力を借りて?」
私は教典に書かれていることを、そのまま答えた。
けれど、質問されるたびに恐怖が大きくなっていく。
本能が、
これ以上、聞くな。
そう警告しているようだった。
心臓が、どんどん速くなっていく。
「そうだよ。精霊様の力を借りてだよね」
ナルシサスは、相変わらず優しい笑顔を浮かべている。
「だったら…封印が終わった後、精霊術師はどうなるのか知っている?」
「…どうなるのか…?」
その意味深な問いに、恐怖が身体を支配し始める。
「えっ…家に帰ってくる…んじゃないの…?」
自分の耳元で、激しい鼓動が鳴り響いている。
震える声で、私は尋ねた。
「…」
ナルシサスは何も答えなかった。
ただ、どこか悲しそうな表情を浮かべている。
まるで
「やっぱり、知らなかったんだね」
そう言っているようだった。
その表情を見た瞬間。
先ほどまで嫌になるほど響いていた鼓動が、嘘のように止まった。
頭のてっぺんから、血の気が引いていく。
「えっ…じゃあ…」
声が震える。
「パパ…と…ママ…は…?」
私は、かすかな声を絞り出した。
「…ごめん」
ナルシサスは、肯定もしなかった。
否定もしなかった。
ただ、そう言って視線を逸らした。
それだけで、十分だった。
「…嘘」
唇が震える。
「嘘…嘘嘘嘘…」
大粒の涙が、次から次へと頬を伝っていく。
パパとママが、もう帰ってこない。
その事実を、頭では理解できていた。
でも
心が、その現実を受け入れてくれなかった。
「パパとママは…!」
私は涙を拭うこともせず、必死に叫んだ。
「私が良い子にしてたら帰ってくるって約束したのよ!」
声が震える。
「そんなわけないじゃない!」
ナルシサスが嘘を言っていないことは、分かっていた。
それでも、認めたくなかった。
認めてしまったら、本当に二人が帰ってこなくなる気がした。
私は、ナルシサスの胸倉を掴んだ。
「嘘だって言ってよ…!」
そのまま力が抜け、私はナルシサスの胸へ倒れ込んだ。
「帰ってくるって言ったのに…」
涙が止まらない。
「帰ってくるって…言ったのに…」
私は、子供のように泣きじゃくった。
「…」
ナルシサスは何も言わなかった。
ただ、私の頭を優しく撫で続けてくれた。
ナルシサスは、私が泣き止むまで、何も言わずにずっと待っていてくれた。
やがて涙が出なくなると、私は少し恥ずかしくなった。
「…ありがとう」
そう呟いて、ナルシサスから少し距離を取るように、隣へ座り直す。
「ううん。僕の方こそ、ごめん」
ナルシサスが、申し訳なさそうに謝ってきた。
「君を傷つけるために、伝えたんじゃないんだ」
「分かってるわよ」
ナルシサスの不器用な優しさに、ほんの少しだけ気持ちが楽になる。
でも
「…でも、まだパパとママが死んだって決まったわけじゃないでしょ?」
不安に押し潰されそうになりながら、私は尋ねた。
「それがさ…違ったらいいんだけど…」
ナルシサスは、気まずそうに懐へ手を入れた。
「この名前と住所…フランちゃんのお母さんのものじゃないよね?」
そう言って取り出したのは、一つのネックレスだった。
五芒星を模した装飾。
精霊術師が身につける、証のようなものだった。
ナルシサスは、その裏側を私に見せる。
そこには
はっきりと、私のママの名前が刻まれていた。
「…」
涙は、不思議と出てこなかった。
もう、泣きすぎて枯れてしまったのかもしれない。
「…これを、どこで…?」
私は、ただ静かに尋ねた。
「コンペートーの中に、精霊術師が入ったって聞いたんだ」
ナルシサスは、ゆっくりと話し始めた。
「だから、精霊術師の命を守るために、僕たちも中へ入った」
そこで一度、ナルシサスは言葉を詰まらせる。
「でも…手遅れだった」
悔しそうに拳を握る。
「中には、フランちゃんと同じ髪色をした精霊術師の女性と…少しふくよかな男性が倒れていたんだ」
「…」
「二人とも…もう息を引き取っていた」
ナルシサスの言葉が、静かに夜へ溶けていく。
「パパ…」
「ママ…」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
私は膝を抱え、身体を小さく丸めた。
「その女性がフランちゃんに似ていたから…もしかしたらと思って、このネックレスを持ってきたんだ」
ナルシサスが、これまでのことをすべて話してくれた。
「…それ」
私は、ナルシサスの手にあるネックレスを指差した。
「…もらってもいい?」
「もちろん」
ナルシサスは、すぐにネックレスを差し出してくれた。
「…救えなくて、ごめんね」
「ううん…いいの」
私はネックレスを受け取った。
そして、両手でぎゅっと握りしめる。
冷たい金属の感触が、手のひらに伝わってくる。
「…ありがとう」
私は目を閉じた。
そして、心の中で二人に語りかける。
『ゆっくり休んでね。パパ、ママ』
『…おやすみなさい』
しばらくの間、私たちは何も言わずに月を眺めていた。
そんな静かな時間の中で、ふと疑問が浮かんだ。
「…精霊術師の命を守るって言ってた?」
私は、恐る恐るナルシサスに尋ねた。
「うん? そうだけど?」
ナルシサスは、どうしてそんなことを聞くのか分からないといった様子で、首を傾げる。
「それって…アインシュ族全体でやっているの? それとも、ナルシサスが個人的にやっているの?」
「僕たちアインシュ族で、精霊術師の保護活動をやっているんだよ」
ナルシサスは、何の迷いもなく答えた。
「…そういうことね」
私は、少し納得した。
アインシュ族は精霊術師を襲って攫う。
そんな噂を聞いていた。
でも、ナルシサスが言っていることは、その噂と奇妙なところで繋がっている。
精霊術師を守るために、アインシュ族が動いている。
少なくとも、目の前のナルシサスが嘘をついているようには見えなかった。
「どういうこと?」
ナルシサスが、不思議そうに首を傾げる。
「何でもないわ」
私はそれ以上、説明しなかった。
そして、もう一つ尋ねる。
「その活動って…アインシュ族以外の人間でも参加できるの?」
「一応、できるけど…どうして?」
ナルシサスは、また首を傾げながら答えた。
でも
助かった。
これで、次に私が進むべき道が見えた。
「だったら、私もその活動の仲間に入れて」
私は立ち上がり、ナルシサスの前に立った。
「私、五行全部を使えるのよ。きっと良い戦力になるわ」
胸に手を当て、自信満々に自分を売り込む。
「えぇ!? 危ないよ?」
ナルシサスが困ったような顔をする。
「パパやママみたいな人を、これ以上増やしたくないの」
私は、まっすぐナルシサスを見つめた。
「私みたいな思いをする人を少しでも減らせるなら…危険くらい、承知の上よ!」
「うーん…」
ナルシサスは頭を掻きながら考え込む。
しばらく悩んだ後―
「…まぁ、僕が守ればいいか」
諦めたように、ぽつりと呟いた。
「だったら、決まりね」
私は、ほっと胸を撫で下ろした。
「ナルシサス。この私、フランちゃんも守ってね」
「うん。任せてよ!」
ナルシサスは立ち上がると、ドンと胸を叩いた。
「僕がフランちゃんを、何があっても守ってみせるよ!」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
嬉しい。
でも
なんだか、恥ずかしい。
「…でも、何だか頼りないわね」
フランちゃんは、照れくささを誤魔化すように、ナルシサスへ難癖をつけた。
「もうちょっと頼れるようになりなさい」
「えぇ…」
ナルシサスは困ったように眉を下げる。
そして、少し考えた後
「だったら、自分のことを『俺様』って呼ぶようにするよ!」
「…なんでそうなるのよ…」
フランちゃんは、呆れ半分にツッコんだ。
こうしてフランちゃんは、ナルシサスと共にアインシュ族の精霊術師保護活動へ参加することになった。
それが
フランちゃんとアインシュ族の、最初の一歩だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、フランネルの過去を描いた短編でした。
両親が大好きだった少女が、突然その二人を失い、それでも前を向いて生きようとする。
そんなフランネルが、初めてナルシサスと出会った日の物語です。
もし今回のお話でナルシサスのことが少しでも気になった方は、ぜひ短編小説「僕の幸せな未来へ」も読んでみてください。
二人の物語を続けて読むことで、きっと「あの日」の見え方も少し変わると思います。
そして、フランネルとナルシサスがその後どんな旅をすることになるのか。
その先は、ぜひ長編小説の本編「精霊術師の終着点 〜 短い言葉に込めた重い物語 〜」で見届けていただければ嬉しいです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。




