夢の中のトモダチ・1
「七生くん、今日も来なかったねぇ…、」
二階堂蘭の口から溜め息のように零れた言葉は、誰に聞かせるでもない、ただ彼女の胸の内に拡がる痛みを吐き出す為に必要なものであったが、帰り道を共にする3人の友人達にとって、それは いよいよ抜き差しならない恐怖を与えるものだった。
3人は顔を見合わせる。いったい、この『ななお』という見も知らぬ少年の名を、あたかも自分達と同じクラスメイトのように、この可憐な友人が語り出したのは いつ頃のことだったか―? そして、自分達は いつまでも、この彼女の不可解なトモダチの話に、当たり障りのない相槌をうつだけで良いのか―?
この日、ついに意を決し、最初に口を開いたのは、蘭の一番の親友・美織だった。
「―ねぇ、蘭ちゃん、…前から気になってたんだけどさ、その『ななお』くんって、誰なの?…、」
「…え?、なに言ってるの? 美織ちゃん。七生くんだよぉ、同じクラスの―、」
深刻な面持ちの美織とは裏腹に、蘭はあっけらかんと言葉を返す。
「―蘭ちゃんは そう言うけどさ、いないよね、そんな子。うちのクラスには―」
美織の加勢に入ったのは朱音である。女子の中では一番足が速く、ポニーテールと涼やかな目元の印象そのままに快活な朱音の発言は、クラスの中でも その公明正大さ故に重きを置かれる。
コトここに至り、蘭は初めて自分の言っていることが、友達を戸惑わせているのだということに気づいた。しかし蘭にとって、七生がクラスに「居る」ことのほうが、極自然で、疑う余地の無い事実なのだ。
「…なんで そんな事言うの…? 七生くんはいるよ…! ねぇ、小春ちゃん? 小春ちゃんは1年生の時からずっと、七生くんと同じクラスだったって言ってたよね…?」
「―ごめん、蘭ちゃん! 私も それ…、蘭ちゃんはそう言うけどさ、私 さっぱり覚えてないんだわ…、」
眼鏡が似合うおさげの小春は、両手を合わせて蘭に謝る。
「…そんな…、―ひどい―! どうして みんな、そんな意地悪言うの―!?」
蘭は愕然として3人に訴えた。いるハズの子をいないという、それは学校という閉鎖的な場に集う彼女たちにとって、忌避すべき「いじめ」を思わせる行為であり、彼女らのクラスには今のところ、その災禍をもたらす者も見舞われる者もない。5年生になった自分たちは、上手くやれている。そんな自信と安堵が育ちつつあった7月初めの帰り道、蘭の投げかけた言葉は、彼女たちの心に小さからぬ波紋を拡げた。
互いに心外なことなのである。蘭は自分の友人たちが「いじめ」などする卑劣な輩でないことは重々承知しているし、対する3人も、蘭に意地悪を言うつもりは毛頭ない。
これもまた、例の不思議なことの影響で、3人が七生の存在を認知出来なくなっているが故に生じた軋轢であるが、なぜ蘭だけが七生を覚えているかと言えば、それは まだ、当人たちも それとは自覚出来ていない、初恋の為せる業なのである。
「…意地悪なんか言ってないよ、いないのは本当のことだもん。蘭ちゃん、その七生くんてさ、蘭ちゃんの夢の中にいるトモダチなんじゃないのかな…?」
諭すように穏やかな口調で美織が言う。
「そうそう、イマジナリーフレンドとか言うヤツね! 蘭ちゃんてピアノ弾くからさ、想像力が豊かなんじゃない? だから そういうトモダチも出来るとか? いいなぁ、なんか素敵かも…! 自分だけの秘密の友達なんかいたらさ、ジンセイ豊かになりそうだよね!」
少しおどけた調子で小春が続く。美織も小春も、なんとか蘭を『ななおくん』の幻から引き離そうと懸命だ。しかし蘭は頑として、それを受け入れようとはしなかった。
「―違うよ! 七生くんは本当にいるもん! 三丁目の質屋の万城目屋さんが七生くんの家で、双子のお姉さんがいるんだけど身体が弱いの。私3年生の時、学校からのお知らせを頼まれて持って行ったことがあるの! だから…!」
「…あの辺に質屋さんなんてあったっけ? 聞いた事ないな…、」
首をかしげる朱音に、美織と小春も同調する。
「やっぱり 全部夢なんじゃないの? 蘭ちゃん…?」
自分を取り囲む3人から、訝し気な眼差しを向けられ、孤立無援となった蘭は、
「―確かめて来る―!」
と言い放ち、その場で歩みを止めた。
「―え? 確かめるって―?」
少し驚いたように尋ねた美織に、蘭は きっぱりと答える。
「万城目屋さんは ちゃんとあって、七生くんはいるんだから、これから行って確かめて来る―!
ずっと学校に来てないってことは、どこか具合が悪いのかもしれないし、心配だもん―!」
「―え!? ちょっと! 蘭ちゃん―!」
呼び止める小春にも構わず、緩くカールした栗色の、柔らかく長い髪を翻し、蘭は三丁目目指して走り出した。
「…放っておきなよ、行って見て実際そんなお店無かったら、さすがに本人も納得するでしょ…?」
ため息交じりに2人を制した朱音の言葉に、美織も小春も小さく頷いた。
悲しむべきは、七生の存在を忘れていない この二階堂蘭にすら、この前日まで悲壮な決意で学校に通い続けた七生の姿は認識出来ていなかったことである。
それだけ この質屋は今 不思議な力で世間から隔絶されている訳であるから、蘭が2年前の記憶をたどり、万城目屋に向かったところで、その目的の店が彼女の眼に見えるものかは怪しいところであったが、果たして彼女が息を弾ませ立ち止まり、ここだと見上げたその先に、求める『万城目屋』の看板はあった。
蘭は口元に安堵の微笑みを浮かべると、少し呼吸を整えてから、少し古風な『万城目屋』の磨りガラスの引き戸に手をかけた。
「―ごめんください―!」
言いながら開けようとしたその戸は、しかし鍵がかかっていて動かなかった。磨りガラスの端の透けて見える隙間から、店の中の様子を覗いて見たが、やはり人のいる気配は無い。
―ならば、と蘭は、以前来た時もそうしたように、漆喰の塀に設えの扉を目指した。幸い そこは押せば開いた。塀ひとつで隔てられた敷地の中は、二度目の訪問である蘭でもまだ驚くほど広く、街の喧騒とは異なる、静かな時間の流れる庭だった。
蘭は初めて来た時のように踏み石を選んで歩きながら、母屋を目指した。
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