忘れ物・6
それが招かれざる客の来訪であると、直感で悟った七生は陸に縋りついたが、多少なりとも厄介な客のあしらいは心得ている陸は、七生を安心させるように余裕の表情を見せると、最近習慣的にそうしているように、義手を臍の辺りに置き、その上からTシャツの裾を被せて右手を隠し、来客の応対に出た。
ドアスコープから覗くと、そこには 梅雨時の蒸し暑さの中、きっちり長袖のグレーのスーツを着た女が1人立っていた。こちらの無反応に動じる気配もなく玄関前に立ち続け、何度もチャイムを鳴らす女に、居留守を決め込むのも難しいだろうか―?
「―どちら様ですか―?」
インターホン越しに尋ねると、
「―あなたに用はないわ―」
という、情婦の家に居候の身には心中穏やかでいられない返答が来た。
「…は…?」
と、返す言葉に窮した陸に、その女は畳み掛ける。
「―中に子供を連れ込んでるわね? 未成年者誘拐の容疑で通報されたくなかったら、今すぐその子を返しなさい。―その子、今 ワケあって私が預かってる大事な子なの―」
陸は思わずその子供―七生を振り向いて見たが、彼は両手で口を覆い、激しく首を横に振っている。
―どう判断すべきか―?
―それ以前に、何故わかった―?
迷いと疑問が交差する中、しかし疾しいことの無い陸は、思い切って堂々とドアを開けた。
「―どうも―」
陸は軽く会釈をしたが、女はむしろ見下すように陸を見ている。スタイル抜群の美人ではあるが、ここまで尊大で高飛車な女はいただけないと陸は思う。
「―俺に用は無いってことですけど、それでいきなり通報するとか、随分乱暴な話ですね。そもそも あなたがお探しのお子さんが、ここにいると何故お分かりに?」
「―どことは言えないけど、GPSを付けてるの。間違いないはずよ―。七生、いるんでしょう?、出て来なさい。出て来ないなら こっちから行くわよ?」
言いながら、女は土足で部屋に上がり込もうとしたので、慌てた陸が身を呈して それを止めた。
「…ちょっと、いくらなんでも土足は勘弁…」
瞬間服の上から触れた女の肌のあまりの冷たさに、さっきの人形少年?の話と、昨夜の夏美の話が ついに彼の頭の中で繋がり、もし この女がその『質屋神』なのだとしたら―という畏れに陸は思わず身を竦めた。
かたや女は逆に不敵な笑みを浮かべ、更に陸ににじり寄り彼の左腕を掴むまでした。が、ほどなく女の顔からその笑みが消えたことを、2人の背後から様子を窺っていた七生は見逃さなかった。
「―靴くらい脱げよ! おばさん!」
2人の前に姿を現した七生を見た女は眉を顰めた。
「七生が自分から出て来ないからでしょう? 心配したわ…! あなた、この子の服まで脱がせて、一体なにをするつもりだったのかしら?」
あくまで陸を犯罪者扱いしようとする女に、七生が反論する。
「―失礼なこと言うな! この人は僕の服が濡れてたから脱がせてくれただけだし! あんただったら絶対しないんじゃないの?、そんなこと。自分に出来ない親切って、きっと分からないものなんだよね?」
「―分からなくて結構だわ。帰るわよ七生。早く来なさい―!」
「―いやだ!!」
「―七生?」
「僕は帰らないよ! 僕は この人に拾われたんだから、僕は もう この人のものだ―!」
七生の この言い分に、面食らったのは女だけではなかったが、嘲るように笑い、たしなめたのは女のほうだ。
「―この国に そんな法は無いのよ七生。落としモノは落とし主に返すのが決まりだし、あなたの養育義務を負う保護者は今、私しかいないんですからね?」
「―さっきから言ってる『七生』って誰のこと?僕は そんな名前じゃないし、おばさんなんか知らないよ…! 誰かと人違いしてるんじゃないの?」
「…なんですって…?」
―なるほど、子供ながら そういう作戦で出て来たのか…と、陸は少し感心したが、しかし この子は この女の言う『ななお』に間違いないのだということも同時に察した。
「…そう、あなたは七生じゃないの…? じゃあ仕方ないわね…。」
諦めたような言葉とは裏腹に、女は口元に笑みを浮かべた。その眼差しは、七生も陸もゾッとするほど冷たい輝きを放っている。
「―なら いいわ。これで私も遠慮はいらなくなるもの―。もう誰が どこへ行っても、何をやっても 心配して聞いてくる鬱陶しい子がいないなら好きにやれるわ〜。七歩だって…、」
「―キリヤ―…!」
「―あら、あなた、私の名前を知ってるの? 七生じゃないのに何故かしら―?」
さも愉快そうにキリヤは七生に問いかけた。
「ごめん、キリヤ、僕帰るから…!、七歩には何もしないで…!、」
「―あんたさ―、」
見かねて陸が割って入る。
「あんた俺を誘拐犯扱いしたけど、言わせてもらえば あんたのほうがよほどじゃね? なんか傍目にも、虐待が疑われる案件だよな、これって―」
「―あら そう? でも もし今 ここに警察を呼んだら、怪しまれるのは貴方のほうじゃなくて? お生憎さま―」
陸は一瞬不退去罪で本当に通報してやろうかと思うくらい、目の前の女に腹が立ったが、やはり まだ どうしても、当の『ななお』少年が何故ここに現れたのかが判然としない為、その踏ん切りがつかなかった。
「―帰るって言うなら良いわよ七生、さっきのことは許してあげる。行きましょう?、」
既に観念して 項垂れている七生に、キリヤは嬉々として語りかける。
「―この子の服は? 持って来て下さいな?」
「―まだ乾いてないよ、今乾燥中だ、」
「構わないから持って来てちょうだい。こんなところに来るのは二度とご免だもの―」
あからさまに無礼なキリヤの要求だが、『ななお』本人が家族の為に帰ると言い出した以上はやむを得ないのかもしれない。不承不承、陸は脱衣所の洗濯乾燥機から七生の服を取りに向かった。
洗濯ネットに入れた時は 間違いなく人形の服だったものが、今取り出してみたら子供服になっていて、脱衣カゴの中に置いた靴もまた、本物の子供の靴に変わっていることに驚きながら、まだ生乾きの服を着せるのが忍びない陸は、洗濯済みの自分の着替えも合わせてキリヤに渡してみた。しかしキリヤは躊躇いも無く生乾きの服を七生に着せ、陸の親切は無言で突き返してきた。
「―ごめんね、お兄さん。ありがとう…!、」
腰に巻いていたバスタオルを陸に返しながら、七生は僅かに微笑んで、陸に礼を言った。
「―おまえ―、」
さすがに居た堪れなくなった陸は 思わず七生を呼び止めたが、そこにキリヤが割って入った。
「―ひとつ忠告しておくわ―。世の中には、あまり深く関わらないほうが身の為になることもあるのよ―? 私たちのことも その1つなの―。―じゃあね。行くわよ、七生―」
靴もまだ湿っているものを履かされ、急かす女におとなしく従って出て行く少年と、勝ち誇ったように意気揚々と引き揚げていく女の後ろ姿を、陸はキツネにつままれたような心持で見送った。
実際、陸には夢だったのか現実だったのかの判別が難しい出来事だったが、『ななお』に渡されたバスタオルだけは確かにその手に有った。
その感触で気を取り直した陸は、それを洗濯しようと再び脱衣所に向かった。
先刻使った洗濯ネットをつまみ上げると、その中に何か固いモノが残されていたことに彼は気づいた。取り出してみると それは近隣の小学生たちが身に付けている名札で、そこには油性ペンではっきりと、名前と所属が書かれていた。
〔籠目第3小学校 5年1組 万城目 七生〕
その名札を 自分の 人形のような右の掌にのせ、陸は しばらくの間 ぼんやりと、それを見つめ続けた―。
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