忘れ物・5
目を閉じていても、光に包まれているのがわかる。照らされた頬に柔らかな温もりが宿り、背中に当たる乾いたタオルの感触が心地良い。
(僕は どうしていたんだっけ…?)
少しずつ 固まっていた身体がほぐれていく感覚と、戻ってきた意識の中、七生は考えをめぐらす。
そうだ、この感じ、あのキリヤが現れてから時々ある…、急に胸が苦しくなって、深い眠りの中に閉じ込められてしまうような時間―。その間の記憶は夢で見たことのように朧げで、ただ 固く冷たいところにきつく押し込められ、ひどく苦しい―という感覚だけが続く時間―。これも あのキリヤの仕業なのか…。
(でも もう大丈夫だ―)
と、七生には分かる。たしか自分は雨の中、倒れてしまったはずだけれど、今 ここに降る雨は無い。
ぼんやりとではあるものの、誰かが自分を濡れたアスファルトの上から救い上げ、甲斐甲斐しく世話してくれた記憶がある。今の七生は風呂あがりのような爽やかな心持ちだ。湯上がりの火照りを和らげていく空調の涼風に誘われ、そっと目を開いてみる。
そこには見知らぬ天井があり、低く唸っているモーター音は洗濯機のものだろうか?と推理してみる。なぜなら濡れていたはずの服は脱がされ、七生は今 裸だから。それは ありがたい計らいでしかなくて、敷かれていたバスタオルを腰に巻き付け、助けてくれた人に礼を言う為、七生は立ち上がった。冷蔵庫の閉まる音が聞こえたので、七生はキッチンとおぼしきほうへ歩みを進める。
U型のキッチンから食パンを咥えて出てきた陸と、スリッパも履かず、フローリングの床を裸足でヒタヒタ歩いてきた七生は、カウンター付近で鉢合わせた。思わず開いた口から落ちた食パンを咄嗟に左手で受け止めることができたのは、やはり居候としての肩身の狭さからなのかもしれない。
「―え!?、…―え!?、―えぇえ!?」
陸は突然の謎の侵入者の出現に驚き言葉を失ったが、それが年端も行かない子供であることを自分に言い聞かせ、出来る限り冷静で落ち着いた対処を自分に求めつつ、湧き上がる疑問を その子にぶつけた。
「―なに おまえ!?、どっから来た―?、」
それでも早まる心拍数を抑えられていない陸であるが、かたや七生は至って行儀よく、落ち着いて陸に礼を言う。
「―お兄さんが僕を助けてくれたんだね?、どうも ありがとう…!」
「―は?、助けた…って…?」
「―雨の中 僕を拾ってきてくれたでしょう?」
「―知らないよ、おまえなんか…、俺は人形を拾ってきただけで…、」
ここまで言った陸と、これを聞いた七生は、互いにハッとした。
―陸が拾ってきたのは、せいぜい50センチ位の人形で、いま目の前にいるこの子供は その3倍近い140センチはある小学生のようだが、確かに その特徴は似ている―。無邪気で純真な少年らしさを湛えた茶色い瞳と、淡い栗色のサラサラの髪―。なにより今、この子が身に纏っているのは、あの人形を寝かせて置くのに使ったバスタオル1枚だ―。
「―人形…、そうか僕は…、」
―おそらく おじいさんを眼鏡に変え、蔵に連れ込んだ人達は金目のモノに変えているキリヤだ、子供1人人形に変えるなんて造作もないことかもしれない―それでも―
「―やっぱり お兄さんが僕を助けてくれた…?」
改めて七生は、あの苦しい時間の間、人形にされていたのだとして、自分が今『人間』に戻っている理由を考え、思い当たることを口にした。
「そうだよ、きっと! 人形にされてた僕を、お兄さんが元に戻してくれたんだ! すごい…!」
この嬉しい出会いに、七生は陸の手をとって喜んだ。―この人なら、あのキリヤをやっつけられるかもしれない―! そう思った矢先、七生は掴んだ陸の右手が、それこそ人形のような、固く冷たい光沢を放つ肌をしていることに気づいて青褪めた。
「―お兄さん、この手…!! …もしかして、僕を助けたから こうなったの…!?」
「―はぁ!? 何言ってんだ、お前?、んなわけあるか、」
「でも…!、」
「―落ち着け! これは義手ってもんだよ、俺には右手がねぇの!」
先程来ひとり興奮して、赤くなったり青くなったり忙しい七生を制して陸は言った。
「…どうして?、かわいそう…、」
七生は瞬時に気の毒そうな顔をする。
「…話せば長くなるんだよ、それよりも問題は お前だろ?、いつの間に どうやって入ってきた? まさか夏美の隠し子…ってことはないよな、さすがに…。」
「…だから、僕は お兄さんが助けてくれた人形なんだよ、それが僕!」
「―いやいや 待て待て―!、…そういう話はさ、確かに昨夜聞いたんだよ、…聞いたんだけど、…まさか俺 あれから二度寝してんのか…?、」
俄に自分の正気が疑わしくなってきた陸は、夏美に頼まれたゴミの袋の行方を探る。
と、その時、不意に玄関のチャイムが鳴った。
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