忘れ物・3
その朝、連城陸はスマホの着信音で目覚めた。電話してきたのは同棲中の恋人・夏美で、朝 家を出るとき余裕がなく、出し忘れたゴミを代わりに出しておいてほしいという。
「―陸、まだ寝てた? そろそろ起きてね、10時には集めに来ちゃうから。」
「―ん~、了解。仕事おつかれ~、」
寝起きとバレる掠れ声で夏美の労を労い、通話を切って、スマホの画面に表示された時刻は9時56分。早速与えられたミッションにとりかかる。
さすが よくできた恋人というべきか、ゴミは既に指定袋にまとめられ、袋の口も結んであった。右手を失くしてからというもの、この「結ぶ」という行為にはしばしば難儀する陸である。ありがたくゴミ袋を小脇に抱え、悪いとは思いつつ、夏美のミュールをつっかけて、部屋着のままマンション前の集積所に急いだ。
外は小雨が降っていて、遠目にもまだゴミの袋が山と積まれているのが分かり、どうやら間に合ったとほっとした陸が、次の瞬間肝を冷やしたのは、集積所の手前に横たわる、小さな人影を目にしたからだ。
「―…にんぎょう…、か…?、ニンゲンかと思って焦ったぞ…!、」
驚かされた人形に抗議しながら、陸は左手で集積所の網を持ち上げ、右の腕を使い、ゴミの袋を放った。ミッションは完了である。言ってしまえば今の彼には、今日この他に これといって急ぎの用は無い―。この後は左手で出来る範囲の家事を済ませ、自分に出来そうな仕事をネットで検索して、その結果によっては外出するかもしれないが、あとは夏美の帰りを待つだけだ。勢いその人形に関心が向いたのは、そんな風に彼が時間を持て余し気味に日々を過ごしていたせいもあるかもしれない。
「…これって ビスクドール…ってヤツだよな…?、なんか お高い感じの…、」
人形は、うつ伏せに転がっている。その位置がゴミ集積所の手前ということもあり、これが捨てられたモノなのか、それとも誰かが落として気づかず置き去りにされたモノなのか、判断に迷うところであった。
―ガラス玉の眼は その細工のせいかカッと見開かれ、目の前のアスファルトを睨みつけている。雨に濡れた淡い栗色の髪は極めて細い。それが濡れた陶器の肌に纏わりついている様は 繊細で上等な技術が見せる情景として美しいが、まるで 本物の人間の子供が雨の中、打ち捨てられた悲しみに泣いているようにも見える。
「―お前も捨てられたのか? …まだ そんな、捨てたものでもないのにな…、」
―お前『も』―と言ってしまって、陸は ひとり苦笑する。他に誰が捨てられたというのか、価値のない、ゴミのようなものになってしまったのは誰なのか―。
雨が少し激しさを増してきて、陸は部屋に戻るべくミュールの足を踏み出す。
指定袋に入っていないからには、ゴミに出されたものではないのかもしれない。誰かの落としものなら、いずれ持ち主が探しに来るはずで、それなら動かさずに置くのが一番だ。もうじき来る清掃車の作業員も、おそらく自分と同じ判断をするはず―。
―それでも…陸は自分でも何故だかよく分からないくらい、強烈に この人形に惹かれた。
最初人間と見間違ったせいか、陸にはもう、この人形が、行く宛てもなく雨に打たれて濡れている男の子に思えるのだ。
―そうだ。こんな雨にただ濡らしていることはない―。持ち主を探すなら、ネットや張り紙を使っても良いし、綺麗に乾かしたら 面倒がらずに警察に届けに行っても良い。陸はそう思い、踵を返して、すっかり濡れてしまった人形を掴み上げた。
一度閉じられ、再び見開かれたガラス玉の瞳は、まるで無垢な子供が 自分に向けた感謝の眼差しのようで、思わず陸の口元も綻ぶ。
「―いいよな?、夏美も こういうのは好きだし―、」
そう呟いて、左手でしっかり人形を掴むと、陸は駆け足で部屋に戻った。
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