忘れ物・1
「―じゃ、学校行ってくる」
万城目七生は、紺色のランドセルを背負ってリビングを出た。
「―あら、今日も行くの? 七生は偉いわね。七歩も少しは見習ったら?」
謎の女キリヤは、リビングのソファーに座ったままの姉・七歩を揶揄うように言う。
「行っても無駄だと思うけど―?」
手にした本に視線を落としたまま、七歩の反応は至極冷淡なものだ。それはいつものこと。
「―行ってきます」
改めて、腹立ちまぎれにそう言って、七生は家を出た。
―行っても無駄―
それは七生にも、もう分かりきっていることだった。4月のあの日を境に、自分たちを取り巻く環境はすっかり変わってしまった。もっとも、病弱でも気は強くて周囲になじみにくい七歩が、学校を休みがちなのは、それ以前からではあった。
今となっては、自分が学校にいる間、七歩に家に居てもらえるのは、実はありがたいことでもある。自分がいない間も、キリヤを観察し、消えてしまった父さんや母さん、おじいさんの行方の手がかりを探ることが出来るからだ。
逆にキリヤの目がある家の中では、七歩と意思の疎通を図るのは難しくもあるけれど、七歩が全部諦めて無気力に流されている風を装い、キリヤの動きに目を光らせてくれていることは、黙っていても、七生には分かる気がした。2人は同じ日に生まれた双子なのだ。
質屋『万城目屋』の七代目として生まれた2人は、父や母や祖父、1年前に他界した祖母らから相応に愛され、不足や不自由を感じないよう大切に育てられてきた。
それが4月のある日、まず あのキリヤが現れた―。そして お母さんがいなくなり、続いて おじいさん、お父さんが姿を消し、気づけば家族は子供の2人だけになり、キリヤは2人の面倒を見るでもなく『万城目屋』に居座っている。
取引先の人も店を訪れることはなくなり、常連のお客様も今はもう、看板など目に入らない様子で、足早に店の前を通り過ぎるだけだ。キリヤが現れて以来、それまで関わりがあった人達の記憶から『万城目屋』はすっかり抜け落ちてしまったように思う。そのキリヤは、時折見知らぬ人を夜更けに連れてきては庭の蔵に連れ込む。そして その人が再び蔵から出て帰る姿を、七生は未だに見たことがなかった―。
角を曲がると、にぎやかな笑い声とともに、小学生の一団が目に入る。七生と同じ小学校に通う、同級生の友人たちだ。
「―おはよ、貴司くん。今日も くもりだねぇ、」
極力自然に、明るい声で、一番の友だち・貴司に七生は話しかける。今ではこれも、すっかり勇気の要ることになってしまった。何故なら貴司はじめ級友たちが七生に向ける眼差しは、既に友人に対するそれではなく、何か得体の知れない、人ではないようなモノを見る目になってしまったからだ。
「―なに? コイツ。貴司くん、知ってるの?」
「―知らない。誰かと勘違いしてんじゃねぇの? 行こうぜ―、」
みんなは七生を1人置き、先を急ぐように小走りで去って行った。
―「いじめ」と呼ばれる行為の中には こういうものも含まれると知ってはいても、貴司達が自分に対してそれをするとは考えたくない七生だった。
―これは おそらく あのキリヤが現れてから始まった不思議なことの影響で、あのキリヤさえいなくなれば、きっと元通りに戻るはず―。
今は仲間外れにされているみたいで辛くても、これから先のことを考えたら、『万城目屋』の為にも、学校に行って勉強は続けてなきゃいけない―。
見上げた空は梅雨時らしく どんよりとした灰色で、今にも雨が降り出しそうだ。傘ならちゃんと用意してきた七生だが、視線の先、遠ざかって行く貴司のランドセルに、縦笛が挿してあるのを見つけてハッとした。
「そうだ、今日の音楽は笛を使うんだっけ…、」
七生は一瞬ためらった。今の七生に対しては、先生たちですら、さっきの友人たちと同じような扱いをする。七生が笛を忘れようが、咎められることは きっとない。
―でも…、と、七生は思う。
―もし 僕が 笛の指使いをしくじって、ピー!とか甲高い音を出したりしたら、
「七生、ヘタだな!」
って、佑人くんあたりが笑いながらツッコんでくれるかもしれない…。
―望み薄なのはわかっている。それでも七生は小走りで家に戻った―。
玄関に入ると、奥の部屋から電話で話すキリヤの声が聞こえてきた。電話の相手が何者なのかは分からないが、キリヤに『仲間』がいるらしいことは七生も七歩も察していた。
七生は下駄箱の脇にランドセルを下ろして、2階の自分の部屋に向かおうとしたが、ふと、階段脇の洗面所、洗面台の上に、キリヤがいつもかけている、眼鏡が置かれたままなのに気づいた。
―これってセンザイイチグウのチャンスだ―
と、七生は思った。奥の部屋の話し声がまだ続いていることを確認し、七生はその眼鏡を手にとると、ランドセルから小銭入れだけを取り出して、静かに外へ飛び出した。
―コトは一刻を争う―、でも慎重に、間違わないようにしないといけない―。
自宅の白い塀が途切れる角まで走って七生は立ち止まり、手にした眼鏡をかけてみた。車道を隔てた向うから歩いて来る1人の高校生がいたが、その眼鏡を透して見ると、そこには道を歩く野球の金属バットとグローブが見えた。眼鏡を外せば、そこにいるのは やはり登校途中の高校生だ。きっと あのお兄さんの頭の中は、野球のことでいっぱいなのだろう、と七生は思う。
―やはり そうだ―。
おそらくキリヤは この眼鏡を透して金目のモノになりそうな人を見つけては、あの蔵に連れ込んでいる―。そして、もしかすると―…いや、たぶん 間違いなく、この眼鏡は、おじいさんが姿を変えられたモノだ―。なぜって目利きに関しては、まだまだおじいさんのほうが、お父さんより上だから―。
―この眼鏡さえ奪ってしまえば、キリヤも下手に あの蔵へ 人を連れ込むことは出来なくなるはず―
―でも これが…僕の おじいさんが姿を変えたモノなのかもしれない以上、壊すわけにはいかないし、どこかに隠そうにも、今は頼れる友達もいない―
―それでも―
こうしている間にも、眼鏡がなくなったことに気づいたキリヤが後を追いかけてくるかもしれない。七生は再び走り出した。
―心当たりがないわけじゃない―。こんな時、頼れそうな人―。だからこそ、小銭入れを持って来た。
―アキラお兄ちゃんなら―…!
数多ある作品の中から、本作をお選びくださり、ここまでお読みくださった貴方様に 深く感謝申し上げます。本作は『カクヨム』様にて先行連載中で、今回 最後に名前が出て来た『アキラお兄ちゃん』が現在 そちらのほうで登場し、活躍する展開となっております。
この度『なろう』様にも本作を掲載するに至りましたのは、偏に より多くの方の目に本作が留まることを望んだ故でありまして、『なろう』で初めて本作を御知りになった方が、この1文をお読みくださっていらっしゃいましたら、まさに幸甚の至りにございます。引き続き、おつきあい願えましたら尚 幸いです。




