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浮舟のフィオナ―若き女王と終末の方舟―  作者: 河野章


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第一章:深海からの刺客(アサシン)

 パーティーは深夜まで及んだ。

 セリーヌが侍女たちにドレスを預け、髪を梳かせて、ベッドへと沈み込んだのはもう明け方に近かった。うとうととしかけたその時、開け放した窓に黒い影が降り立った。影は男で腰には長刀を、口には短刀を咥えていた。

 手に短刀を持ち替えた男がベッド脇へとするりと潜り込み、腰を掛けると、セリーヌの胸元を羽交い絞めにしその首へと短刀を突き付けた。


「っ……!」


 両足で突然胸元を締め上げられたセリーヌは一瞬息もできずに手を泳がせた。男からは乾いた、海藻の匂いがした。雰囲気からして、セリーヌと同じくらいに若い。

 男が低く歌うよう部屋の暗がりへと告げた。


「そこの、静かに出てこい」

「……セリーヌ様には、危害を加えないでいただきたい」


 同じく片手で短刀を掲げたルークが、寝室の奥からそろりと月光への中へと進み出る。

 片足を引きずり、片腕がないルークの様子に侵入してきた黒づくめの男がせせら笑った。


「なんだ。女王の護身にはこんな男しかいないのか」

「……衛兵は扉のすぐ外にいるわ。声を上げましょうか? 」

 セリーヌが顎先を上げて何とか声を絞りだすと、男は意外そうに喉奥でまた笑う。

「なんだ。……震えて声も出せないのかと思いきや、中々剛毅な女王様だ。下で聞いていた噂と大分違う」

「……海下層民か。要求を言え」


 ルークがじりっとにじり寄る。


「おっと、それ以上はお前でも近寄るんじゃねぇ。そんな身体でも何されるかわかったもんじゃねぇからな」

「要求をお言いなさい」

「話が早いな……女と、食い物だ」

「お前にそれを宛がえというの?」 

 飽きれた、とセリーヌが軽蔑のまなざしを背後へとやると男は不敵に笑う。

「違う。海下層民全員へ、だ」

「どういうこと……?」

「言葉どおりだよ。今、海下層民には女と食料が足りねぇ。弱いものから次々と倒れていき近親婚を繰り返すしかなくて、貧困にあえぎ、血が途絶えそうな部族もいる。贅沢三昧のあんたらには分からねぇだろうが、海下層は今、死に瀕してる……要求は以上だ。この要求が飲まれない場合、俺たち海下層民は蜂起する。そちらも用意に時間がかかるだろうから……新月の頃、また来る」


 すっと男が手を引き、ベッドから立ち上がる。セリーヌはベッドの上で居住まいをただすと男と初めて顔を合わせた。月光の下の日に焼けた、精悍な顔つき。黒髪が細かな傷を覆い隠すように乱れて男の頬や額を覆っていた。セリーヌは足を組みベッドへと手をつくと首を傾げた。


「……追っ手をやるわ。あなたなんてきっとすぐに衛兵に捕まる」

「どうかな。船を操り、内部を隅々まで知ってるのは俺たち海下層民の方だぜ。その証拠に俺一人でここまで来れた」

「それはどうかしら。行きは簡単でも帰りは……私の一言で、今にも城中の衛兵がお前を捕らえに来るわ」


 その台詞に男が初めて動揺を見せて瞳を揺らした。


「……それじゃぁ、どうしろと?」

「話すのよ。私とお前とで」

「なんだと?」

「海上民にも悩みはあるの。お前たちと取引が……出来るかもしれない」

「セリーヌ様!」

 そこでようやくルークが止めに入った。

「危険すぎます。こんな男と二人きりなど……!」

「なら、お前も同席すれば良いわ、ルーク。いえ、そうしましょう。その方が色んな知恵が出せて良いわ」

「……っ!」


 怒りに拳を震わせるルークを背にセリーヌは侵入者へと微笑む。男は意外な展開に肩をすくめた。


「……なんだかよく分からねぇが、武器を取らずに話が通じるのはありがたい。じゃぁまた、俺は明日この時刻に来るぜ。……裏切るなよ」

「分かったわ」

「……良い度胸の女王様だ。俺はスズカだ。じゃぁな」


 男、スズカは窓枠まで身を引くと、振り返りぐいっと身を乗り出した。見送ろうと彼の背を追っていたセリーヌと距離が縮まる。避けようもなかった。男の太い腕がセリーヌの細い腰を抱き寄せ、唇同士が重なる。


「セリーヌ様! 貴、様……っ!」


 大きく足を踏み出したルークの体が大きくよろける。頬に触れた乾いたスズカの指先やキスの余韻よりも、セリーヌにはそちらの方が気がかりだった。思わずスズカの胸を押し除け、ルークのもとへと駆け付ける。


「ルーク!」

「ふっ。お熱い主従愛だな」


 唇を指先で擦り、スズカはひらりと窓から飛び降りた。そこは断崖絶壁の筈……。

 膝を折ったルークが悔しそうに唇を噛むのをセリーヌは見た。顔を上げて「衛兵!」と叫びかけた彼の上から伸し掛かるようにして抱きしめる。


「今は待って頂戴、ルーク!」

「しかし!」

「……考えがあるの。ね、お願い」


 この従者が、自分にだけは甘いのを十分にセリーヌは知っていた。


「……明日だけです。明日次第ではすぐにでも兵を海下層へと向かわせます」

「それで良いわ。ありがとうルーク」


 子供のように素直に喜ぶ年下の女王を、ルークは跪いたままでただ片手で抱きしめた。 

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