冷え切った夫婦は高校時代に戻ったから、無関係で生きるはずが
事実は小説よりも奇なり。
わたしは、気づけば、高校時代に戻っていた。売れない作家として生活していたわたしは、ある日から大願成就のための渾身の力作に全生命をかけて、筆をとって籠もっていた。
そして、その作品はもう少しで完成まで書けていた。
だが、わたしは、おそらく、そこで——。
左胸を抑えて、わたしは過去を顧みるのをやめた。
年齢なんて関係ない。
わたしは、書かねばならない。
◇◇◇
わたしは、その日、死んだ。東京の小田急線で、列車を待っていたところを、背中を誰かに押された。誰かは分からないけど、通り魔かもしれないし、知人なのかもしれない。つまりは、もう分かりようもないことだ。
でも、わたしは、気づけば、高校時代に戻っていた。
若くて、ハリのある肌で、カラダが軽くて、可愛かった。
若い頃のわたしは、小説に酔っていた。小説こそが人生のすべてだと思っていた。芸術至上主義で、若い時に出会った彼こそが文豪だと信じていた。
わたしは文芸部で高校生作家だった彼に一目惚れしていた。若かったのだ。おそろしく若かった。
彼は出席してこなかった。
男子高校生ラノベ作家として、一時期一世を風靡するドラマも書いた彼は、全然登校してこない。別に、元夫でも興味はないけど。
わたしは、やり直すんだ。本当は彼に賭けたい気持ちもあったし、そのために発破をかけたりもした。でも、彼はいつまでも執筆はせず、その日暮らしの生活。いや、わたしがいなければ、生活費もままならない生活だった。
わたしは、彼に期待はもうしない。わたしはわたしで、わたしなりの文学を書くんだ。このやり直しもきっと、そのための機会なんだ。
でも、一応、最後の誼として、彼が書いた作品だけは、残しておいてあげよう。何度も読まされたし、文章のだいたいを覚えている。きっと、生活費の足しにはなるだろう。
『エデンスリーパー』なんてコテコテのライトノベル、よく読んだものだ。作家だったら、当時は誰でもよかったのかもしれない。
記憶から出来上がった彼の著書は、一応、彼の家の郵便受け入れてあげた。
◇◇◇
死の間際の原稿を書き直しおいて、わたしは、それを出版社に持ち込む準備をしていた。学校なんてどうでもいい。かつても結局作家として生きたのだから。作家とパートだけの生活。学歴なんていらない。大学まで、妻と一緒に通ったがもう必要ない。
わたしは、ただのしがない職業作家。
原稿を出す前に、ふと自宅の郵便受けを覗くと、わたしの処女作、つまりは黒歴史があった。
天国から追放された死神が無双するだけのありきたりなストーリーの作品だ。当時は、これを自慢しまくっていた。愚かだった。あまりにも愚かだった。
文学とは、とても言えない子ども騙しだった。ストーリーとキャラばかりの深みのない時間潰しの作品だ。
だが、わたしは、さっきまで書いていた作品を出版社に持っていくのをやめた。文学とは時期も大事なのだ。それに、一作も出していない高校生が、こんな分厚い作品持っていっても受け入れてくれないと理性が言っていた。
このシリーズを完結させてから、でも遅くない。私の頭脳には、エデンスリーパーシリーズの全てが詰まっている。
◇◇◇
彼はエデンスリーパーで、男子高校生作家としての地歩を固めていた。1回目の人生と同じ、幼稚な文章力で、ストーリーとキャラ設定だけで、ラノベ業界を邁進していた。
彼は学校に来ないので、彼と関わる機会はない。
わたしも彼も愛は冷めていて、ただのビジネスパートナーのようなものになっていた。
学校という接点がなければ、二度と交わらないと思っていた。
わたしは女子高生作家としてデビューした。『見上げればジンベイザメ』という恋愛小説だ。
『ある日、空に、ジンベイザメが飛ぶようになった。女子中学生だったミヤマエは、そんなこともあるか、柔軟に受け止めていた。それよりも、クラスメイトのホシジマくんとのデートが、一大事だった。ジンベイザメが日本のどこを泳いでいようが、ソレってわたしに関係あるかなーーーー』
できるだけエモくしようと必死に考えた。わたしも、以前よりも純文学志向ではない。大衆小説、娯楽の大事さも受け入れている。
ジンベイザメは水族館の目玉の一つだ。空に浮かべればシュールだ。マグリットの絵画のように。ジンベイザメは特に水中と変わらずに生活するだけ無害なギミック。世間は大騒動するけど、若い2人はそれを風景のように受け入れる。
それはさておき、わたしは同じ学校からの二人目の作家となった。彼は中退か留年確定コースを爆進しているけど。
で、出版業界の人は、こういうところに目敏く気づき、対談を組みたがるのだ。同じ学校の高校生作家同士の対談。
特に話すことなんてないのに。だいたい、2人とも中身40歳超えてるの。若さなんて知らない。青春小説は、近くにいい教材がいっぱいだから書けたけど。
◇◇◇
わたしは、ヒスズミ出版の会議室に来た。彼女とは、何ヶ月ぶりだろう。お互いに関わらないように生きてきた。彼女に過去の記憶があることは、彼女が作家になったことから分かった。彼女は、わたしに何回か自分の小説を査読させた。懐かしい文体で、特に起伏がないのに、優しくて穏やかなストーリーを好んでいた。
「クジラじゃなくて、ジンベイザメなのが良かった」
「クジラよりサメのほうが飛びそうでしょ。それにジンベイザメはいい形してる。クジラは気球みたいじゃない。」
「ジンベイザメは、空気のような存在として、若者は簡単に受け入れる。ちょうどスマホを簡単に受け入れるように。でも、大人たちは世界が激震したかのように慌ててしまう。常識があるから」
「出来事は出来事自体じゃなくて、それを誰が、どう受け取るかでできてると思うの。」
「たとえば、若い世代が全員、中にクジラが見えると一斉にSNSに書き込んだら、って想像する、僕はね。きっと大人たちはふざけていると思う」
「魔王のようね。」
「以前センスは、0と1で説明する文を見たことがある。けど、存在が認めれないものは、0とは認識されない。0と1は、その状態を両方理解しないと存在しない二項対立だ。だから、幽霊のようにクジラは世界を二分する」
「わたしはね、そういうふうに書けないし、書かない。ジンベイザメは、無害で、ただエモい風景のようにそこある。」
「水族館で鑑賞するように」
「そう。」
「タイムスリップも、ただの恋愛のギミックか背景になる」
「恋愛小説を書きたいならね。」
「僕は、もっと争いとか他の葛藤が欲しい。パンのためだけに生きるわけにはいかないし、愛だけのために生きるわけにはいかない」
「人間だからね。」
わたしは、空を見上げた。雲がある。いつもの風景だ。変化しているのに、もう興味をそそられない。連続性の意味を見いだせない。
雲を見ないように、ジンベイザメを見ない。
当たり前になってしまったら、見なくなる。今度、水族館にでも行くか。
◇◇◇
ホエールウォッチングを小笠原諸島で、わたしはしていた。クジラはやっぱり全体像が見なくて、不気味だ。
クジラは、なんだか怖い。大きさもそうだけど、その悪びれもなく、いろいろ壊していそうな感じが。一粒の麦となり、クジラの死骸は海の中で重要な役割を果たすそうだ。
ああ、なんだかなぁ、人生2週目でも、結局、夫の影響受けてるかな。
わたしは、わたしだから。
◇◇◇
わたしは、どうして文豪になろうと、なれると思っていたのだろう。
海に比べて、小さな水槽の中で、2匹のジンベイザメが旋回している。どっちがどっちを追いかけているのだろうか。
時間は経っているのだろうか。わたしは、背もたれのない椅子に座って、魚群達を眺めている。
わたしは、この水槽が壊れる想像をする。
小さな調和が大きな調和に変わるために。
けど、こういうのも眺めていると悪くない気分になってくる。
惰性だろうか。停滞だろうか。
新作は、前のように妻に査読してもらおう。
わたしは、彼女を信頼している。ただそれだけだ。




