7. 廃棄王女、人知れず王都を出る
「月花宮もこれで見納めね」
エドガー伯爵と少数の家臣だけに見送られ、私達は月花宮を後にしました。
十名程の騎士に守られながら、三乗の馬車が小さな城門へと向かう。なんやかんやと理由をつけられ、正門を使わせてもらえなかったからです。
その為、私は僅かな手勢で人知れず、小門を潜り抜けて城を出ました。大国の王女とは思えない、何ともわびしい旅立ちです。
「まるで夜逃げみたいね」
思わず今の状況に、私は自嘲を溢しました。
私は本当に、この国の王女なのでしょうか?
さすがに平静を装っても、この扱いには暗澹たる気分になるのは否めません。
「こんなのあんまりです!」
同乗しているマリカは怒りを隠そうともしていませんが。
「お父様にはずいぶん嫌われたものね」
いえ、嫌われているのを通り越して、憎まれていると思うべきでしょうか?
「メディア様は、これまでお国に尽くしてこられたのに」
「お父様は知らないもの」
私の献策は全てエドガー卿が代わりに奏上していたのです。それを知るのは僅かな人達だけです。
「これも安易な手段に走り、お父様ときちんと向き合ってこなかったツケかもしれないわね」
王都の中の舗装された路をガラガラと進む馬車。
カザリアの王都アレントは、王城を中心にした綺麗な円形の城郭で街を囲んでいます。その城郭の内側には、五十万を超える人々が暮らしています。間違いなく東方諸国最大の都市でしょう。
ここには私の想像も及ばない、数多の人々が息づいている。彼らはただの数値ではなく、確かに生きているのです。交易の要所でもあるアレントは東西南北に大門を構えており、私達を乗せて三乗の馬車と護衛の騎馬が連なって街道を南下して行く。
車窓にかかる帷帳をそっと持ち上げ窓から外を覗けば、このちょっとした小集団に道を行き交う人々は何事かと驚いているのが目に入りました。
「この国の平穏を守っているメディア様に対してなんて恩知らずな!」
侍女のマリカは私が国策に関わっていたのを間近で見ていました。だから、私が他国へ嫁ぐ事に無関心な彼らに憤りを感じてしまったようです。
「彼らは何も知らないのだから怒るのは理不尽よ」
「今のカザリアがあるのは全てメディア様のお陰なのに」
悔しそうに顔を歪ませるマリカは本当に私の事を第一に考えてくれる良い侍女です。私にはこれだけで救いです。ですが、彼らはこの馬車の目的など知りようもないのです。もしかしたら私の存在自体知らないかもしれません。
王族と平民にはそれほど隔たりがあるのですから。
「呑気なものです。メディア様がいなければ今頃はシュラフトも陥落し、このカザリアも戦場に……いいえ、帝国に蹂躙されていたかもしれないのに」
「彼らに罪は無いわ。貴族でさえ私の業績を知る者は殆どいないのよ。もしかしたら、彼らは私の存在自体知らないかもしれないわね」
政治なんて今日を生きる彼らにとって雲の上の出来事。国民にとって王族など空想上の生き物にも似たものなのでしょう。
「むしろ、彼らに知られず国の平穏を守る事こそが善政なのよ」
「私はメディア様の凄さを世に知らしめたいです」
むくれるマリカが可愛らしくて私は思わず笑ってしまいました。
「真に良き為政者は政治に頓着しない国民が平和で豊かな時間を過ごせるように心を砕くものよ」
自然と地から声が沸くように善き評判が立つのなら誇るべき事ではあります。ですが、自ら善政を吹聴するのは間違いだとはっきり言えます。
「メディア様のご自分を誇らないお人柄は美徳だとは思います。でも、メディア様の功績が広く知られていれば今回の無茶苦茶な政略結婚は起きなかったのではありませんか?」
「それは……否定できないわね」
私に盛名があれば他国へ嫁がせる事に反対の声が上がったでしょう。そうなればお父様も迂闊に私を追い払えはしなかった。
「やっぱり私はこんな仕打ち許せません!」
「マリカが私の代わりに怒ってくれる……それだけで十分よ」
マリカが、月花宮のみんなが私を知ってくれている。それが私の救いであり誇りなのです。
「ロオカがメディア様にとって良い土地である事を祈るばかりです」
「さて、それはどうでしょうね」
なにせ私は招かれざる客なのですから。
ロオカからすれば大国から押し付けられた婚姻です。ギルス殿下が噂通りの人物であれば私を煙たく感じるのではないでしょうか。
馬車は城郭を抜けて街道を南下していく。これから向かう地で私を待ち受けているのは絶望か希望か。
時間と共に生まれ育った場所が離れ新たなる地へと近づいていく……多くを失った寂寥感とこれから起きる難事への言いしれぬ不安で押し潰されてしまいそう。
窓から外を眺めれば、低木に咲く可愛らしい白い花が目につきました。
――アセビ
それはエドガー卿が私に残した最後の言葉。
ロオカ王国で注目しなければならない花達。
「ダリア、月桂樹、カルミア……そして、アセビか……」