37. 廃棄王女、苦い初恋を知る
「それでは、ヤウロ伯爵は前々からカザリアに協力されておられたのですか?」
私が問うと、ヤウロ伯爵はちょっと驚いたように目を瞬かせてから頷かれました。
「ええ、そうですが……聞いておられなかったのですか?」
「はい、父は出立に際し私に何も教えてはくれませんでしたので」
ギルス殿下が嫌がらせを企てた夜会から数日後、私はヤウロ伯爵の屋敷を訪ねました。今のロオカにおける帝国とカザリア、そしてサメルーンを初めとした周辺諸国の勢力関係を知っておきたかったからです。
もちろん、シャノンを通して梟からも情報は得てはいましたが、情報は多角的な視点から分析するべきでしょう。実際、ヤウロ伯爵から新しい情報も得られました。
そんな情報交換をしている中で、カザリアとの使者の往来について、それとなく触れてみたのです。ところが、予想に反してヤウロ伯爵はあっさりと事情について語ってくれました。
「殿下もご存じのとおり、我が領はロオカで最もヴェルバイト帝国に近い場所です。帝国の脅威はロオカの中で誰よりも切実に感じているのは私でしょう」
「侵攻してくれば真っ先に戦場となるのは伯爵の領地。伯爵としても気が気ではないでしょう」
「もっとも帝国が攻めてきた段階でロオカの滅亡は必定。どこの領地であろうと滅びるのは早いか遅いかの違いでしかありませんがね」
ヤウロ伯爵は口の端を僅かに上げ、苦笑いされました。今のロオカのまずい状況を伯爵は誰よりも痛感されておいでなのでしょう。
「シュラフトかストラキエが攻め落とされれば、帝国は一気呵成に東方諸国を侵略するでしょう」
「伯爵の推察どおり、その二国のどちらが陥落しても東方諸国に勝ち目は無くなります。帝国が瞬く間に大陸の地図を塗り替えるのは疑いようがありません」
「そうなれば次は南方諸国に帝国の手が伸びてきます。つまり、帝国がロオカに侵略してくる時はもはやロオカに抵抗する術は無いのです」
どうやら、伯爵はロオカの誰よりも帝国の事情や戦線の状況を把握されておられるようです。
「また、東方諸国が勝利したとしても、戦争に協力しなかったロオカが南方諸国で今までの地位を維持するのは難しいでしょう」
「おそらく東方諸国の主だった国はロオカを恨んでいます。南方諸国の覇権争いにロオカは盟主の座から引き下ろされるのは間違いありません」
また、帝国が侵略してきてもロオカは役に立たないのですから、東方の主だった国がサメルーンなど他の国を優遇しようとするのは自然の流れでしょう。最悪、ロオカは完全に攻め滅ぼされる可能性さえあります。
「だから、帝国に対する施策をジョルジュ陛下にずっと具申していたのですが、デュマンともども重い腰を上げてはくれませんでした」
ロオカの中央貴族はとても楽観的です。嵐が過ぎ去るのを待つように、帝国と東方諸国の戦争もじっと息を潜めていればよい。そんな甘い考えが王都には蔓延しております。彼らには目の前の平和しか見えておりません。
こんな状況で貴族達を説得して戦争に持ち込む気概が、ジョルジュ陛下にもデュマン卿にもなかったのでしょう。
「だからと言って、手をこまねいていても我らの滅亡は避けられません」
「そこで我がカザリアと通じて、帝国に対抗しようとなさったのですね」
「ええ……もっとも一領主でしかない私がいくら足掻いても、強大な帝国相手では蟷螂が斧を振りかざすが如しですが」
伯爵の自嘲気味な笑いに、これまでのご苦労が偲ばれます。
「ですが、全てがまったくの無駄というわけではなかったようです。こうしてソレーユ陛下はあなたという希望を遣わしてくださったのですから」
ヤウロ伯爵の期待のこもった目を向けられ、とても心苦しくなって私は曖昧に笑う。なんせ私はお父様に送り込まれた生け贄なのです。それもロオカを破滅させるための。とても本当の事は打ち明けられません。
「非才の身ではありますが、ロオカから帝国の脅威を取り除くため尽力する所存です」
ですが、私は帝国の侵略から東方諸国を救いたい。だから、お父様の策謀を唯々諾々と受け入れるわけにはいかないのです。その為にもロオカも救わねばなりません。
それこそが、帝国に対抗する為の唯一の手段であると私は信じているから……
ヤウロ伯爵との会合を終え屋敷を出ると、ユイリーが馬車の前で待っていました。目で合図を送り共に馬車に乗り込む。御者台に行ってと指示を出せば、数瞬遅れで馬の嘶きが聞こえ、車体がゆっくり動き出しました。
向かい合って座るユイリーは、連れてきた侍女の中では最年少。今年で十五歳になったばかり。
まだ幼さの残るあどけない容貌ですが、頭の回転は早く如才なく立ち回れる優秀な子です。直感と能力でゴリ押しする感覚派のマリカとは正反対ですね。
「マリカはまた散歩?」
「はい、デュマン卿がカルミアである証拠を見つけるんだって張り切っていましたから」
仕方のない先輩ですとユイリーが肩をすくめた。
「メディア様もデュマン卿がカルミアだと思われておられるのですか?」
「そうねぇ」
この間のマリカの指摘は的を射ていたし、現時点でデュマン卿が一番疑わしくはあります。
ですが、私にはどうにも違和感が拭えません。ジョルジュ陛下と二人三脚で長年ロオカを支えてきた忠臣の姿と、野心家の花言葉を持つカルミアの姿が結びつかないのです。
「最有力候補ではあるけれど決め手が無いってところかしら」
「やはりメディア様は今でもシヴァ王子をお疑いなのですね」
シヴァ殿下との会話の中で、私には彼とカルミアが被っているように感じました。シヴァ殿下こそカルミアであると腑に落ちたのです。
「完全に勘だけど、私にはそう思えるの」
こんな直感頼りではマリカのことを笑えませんね。
「そう言うユイリーはアル様を疑っているの?」
「アルバート殿下の行動はあまりに矛盾しています」
「そうね、あなたの指摘は正しいわ」
ロオカの未来を憂いていながら、アル様は私に近づき過ぎています。これでは私とギルス殿下の婚姻を破談にさせようとしていると疑われても仕方がありません。
そうなればロオカはカザリアによって滅ぼされるでしょう。それがお父様の策略なのですから。それは以前に説明しておりますので、アル様も重々承知しているはずです。
「それでも私にはアル様がロオカを裏切るとは思えないのよ」
「メディア様はとても理知的なお方だと思っておりますが、アルバート殿下に対してだけは情に流されておられませんか?」
「そんなことはないわよ?」
私はちゃんと客観的視点をもってアル様を誠実な方だと判断している……はずよね?
「失礼を承知で申し上げますが、現在メディア様は恋は盲目状態であると言わざるを得ません」
「な、な、何を言うの!?」
マリカ達三人娘ならともかく、理性的なユイリーまでそんな妄言を口にするなんて。
私がアル様を?……そんなまさか……あり得ません。
「違うと断言できますか?」
「も、もちろんできるわよ」
「では、目を閉じてアルバート殿下の姿を思い浮かべてください」
言われたとおり目を瞑ると、瞼の裏にアル様の優しい笑顔が浮かびました。それは甘く私に向けられる微笑み。なぜか私を映す瞳には蕩けてしまいそうなほどの熱が込められていました。
途端、私の心臓が破裂するのではと思うほどドクンと拍動する。きゅうっと締めつけられるようで胸が痛い。急速に血が頭に上り、私は思わず両手で頬を覆いました。
「その反応が全てを語っております」
「う、うそ!?」
すごく頬が熱い。きっと私は真っ赤になっているわ。
「わ、私がアル様を?……だって、そんな……オスカー様と別れてまだ月日も浅いのに……」
私がこんなに浮気性な女だったなんて!?
「恋と愛は違います。オスカー様とは政略による婚約でしたから、恋する段階を経ずゆっくり愛を育まれてしまっていたんです」
「それじゃあ、今のこのアル様への気持ちは?」
私が不安そうにユイリーを見れば、彼女は苦笑いを浮かべていました。
「それが恋心です」
「ウソ……」
私はアル様に今まで無自覚に恋をしていたようです。一度意識してしまうと、頭の中がアル様に侵略されてしまいました。
オスカー様と育んできた愛情は春の木漏れ日のような穏やかさでしたが、アル様への想いは夏の苛烈な陽射しのよう。
「こんなのが恋だなんて」
「まさかメディア様が初恋を経験されておられなかったとは思いもよりませんでした」
十九年生きてきて、初めての経験にどう反応して良いやら。私は顔を覆って項垂れました。
私がロオカへ来たのはギルス殿下に嫁ぐため。ですから、アル様とは結ばれることは絶対にありえないのです。それなのに、私がアル様に懸想してしまうなんて……この想いが一時の気の迷いであってくれればと願わずにはいられません。
普通の娘なら恋とは時には甘酸っぱく素敵で、時にはほろ苦くも甘い体験。ですが、私の場合は完全に苦り切った悪夢です。
普通の色恋沙汰ならさっさと失恋したと、気持ちを切り替えれば良いのでしょう。ですが、この想いはどうにも自分の理性では制御不能なようです。
初めての経験に私はただただ途方に暮れてしまいました。




