呪いの十円玉。
田中が錢包を確認したところ一圓玉が三枚、百圓玉が零枚、千圓札が零枚、一萬圓札も零枚、ということに気付き、合計したら三圓。おれは三圓しか持っていないのだなあと哀れな声を出してみるものの、援助してくれる人間は誰も現れなかった。田中は幼少期を中流家庭で過ごしてきたこともあり、金銭感覚がほんの少しだけ周囲とズレていた。端的に言うと、かなりの浪費家だった。その所為もあり、宵越しの銭は持たぬという時代遅れの江戸っ子気質な男になっていた。そんな田中は酒に酔っている訳もなく(当然ながらそんなものを買う金銭的余裕等はない)素面であるにも関わらず、どうしてか千鳥足になりながら帰路に着いてた。時々、しゃがみこんで自販機の小錢入れに手を伸ばし、そこに金がないことを確認してから、恥を捨て、膝を曲げ、自販機の下を覗き込んだりしていた。よくゲエムセンターでこういう行動をしたものだ。手を入れて、ゴソゴソとまさぐると、奇跡的に十圓玉を発見した。三圓しか持たぬ田中にとっては貴重な金だった。帰りに饂飩くらいなら買えるかもしれぬ、天にも昇るような気持ちで田中がその十圓玉を背広の内側に入れるとその瞬間、意識がグラつき、彼はその場に倒れ込み、本当に天に召された。咒いの十圓玉。そんなものが世の中に本当に實在しているとは。中流家庭育ちで世間知らずな箱入り息子だった田中はその存在を知らずにいた。何でもかんでも己の口の中に物を入れてしまう赤ん坊のように、彼は咒いを背広の内側に入れてしまった。自ら災難を招き入れたのだ。冷えた寒空の下、おでん屋は繁盛している。これはそんな年末の御話…………。
テーマ『近代文学風』