素直になりたい彼女 side:フレイヤ
カポック領から帰ってきて、翌日。
殿下と共に王都まで一度帰り、お兄様に報告を済ませてから私とユーリはベロニカ領に戻ってきている。ひと月近い日程だったけれど、こちらで残りの春季休暇を過ごせるくらいの余裕はある。
慌ただしくも移動ばかりの帰路に体はすっかり凝り固まってしまっていたようだ。昨日は家に帰ってきてすぐに寝てしまった。
ユーリも帰りは疲れていたのか、行きほど落ち着きなく動き回ることもなく馬車の中でうつらうつらと船を漕いでいることのほうが多かった。
結局、ローラがユーリに想いを伝えたことについては聞けていない。
ユーリが私のことを好きなのは知っているし、ユーリのことだ。ローラの思いを聞いてもそれが真剣なものだということに気づいていない可能性もある。ある、と思うけど、もしかして何かの間違いで、ローラへと気持ちが揺らいだりなんてこと、ない、わよね?
……やっぱり、何かしらの形でユーリとの関係に名前が付けられたらこんなふうに思わなくなるのだろうか。私がちゃんと気持ちを言葉にすればいいのだけれど、それはそれでまだ勇気が出ないというか……10年近く抱き続けた結果、言おうとすると言葉と想いが渋滞してしまう。
少しだけ、ほんの少しだけ不安に思う気持ちもあって、早くユーリに触れたかった。滞在中はふたりきりになることはほとんどなく、帰りの馬車もご覧の有様だったから触れられないままだった。そもそもリタも同じ馬車に乗っていたのだから、甘い雰囲気なんて期待していなかったけれど。
でも、ちょっとくらい、その、手を……繋いだり、とか。
もたれかかって寝てくれてもいいのに、ユーリは壁や窓際を枕にして寝ることのほうが多かったし、挙げ句には腕を組んで寝てしまっていた。せめて腕は下ろしていてくれればちょっとくらい触れられたのに。
「お嬢様、本日のご予定はいかがなさいますか」
「休みだもの。ゆっくりするわ」
本当はユーリを誘って庭でお茶をしたいけれど、帰ってきてすぐに誘うのはためらわれる。
「でしたらお茶をお淹れしましょうか」
「えぇ、お願い」
「あぁ、ついでにクッキーを焼きましょう。明日にでもユーリ様がいらっしゃるでしょうし」
「……なんでユーリが来るって思うの」
さも当然と言わんばかりのリタに思わず顔を上げた。当のリタはいつもと変わらない、背筋をぴっと伸ばした姿勢のまま首だけを少し傾げている。
「ユーリ様がお嬢様にお会いしたいから、でしょうか」
「え……」
「長年おふたりを見てきていますからね。おふたりが何を考えているかはわかりますよ」
くすくすと笑いながらリタが部屋を出ていく。
残された私はただリタの出ていった扉をぽかんとした顔で見続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
「フレイヤ様、おはようございます」
リタの言った通りにユーリが我が家にやってきた。
「おはよう、ユーリ」
「昨日1日、ゆっくり休めましたか?」
「えぇ、ユーリもしっかり休養できたようね」
ユーリの家へと送りに行った時は顔が疲れていたが、今は血色もいい。いつものようににこにことした笑顔だ。
「恥ずかしながら、昨日は1日ベッドから起きられなかったんです。なのでフレイヤ様にお会いするのが1日遅れてしまいました。すぐお会いしたかったんですが」
照れたように。でも嬉しそうにユーリが言う。頬を少し赤く染め目尻を下げているユーリに胸がぎゅっと鷲掴みにされた。
ソファーにふたり並んで座っている今この状況が私の思考を乱しても仕方ないと思う。手を伸ばせば触れられる距離に、愛らしい表情でかわいいことを言う愛しい相手がいるのだもの。手を出さないなんて無理だ。
頭の中で言い訳はしていても、ほとんど反射的にユーリに手を伸ばしていた。
「ユーリ――」
――コンコンッ。
あと少しで手に触れられるというところでノックの音が部屋に響いた。何も気づいていない様子のユーリが扉を振り返り、私も慌てて姿勢を正して入室の許可を出した。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
ワゴンにお茶を乗せたリタが部屋に入ってくる。……危ない。血迷って客間でユーリを抱きしめるところだった。お父様たちにも私とユーリの関係が知られているとしても、他人が出入りできる場所で触れ合うのは貴族令嬢としてはしたない行いだろう。
伸ばしかけた右手を左手でぎゅっと握りしめ、リタがお茶を用意してくれているのを見守る。昨日用意すると言っていたクッキーも一緒に机に置かれた。横に座るユーリの目が輝いている。
「わっ、リタさんのクッキーですか?」
「えぇ。ユーリ様がいらっしゃるかと思いまして、用意しておりました」
「ありがとうございますっ!」
……私に会いに来たはずなのにクッキーに対してのほうが喜んでないかしら?
「ふふっ、ユーリ様は相変わらずでございますね。ごゆっくりお過ごしください」
楽しそうに笑いながらリタが部屋から出ていった。またふたりきりの空間に戻ったけれど、なんだか釈然としない。先ほどまでの甘い雰囲気が霧散してしまった。横を見れば嬉しそうな顔でユーリはクッキーを頬張っているし。
「フレイヤ様、食べないんですか?」
じとっとした目で見つめ続けているとユーリが不思議そうにしながらこちらを向いた。口の端にはクッキーの欠片がついている。
「ユーリ、ついてるわよ」
手を伸ばし、欠片を摘み取る。そのまま無意識に指を舐め取った。
本当に無意識だった。あえて言うならば、ローラと過ごしたからだろうか。貴族令嬢らしからぬ行動ではあるけれど、幼い頃から知るローラとだとどうしてか普段ユーリがするような仕草をしてしまうことがあった。よくユーリがルイスにしているのを見ていて、それをローラにすることで妹への憧れを満たしていたのかもしれない。
「ふ、フレイヤ様……?」
顔を真っ赤に染め、さっきまでクッキーの欠片がついていた頬を押さえたユーリを見てやっと我に返った。
同時に一気に私の顔も熱くなる。
「べ、別にそういう意味じゃ……」
「い、いえ、その、ありがとう、ございま、す」
何がそういう意味なのかは口走っている私自身もわからない。お礼を言うユーリもユーリだと思う。あぁ、ユーリは間違っていないか。どうにも頭の中が混乱している。
「…………」
「…………」
顔が熱い。顔だけじゃなくて耳や首筋まで熱を帯びている。ちらりと目を横にやればさっきまで嬉しそうにクッキーを食べていたユーリも私と同じくらい真っ赤になって俯いていた。ふと、彼女の視線がこちらを向く。ばっちり目が合ってしまった。
「え、っと…………」
「…………ユーリ」
潤んだ瞳に突き動かされ、そっと右手を差し伸ばした。一瞬だけ驚いた顔をしたユーリがはにかみながらも私の手を受け入れてくれる。
そしてゆっくりと私のほうへと近づいてきて――
――コンコンッ。
急いで離れた。
「ど、どうぞ」
裏返りそうな声を咳払いでごまかしながら再度入室の許可を出した。だから、客間でユーリと触れ合おうと思ってはいけない。誰がいつここに来るのかなんてわからないのだから。…………でもユーリだってお客様なのだから何度もノックで邪魔しないでほしい。
「やぁ、ユーリ。久しぶりだね」
そう言いながら入ってきたのは私のお父様ともう一人。
「フレイヤ様、ご無沙汰しております」
ユーリのお父様だった。




