フレイヤ様のお兄様
ピンと張り詰めた空気の中、視線をちらりと横に向けてみる。相手からの反応はなし。反対側へもちらり。こっちも何もなし。
もう一度前へ向け、目の前に座る相手を見てみるけど、こちらからもこれと言った反応はない。ただニコニコと何か楽しそうな表情を浮かべているだけだ。
左右のふたりは味方のはずが誰も味方になってくれないし、状況は刻一刻と……悪化もしてないね。ただ私が嫌な汗をかいてるだけっぽい? この場にいる私以外はいつも通りに澄ました顔をしてる。これだから貴族ってやつは……なんでそんなに平気そうな顔できるんですかね。貴族として15年過ごしてても未だに慣れない。
「それで、ユーリさん」
目の前の敵――もとい、楽しそうな笑みを浮かべているフレイヤ様のお兄様、アイザック・ベロニカ公爵令息の声に肩が跳ねる。
「はい」
上ずりそうになる声をなんとか平坦に抑え、返事をしてみるけど……どうだかな。ちょっと掠れた。
「それに、殿下。本日はどういったご用件で?」
それは私も聞きたいところです。
◇ ◇ ◇ ◇
「……そんなに心配なら、その、一緒に行く?」
その言葉の意味するところは何だろうか、と思考が空回りしていた。「一緒に行く」とは? そのままだね、私も一緒に辺境伯領の視察にお供するか、ってことだろう。
「…………なぜ?」
ぐるぐる回る頭の中とは裏腹に、口からは至ってシンプルな疑問が飛び出てた。
「なぜ、も何も。心配なのでしょう? 一緒に行けばいいじゃない」
そんな、どこぞのアントワネットさんみたいに言わないでも。
至って真面目に、至極不思議そうに言うフレイヤ様に私のほうが「訳がわからない」という顔になっていると思う。事実、わかってない。
「えぇっと……お仕事、なんですよね?」
「えぇ。それも王家とベロニカ公爵家の、ですわね」
「そんなところへ子爵家の、それも変わり者だと言われてる私が行ってもいいものなんですか?」
「さぁ。そこは殿下と、それからお父様にお伺いしないことには。でも、私は……その、一緒に行ってほしい、と思ってますわ」
「んふっ」
変な声が出た。
やばい。かわいい。上目遣いで、しかも子どもっぽく駄々をこねるフレイヤ様がかわいすぎてどうしていいかわからないんだけど。とりあえず抱きしめていいですかね。いや、ここ学校だわ。ダメだわ。
正直、行きたい。一緒にいたいし、そんなことはないとわかっていても王子とフレイヤ様をふたりにはしたくない。実際は従者もたくさんいるだろうから完全なふたりきりではないにせよ、そうしたくない。それに政界のあれやこれやに巻き込まれてもしもフレイヤ様がお妃様候補になんてなったら――そう考えるとできることなら王子に近づけたくない。王子にその気はなくても、周りの大人はわからない。ましてや王様やフレイヤ様のご家族はもしかしたら望んでいるかもしれない。
自分がしがない子爵家の令嬢でしかないことが悔しい。
本来なら決して届くことのない、祝福されるかもわからない関係になってしまったのだということが申し訳ない。
複雑な心境が表に出ていたのか、気がつけばフレイヤ様が呆れ顔に戻っていた。
「ここまで言っているのに、一緒に来てくれないの?」
「行きます」
…………断るなんて初めからできるわけないんですよねぇ。
◇ ◇ ◇ ◇
ってやりとりがあって気がつけば王都にあるベロニカ家のタウンハウスに連れてこられていたわけなのですが。
そしたらなぜか王子までいて、私は今左右にフレイヤ様と王子、正面にフレイヤ様のお兄様という謎な状況に陥っているわけですね。うん、どうしてこうなったのか全くわからない。
相変わらずのピリピリした空気の中、やっと状況が動いたのはフレイヤ様の一言だった。
「お兄様、今度の視察にユーリを護衛として連れて行こうと思っています」
おぉー……それは初耳。え、私、護衛枠だったの? それは許されるやつ?
「……フレイヤ、ユーリさんは確かに腕が立つ。でもベロニカ家だけでなく、王家の護衛にするには力不足なんじゃないかな?」
至極ごもっともなアイザックさんの指摘にフレイヤ様はというと――
「何も殿下も含めた護衛にとは思っておりませんわ。私専属の、です」
なんてしれっと言ってのける。
「それだって、ユーリさんは子爵家令嬢だ。まがりなりにも他家の令嬢を勝手に護衛として雇うことなんてできないよ」
「勝手ではありませんわ。ちゃんと、お父様やおじ様にも許可を取りますもの」
「今ここでは私が父上の名代だよ。ユーリさんのお父上が許可しても私は許可を出せないな」
フレイヤ様の押せ押せドンドンな屁理屈をアイザックさんは飄々といなし続ける。なんだろう。空気がどんどん冷えていってるような……ふたりとも表情を変えないのに、空気だけがピリピリ感が増してるんだけど。
背中がぞわぞわするような、足元から来るような冷気を感じながらおろおろと状況を見守るしかない私。一方で左隣に座る王子はどこか楽しそうにベロニカ兄妹のやり取りを見守っている。……てかこの人なんでここにいるの?
「――それに、護衛なんて言わなくたって初めからそのつもりだったんでしょ?」
唐突に発せられたアイザックさんの言葉にフレイヤ様の動きがぴたりと止まった。そしてじわじわと顔が赤くなっていく。
さっきまでのピリピリが霧散したことと、アイザックさんが言った『初めからそのつもり』ってなんだろう、と首を傾げる。左側から押し殺したような笑いが聞こえる気もするんだけど。なに?
よくわからない状況にさらにアイザックさんが続けた。
「別にそのことを諌めるつもりはないよ。フレイヤは言い出したら聞かないからね。でもわざわざ『護衛』だなんて危険を伴うかもしれない役を言い訳にするのはお兄ちゃん、感心しないよ」
ふぅっとため息をつくアイザックさん。その顔はさっきまでの次期公爵然とした態度からは一転、困った妹を見るお兄ちゃんの顔だ。ってか今この人、「お兄ちゃん」って自分で言ったよね? そういえばアイザックさんって――
「くふッ、そこまでにしてやれ、アイザック」
ついに堪えられなくなったのか、テオ王子が可笑しそうに笑いながら口を開いた。
「……殿下、この件には口を挟まないとおっしゃってましたよね」
「あぁ、兄妹のことには口を挟むつもりはないさ。ただ、間に挟まれたユーリがいい加減憐れになってきた。事情を知らずに巻き込まれるのはユーリらしいがな」
「まぁ、そこは申し訳ないと思っていますが」
「それに今は非公式の場だ。テオでいい」
「そういうわけにもいきません」
「相変わらずアイザックは固いな」
目の前で繰り広げられる王子とアイザックさんのやり取りに私と、それからなぜかフレイヤ様もぽかんとしている。
「えぇっと……殿下? それにアイザックさん?」
「あぁ、すまなかったな、ユーリ。アイザックは初めからそのつもりだったんだよ」
「そのつもり? えっと……………………全然話が見えてこないんですけど」
「ん? なんだ、フレイヤ嬢から話を聞いたんじゃなかったのか?」
ちょっと待って。何が起こってるのかまっっっったくわからん。え? フレイヤ様から? ってか王子とアイザックさんの関係ってそんな近いの?
こんがらがる頭を抱えながら、うーんと唸っていると、先に事情が読めたのか右側からため息が聞こえた。
「お兄様も殿下もお人が悪いですね」
「妹の相手を見定めるためさ。まぁ、昔から知ってはいるけどね。直接話すタイミングがなかったものだから、殿下にお願いしたんだよ」
そうしてにやりと笑ったアイザックさんは、目を白黒させる私にやっと全容を説明してくれた。
そもそもテオ王子とアイザックさんは旧知の仲であると。
それもそのはず、年齢は違えど次期公爵となる公爵家の長男であり、王都で暮らすことの多かったアイザックさんがお父さんの仕事に付いて王城に召されることが何度もあったわけで。そうすると必然、顔を合わせる機会も多ければ仲も良くなる。テオ王子にとってはアイザックさんが良きお兄さん的な立ち位置になっていったんだそうだ。考えてみれば私が王子やフレイヤ様と関わるようになる前からふたりは知り合いだったんだし、顔見知りどころか家族ぐるみの仲でも不思議はない。
私もアイザックさんには何度か会ったことがあったのに、すっかり忘れてたことがひとつ。
それは、アイザックさんがフレイヤ様のことを溺愛しているということ。
大切な妹にちょっかいをかけた相手を見定めるため、領地視察に同行する王子にも協力してもらってこの場を設けた、と。
幼い頃から私のことを気に入っていたフレイヤ様なら「連れて行く」と言い出すはずだということもお見通しだったようだ。
まぁそれも表向きの理由で、フレイヤ様に激甘のアイザックさんが拒否するつもりは毛頭なかった、と。
「ユーリさんのことはフレイヤや殿下から話は聞いていたし、父上たちも認めている。私がふたりのことをどうこうするつもりはないよ」
とはアイザックさんの談。
そこまで話を聞いて、さっきまでの緊張が一気に体から抜けた。だって急に好きな人のご家族にご挨拶することになったんだもん。「娘さんをボクにください!」って言う展開でもなかったけど、それくらいには緊張してた。この場合は、「妹さん」だけど。
「…………ん? お父様たちも認めてる?」
すっかり弛緩してしまった脳みそがさっきのアイザックさんの言葉に引っかかる。……というか、待って。アイザックさんもさっきから違和感なく言ってたけど、なんか――
「……私とフレイヤ様の関係をご存知で?」
「何を今更。やっと想いを告げたんだろ?」
私の疑問に答えたのはテオ王子だった。そしてその言葉にピシッと音がしそうなほど体が固まる。隣から同じ音が聞こえた気がした。
「ん? なんだ、ユーリもフレイヤ嬢も何も聞いてないのか?」
「えぇ、殿下。父上たちが何やら企んでいるようでしたし。ふたりには内緒、だったんじゃないでしょうか」
「内緒も何も。周りはだいたい知ってるだろ? そもそも、人目もはばからずいつも甘い空気を出していたじゃないか」
「……まぁ、知らぬは当人たちだけ、ということですかね」
あぁあああああああぁぁぁぁあぁぁ!!!!
今日一番知りたくなかった事実ぅうううううッッ!!!
不思議そうな王子と、困ったように笑うアイザックさんと、真っ赤になった私とフレイヤ様の間に流れた空気はさっきまでとはまた違ったものになっていた。
……これからはちゃんと周りを見ようと思った。




