答え合わせ
◆ ◆ ◆ ◆
私は校内をどこへともなく走っていた。
「はぁ、はぁ……」
普段から着慣れているドレスよりも圧倒的に走りやすい学校の制服であっても、混乱が息を乱していく。
ダンスパーティーの一件で発覚した貴族社会内の膿を出し切るために奔走したのは何もノアの父君であるサフラン伯爵だけではなかった。我がベロニカ家からはお父様とお兄様が王都と領地を往復しながらも事の後始末に追われていた。
私も微力ながら領地の運営の手伝いを行っているうちに冬期休暇が終わってしまった。ノアは常日頃からサフラン伯爵の仕事を手伝っていると聞いていたし、私にも何かできるなら、と思って名乗りを上げたのだけれど、そう簡単なものではなかった。ノアが大変そうに見えなかったのは普段からサフラン伯爵に仕込まれているからだということが身を以て理解することができた。結果として冬季休暇の間に仕事が終わらずに学校に戻ってくるのに遅れてしまったくらいだ。
そうして仕事に追われる日々を送ったのは何もお父様たちの手伝いをしたい一心だったわけじゃない。
あの時のユーリの声が、顔が忘れられない。
なのにその後に何も答えてくれないのは、勝手に期待しているだけだったのではと思うのに充分だった。私が勘違いしただけ。私の想いが届いたのは泡沫の夢だったのではないか、と。
一度そう思ってしまうと不思議なもので、ダンスパーティーの直前までの浮かれ具合やあの言葉を聞いた瞬間の幸福感が嘘のように消えてしまい、終いにはこうやって向き合うべき相手から逃げて走っているわけだ。
「…………何を、やってるのかしら」
気づけば中庭から外へ出て、小高い丘の上にある木の下に辿り着いていた。
葉が落ちきって枝のみが残っている木を仰ぎ見る。確かここは入学式の時にユーリがアメリアと一緒にいた場所だ。
あの時は他の生徒に囲まれているうちにユーリがどこかへ行ってしまい、周りの隙を見て探しに行ったのだ。
ノアには「お手洗いに行っただけだから」と言われたけれど、同年代が多くいるこの環境で私じゃない誰かとユーリが知らないところで仲良くなるのが許せなくて一時でも離れたくなかった。そして案の定、ユーリが知らない女性と、それも恋人同士のような距離感でいるのが目に入った瞬間に胸の奥から湧き上がってくる感情を抑えることもできずに気がつけばユーリの首根っこを掴んでいた。
「アメリアに嫉妬して胸を押し当てるなんて淑女らしくないわよね」
わざとそうしていても全くと言っていいほどユーリはわかっていなかったようだけれど。
思えばそれからの学園生活で、確かにユーリとの距離は近づいたようにも思えた。
時折見せる照れたような表情も、いつものような優しげな視線もどこかに熱があるような気がした。
月夜でのダンスも、ふたりきりの海辺も、はしたなくも下着一枚で寄り添った雨の中の小屋も。
もしかしたらと思う場面はいくつもあったのに、その先にはいつも辿り着くことができなかった。
「……私が願っていたからそう見えただけ、かしら」
乾いた笑いが漏れた。ここひと月ほど繰り返している自問自答。その度に自分自身を鼓舞してみたり今みたいに自虐的な笑いが溢れたり、行ったり来たりだ。そしていざその答えが見えそうになればこうして逃げてしまっている。
きっと自分自身で決着をつけてしまえばいい。
ユーリからの言葉を待たずに、私から伝えてしまえばいい。そうしたら今こうしてぐるぐると回ることもなく、前を向くことだってできるんだろう。
でも。
そうしてもしユーリに拒絶されたら? 今までとは違う距離になってしまったら? それどころか、二度と会話もできないほどになってしまったら?
それが怖くて結局ユーリ頼みになってしまっている。そのくせ逃げてしまう。
「全くもって、私らしくないわね」
ユーリのことになるとこうしてぐずぐずとしてしまう。出会ってから10年、共に過ごすようになって5年。その間で全くと言っていいほど距離が縮まらなかったことを思えばユーリに関してはこれが私らしい、のかしら。
教室に戻らないための言い訳を自分自身に言い募りながらも、最後にはやっぱりため息が出た。
もどかしい現状を変えたいのに変えたくない。どうしたらいいのかもわからない。でもずっと逃げているわけにもいかない。少なくともあと2年は学校生活があるのだから。
「…………戻りましょう」
木の幹に預けていた体を起こし、頬を軽く叩いて気合を入れる。その時だった。
「フレイヤ様っ!」
ずっと逃げていた答えを出す時が来てしまった。
◆ ◆ ◆ ◆
やっと見つけた。
校内を走り回って、でもなんとなくあそこにいるんじゃないかって思って、ただの勘だったけど、やっぱりそこにいた。
すっかり葉っぱが落ちてしまったあの桜の木の下にずっと求めていた人がいた。
「……久しぶりね、ユーリ」
ゆっくりと振り返りながら、聞こえてきた声に自然と頬が緩みそうになる。ずっと会いたかったんだもん。
「はい。お久しぶりです、フレイヤ様」
話したいことがたくさんある。まずはあの時逃げてしまったことを謝らないと。あの時の答えもまだ言えてないし、休みの間のこともいっぱい話したい。フレイヤ様は家の手伝いで忙しかったんだろうし、その話も聞きたい。それから――
「フレイヤ様」
この想いを、伝えたい。
「貴女が好きです」
………………………………ん?
なんかフレイヤ様びっくりしてるね? あれ、私、今なんて言った? 色々話したいことがあるなーって思ってて、それで……………………あッ!
「あ、えっと。ちが、いや、違わないか。フレイヤ様にお会いできたのが嬉しくて。ほんとは休みの間にお会いしてこの前のことを謝りたかったんですけど、お忙しそうだし、何度行ってもお出かけされていたようで会えなかったから久しぶりにフレイヤ様のお顔を見たら言いたいことが全部どっか行っちゃって。ほんとはもっともっと、お話したいことがあったからそれを言おうと思ってたんですけど――」
「ユーリ」
しっちゃかめっちゃかになってきた思考とよくわからないことを垂れ流す自分の口に混乱しまくってたらフレイヤ様に遮られた。
これでもかっていうくらい真っ赤になってる自覚がある。さっきからフレイヤ様のことも真っ直ぐ見られなくなってるからね。本当に格好がつかないなぁ。
「ユーリ」
さっきよりも近く。
こうやって呼ばれたら顔を上げるしかないでしょ。
意を決して顔を上げたら目の前いっぱいにフレイヤ様がいた。びっくりして引こうとした体を捕まえられる。
潤んだ瞳で、私と同じくらい赤くなった顔で、じっと私を見つめているフレイヤ様に喉が鳴るくらい唾を飲み込んでしまった。……心臓さん、もう少し頑張って。
「…………本当?」
「……………………はい?」
思いがけない言葉に間抜けな声が出てしまった。私に負けず劣らず真っ赤な顔のフレイヤ様はじっと私を見つめていて、徐々に距離が近づいている気がする。
「今、言ったことは本当?」
「えぇっと…………どれでしょう?」
「ユーリが、私のことを、好き、と」
「………………はぃ」
わ、わざわざ聞き返される告白って…………ッ!
「本当?」
「……はい」
「本当に本当?」
「うぐぅ……はいッ! 私はフレイヤ様が好きですッ!」
「それは、どういう?」
「ど、どういうって……一緒にいたい、とか」
「他には?」
「ほ、他? て、手をつなぎたい、とか?」
「他には?」
ちょ、なんかぐいぐい近づいてくる上になんだろう、この質問。いや、ほんとに近くない?
あんまり近づかれると、その、視線があらぬところに行きそうなんだけど――
「キス、したい、とか」
あ。
「…………」
「…………」
やばい。フレイヤ様の顔が近くて欲ぼ……げふん、つい目に入ったものをそのまま言ってしまった。
告白してすぐキスしたいとか思春期かよ。思春期だよ。
そしてこの空気だよ。さっきまでイケイケだったフレイヤ様が完全に固まっちゃったよ。それにしてもかわいいなぁ。一方的に告白して何も返事をもらってないけど、キスしちゃダメかな? フレイヤ様の唇、ぷるぷるしてて柔らかそうなんだよね。いっつもつやつやしてるしちゃんとケアしてるんだろうなぁ。近づくといい匂いもするし、舐めたら甘かったりするのかな。
微妙な空気になっちゃった現実逃避にじっと唇を見つめていたら、膠着していたフレイヤ様がやっと動いた。――のはいいんだけど。
目を閉じてるのはオッケーってことですか……?
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ふ、フレイヤ様? 目にゴミでも入りました?」
言った瞬間に間違えたってわかる時あるよね。今がその時だった。
「んぐふぅ!!」
なんでって思いっきり鳩尾を殴られたからね。……日和った私が悪いんだけど。
「……もうッ!」
蹲る私を置いてフレイヤ様が丘を下っていく。ちょっとくらい待ってくれてもいいのに。ってかお返事もらえてないコレって告白としてはどうなんだろうか。やっぱりダメってことなのか――
ちゅっ。
頬に何か柔らかいものが当たった。そして先に行ったはずのフレイヤ様が目の前にいる。
相変わらず赤い顔のまま、体を折った私を見下ろしているはずなのに、どうしてか上目遣いに見えるフレイヤ様が口元を抑えている。
「……私の、気持ちよ」
それだけ言い残してやっぱりフレイヤ様は小走りで先に丘を下りていく。
「はぇ?」
間抜けな声を漏らす私を残して。




