裁断の時
◆ ◆ ◆ ◆
ゆっくりと、景色が流れていく。
目の前には騎士団長の息子であるイーサン・ゼラニウム。不敵な笑みを顔に貼り付け、握りしめられた剣先が私に向かって振り下ろされていく。まるで自分自身のことを遠くから眺めいているような感覚。背後のユーリの気配がこちらを向いているのを感じる。ありったけの魔力で私を守ろうとしてくれている彼女を裏切るような形になってしまっているのが申し訳ない。でも、誰かが彼女を傷付けるのを黙って見てはいられないのだ。
斜め上から振り下ろされた剣が肩口に当たる。じわじわと体が熱を帯びていくのに、ドレスを濡らす赤い液体がその熱を奪っていく。一瞬の出来事だったのに、その感覚が妙に長く感じた。
膝から崩れ落ちる私に伸ばされた手と今にも泣き出しそうなユーリの顔を最後に、私の意識は闇へと落ちていった。
◆ ◆ ◆ ◆
あぁ、ダメだ。ダメだダメだダメだ。
床が真っ赤に染まっていく。止まらない。止められない。ダメだ。それだけは、ダメだよ。
「あ、あぁ…………あぁ……」
私の口からは意味のない音が漏れるだけ。
ダメだよ、これじゃ。防ぎたかったのに。守りたかったのに。どうして。
「くふっ、くはははは!!! どうだ! これでこの王国は俺のものだッ!!」
誰かが笑っている。狂ったような笑い声だけが遠くに響いている。私の視線は真っ赤に染まった床と、その上に横たわる彼女だけを映している。
どうして。どうして、笑っていられるんだ。
沸々と腹の底から感情が湧き上がってくる。今まで感じたことのないそれが、私の足を、腕を、身体全部を起き上がらせた。
「私のッ! フレイヤ様に何しやがったぁあああああッ!!!」
ぐるぐると魔力が回る。周りのことなんかもう何も見えない。ただあの黒い奴らをぶっ飛ばすだけだ。だから回れ。全部使ってでも、壊すんだ。
空気を圧縮していく。酸素がどんどん薄くなっていく。構うもんか。真っ黒い魔力の塊を抑え込んでいた風の壁をどんどん圧縮していく。バキバキと不快な音を聞きながらも力を止めない。
「そこまでだッ!」
今まさに押し返そうというところで、会場に響き渡る声。血が昇りきった頭の中にいた理性を何とか引っ張り上げるように後ろから抱きとめられた。
「ユーリ、落ち着きなさい」
「…………ノア?」
集めていた魔力が霧散していく。抑え込んでいた真っ黒い塊もいつの間にか消え去っていた。急に息苦しさを感じた。ちょっとアドレナリン出過ぎてたみたい。
「大丈夫だから。フレイヤは無事よ」
ノアに促され、彼女のほうを向く。赤い液体の中に横たわっていた彼女の体がピクリと動いた。
「……生き、てる?」
「こうなると思ってちゃんと仕込んでおいたからね。落ち着いた?」
「…………よかったぁ」
本当に、本当によかった。安心したら膝がガクガクし始めたんだけど。あ、やばい。立ってられない。
ぺたんと床に座りこんでしまった私をさっきまで血溜まりの中にいたはずのフレイヤ様が心配そうに覗き込んできていた。手を伸ばして彼女の頬に触れれば、ちゃんと温かい。ほんとに、生きてる。
「フレイヤ様だ」
自然と笑みが溢れた。でもきっと泣きそうな顔になってるんじゃないかな。うまくいつものように笑えている自信がない。
伸ばした私の手を包み込むように、フレイヤ様が手を重ねてくれた。
「ユーリ、大丈夫?」
「はい。フレイヤ様は何ともないんですか?」
「えぇ。ノアから渡されていたお守りの出番が本当にあるとは思わなかったわ。アメリアの魔法にも感謝ね」
「アメリア?」
「フレイヤに渡していたお守りにアメリアの魔法を仕込んでおいたのよ。まだ試作品だけどね。発動することは実証済みだったから、何かあった時にはすぐに治癒魔法がかかるようになってたってわけ。ちなみに叔父様の作品」
……なんで私にも教えてくれないかなぁ。っていうかお父様の技術がどんどん進化してる気がするんだけど。特定の魔法を仕込めるのってどういうこと? 普段使ってる生活魔道具の応用……なのかな?
なんかもう色々ありすぎて腰が抜けてしまった。
「さて。それよりも、あっちね」
ノアに今この状況を説明を詳しくするつもりはないらしい。それもそのはず、ノアが向けた視線の先ではまだ終わっていなかった。もやもやとした黒い霧のようなものを纏ったメガネくん率いる令息集団の前には正装に身を包んだテオ王子が立っていた。普段よりもキリッとした表情の王子が口を開いた。
「アル、イーサン……お前たちは何をしたのかわかっているな」
しんと静まり返った会場に響く王子の声は硬かった。一方のメガネくんたちは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「えぇ。我々はこの国をよりよくするために立ち上がった同志です。貴族による貴族のための王国。それを作り出す第一歩として貴族の敵であるフレイヤ・ベロニカを追放する。何か間違っていますか?」
「…………そうか。残念だ」
王子がぽつりと呟いた。一瞬だけ悲しそうな表情で俯き、でもすぐにまた顔を上げた。
「アルフィー・ヒイラギ以下13名の捕縛をテオ・カランコエの名の下に命ずる。捕らえよ」
王子の掛け声と共にぞろぞろと入口から騎士たちがなだれ込んできた。あっという間にメガネくん達を取り囲み、一斉に剣を構えている。だというのに包囲されているメガネくんは相変わらずニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けていた。
「フッ、たかだか騎士風情が我々を捕らえられるとお思いで? 邪神様の力があれば有象無象など――」
またしてもメガネくんの手に黒い塊が出来上がっていく。
「……本当に、残念だ」
メガネくんの魔法が出来上がる前に王子が手に持っていたものを掲げた。ほんの少し動いただけ。それだけでメガネくんの手にあったはずの黒い塊が跡形もなく消えていた。一瞬のことにメガネくん一派が呆然としている。私とフレイヤ様も何が起こったのかわかってないけど、ノアは満足そうに頷いていた。え、まさか。
「あれって……」
「叔父様の作品」
やっぱりかぁ。お父様ならやれるよねぇ。さっきから話聞いてるとアメリアにも協力してもらってるみたいだし。
多分、あの時に見つけた魔法陣を解析しちゃったんだろう。で、仕組みがわかっちゃえば後は解くだけ。私が魔法に対してやっていることと一緒だ。それにアメリアの聖魔法を組み合わせたらもうこれ以上彼らが何か出来ることもない。
「捕らえよ」
王子の号令と共に、主犯たちはあっけなく捕縛され連行されていった。
最後まで抵抗しているメガネくんとマッチョさんを見送りながら、ノアが私とフレイヤ様に向き直った。
「これでとりあえずは一件落着ってとこね。残念ながらパーティーは中止だけど。私も後片付けがあるから、また後で」
そう言い残し、さっさと王子たちの後を追って出ていってしまった。
残された私とフレイヤ様は呆気ない幕引きにしばしぽかんとしてしまった。何ていうか……これでおしまいっていうのはあまりにも…………うん。まぁ、何もなかったということで。フレイヤ様も無事だったし、断罪イベントが発生しても追放だとか死亡だとか、バッドエンドにならなくてよかった。
あ、そういえば、フレイヤ様、血まみれのままじゃない?
アメリアの治癒魔法で傷は塞がってるけど、血は失ってるよね。リタさんに言ってお医者さんに診てもらった方がいいだろうなぁ。
ちらりとフレイヤ様のほうを見るとバッチリ視線が合った。
「え、っと。とりあえず、戻りましょうか。お召し物も汚れてしまいましたし」
「………………」
フレイヤ様のほっぺがちょっと赤い気がするんだけど、なんでだろ?
不思議に思いながら首を傾げてみるけど、フレイヤ様はさっき目が合った瞬間に俯いてしまったので表情がいまいち見えない。
「フレイヤ様?」
「………………たの、」
「はい?」
「私は、いつからあなたのモノになったの…………?」
かすかに聞こえてきたフレイヤ様が言った言葉が一瞬何のことかわからなかった。フレイヤ様が、私の……?
え、いや、それはそうなってくれればいいなーなんて思ってたけど、あれ? 私、そんなこと…………………………言ったね。
思い出した瞬間に顔が熱くなる。確かに言った。マッチョさんに斬られたフレイヤ様を見て、高笑いするメガネくんの声を聞いて、完全に頭に血が昇って口走ったね。「私のフレイヤ様に何しやがる」って。
「えぁ、あ………………すみません」
「……謝ってほしいんじゃないわ。その、……びっくりしたけど、嬉しかった、し」
それだけ言ってフレイヤ様はまた俯いてしまった。耳まで真っ赤だ。それは私もなんだけど。
え、というか、嬉しかったの? 今、『嬉しかった』って言ったよね? それって、もしかして――
ぐるぐると回る思考に脳みそがもう沸騰しちゃうんじゃないかってくらい体中が熱くなる。
なのに顔を上げたフレイヤ様の目を見た瞬間、考えていたことが全部吹っ飛んだ。
潤んだ蒼い瞳に、紅潮した頬。所々血で汚れているけど、相変わらず金糸のような髪が美しい。何かを期待するかのようなフレイヤ様のその表情を見て、私は――
「ぅ、ああぁぁぁぁああああーーーーー!!!」
――逃げた。




