手袋投げつけると決闘なんです?
運動大会の剣舞で使ったステージの上に立たされた私はぼんやりと空を見上げていた。
観客席にはほとんどの生徒が集まっているらしい。控室から出るときに呆れ顔のノアに教えられた。どうやらメガネくんが前もって触れて回っていたようだ。集められた生徒たちの不思議そうな顔が視界の端に写る。うん、私も不思議だよ。なんでここに立ってるのかって。
白い手袋を投げつけるのって決闘の申し込みなんだって。知らないよ、そんなこと。
メガネくんはアメリアに対して決闘を申し込もうとしてたんだけど、私が手袋を先に触っちゃったから結果的に私が受ける形になっちゃったのだ。まぁアメリアが余計なトラブルに巻き込まれなくて良かった。
「……チッ」
私と反対側に立っているメガネの舌打ちが聞こえてきた。ちらり、と視線を向けるとこっちも見ずに貧乏ゆすりをするように足をタンタンしてる。イライラしてるのはこっちなんだけどな。
「……これよりアルフィー・ヒイラギとユーリ・サルビアによる決闘を開始する」
私達のちょうど真ん中に立った審判代わりの教員が声を上げた。観客席のざわめきが徐々に収まっていく。
「本日の決闘は魔法勝負。武器はなし。降参、またはどちらかが続行不能と判断した時点で決着とする。双方、異議はないか」
「ありません」
「……はい」
メガネくんは即答だけど、私は今初めて知りましたよ。普段はあんまり魔法使うことないんだけど。ま、なんとかなるでしょ。
「では双方、貴族として恥のないような闘いにするように。はじめ!」
教員の合図でメガネくんが魔力を練り始めた。ブツブツと何かをつぶやいているのも聞こえる。様子を見ていると詠唱が終わったのか、頭上に現れた大きな水の塊がメガネくんの腕の動きを追うように私のほうへと飛んできた。
◆ ◆ ◆ ◆
「あ!」
アメリアが口を覆って立ち上がりそうになったのを、私は手で制しながら止めた。ずっとそわそわとしていた彼女に比べ、私とフレイヤはこの決闘の結末にさしたる興味もない。あの子が負けるはずがない。確信しているからこそ、落ち着いてステージを見下ろしている。
「大丈夫よ、アメリアさん」
フレイヤも飛んでいく水球を見つめたまま、アメリアに声をかけた。同意するように私も頷き、事の成り行きを見守る。
ユーリ目掛けて飛んでいった水球は辺り一面に水滴を巻き散らかしながら対象を押しつぶす――はずだった。
ユーリの右手が縦に一閃しただけでパックリとふたつに割れなければ、そうなっていただろう。真っ二つに割れた水球は観客席を守るように張られている結界にぶつかり、水しぶきを上げた。一方で、ユーリの腕の動きを追うように放たれた空気の刃はヒイラギ伯爵令息の足元に大きな亀裂を作っていた。
「……え?」
今目の前で起きた現象が飲み込めないのか、アメリアだけではなく周りの生徒たちからも驚きの声が漏れた。
ヒイラギ伯爵令息といえば魔法の使い手として学年でもトップレベルだということは周知の事実。一方でユーリの成績はそこまで上ではない。それを知っているからこそ、私とフレイヤ以外は今起こっていることが理解できない。
「心配しなくてもユーリは負けないわ」
もう一度、フレイヤが言った。そう、ユーリは負けない。あの子は魔法の使い方が上手いから。
「いい機会だからアメリアもしっかり見なさい。ユーリは剣術一辺倒に見えるし、魔力総量も決して多くはない。使える魔法もせいぜい中級程度だけれど、魔力操作だけは私やフレイヤ以上に上手いのよ」
「魔力、操作……?」
「小さな魔力で効率的に、繊細に動かせる。あの子のそれは自身の魔力にだけじゃない」
だからアメリアの聖魔法を剣に乗せるなんていう馬鹿げたことをやってしまう。それも無意識に。あの一件が終わってからそのことに気づいた私もすっかり忘れていたくらいには、普段はそんな片鱗は全く見られない。……そういえばケルベロスとの戦闘でもフレイヤが作った氷の剣を自身の魔力で強化したなんて言ってたわね。
幼い頃から毎日自身の魔力を体内で回し、練り上げ、纏い、感じる。それを魔法を教わった6歳からずっと続けている。だからあの子は身の回りの魔力に敏感だ。流れを読み、自身の魔力で包み込み、己のモノにしてしまう。
あの子には特別な魔法の才能があったわけじゃない。でも努力する才能があった。
「普段は剣術ばかりだからそういったことは不得意に思われがちだけれどね。料理やお菓子作りもするし、細かい作業は得意なのよ、ユーリは」
私の話の最中にもヒイラギ伯爵令息……もうヒイラギでいいでしょ――ヒイラギは絶え間なくユーリに向かって水球や水の棘を飛ばしている。それをユーリは顔色ひとつ変えることもなく避け、切り裂き、消し去っている。普段よりも鋭く速い動きで。
数分間、そうやってヒイラギが放った魔法をユーリがひらりと躱す時間が続いた。そろそろヒイラギの魔力も底が見えてきたんじゃないかな。いくら魔法を撃ってもユーリに軽々と躱され続けているし、始めに比べると魔法の勢いがなくなってきている。肩で息をしているようにも見えるし。
案の定、ヒイラギが手を止めユーリがゆっくりと彼へと近づいていった。そしてふたりは10歩ほど離れた位置で対峙した。
◆ ◆ ◆ ◆
ぜぇはぁしてるメガネくんの息が整うのを待ちながら私は競技場を見回した。
メガネくんが放った魔法は水魔法中心だったからあっちこっちが水浸しだ。目の前にも大きな水たまりがあるからここで立ち止まったくらいだし。舞台の外は土だからどろどろになってる。後であそこ歩かなきゃいけないの、嫌だなぁ。白い制服だから泥が飛んだら目立つんだもん。
「……はぁ……はぁ、……なん、なんだ! お前はッ!」
決闘の後のことを考えながらちょっと憂鬱な気分になっていたところで、メガネくんの声が聞こえてきた。やっと落ち着いたみたいだね。
「何なんだって言われても。子爵家の長女ですけど」
「そういうことを! 聞いてるんじゃない!」
それ以外に何があるんだろう? 不思議に思って首を傾げるけど、それが余計にメガネくんの神経を逆撫でしてるみたいだ。さっきよりもさらに顔を赤らめて目を吊り上げている。
「お前ごときが! この僕の魔法を躱すはずがないんだ!」
そんなことを叫ぶ。プライド高いんだろうなぁって思ったけど案の定って感じだね。アメリアに試験で負けた時も同じようなこと言ってたし。
まぁ魔力量も使える魔法の種類も強さもメガネくんのほうが圧倒的に多いもんね。間違ってない。
えーっと、なんだっけ。名前。
「あー、ヒラサワさん」
「…………」
あれ、違った? 変な顔されてる。うーん……ヒは合ってると思うんだよな。確か、クリスマスっぽい感じの……あ、あれか。
「間違えました。ヒイラギさん」
「…………」
「もうちょっと丁寧に魔力練ったほうがいいと思いますよ」
「……は?」
「確かに貴方のほうが才能はあるんでしょうけど、ちょっと雑すぎて簡単に解けます。威力は充分なのにほつれだらけですし」
「……………………は?」
「編むんだったらこれくらいしないと」
そう言いながら掌に魔力を集める。ぐるぐると回しながら風魔法を行使すると圧縮された空気の塊ができた。空気が可視化されるほどの密度。忍者漫画でこんな技あったなーなんて思いながらもそれをぐるぐる回し続ける。
その状態を保ったままメガネくんを見るとぽかんとした顔をしていた。
「な、なんなんだ、お前……」
「だから、ユーリ・サルビアですよ。子爵家長女」
「……くそっ、なんでこんな奴が…………! …………あぁ、そうだ」
メガネくんがにやり、と笑う。何がおかしいのかクツクツと笑い声まで聞こえてきた。悪者顔だなぁ。
「お前、僕らの派閥に来い」
何を言い出すと思えば。派閥って何かわかんないけど、それは私にとって魅力的なことではなさそうだ。さっきまでの態度とは一転、メガネくんは声高々に話を進め始めた。さもそれが私にとって魅力的な提案であるように。
「あのサフラン伯爵家の小娘が親戚だと言っていたな。その点については少々嫌な顔をする御仁もいるだろうが、気にすることはない。サフラン家など伯爵家の中でも取るに足らないのだから」
「……」
「あぁ、そうか。それよりもあの令嬢をどうにかするほうが先だな。普段から良いように使われているのだろう? 昔から気に食わなかったんだ。そうだ、あらぬ罪でもなすりつけてご退場願おうか。忌々しい公爵家の――」
――ヒュンッ。
風を切る音が響く。一瞬遅れて、メガネが風圧に耐えきれずに吹き飛ばされ、観覧席に張られた結界に叩きつけられた。ドサッと地面に落ちる彼は服がボロボロだ。意識もない。
プチッと何かが切れる音がして反射的に空気球を全力投球してしまった。直接当てずに投げる理性を保てた自分を褒めてあげたい。ま、それでも余波でぼろ雑巾みたいになっちゃったけど。
「結構です。私はフレイヤ様のお側にいたいので」
何が起こったのか理解できずに静まり返った会場に私の声が響く。右手を身体の横に戻しながら審判ににっこりと笑顔を作った。
「私の勝ち、でいいですよね」
そこでやっと我に返った様子の審判が赤べこみたいに首を何度も縦に振るのを見届け、私はサッサと舞台から降りた。
◆ ◆ ◆ ◆
気に食わない伯爵家のボンボンを吹っ飛ばしたユーリが舞台を降りていくのを見届けてから、私は横に座るフレイヤに視線を向けた。
俯いているので表情は見えないが、綺麗な金髪から覗く耳が真っ赤に染まっている。
「……よかったわね、フレイヤ」
「………………何がですか」
かろうじて聞こえたかわいい幼馴染みの呟きに、私自身は心の中でため息をついた。
いつになったらこの子たちは素直になるんだろう。




