海水浴は前世の記憶
青い海。白い砂浜。雲ひとつない空。
ジリジリと照りつける太陽と波打ち際に溢れる笑い声。
砂浜に立てたパラソルの下、絵に描いたような夏の光景を目を細めながら眺め大きく息を吐き出した。
突然の来訪とともに馬車に詰め込まれ、ろくにシャワーも浴びられずに拉致されて連れてこられたのはサフラン領だった。
王都からまっすぐ馬車で2日ほど南に下ったサフラン領は観光地でもある。温暖な気候が南国感もあり、海でのレジャーも観光資源のひとつだそうだ。私の目の前に広がる砂浜も海水浴を楽しむ人々で賑わっている。
うん、みんな楽しそう。
目に染みるくらいに明るい世界にまたひとつ、大きなため息が出た。
「何よ、あんたにしては珍しいわね」
「ノア」
顔を上げると水着姿のノアが立っていた。……なんていうか、うん。
「ノアにぴったり」
「……燃やすわよ」
「褒めたのに?」
「悪意を感じた」
淡い黄色のワンピースタイプの水着にはフリルが腰回りや肩の辺りについていて、華やかな印象がある。ノアにとてもよく似合ってると思う。主に体型に。
私の水着? ボーイッシュなやつですよ。下は水着の上からショートパンツ風の、上はパーカータイプのラッシュガードを着ている。いつもと同じように一括りにした髪を前に持ってきて、レジャーシートの上で体育座りしています。というかこの世界、中世ヨーロッパみが強い割に水着はしっかり現代的なんだよね。種類も豊富だし、私が着ているようなラッシュガードもある。普段着ているものもそうだけど、縫製技術は進んでるんだよね。
じっとノアのなだらかさんを見つめていたらノアが右手を静かに挙げた。
「燃やす」
「冗談だよ、ごめんって」
辺り一面火の海になりかねない。
「全く……それで? なんであんたはそんなにしょげてるの? 珍しいわね」
「あー、うん。まぁ、ねぇ」
「何よ、ハッキリしないわね」
「ユーリさん、具合でも悪いんですか?」
「ううん、だいじょう、ぶ……」
ノアの後ろからひょっこりとアメリアが顔を出した。そう。アメリアもいる。私が拉致された後に王都の孤児院に帰省していたアメリアを迎えに行き、そこからサフラン領に来たのだ。
来たんだけど。
「アメリア、あんたやっぱりすごいわね」
「? 何がですか?」
お胸が。
谷間を強調するような白のビキニは視線のやり場に困る。彼女の桜色の髪にもよく映えていてとても似合っているんだけど。腰にはパレオを巻いているけど、きゅっと締まったくびれを隠すほどのものでもないので、全体的にこう、ボン・キュッ・ボンって感じ?
周りの男性陣がちらちらアメリアのことを見てるし。女性まで凝視している。確かにここまでスタイルがいいと羨ましいよねぇ。
立派すぎるお胸に神々しさすら覚えじぃっと見つめていたらアメリアが恥ずかしそうにもじもじし始めた。
「あ、あの、あんまりじっと見られると……」
「あ、ごめん。すっごいかわいいよ」
「……ありがとうございます」
もじもじしながらはにかむのもかわいいねぇ。私までにこにこしちゃう。
「だらしない顔してるわね。あんまりそんな顔してると怒られるわよ。フレイヤに」
「怒らないわよ、そんなことで」
「あ、フレイヤ。やっと来たわね。迷わなかった?」
「人がこれだけ集まっていたらすぐわかるわ」
おー、フレイヤ様の水着、大人っぽい。ホルターネックだっけ? 首の後ろできゅっと結んだ紐が珍しくポニーテールにしている彼女の項から背中に垂れているのが扇情的だ。色もそうだけど、全体的に艶めかしい。つい下に視線を向けると綺麗なおへそが目に入ってしまった。イケナイものを見てる気分になるのはなんでだろう。目が泳ぐ。
「ユーリ、何か言うことあるんじゃないの?」
私があたふたしてるのが面白いのか、ノアがニヤニヤしながらこっちを見ているのが視界の端に映った。なんか変なところで意地悪なんだよなぁ、ノアって。
ここで焦ったら余計に面白がられるのは目に見えてるので小さく深呼吸をしていつもより早い心拍数を落ち着け、ニッコリと笑ってフレイヤ様に向き直った。
「とてもお似合いです、フレイヤ様」
「ユーリも、似合ってるわ」
嬉しそうなフレイヤ様の笑顔に心臓がきゅっと縮んだ。顔に熱が上がっていくのを感じる。やっぱり今日のフレイヤ様はなんだか、うん。えっちだ。まともに見るの、無理かも。思わず視線を斜め上に向ける。そんな私のことを不思議に思ったのだろう。フレイヤ様が私に近づいてきた気配がした。今は私の視界に入ってこないでほしいんだけど、ちょっと悲しそうな表情が目の前いっぱいに広がった。覗き込まれてる。
「ユーリ?」
「い、いえ。なんでもないです……」
語尾が消えそうになるよ。
「ユーリさん、やっぱり体調悪いですか?」
アメリアまで! ちょ、あんまり近づかれると立派なモノが当たりそうなんだけど……
ここにいたらまずい。私はバッと立ち上がり、準備運動の要領で身体をひねりながら腕を伸ばした。
「だ、大丈夫! それより海に入るんですよね! ちゃんと準備運動しないと!」
我ながら苦しい言い訳だなぁなんて頭の片隅で冷静な自分が突っ込むのを聞きながら、私は波打ち際へと逃げた。
逃げた、のはいいんだけど。
ちゃぷちゃぷと身体に打ち寄せる波を感じながら太陽の光が反射しているのを見つめる。足の裏に当たる砂の感覚も懐かしい。腰まで水に浸かり、さっきよりも冷えた頭で自分の状況を見ると今度は頭を抱えたくなる。なんで勢いに任せて海に入っちゃったんだろう。身体が動かない。
「ユーリ、先に行かないでよ」
バシャバシャ水しぶきを上げながらノアが近づいてきた。
私よりも背の低いノアが私の隣に立つと胸の下くらいまで水に浸かってしまっている。ぼーっと沖のほうを見ている私の顔を下から覗き込んでいるのもわかるけど、今はそれどころじゃない。
「ユーリ、あんた顔色悪いわよ?」
「……」
わかってる。頭は動いているから。自分の状況も、過去も。
ここに来て海を見た時からずっと違和感があった。運動は何でも好きなはずなのに心が踊ることもない。それどころか、怖かった。
ずっと忘れていた記憶がひょっこりと顔を覗かせることは今までにも何度かあった。でも今回はちょっと違う。断片的に繰り返される映像が海に入った瞬間に、ひと繋ぎになっていく。
私は泳げない。そして、私は海で死んだ。
最期の瞬間だろうか。渦巻く水の中で息もできず、上も下もわからず、どうにか水面へと逃れようと伸ばした手も届かない。薄れゆく意識の中で見えた光が溶けていく。
繰り返される映像に溺れそうになる。息が止まる。ノアの心配そうな顔が視界の隅に見える。やばい。世界が、廻る。
今にも倒れそうになっていたところを後ろからそっと手を取られた。
動かない身体を無理やり引っ張られ、水の中から出る。止まりそうだった呼吸が少しずつ楽になっていった。
さっきまでいたレジャーシートまで引っ張られていくと、やっと視界も定まってきた。私の手を取っているのが誰なのかも確認する余裕がなかったみたいだ。フレイヤ様にぎゅっと両手で右手を握られているのにここでようやく気づいた。私の様子がおかしいのを心配してくれている。
ごまかすように笑うけど、ちゃんと笑えてるか不安だな。
「……ユーリ」
「え、あぁ。すみません、フレイヤ様。水が思ったより冷たくて……」
「ユーリ」
フレイヤ様の声が刺さる。怒ってる、のか。
私の手を握っていた彼女が手を離し、そっと頬に触れられた。
「大丈夫」
「……っ」
胸の奥につっかえていたものが崩壊するのを感じた。目から零れ落ちる涙がフレイヤ様の手を濡らしていく。
雰囲気を壊してしまうのもわかっているのに、止めることもできずに私はただぽろぽろと泣くことしかできなかった。




