変わり者のあの人 side:アメリア
物心ついた頃には孤児院にいた。
両親の顔は知らない。シスターが母親で一緒に孤児院で育った子どもたちはみんなきょうだいだ。
年上の子たちが家事を手伝い、下の子たちの面倒を見る。
当然のようにそうやって育ってきた中で、私の魔法はある日突然覚醒した。
聖魔法。
人を癒やすことのできる唯一の魔法。
それを発現する者は少なく、国の中でも特別な扱いを受ける。
私が聖魔法を覚醒させてからあれよあれよと事態は動いていってしまった。
学園への入学、入寮はもちろん、入学前の教育まで国によって支援された。わずか1年の間に詰め込まれ、家族との交流も制限されてしまった。
知っている人が誰もいない環境で過ごし、やっと学園へと入学したところで今度は奇異の目にさらされた。
上流階級だらけの学園で何も持たない平民がたった一人。
その場にいることがいたたまれなくなり、私は入学式典の後にひとり学園内の一本桜の咲く小高い丘へと歩いていた。
「はぁ……」
思わずため息が漏れた。
この1年、ずっと立ち止まることなく動き続けていたのだ。この先もまだまだやることがたくさんあるだろう。でも今日だけは。今このときだけは少しだけ、立ち止まりたかった。
木の幹を背に座り込む。
空を見上げる。
青く抜けるような空に桜の花びらが舞っていてきれいだった。
「にゃー」
ぼんやりしていたところで猫の鳴き声が聞こえてきた気がした。
きょろきょろと周りを見渡すが、鳴き声の主は見当たらない。
「にゃー」
また。ふと上を見ると、大きな枝の先にそれが見えた。
茶色い毛の猫。翠色の瞳がこちらをじっと見つめている。
「降りられないの?」
「にゃー」
「えっと……ちょっと待って」
どうにか幹に脚をかけ、桜の木をよじ登っていく。猫がいる枝までたどり着き、お尻を滑らせるように枝の先端へと向かった。
「あとちょっと……」
もう少しで届く……と思ったところでするりと猫が私の手を避け、さらには私の頭や背中を渡り歩きするすると木を降りていった。
「え、えぇぇぇぇ」
助けようと思ったのに彼?彼女?には必要なかったようだ。
大きなため息が出た。
「でも無事に降りられたならよかったかな」
さて、私も……とまたお尻を後ろに滑らせようとして固まった。
助けに来るときは必死になっていて気づいていなかったが、結構高いところまで登ってきてしまっていたのだ。下を見ると頭がクラクラする。
「ど、どうしよう……」
動けなくなってしまった。
「教室で説明会があるって言ってたし……このままじゃ遅れちゃう……」
どうにか降りようと心を決めた時、ふと声が聞こえてきた。
「あー、気持ちいい」
ふわふわとしたその声音に、私は下を見る。
茶色の長い髪を風になびかせ、大きく伸びをしている男子生徒を見つけた。
あの人に気づいてもらえれば助かるかもしれない、という気持ちと今この瞬間を見られたらどう思われるだろうかという不安がせめぎ合っている間に、彼がこちらを見た。
「ふわぁあ……こう天気がいいと眠くなるなぁ……ん?」
ぱちり、と視線があう。
黒い瞳が私を見つめている。
「……おー」
「……」
「……」
彼は何かを考えているのか、私を見たまま無言になった。
もちろん私も何も言えない。今更ながら貴族様相手に助けてほしいなんてお願いはできないと思ってしまったのだ。
私が頭を悩ませている間に彼が口を開いた。
「……あの、そこで何を?」
「ね、猫が……」
「猫?」
「降りられなくなってて、登ったら、逃げられました……」
「もしかして、貴女が降りられなくなってる?」
こくり、と頷く。顔から火が出そうだ。
羞恥に耐えていると、何事もないかのように彼は続けた。
「見過ごすこともできませんし、私が受け止めるから飛び降りてください」
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
言葉の意味を理解した瞬間にはぶんぶんと首を振る。
「い、いえ! そんな! 見ず知らずの方に助けてもらうのは……」
「見ず知らず、ではなければいいですか?」
「え?」
「ユーリ・サルビアです。貴女と同じ1年生です。お名前を伺っても?」
「ア、アメリアです。アメリア・デイジー」
にっこりと笑うユーリ様。いたずらっ子のように笑って両手を広げている。
「はい、アメリアさん。これで見ず知らずではないです。どうぞ、こちらへ」
「え、でも……」
「大丈夫。これでも鍛えてますから。絶対受け止めます。だから、ね?」
「……わ、分かりました」
こうなったら行くしかない!
そう思い、姿勢を整えてからユーリ様に声をかける。
「い、いきます!」
「どうぞ」
「えい!」
大きく広げられた両腕の中に飛び込む。
案の定、彼は私を受け止めきれずに地面に倒れ込んだ。ふたりして小さく悲鳴がこぼれた。
彼を下敷きにするように倒れ込んでいるところで、ふと柔らかいものが頬のあたりに触れた。
あれ、これは……
あぁ、それよりも下敷きにしてしまっている恩人だ。
「だ、大丈夫ですか?」
頭を起こし、彼の顔を覗き込む。
空を見つめている瞳がきらきらと輝いて見えた。あ、黒だけじゃなくて翠にも見えるんだな、なんて少し場違いな感想が思い浮かんだ。
「……おっきぃ」
彼も場違いな感想を抱いていたらしい。一瞬意味がわからなかった言葉を私の今の体勢を思い出したことで完全に理解した。
パッと身体を起こし、両腕で胸を抱くようにした。顔に熱が集まる。
「あ、すみません。つい」
「い、いえ。私の方こそ、助けていただいてありがとうございます」
「怪我はないですか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
よかった、と彼は笑った。
さっきのいたずらっ子のような笑顔ではなく柔らかくて温かい笑顔だ。
とくん。
胸の真ん中からじわじわと熱が身体に広がる。
とくん、とくん。
あとから思えば私はこの時にはもうすでに、落ちていたんだと思う。




