そうだ、街へ行こう
賑やかな喧騒に、香ばしい匂い。
活気溢れる街だなぁとここに来る度に思う。
王都から馬車で4時間ほどの、我らがベロニカ領は前世で言うところの地方都市だ。その中心部となれば人も物も多く行き交い、王都に最も近い中継都市の役割を担っている。
我が家はベロニカ領の中心部から少し逸れた、農村部に近い位置にあるが決して街に出にくいわけでもない。
なので時折買い物にも来るし、決して知らない街でもないのだけれど。
「フレイヤ様」
「何かしら」
「あの、もう少し離れていただけますと有り難いのですが」
「あなたは今日案内役でしょう? あんまり離れて逸れたら困ります」
「それはそうですが」
さすがに街歩きで公爵令嬢がピッタリ左腕にくっついてる状態は初めてでして。
しかも腕を組むでも手を繋ぐでもなくピッタリ横を歩くの、大変じゃない? さっきから足踏まないように気を遣わなきゃだし、歩きにくくて仕方ない。
フレイヤ様からのお誘いを受け、街に繰り出した今日。
横を歩く彼女は、いつもよりも大人しめなワンピースだ。
一応お忍びスタイルということで、ツバの広い帽子を被っている。避暑地のお嬢様って感じがするのは私の前世記憶由来だろう。
相変わらずクルクル縦ロールはチョココロネっぽい。
私は変わらず半ズボンスタイル。令息というよりは商会の息子って感じかな。長い髪をキャスケット帽子の中に押し込んでいるので男装みが強い。
「それで、どこに向かっているのかしら」
「あぁ、えぇっと。まずは私が贔屓にしているパン屋にでも、と。いかがですか」
「いいですわ。案内なさい」
「はい」
偉そうに言うフレイヤ様がなんだかおかしくて、私は思わず口の中で「姫様の仰せのままに」と呟いた。
「おや、ユーリくん。いらっしゃい」
「こんにちは、おじさん」
大通りから一本入ったところにある、こじんまりした店構えの店内にはパンの匂いが充満していた。幸せの匂いだ。
私は胸いっぱいに美味しい匂いを吸い込みながら、店主のおじさんに挨拶をした。
私の服の裾を少しだけ握りしめて、フレイヤ様も店内に入ってくる。
彼女を見たおじさんがいつも以上の笑顔になった。
「はは、ユーリくんも隅におけないねぇ。デートかい?」
「え、あ、ははは……」
「……」
おじさんの冗談に私は乾いた笑いで応えた。そういう質問ははっきりと答えづらい。ちなみにおじさんは私のことを男の子だと思ってる。特に訂正もしていない。というか訂正するタイミングを逃しました。今更「女です」って言い出しづらくてそのままになっているのがここで変な勘違いを生むとは……うん、ほんと今更だね。しゃーない。
っていうか、フレイヤ様から何やら視線を感じるような? 怒ってます?
いやいや。
さすがに公爵令嬢様ですよとも言えないし、そうするとどう否定していいかわからないし、何と言えと?
「そうかそうか、ユーリくんにはお相手がいたんだねぇ。ぜひ娘を嫁にもらってもらおうと思っていたんだがね」
おじさん! ウィンクしないで! その話題もういいよ!
斜め後ろからの視線がなんか違うタイプのものに変わったけども。なしてさ。なんか横っ面が痛い気がする。
とりあえず注文してしまおう。
「えぇっと、それよりパン! パンを買いに来ました!」
「はは、そうだね。今日は何にするかい?」
「そうですね、じゃあこれと……あ、これも。それから、そっちもください」
「はいよ」
背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、私はさっさと会計を終え、店主に挨拶をして外に出た。
入ってから出るまで一度も声を発しなかったフレイヤ様もくっついてくる。
「あ、ユーリくん」
店を出てほっとひと息つく間もなく、今度はパン屋のお嬢さんに声をかけられた。まぁ店の前だからね。それはそうだよね。
「こんにちは」
「こんにちは! もう買い物終わっちゃった?」
「えぇ、たくさん買わせていただきました」
「そっかぁ、残念。お話しできるかなって思ってたんだけど」
「すみません、今日は連れがいますのでまた」
「連れ?」
そこで初めてフレイヤ様に気付いたようだ。
お嬢さんの視線が私から私の服の裾を掴んだままのフレイヤ様に移った。そしてこてん、と彼女が首を傾げる。
「……ユーリくんの、妹さん?」
「いえ、違いますよ」
似てないでしょうに、妹は無理がある。
とは言え何と説明したものか……。
私が頭を悩ませている間に、ずっと黙っていたフレイヤ様がやっと口を開いた。
「……ユ、ユーリの婚約者、です」
パン屋のお嬢さんが目をまん丸にしている。思わず私までおめめまんまる。
え、この人何言い出した?
「え、あの、フレイ」
「ありがとうございました! 行きますわよ、ユーリ!」
「いや、ちょっ……!」
私が問いただすより先に、フレイヤ様は私の手を取って歩き出した。
突然の彼女の行動に引きずられ、私はおめめまんまるお嬢さんを残して店をあとにせざるを得なかった。
「ちょっ、止まって、止まってください!フレイヤ様!」
半ば強引に歩かされて体勢も整わずに引きずられてたどり着いたのは町外れの噴水前。
やっとそこでぴたりと動きを止めたフレイヤ様に、今度は急ブレーキでつんのめりそうになる。
帽子に隠れて彼女の様子は窺えないし、何を思ってあんな爆弾を落としたのかも分からない。
ただ、なんとなくご機嫌斜めなようなので私はフレイヤ様が何かを言うまで待つことにした。
側を駆け回っている子どもの笑い声と、噴水からの水音に耳を傾け、紙袋の中のパンに想いを馳せること数分。
やっとフレイヤ様がこちらを向いた。
「……あなたは、ああいう子が好きなの?」
聞こえるかどうかギリギリの声量で発せられた問いに小首を傾げる。
「好き……とは、どういう?」
「かわいいとか、好ましいとか、愛でたいとか、そういうのです!」
「ふむ」
もしかしなくてもおじさんのお嫁さん話? やっぱり怒ってた?
デートと揶揄われたのがそんなに嫌だったのか。私の好みとフレイヤ様が違えば安心なのかな。
「そうですねぇ、愛らしいとは思います。サラサラで真っ直ぐな髪も触りたいと思いますし」
私は少し癖っ毛だから羨ましくもある。
「いつもニコニコ迎えてくれますし、好ましく思っていますよ。素直な子は可愛いです」
「……そう」
おやぁ? なんだか余計にテンション下がってるような……?
貴族のお嬢様の考えが分からない……いや、私もそうなんだけど。
「……喉が渇きました。何か買ってきてくださる?」
「え、あぁ。はい。それではフレイヤ様も」
「いえ、私はここで待ってますわ」
「それはさすがに許可できません。街中とはいえ、危険ですし」
「いいから! 行きなさい!」
突然の大声に思わず伸ばしかけた手を引っ込めた。
私はちらりと少し離れたところで見守っているフレイヤ様の護衛に視線をやり、仕方なく頷くことにした。
「分かりました。ここでお待ちください」
俯いたままのフレイヤ様をそのままに、私はもう一度大通りへと向かった。




