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第十九話 3

 天竺父は仕事により不在だ。よって先日のようなお喋りはなく、リビングで葵白さんと二人で黙々と勉強をしている。

 と言っても、僕に勉強の必要はない。どうせ彼女が今の状況から脱し、自立したら僕自身がこの場に存在する意義はない。

 これらの知識は全て、彼女のために蓄えていると言っても過言ではない。


 そう言えば彼女にはこの状況にしてあり得ない癖がある。

 お洒落なカフェにありそうな背の高いテーブルにカウンターチェアのような椅子は僕の身長ではあとちょっとの所で床に足が届かないが、フットレストに足を置くには僕の足の方が長い。

 そうやって行き場をなくした足をぷらぷらしていると彼女の脚がいきなり脛に飛んできた。

 そう、これが彼女の癖だ。

 彼女の足の長さなら十分に床に届くだろうに、まるで小さい子供がブランコに乗ったかのようにフラフラさせている。

 まあ、こうやって日頃のマイナスな感情を発散させていると考えるとトイレで毎日吐き出すよりはマシだ。だから止めはしなかったが痛いものは痛い。

 すっと目を細めて彼女を見ると彼女が焦ったように謝ってきた。


「す、すみません。どこに当たりましたか?湿布か何か――」

「だ、大丈夫ですから、大袈裟ですよ。次から気をつけていただければ大丈夫ですから」


 そこまで大きく捉えるとは思わなかった。


 それにしても本日の彼女も大変美しい。涼しげなライトブルーのワンピースを腰周りにある紐で結んでいるだけなのに、まるで天使が舞い降りたかのような神々しさを放っている。この真夏に厚手の五分袖を着ていても全く違和感を感じさせない。

 この美しさに見惚れてしまうのは、世の理ではないだろうか?


「あ、あの、きょ、教材!教材取ってきます!!」


 耳まで真っ赤にして部屋を飛び出して行った彼女を見送ってため息をついた。


「ありゃ、見てたのバレたなあ。まああれだけ見つめてたらバレるか、」


 最近では主流になってきたエアコンが心地の良い床に寝そべった。

 本来他人の家でこう言うことはよくないが、ここまで穏やかな気分になれるのも他人の家だからこそだ。

 暫くその空気を堪能しているとパタパタと足音が近づいてきてドアが開かれた。


「失礼します――って大丈夫ですか⁉︎」


 教材をおいた彼女はすぐさま僕の側まで来て、僕を上から覗き込んだ。

 彼女の人形のように整った瞳が僕の目を凝視する。近すぎる、まずい。いくらポーカーフェイスの僕でもこの状況では顔が上気してしまう。

 僕は腹筋を使って急いで起き上がった。そしてそのまま彼女に顔を合わせないようにしながら話しかけた。


「え、あ、え、大丈夫ですか?椅子から落ちたんですか?やっぱりもっと低い椅子が良かったですね。やっぱり私の部屋に――」

「大丈夫ですから!!」


 彼女の部屋だけは阻止しなければ


「そ、そう言えば、何か問題はありましたか?」

「あ、そう言えばそうでした‼︎えーっと、あー、これです。この315ページの四角5の問題なんですが――」


 何故か付き合う前の気まずい雰囲気になっているこの空間を無理やり勉強に切り替えた。


 彼女は特段の見込みが早く、教えやすい訳ではなかった。しかし、それを上回り、さらにはカバーする程の想像力、を持ち合わせている。

 僕には想像もできない想像の世界で、彼女は自分で理解を深め、より広い世界へと繋げていた。

 全くもってなぜ理系クラスにいるのか、そしてその状態でどうやってあれだけの成績を収めているのか、未だに信じ難い事実だ。


「——ここまできたらここに最初の公式を当てはまるだけです。」

「なるほど、そう言う事だったんですね!松草さんは先生に向いていると思います‼︎」

「じゃあ、将来は先生になります。」

「え、そんな簡単に決めてはダメですよ、もっとよく考えないと、」

「良いんですよ、どうせやりたい事もなく、進路希望調査書を出しあぐねていたところなんですよ。」


 どうせすぐ死ぬし


「それに、先生は生徒を導く存在です。天竺さん、私は今実習中なんです。あまり気にしないで楽に私の授業を受けてください。」

「気づいていらしたんですね」

「あなたの笑顔を見破った私の眼を侮って頂いては困りますよ。」


 悪戯っぽく笑顔を作ると彼女もふっと優しく微笑んだ。


「今日はそろそろ帰ります。」

「あの、お昼は食べて行きませんか?」

「頂きたのは山々ですが今日はこのあと予定のありますし、遠慮しておきます。また後日、お願いしても良いですか?」

「は、はい!喜んで!!」

「それでは失礼します」


 僕は転ばないように席をゆっくり立つと彼女の顔も見ず、荷物を持って玄関にまっすぐと向かった。


「それでは、お邪魔しました。また明日、来ますね」

「は、はい。今日はありがと——」


 返事を聞き終わらないうちに玄関の豪華なドアを閉め切った。


 外は真昼間ちょうど頭上に昇り切った太陽のせいで隠れる木陰さえも見当たらない。強すぎる日光は暗すぎる僕をとことん燃やし尽くす。


「あっつ」


 やっと発したその声さえ、太陽の仲間と言わんばかりに鳴く蝉にかき消される。


「早く隠れないと体なくなりそう」


 今日はもう予定もない、そこら辺にあるファストフード店で日が沈むまで隠れていよう。する意味もない勉強をしながら。

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