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第十八話 2

「わあ、とても広いお家ですね。お二人で住むには広すぎるのでは?」


 ごくごく一般的な家庭の子ならこんな反応だろう。


「いや、私もこんな広い家にまさか二人きりで生活する事になるとは思わなかったよ。本当なら今頃はもっと、いや、過ぎたことだな」


 本当なら今頃はもっと子供がいて賑やかな家庭になっていただろうに、か?

 妻が死んで今も尚、軽い鬱状態と聞いていたが彼からはそんな様子は一切感じられない。いや、この男の事だ。僕という赤の他人が来ているのに弱みを見せるような真似はしないだろう。

 しかし強がりとは思ったよりも惨めなものだ。彼女と同様の笑顔を浮かべるその顔に一瞬悲痛が混じったことを僕が見逃すはずがない。


「そうだ、今日は葵白に勉強を教えてもらいに来たのだろう?」

「そうなんですが、前々からお父様ともお話ししてみたいと思っていまして、」

「私に、か?」

「はい。よろしければ、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「うーん、まあいいでしょう。せっかくの機会だ。私も娘が初めて連れてきたオトモダチというものにとても興味がある。葵白、先に行って勉強していなさい。」

「承知いたしました。お父様。」


 彼女は横目で僕の顔を不安げに見たが、僕が笑顔を返すと扉を開け、こちらに一礼すると自室に引き上げていった。

 横目で彼を見ると冷めた目で、まるで監視するかのように娘を見ていた。とても我が子に向ける目とは思えない。いや、うちも変わらないか。

 彼に向き直ると、彼の目からは先程までの冷たさはなくなり、彼女と同じ完璧な笑顔を貼り付けた。


 今日の彼は袖を捲り上げた長袖ワイシャツに灰色のスラックスを履いていた。袖から見える彼の腕は筋肉質過ぎず、細すぎず、美しい造形をしていた。スーツ姿なのはいつでも出社できるように、と言った所だろう。それだけ優秀なのも困り物だが。

 うんうん、なるほど、確かに胡散臭い、が


「それで、私という人間のどこにそんな興味があるんだい?」

「いえ、単純なお話です。親の顔が見てみたいと言うやつですよ、良い意味で。」


 僕は彼の目をその目に魅入られでもしたかのように見つめた。


「寂しそう、ですね」

「は、」

「あ、いえ、私、人間観察が結構好きと言うか癖でして。その人の癖とか動き方、まあ、具体的には足運びとか、話し方とか、そう言うのを無意識に真似しちゃうんですよ。そしてこれは場合によるのですが、その動き方で共感というかその人が何を感じているのかが大体分かるんですよ。」

「なるほど、それはとても興味深い。それで、寂しそう、か。私のどのような点を真似て寂しそうだと思ったんだ?」


 意外にも興味があるというか、探究、いや、研究気質のようだ。あっという間に先ほどの笑顔など剥がれ落ち、少年が人生初の博物館で恐竜を見た時のような笑顔に変わった。


「うーん、多分ですが、笑顔ですね。」

「顔も真似できるんだ」

「はい、気づいたら頭の中で『その顔はどこの筋肉を使っているんだろう』って、考えていたりしますね。」


 そう言いながらも僕は彼の表情を真似し続ける。


「それで、あなたの表情を真似した時に泣きそうになったというか、心が寂しいって感じたんです。」

「なるほど、それは興味深い。娘が君を連れて来た理由もよくわかる。私も君に興味が湧いた。もっと話を聞かせてくれ。」

「喜んで」


 喜んで、あなたを研究させていただきます。

 人生とは不思議なものだ。たった一人の死がこんなにも人格を変え、人生を変える。もし、僕と彼女の父が普通に出会っていたのなら、今頃は完全に意気投合なんてしていたかもしれない。

 いや、それはないか。彼女の母親が死ななければ、彼はこんなにも狂っていなかっただろうし、彼女は今の学校にも入学していなかっただろう。もし、入学していたとしても彼女と僕が関わる事などありもしなかっただろう。僕らは俗に言う、生きる世界が違う、のだから。





「――え、あそこの大学ってそんなことも学べるんですか?」

「そうだね、私はそこの量子情報科学科で量子コンピュータ工学について学んで今の会社に就けたから、よかったら君も見学くらいはして見ると良い」

「とても参考になります!って、あ、もうこんな時間ですね。話しすぎてしまいました。そろそろ帰らないと。」


 腕にはめていた時計を見ると時刻は午後六時を回っていた。ここに来たのは午後三時過ぎ、彼女の父親も僕と話したいと言うことだったのその帰宅を待っての訪問だった。つまりは約3時間ぶっ通しで話していたと言うわけだ。

 まるでママ友と話が止まらなくなってしまった母親のようだ。まあ、母親のそんな姿など見たこともないが。

 彼も自らの腕にはめたいかにも高そうな腕時計を見て自分たちがどれほど話し込んでいたか理解したのだろう、珍しく表情が崩れていた。


「本当だ。誰かと時間を忘れるほど楽しい会話をしたのは何年ぶりだろうか」

「……天竺さん、葵白さんとはお話しされないんですか?」


 途端に重くなる空気は感じない振りをして彼をしっかりと見据えた。

 一瞬光の失った彼の目は酷く無気力で――私にあの子と話す資格はない、切なくて――私はあの子の側に居てはいけない、残酷で――君も、そんなこと言うんだね、冷酷だった。

 僕は彼の一秒にも満たない速度で変わって行く眼を一つ残らず観察した。


「葵白さん、とても博識ですし、私と話すよりも面白いと思いますよ。」

「……残念ながら、娘とは全く話さないんだ。話すことと言えば、成績とか進路とか、そのくらいだ。私もあまり家にいないしね。」

「そうですか、まあ、私も両親とは月に二、三回話すか話さないかくらいなので人のことは言えませんけどね」


 一瞬、彼の目がギラリと光った。

 そう、不思議でしょ、僕と言う人間が。その理由が、それよりも僕の家族関係が、家庭環境が、気になるでしょう?だって、貴方は――


「似ていますね。」

「誰がだい?」

「私と貴方です。すみません。いやですよね、私と似ているだなんて、、、」

「いやそんなことはない。むしろ納得したよ。ここまで私の話に共感して聞いてくれる人は初めてだ。さて、本当にそろそろ帰らないとな、親御さんももしかしたら心配するだろうからな。」


 彼は初めて親の顔で笑った。


「葵白を呼んでくるよ」

「あ、私が呼んできます。」

「本当かい?それじゃあ頼むよ、二階に上がって一番奥があの子の部屋なんだ。あそこはこの家で一番日の当たる所でね」


 僕は席を立ち一礼をするとそのままリビング内にある階段を登り彼女の部屋に向かった。




 彼女の部屋に行くと彼女は窓の目の前にある勉強机に向かって数学の勉強をしていた。

 部屋は薄暗かったが窓からは街のビル、スーパーから街角にある小さなパン屋までもが一望でき、だんだんと街灯を灯し出す街並みが眩しかった。


「すみません、話し込んでしまって、今日はもう帰ろうと思います。」

「いえいえ、私も今日は特にわからない問題もなかったので大丈夫です。どうでしたか、父は」

「やはり、天竺さんのお母さんの影響が大きいみたいです。基本的には私です。」

「私とは松草さんのことですか?」

「はい、あの人の心は私にそっくりです。好奇心旺盛で何でもかんでも首を突っ込みたがるくせに、有り得ないくらいに弱くて突っついたらすぐに崩れる。あの人はそれを無理やり強く保とうとした結果です。普通ならぶっ倒れていてもおかしくないです。」

「そうですか……」


 彼女は安心したような、苦しみを噛み締めるような表情をした。

 もう、僕の前ではあの笑顔を取り繕うこともなくなってきた。


「それでは私は帰ります。見送りは結構です。わからないところを探しておいて下さい。」

「はい、ではまた明日?ですか?」

「はい、また明日。また来ます。」





 リビングルームに戻ると彼女の父親は食器を洗っていた。


「葵白は?」

「見送ると言われたのですが、過去問を解いていてキリも悪いようだったので断りました。」

「そうか、じゃあ玄関までだけど私が送るよ」

「ありがとうございます。」


 荷物を纏め、廊下に出ると一気に夏特有のじめっとした暑さが襲いかかってきた。夏の夕日が所々にある部屋や窓から漏れ、暗くなりがちな廊下を明るく照らしていた。

 前を歩き、僕を先導してくれている彼女の父親は時々当たる陽の光を鬱陶しげに避けた。まるで視界にすら入れたくもないかのように。


「じゃあ、ここで。今日は来てくれてありがとう、とても楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ。またお時間があるときにお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「全然、私も話したいし来てくれたら嬉しいよ」

「ありがとうございます。今日は全く勉強できなかったのでまた後日、明日とかも伺ってもよろしいでしょうか?」

「全然構わないよ、好きなだけいなさい。そして娘をよろしく頼むよ」


 なぜか僕を我が子を見つめるような眼差しで見つめる彼はどこか寂しげで鬱さを堪えているようにも見えた。


「はい、こちらこそ。では、、、あ、最後に一つだけ、私は貴方の子供では有りません。貴方の子供は世界でたった一人、葵白さんしか居ません。」


 一瞬歪んだ彼の顔が瞬時に元の笑顔に戻る。


「何のことだい?」

「そして、葵白さんは貴方を必要としています。自分なんかなんて思わないで、朝一言挨拶を交わすだけでも話してみてください。余計な事を言いました、すみません。では、お邪魔しました。」


 閉じるドアの隙間から見えた彼の顔には、期待と苦々しさが混ざり合った葛藤の表情が浮かんでいた。

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