5話
葛ノ葉は言った。「貴様が死ぬことは絶対にない」と。そんなことを信じた私の選択は間違いだったのかもしれない。
「が……ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
「イヤァァァ!!!」
私はそんな悲鳴を上げながら学校の廊下を走り回っている。そしてその後ろからすごい速さで私のことを追いかけてくる四つん這いの生き物。手足は長く、その体は細い。そして何より真っ黒なフィルム。その生き物はまるでゴキブリのようにカサカサと追いかけてくる。頭には翁の能面をつけ、ニヤリと笑うその顔はなんだか気味が悪い。私が深夜の学校をこんなにも叫びながら走れる理由、それは葛ノ葉が周りの人に被害が行かないように、この化け物と私を幽世へとばしたからだ。幽世とはこの世とあの世の境にあり霊的磁場の強いところらしい。一般的な幽世の使い方とは異なるが、葛ノ葉はこの世界の事を幽世と呼ぶのだそうだ。あまり詳しい理由は聞いていない。この際そんな細かいことはどうでもいい。ここが現し世とは違うということは、私を助けてくれるのは葛ノ葉だけだ。しかし彼女は姿を消したままいっこうに現れる気配がない。あぁ、これで死んだら私は来世でも葛ノ葉を許すことはないだろう。それか、毎晩枕元ですすり泣いてやる。とにかく今は逃げる、全力で逃げるのだ。そう考えているうちに月明かりに照らされた、その影が私に覆いかぶさった。私はそっと振り返ると能面がもうすぐそこにあった。
「いぃやぁぁぁぁぁ!!葛ノ葉!!ほんともう無理!怖い!キモい!いやぁぁぁ!!!!助けて!!!!」
「何をしておる。さっき方法は教えたじゃろう、自分で耐処せい」
私は現し世にいたときに告げられた言葉を思い出した。
―――妖を取り込んだお前にはあの黒い化け物の能力が備わっている。目を瞑り、体を流れる妖力の流れを感じ、その妖力を形にするのじゃ―――
無理無理無理無理!目を瞑る暇もなければ、そんな力全く感じられないし、ていうか形にするって言われてもそんなのよくわからない!!私は必死に化け物の追撃を避け続けた。
「何をしている!早くせんか!!」
「無茶を言うなこのクソ女!!とっとと助けんかい!!」
私は黒い化け物に追いかけられながら、叫んだ。すると私の叫びに応えるかのように、私の中から何かが流れ出した。それは体の中で巡り、私の手に集まっていく。そしてそれは目に見えないがなんだか靄のような形をしているのがわかった。これが葛ノ葉の言っていた妖力だろうか。私はその靄をイメージして日本刀の形を作ってみる。するといきなり目の前に黒くて靄をまとった日本刀の形をしたものが現れた。
「なんだ、できるではないか」
能面がすぐそこに迫っていた私は何も考えずにその日本刀を取り、一振り。刀身は驚くほど軽く、鋭利な刃でスパッと妖の長い両腕と頭を切った。そして化け物はグチャッっと音を立ててその場に倒れ動かなくなった。
「たすか……た……?」
私は肩で息をしながらその場にへたり込んだ。現れた日本刀はぱっと消えてしまった。
「やるではないか小娘」
「し。死ぬかと思った……助けてくれるって嘘じゃない」
「でも生きているだろう。それにしても良いものが捕れた。この死体はもらっていくぞ」
これのどこが「良いもの」なのか全くわからないが、私がそれを引き止める理由もないので、どうぞどうぞと手を出した。それよりも私は明日の朝も早いので早く戻りたいという気持ちでいっぱいだった。
「む、何だその目は」
「別に―――」
その時だった。幽世側の学校の校庭から大きな遠吠えが聞こえた。何事か、と思っていると「この声……酒呑童子か?!」と葛ノ葉がボソッと呟くのを聞いた。葛ノ葉はパッと三階の窓からグラウンドに向かって飛び降りた。一瞬驚いた私だが、下を見てみるとケロッとしてグラウンドへ走って向かう葛ノ葉を見てホッとした。それと同時に私の目に入ってきたのは四階もある校舎を遥かに大きい頭に角が生えた妖怪、鬼だ。あまりの大きさに私は小さく震え唖然としたがすぐさま我に返り急いで階段を降り、私も葛ノ葉の元へ向かった。
下から見たその鬼は更に大きく感じられ、踏み潰されてしまいそうだった。私は木の陰でもう一度ゆっくりと妖力の動きを感じ、同じように日本刀を作った。交戦する葛ノ葉の手助けをするため、私は鬼の片足首を狙って刀を振った。すると思いがけず刀は綺麗に刀身を半分にするように折れた。小バエ程度の衝撃に気がついた鬼はこちらを向き足を大きく振り上げた。
「伊与!!」
勢いよく振り下がるその足は瞬く間に私に衝撃を与えた。しかしそれは直接ではなく間接的な力だった。衝撃の瞬間、葛ノ葉が私を押し出し私をかばったのだ。そのせいか、葛ノ葉の体は校舎の方まで吹き飛ばされ、コンクリートの壁に打ち付けられた。押された衝撃で地面と強く衝突した私は咳き込みながらもなんとか立ち上がり、鬼の方を見た。鬼は私に手を伸ばし私の体をガッと掴んだ。力強く掴まれたせいで私の体はミシッと音を立て痛みが走った。しかし私の体は握りつぶされることはなく、葛ノ葉がその手を切り落としたことによって救われた。見れば葛ノ葉は片腕をだらんとさせて頭や体中から血を流していた。きっと片腕は折れていて、それ以外のところも折れているのだろう。ボロボロだ。
「さがれ小娘。これはさっきのものとは違う、建物の中に逃げろ」
「でも……葛ノ葉だって―――」
「バカを言うな!それにワシは人間ほど脆くはない」
たしかに私がここにいても足を引っ張るばかりだ。それでもこの状態の葛ノ葉を放置していけるような神経が私にはなかった。困り果てた私達に構うこともなく鬼は私達に襲いかかってくる。その時、私は目の前を通る稲妻を見た。そしてその稲妻は鬼を攻撃し、そのおかげで鬼の動きが怯んだ。そして鬼の正面に立つようにやたらと大きな刀身を持つ剣を片手で握り、腰まで伸びた長い髪を持つ少女が現れた。
「邪魔。どいてくれる?」
どこかで聞いたその声、稲妻の光が逆行になって顔は見えなかったけどその声は確かに―――
「刹那……ちゃん?」