2話
放送部は三年生の先輩がおらず、二年生の先輩が三人、私も含めた一年生が三人の計六人の全校生徒千人ちょっとの学校にしてはそれなりに小さな部活だ。私が初めて部活に顔を出したとき、放送室には二人の人がいた。私が放送室の扉を開けるまで会話をしていたであろう男女二人は、すぐさま私の方をじっと見つめた。私は「今日から入部しました。一年三組の幸村です。よろしくお願いします」とぶんっと音がなりそうなぐらい勢いよく頭を下げた。十秒ぐらい経っても、いっこうに反応が帰ってこない。もしかして張り切りすぎただろうか、場違いだっただろうか、白けた目で見られているのだろう。私は恐る恐る頭を下げたまま二人の方を見てみた。しかし思いもよらない反応が待っていた。窓際に座っている真っ黒でなが髪を三つ編みにしメガネを掛けている、the文学少女のような人は本を閉じ、こちらを見つめるだけだった。その目にはなんだか温かみが感じられた。そして、もうひとりの男の人の方は女の人の上着の裾を掴み、空いた手を上下にブンブン振り回している。その顔はまるで初めて電車を見た少年のような顔をしていた。一体どういう心情か、と思っているうちにその男の人と目があった。するとさらに顔を光らせてすぅっと息を吸うと「いらっしゃぁぁぁい」と鼓膜が破けそうな大声を発した。驚いて私は顔を上げる。するとまだ、キィーンとした余韻の残っている私に追い打ちをかけるように「体験入部に来てくれてた子だよね?!後輩ができるなんて嬉しいな!俺の名前は早瀬裕貴、部長やってます。いやぁ、中学では部活に入っていなかったから、後輩できるの初めてで!いやぁ、後輩できるのってこんなに嬉しいんだ!それにしても元気な後輩だ!俺元気な子大好き、國光もそう思うでしょ?!」とこれだけのセリフを一息に、大きな声で喋ってくる。さすがは放送部員とでも言うべきか。「早瀬、あなたはやっぱり耳鼻科に行ったほうがいいわ。声のボリュームを考えなさい。幸村さんが困っているでしょう」「行ったよ。なんか『ちゅうじえん』……?ってやつだって」「中耳炎ね。ならそれを早く治しなさい。幸村さん、ごめんなさいね、このアホのせいで驚いたでしょう」「え、あ、はい......まぁ」私はとっさにそんな曖昧な答えを返してしまう。ここは嘘でも否定するところだったか。國光と呼ばれた先輩はすごく落ち着いた雰囲気で私に語りかけた。「私は二年の國光深月と言います。好きに呼んでもらって構わないわ。幸村さん、あなたのフルネームをお聞きしてもいいかしら」「幸村伊与と申します」私は連動して会釈を行う。すると深月先輩はニコっと笑って「いよちゃん……『いーちゃん』ね」と早々に私にはあだ名が付けられた。「お察しの通り、我らが部長はとんでもないアホで頼りにならないから、何かあったら私か、もうひとりの舘森っていうやつを頼ってね」「俺もそれをおすすめする!!」なるほど、面白い先輩たちだ。
その後もう一人新入部員の相馬友里恵という子がやってきた。その子はすでに入部してから一ヶ月が経過していたそうだ。そして、髪の毛先から爪の先まで手入れが行き届き、人形のような肌を持ったその子は驚くほど話しやすい子で、どこかに箱入りお嬢様のような雰囲気を感じた。どうやら放送部はイベントが近くなるまでは基本的にお喋りをするだけの部活らしく、その日も一日中四人で互いについて話をしてすぐ最終下校時刻になった。記憶喪失のことや私の体質について最新の注意を払って会話をしていたせいで私の脳はだいぶ疲れていたが、それなりに楽しい時間となった。部活は今の時期は週に二回だけ。次に会うのは三日後となった。私達は名残惜しくも校門前で別れ、友里恵ちゃんといっしょに駅にむかっていた。駅につく頃には互いに「ユリちゃん」「イヨちゃん」と呼ぶぐらいには仲良くなっていた。私達は駅で別れる前に連絡先を交換しようとしたところで私はとんでもないことに気がついた。カバンのどこを探してもスマホが見つからないのである。どうやら放送室においてきたようだった。私はすぐさまそのことをユリちゃんに伝え、私だけもと来た道を走って引き返した。あたりはすでに暗くなっていていつも見えている妖たちがより一層不気味なものに見えた。夜の学校というものはどの時代にも恐怖の対象でそれはうちの学校も含まれていた。
学校についた頃には七時半を過ぎたぐらいで、まだギリギリ校門は開いていた。しかし校舎内の電気は消えていて、スマホを持ち合わせていない私は月明かりだけで学校内を歩くこととなった。いつも必ず廊下に二、三体いるはずの霊たちは驚くほどみんな姿を消していて、それがなんだか逆に不気味に感じて私は怯えながら夜の学校を進んだ。しかしそんな感情とは裏腹に、特になにもないまま放送室についた。スマホはやはり机の上にあって、私はそれを手に取りその明るさに安堵した。私はスマホのライトをつけてもと来た廊下を静かに歩き始めた。相変わらず不思議なぐらい静かで、何もいなくて、不気味だったけど、ライトの明かりのおかげか、さっきよりはいくらかマシだった。帰りがいつもより大幅に遅れてしまったし、今日は出前でも取ろうか。何を食べよう。そんなことを呑気に考えさすほど余裕があった。しかし、昇降口の前で私は歩みを止めてしまった。背筋にヒヤッとした嫌な汗を感じ、先程までの余裕は一瞬にして消え去った。先程まで開いていた昇降口が閉まっているのだ。時間が時間なのでただ先生が閉めただけだろう。普通はそう考える。ただ私には来るときに覚えた違和感、「いつもは閉まっているはずの時間に昇降口が開いていた」ということがやけに引っかかるのだ。
月ノ塚学園の昇降口は最終下校時刻の五分後に、校門は十五分後に施錠される。先生たちはそれぞれ門の鍵となるカードを持っていて自由に出入りができ、防犯的な意味と最終下校時刻を過ぎての生徒のいたずらを防止する意味があった。そしてこの学校の最終下校時刻は七時ちょうどであり、私がここについたのはそれから三十分後のこと。そう、校門も昇降口も開いているはずがないのだ。閉め忘れだろうと思い入ってきたものの、なんだか嫌な予感がする。とにかく私は急いで職員室へ向かった。この時間ならまだ何人か先生たちが残っているはずだ。事情を説明して開けてもらおう、そう考えた。しかし、職員室について見てもライトが全て消され扉が施錠されていた。どう考えても普通ではないこの状況に、いよいよ私の頭の中はパニックになりだした。そしてそんな私に追い打ちをかけるように、どこからともなく叫び声が聞こえてきた。うまく表現できないが、地獄の底で助けを求め痛みや苦しみに耐え悲痛な願いを乗せたような叫び声、聞いているこちらの気が狂いそうになる。不審者か、はたまたそれよりもやばいナニカか。私はすぐさまスマホのライトを消しその声がする方へ向かった。今になって思えば、その時すぐにでもその場を離れたほうが良かったと後悔した。
職員室のある廊下の曲がり角を曲がり、渡り廊下のあたりにそれはいた。廊下の横幅をすべて埋め尽くすほどの横幅で、高さは二メートルほどある黒く蠢いているナニか。明らかに妖だ。私はすぐさま曲がり角の壁に隠れ、その様子をうかがった。すると何やらバリバリと音がする。そのうえ、そいつから「アァァァ……」と小さな悲鳴やうめき声が聞こえる。そしてソイツはこちらを見た。正面には大きな口のようなものがあり、その中にはたくさんの骨。中にはまだ生身の人間もいる。それをむしゃむしゃと食しているのだ。私はたまらず声を上げそうになるのを抑え、すぐさまソイツから離れようと走り出した。しかし、あろうことか、私は少し走ったところで盛大にコケてしまった。その時漏れ出た小さな「痛い」というセリフ。そして私は背筋が凍った。何者かに足を引っ張られたのである。すぐにスマホのライトを当ててみれば、私の右足首には黒く生暖かい手の形をしたものがついていた。そしてその腕はずっと長く、先程の黒い化け物に繋がっていた。その瞬間、ソイツと目があった。