不死の魔女と血染めの守護者
人生は裏切りの連続だ。
何もかも奪われて、ぼろ雑巾にされて。そして拾われ、また捨てられる。
「やっとこの日が来たね」
目の前で魔女が微笑んだ。黒髪に黒瞳。黒衣に身を包んだ、美しい女。白くきめの細かい肌。赤く艶やかな唇。俺が知る限り、この世の誰よりも美しい女性だ。
俺はこの女が嫌いだ。
憎んでいると言ってもいい。
「この日を心待ちにしてたんだ。そのために君を拾ったのだもの」
白い頬を桜色に染め、己の胸に柔らかな手を当てた。決して大きくはないものの、鈴の音のような声が弾んでいる。
「だから、殺したのか」
「そうだよ」
晴れかと聞かれてそうだと答えるように、気楽に、普通に、魔女が頷いた。
俺はこの女が嫌いだ。
いつも飄々と微笑んでいて、つかみどころがない。常々他人のことなどどうでもいいと言っているくせに、世話焼きだ。
愛など要らないと言いつつ、寂しがり。優しくないと言いながら、俺を見る目と触れる手は温かい。
世の理や人のしがらみを達観しているのに、俺が怪我をしたり風邪を引いただけでおろおろする。
矛盾が服を着て歩いているような人。
この女のことが俺は。
嫌いだ。
「この、嘘つき」
人生は裏切りの連続だ。
村に裏切られて、国に裏切られて。今はまた、魔女に裏切られる。
俺は魔女に冷たい金属の指先を向ける。指もなく皮膚もない。抜き身の剣の右腕を。
****
八年前。村を焼かれた俺は魔女に拾われた。
その時の俺は、まだ声変わりもしていない子供だった。
「この村に魔女がいるはずだ。黒髪の女を探せ!」
「黒髪黒目の女だ! 神の名のもとに、魔女を殺せ」
のどかな村に赤い旗が翻った。真っ赤な旗の中心には、白い十字。
さっきまで平和だった村は、阿鼻叫喚だった。
「逃げるぞ!」
よく分からないまま父親に抱きかかえられ、目にした光景は、あらゆる赤だった。
よくお菓子をくれていた隣のお爺さんの家は、真っ赤に燃えている。おしゃべりなおばさんたちで賑やかだった井戸は、血でどす赤黒く汚れていた。
いつも一緒に遊んでいた村長の娘の家の前にも、誰かが倒れていた。小さな女の子の姿は見えないから、きっと無事だ。きっと。倒れていたのが村長でありませんようにと願った。
銀の甲冑を着た連中が、赤いマントをはためかせて、剣を赤く染めていく。悲鳴と真っ赤な血飛沫が舞う。
青い空さえ、赤々としていた。あちこちで上がる火の手のせいかと思ったけど、夕刻だったのかもしれない。
走る父親の動きに合わせて、視界は上下左右に目まぐるしく揺れていた。隣で見え隠れしていた母親の黒髪が、段々と後ろに下がっていく。母親はあまり走るのが得意じゃない。父親の速度についていけなくなってきた。
「頑張れ」
俺を両手で抱えていた父親が、速度をゆるめた。母親を待つため、俺ごと体を後ろに向ける。
「! 逃げろ!」
「いたぞ! 黒髪の女。魔女だ!」
父親の鋭く息を飲む音が耳元でした。母親の後ろに銀の甲冑がいる。母親の黒い瞳が恐怖に見開かれた。
「逃げろぉあああああ」
俺を母親に押し付けた父親が銀閃に裂かれる。真っ二つになる父親の姿が、はっきりと見えた。見てしまった。
銀の甲冑に父親の赤い血が散りかかった。信じられないといった表情の父親が大きく口を開け、大量の血を吐いて倒れた。
銀の靴が倒れた父親を踏む。甲冑の両腕が上がった。燃える火を反射して、赤く見える剣が母親と俺に振り下ろされた。
「この魔女めが!」
「きゃあああああああ」
「ああああああーァァッ」
背中を地面にぶつけて息がつまった後、両腕を灼熱が襲った。何が起こったのか分からないまま、俺は転がった。口からは叫び声がひっきりなしに出て、両腕から生温かい液体がこぼれる。回る視界に、時折虚ろな目をした両親が見えた。
世界は真っ赤で、俺の脳みそも真っ赤に燃えている。
燃えて燃えて燃えて。
何も分からなくなった。
「ねえ、君。まだ生きている?」
気がつくと、世界は真っ黒になっていた。
あんなにうるさかったのに、今はしんと静かだ。
黒々と底の見えない空。燃え尽きた家の残骸の黒い影。熱くて熱くてたまらなかった両腕は冷たい。時間はあの時あんなにあっという間に過ぎ去ったのに、今はもどかしいくらいに、のろのろと進む。
「ねえ、聞こえている? 死んでもらっては困るのだけど」
また声がして、俺はそちらを見た。
真っ黒い世界に、真っ黒い女がいた。長い黒髪に黒瞳。大きな黒いとんがり帽子と、黒いローブ。整った顔だけが白く浮かび上がって見えた。
「人間は腕を切られたら死ぬのでしょう? 死にそうなの?」
見た通りだ。死にそうに決まっている。そんなことも分からないなんて、大人なのに子供の俺より馬鹿だと思ったけど、答えられなかった。「うん」という一言さえ、口にする力がない。
黒い世界で唯一白い顔もかすんでいって。
世界は本当に真っ黒になった。
****
目が覚めると、知らないベッドに寝ていた。天井は木で、村の家と変わらなかった。
「お‥‥‥母さん、お父さ‥‥‥ん」
飛び起きたくても体が動かなくて、力いっぱい両親を呼んだ。それなのに弱弱しいかすれた声しか出なくて、代わりに大量の涙が出た。
ちくしょう。
「んん‥‥‥ああ、目が覚めたのか」
もぞり、と俺の肩のところで黒い塊が動いた。寝ぼけた顔を上げたのは、黒い女の人。黒髪と黒い瞳、首元や手足まですっぽりと覆う裾の長い黒のワンピース。後ろの棚にとんがり帽子が乗っていた。
「昨日ぶりだけど、はじめまして。私は魔女。君のご両親は死んだよ。君は動けそうにないから、私が埋葬しておいた」
お母さん。お父さん。
村の酷い有様と、両親の最期が浮かぶ。消し去りたくて両手で目を押さえようとして、両腕がないことに気づいた。そうだった。俺の腕はお母さんと一緒に切られたんだ。
白い手が俺の涙を拭った。拭ったそばから流れる涙に、むう、とうめいた魔女が布を当てる。
「今は気が済むまで泣いていい。空っぽになるまで泣いて、それからちょっとずつ元気になりなさい。元気になったら。ううん、大きくなったら」
「ううぅ」
涙だけじゃなく、みっともない声も出た。止まらない。
「私を殺してね」
魔女の一言は自分の泣き声でよく聞こえなかった。ただ、涙を拭ってくれる布と、頭を撫でてくれる手が優しかった。
****
魔女の魔法の賜物か。瀕死だった俺はすっかり回復した。
助けてくれた魔女には感謝しかない。魔女に恩返しがしたい。返しても返しつくせないだろうけど。
でも俺には両腕がない。
魔法のおかげで切られた腕には皮膚が張っていて痛くないけど。腕がないのは不便だ。
恩返しどころか普通の生活を送ることも難しかった。
頭からかぶるだけの衣服にしてもらったけど、着替えるだけで何十分もかかる。ご飯も一人で食べられなくて、魔女に食べさせてもらっている。
料理はもちろん、食器を洗うことも運ぶことも無理。掃除は足で床を拭くくらいしか出来ない。
助けてもらっただけじゃなく、赤ちゃんみたいにおんぶにだっこ状態だ。情けなくて涙が出た。
「ごめんなさい」
「別に構わない。けど、そうね。このままだと困るかな」
形のいい顎に手を当てて、魔女が考え込む。
「腕がほしい?」
「ほしい!」
腕があれば迷惑をかけないで済む。掃除、洗濯。魔女のお世話だって出来る。
俺は魔女に気づかれないように、ちらりと部屋を見渡した。
書類だか何かに埋もれた机。床に積み上げられた本の数々。棚に並んだ埃でもこもこの干からびた何か。魔女は掃除が苦手なんだと思う。
料理も、俺が弱っているからだと思ってたけど、動けるようになってもよく分からない薬草だか草を放り込んだだけの粥ばかり。
髪もとかしてないし、お風呂に入ってる様子もない。服だってずっと同じ。その割にさらさらの髪だし、汚れとか見えないのは、魔法で綺麗にしているから。かくいう俺もその魔法のお世話になっている。だから衛生面は気にしないでいいけど。
それらから分かるように、魔女はすごくズボラだ。
だけど魔女は、俺の世話を甲斐甲斐しくしてくれた。衣食住だけじゃなくて、毎晩悪夢にうなされれる俺を起こしてくれる。夢を見ない魔法もあるらしいけど、かけ続けるのは良くないのだと言って、俺が眠るまで頭を撫でてくれる。魔法じゃないただの心配と好意が嬉しくて、俺は眠れる。
こんなにもよくしてくれる魔女に、その分俺が色々してあげたい。まだ子供の俺の出来ることなんて、家事くらいしかないけど。そんなことじゃ恩返しにはならないかもしれないけど。
「じゃあ生やしてあげる」
魔女が手のひらを上に向けると、種が二つ現れた。それを俺の腕に埋め込むと、皮膚がぐねぐねと動いて盛り上がりはじめた。痛くないけど気持ち悪い。でも我慢した。
「魔法植物の種。宿主の望む形をとる」
腕から芽が生えて、どんどん大きくなる。左腕の芽は太くなって腕の形になった。右腕の芽も伸びていくけど。なんか平たい。
「なんで、剣!」
右腕に生えたのは腕ではなく剣の刃。生えた左手で触ってみると、冷たくて硬かった。
「痛っ」
「馬鹿」
刃先に触れてしまって指が切れた。すぐに魔女が俺の手を掴んで切れた指を口にふくむ。柔らかい唇が離れると傷口は綺麗に治っていた。
魔女は村の誰よりも綺麗な女の人だ。顔から火が出そうなほど熱くなった俺は、慌てて下を向いた。
「望む形をとると言ったろう。誰かを切りたいのか、殺したいのか。まあ、どちらでもいいけど、とにかくこれで未来に近づいた」
剣になった俺の腕を撫でて、魔女が目を細めた。
「俺は望んでないのに。未来ってなに?」
俺は唇を尖らせた。
魔女は嬉しそうだったけど、俺は嬉しくない。これでは、ない時と不便さは変わらないじゃないか。
「未来は未来さ。いつかの未来、君は私を殺すんだ」
「え?」
魔女は変わらず嬉しそうに俺の腕を撫でていた。いつもより上機嫌な様子に、俺は聞き間違いなのだと思った。
「聞き間違いじゃない。君を拾ったのは、君が私を殺す未来を見たから」
「は? あり得ない!」
俺は立ち上がろうとして、止めた。魔女は剣になった腕を撫でている。急に立ち上がったら切ってしまうかもしれない。うっかりで、殺す未来とやらが今来てしまったら困る。
「俺は絶対にそんなことしない!」
左腕でそっと魔女の手を右腕から外し、出来るだけ遠ざかった。といってもすぐ壁に背中がぶつかったけど。絶対に魔女を傷つけないよう、布団で右腕をぐるぐる巻きにする。
「ふふふ。それだけは確定した未来だよ。魔女の予言だもの」
可笑しそうに魔女が唇に指を当てて笑った。
「魔女は心臓が動いている限り不老不死でね。心臓は絶対に止まることはない。私は不死に飽きたんだ」
だから君を育てて遊ぶのだよ、と魔女は言った。
****
八年の月日が流れた。
俺は十七歳になった。
魔女の言う、未来はまだ来ない。永遠に来させるものかと思っている。
森の中を歩いていた俺は、邪魔な木の枝を剣の右腕で切り払った。
どうして剣なんか生えたのか。不満でいっぱいだったけど、なかった時よりぐっとやれることは増えた。
右腕は剣だけど、左腕はちゃんと人間の腕だ。左腕があれば魔女の髪の毛を梳かすことも出来た。右腕の剣は、包丁代わりになったから料理もいける。普段は鞘に入れておいて、鞘の先に雑巾とひっかけ、モップのように使うことも出来た。
もちろん剣としても使えた。
魔女の家は俺の村があった場所から近い森の中。時々森に魔女を狙う不届きものがやってくる。俺は魔女に内緒で右腕の剣を使い、そいつらを処分していた。
魔女を狙うのは、盗賊や傭兵もいるが、甲冑を来た連中が多い。忘れもしない。銀の甲冑に赤いマントのあいつらだ。マントの白十字は神聖教会の証。ということは、あの日のあいつらは聖騎士だろう。神の使徒が聞いて呆れる。
確かに魔法植物の種は、宿主の望む形をとる。俺は両親を殺し、村を滅ぼしたあいつらが憎い。殺したい。
魔法植物とやらで出来たこの剣の腕は、何でも切れる。金属である銀の甲冑でさえ、紙を切っているのと同じだった。違うのは中から血が噴き出てくること。あの日の世界と同じ赤が。
魔女は相変わらず面倒臭がりで、でも俺に対してはまめだ。
最近は俺が何でも出来るようになったから、生意気だと拗ねる。
俺を育てるのは遊びだと言いながら、優しい手つきで俺に触れる。
それから決まってこう言う。
「いつ私を殺すのかな?」
俺の答えも決まっている。
「そんな日は来ないから」
魔女の手は温かくて、嬉しくて、でも心がぎゅっと苦しい。
ずっと一緒にいたい。でも魔女と人間の時間は違う。俺と魔女の外見年齢は同じになっていた。
魔女は心臓が動いている限り不老不死で、心臓は絶対に止まることはない。それは半分本当で、半分嘘だ。魔女は俺に嘘をついている。
魔女を殺したくなんかない。でも、もしかしたら俺は。
がさっ。
葉擦れの音がして、俺は振り向いた。また甲冑のやつか。殺意をぎらつかせ、右腕を構える。
「違う、私よ! 聖騎士じゃないわ!」
「え?」
茂みから出てきたのは、自分と同じ年齢の少女だった。
「生きていたのか」
良かった。俺は肩の力を抜いて剣の右腕を下ろす。
少女は、あの時の面影そのままに、成長した村長の娘だった。
俺たち家族は流れ者だった。村から村を転々とする生活。だけど村というのは閉鎖的で、余所者には冷たかった。
だけど村長は、余所から流れてきた俺たち家族を快く受け入れてくれた。少女は友達の輪に入り辛かった俺の手をひいて、遊びに誘ってくれていた。
たった二ヶ月ほどだったけど、幸せだった。
「魔女の側に血染めの守護者がいるって聞いて。もしかしたらって。やっぱり貴方だったのね」
少女が両手を口に当てて瞳を潤ませると、駆け寄って俺の左腕を掴む。
「もうこんなことはやめて。貴方は騙されてるの。私たちの村を滅ぼしたのは魔女なのよ!」
「は?」
俺は少女の腕を振り払った。
「村を滅ぼしたのも、俺の両親を切ったのも聖騎士だ。魔女は俺を助けてくれた恩人だ」
「それが魔女の手口なのよ!」
少女が両手を広げた。
「あの魔女は沢山の村を疫病で滅ぼしてるの! 人間で遊んでいるのよ! 聖騎士は元凶の魔女を退治するために私たちの村に来ただけなの。魔女を倒さないと世界が滅びてしまうから。でも、貴方のお母さんが黒髪黒目だったから‥‥‥魔女と間違われてしまったの。私たちの村が滅びたのは、魔女のせいなのよ!」
ぎしりと、今はない両腕の傷口が痛んだ。
「あの日のあれは、魔女のせいだと?」
「そうよ!」
錆びた鉄のような俺の問いに、少女がぱあっと輝かせた。
「可哀想に。魔女に騙されて、こんなに手を汚して。ねえ、帰りましょう。神聖教会が新しい村を用意してくれたの! 村っていうより町なのよ!」
新しい町について、嬉々として少女が語る。
町が村よりどんなに素晴らしいか。規模も店も人口も、村とは雲泥の差なのだと。少女の父親も無事で町長をしているから、いつでも俺を受け入れられると。
「俺は騙されていたのか」
ため息のように言葉を吐き出して、俺は目を閉じた。
薄々と気づいてはいた。信じたかっただけ。
人生は裏切りの連続だ。
村で過ごした短くも幸せな時間。魔女と過ごした、妙に穏やかな時間。どちらも裏切りが台無しにする。裏切りが終わらせる。
「ねえ、だから魔女の家まで案内してくれない? 貴方が守護者になる前から、魔女の家にはたどり着けないの。貴方だって村を滅ぼした元凶が憎いでしょう? ご両親を殺した魔女を殺したいでしょう? 仇をとりたいでしょう?」
「ああ。憎い」
魔女の家には迷宮魔法がかかっているから、そもそも俺が排除しなくてもたどり着けない。
だから俺を迎えに来たのか。
「一緒に魔女を殺しましょう」
「いいや。一緒にじゃない」
差し出された手に視線を一つくれてから、俺は少女の目をひたと見据える。
「魔女の家への道は教える。だが、魔女を殺すのは俺だ」
満足そうに微笑んだ少女がもう一度俺の左腕をとる。俺はその手を握り返した。
****
人生は裏切りの連続だ。
何もかも奪われて、ぼろ雑巾にされて。そして拾われ、また捨てられる。
裏切られるくらいなら。奪われるくらいなら。捨てられるくらいなら。
俺が先に裏切ってやる。
「この、嘘つき」
俺は魔女に冷たい金属の切先を向ける。指もなく皮膚もない。抜き身の剣の右腕を。
「そうだね。私は君にずっと嘘をついてきた」
魔女は黒い瞳を細め、両手を広げた。
「嘘つきだが、君に優しくして私なりに愛を注いだつもりだ。君も私に愛情を持ってくれただろう? その方が裏切られた時により憎しみが深まるからね!」
ああ、そうだ。たちの悪いことに、本当に真実だ。
俺は魔女を愛している。ずっとずっと、好きだった。愛していた。
だから俺はこの女が嫌いだ。
好きで好きでたまらないから、憎い。
「さあ、約束の時だ。私を殺すといい」
黒い瞳を輝かせて魔女が笑う。
「そんなに死にたいのか」
「ああ。死にたいね。寿命のある君には分からないだろうけど」
「ああ、分からない」
寿命のある俺は、寿命のない魔女の気持ちは分からない。寿命のない魔女も、寿命のある俺の気持ちは分からないだろう。
俺が魔女を殺す未来が見えたから、俺を拾ったのだと。
嬉しそうにする度に、俺がどんな気持ちだったか、なんて。きっと分からない。
俺は右腕を突き出したまま、足を一歩前に出す。
両手を広げた魔女が目を閉じた。もう一歩前に出たら、右腕の剣先が魔女の喉に届く。そんな距離で。
ぐらっと視界が傾いた。
ついに限界が来たらしい。
「どうして怪我をしているの!」
珍しく慌てた様子で、ぶっ倒れた俺を魔女が抱きかかえた。俺の傷に魔法を使う。
「するつもりはなかったんだけどさ」
血染めの守護者なんて呼ばれてるけど、残念ながら俺は人間だ。聖騎士たちの数に圧倒された。
「私を殺すんじゃないの? 殺す前に死ぬつもり?」
魔女が怒っているのは、自分を殺せる人間が死にかけたからか。
「殺すよ。今じゃないけど」
「今じゃない?」
魔女の不思議そうな顔は珍しい。
「魔女は心臓が動いている限り不老不死で、心臓は絶対に止まることはない。それは半分本当で半分嘘だ。魔女の心臓を止める方法はある」
「心臓を破壊することだろう? 魔女の心臓は、何もしなければ絶対に止まることはない。生半可な武器や魔法では傷をつけることもできない。けれど、君の右腕は何でも切れる。私の心臓さえ。だから君は、予言の子なんだ」
「もう一つあるだろ」
「……」
驚きと疑いの混じった視線。魔法ですっかり傷の治った俺は、魔女の腕から体を起こして胡座をかいた。
「魔女は世界を憎み、呪うことで自然の理から外れた存在だ。愛し愛されることで、理に戻る」
理に戻れば、寿命も戻る。普通の人間になる。傷つきもするし、病気もするようになる。
「なぜ君がそれを知っている」
「母さんの子だから」
「……」
黒髪と黒目は魔女の証。俺の母親は父親と出会って、愛し愛された。魔女ではなくなって、俺を産んだ。
「知ってたんだろ。元同胞があの村に流れついて暮らしてたこと」
「……」
魔女があの時村に来たのは、予言の子を拾いに来たんじゃない。元同胞の魔女を助けに来たんだ。一足遅かったけど。
「君のお母さんは私の友人だったんだ」
永遠を生きる魔女は、生きることに飽いている。魔女も俺の母親も。暇つぶしの遊びの一環で賭けをした。どちらが早く、人間を愛せるかどうかを。
「賭けに勝った君のお母さんは幸せそうだった。羨ましくて妬ましかったよ。だから疫病を流行らせた。君のお母さんが疑われるだろうから。予想通りに魔女狩りにあって。君が残った。羨ましくて妬ましい、愛の証の君が!」
魔女は嘘と本当を織り交ぜる。ぐちゃぐちゃに混ぜて、分からなくする。
『あの魔女は沢山の村を疫病で滅ぼしてるの! 貴方は騙されてるの。私たちの村を滅ぼしたのは魔女なのよ!』
少女の言葉が脳裏によみがえった。
「どうかな? 両親を死に追いやった魔女に育てられた気分は? 仇を愛した気分は? ずっとずっと騙されていた気分は? 最低だろう。憎いだろう。さあ、今度こそ私を殺せ。復讐しろ」
今まで見せたことのない邪悪な笑みを浮かべて、魔女が叫んだ。
「嘘つき」
俺は魔女の嘘と本当をぶった切った。魔女が凍りつく。
「悪役ぶってもちっとも似合わないから。疫病は自然発生だし、疫病の原因を魔女に擦りつけたのは、神聖教会のやつらだ。あと、俺の母親を勝手に疑ったのは人間だよ」
流れ者の俺たち家族を、笑顔で受け入れた村長家族。家も用意してくれて、異様なくらいに何くれと世話をしてくれた。ありがたかったし、感謝していたけど。両親は薄気味悪くも感じていた。二か月後、聖騎士たちが村を襲撃した。
執拗な世話という、監視。
聖騎士たちの拠点である街まで、往復で約二か月。
生きていた村長と娘は、別の裕福そうな町で、町長とその娘の座に収まっている。
ああ、俺はずっと騙されていた。
魔女にではなく、元村長とその娘に。
「宿主の望む形をとるのは本当だったみたいだ。俺は貴女の世話をしたかったけど、復讐もしたかったんだ。憎い復讐相手を切りたかったから、剣が生えた」
俺は右腕を軽く振った。魔女の家への道を教えると言って、俺は娘に元村長の所へ案内させた。二人を切って復讐を果たした。大きな町だったからすぐ警備隊や聖騎士に追われて大変だったけど。おかげで負いたくもない傷を負ってしまったけど。
ひきつった顔で固まっていた魔女が、しおしおとうなだれた。
「私を殺してくれないの?」
「殺すよ。予言は絶対なんだろ」
人生は裏切りの連続だ。
だから先に裏切ってやる。
俺はこの女が嫌いだ。
憎いくらい、愛してる。
「愛してる」
「んなっ」
魔女がはじめて、真っ赤になった。
魔女は愛し愛されることで理に戻る。普通の人間になる。寿命が出来て、やがて死ぬだろう。
ただの人間にして、年を重ねて。
彼女を殺すのは、寿命じゃない。俺だ。俺が彼女を殺すんだ。
俺の愛が、いつか、彼女を殺す。