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#099 理想郷、はるか遠く

今回もよろしくお願い致します。

 松平竹千代殿と関口瀬名殿の婚姻解消と、瀬名殿の出家。

 私が申し渡した内容に対する反応は様々だった。

 五郎殿と関口刑部少輔殿はあらかじめ私の方針を知っていたため、唇を固く引き結んで見守る姿勢に徹している。勘のいい太助丸兄者も同様だ。

 関口殿の次女、紫吹殿は、いまいち話の内容が理解できないのか、戸惑う様子を見せている。

 そして、やはりと言うべきか、一番驚いていたのは当事者の二人…竹千代殿と瀬名殿だった。


「お、お待ちくだされ!家中の婚姻に物言いを付けるなど、太守様の領分に立ち入る所業にございますぞ!」

「無論、太守様のご了承もいただいております。他に打つ手なしとなれば、それもやむを得ない、と。刑部少輔殿もご承知の上です。」


 大声を上げる竹千代殿に、出来るだけ冷静な声色で返す。

 さすがに私だって、武家同士の婚姻が政治外交上の一大事である事は、身をもって知っている。関口家の場合は尚更だ。

 刑部少輔殿は義元殿の腹心の一人だが、今は亡き奥さんとの間に男子が産まれなかった。そこで、長女の瀬名殿を竹千代殿に、次女の紫吹殿を太助丸兄者に嫁がせて、家名と血筋の存続を図ろうとしている訳だ。

 ここで問題になるのが、竹千代殿の出自だ。竹千代殿と瀬名殿の婚姻は、三河国の有力国衆の一人息子である竹千代殿を今川家に取り込むためのものだから、竹千代殿が松平の名跡を捨てて関口に婿入りする事は出来ない。しかし、北条氏康の四男坊である太助丸兄者が紫吹殿と結婚し、婿入りすれば、辛うじて関口家の家名は存続出来る、という寸法だ。

 逆に言えば、当初の計画に従う限り、『瀬名殿に問題があるから竹千代殿は紫吹殿と結婚してね』とは言えないのだ。関口家の家名を継承する人材がいなくなってしまう。

 しかしそれでも、私と寿桂様の報告を受けた義元殿は、最終手段として、竹千代殿と瀬名殿の婚姻取り消しを認めた。


「そんな…どうして…。」

「瀬名殿がお咎めを受ける条々を、ここにお持ちしました。」


 私が片手を持ち上げると、客間の隅で待機していた側付きの一人、小春が立ち上がって、巻物を手に駆け寄って来る。

 私が巻物を受け取ると、小春は一礼して元の位置に戻った。


「一つ、今川に仇なす一揆勢を駿府に引き入れし事、謀反の疑いあり。」

「あの方達は一揆勢ではありません!村を追われた農民、借家を追われた町人です!」


 弁明する瀬名殿に、私は首を横に振った。


「つい先ほど、この屋敷に入る前に彼らと出くわしました。富貴豪族、還財公民…太守様のご政道に不平不満を持っている事は明白です。」


 より厳密に言えば、毎日働きもしないで食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送り、デモ活動中に銭が落ちたと聞くやスローガンを放り出して拾いに行くような、志の低ーい連中だが。


「一つ、実父刑部少輔殿を始め、関口家の歴々に十分衣食を宛がわざる事。」

「それは!貧しい人々のために家財を売り払い、日々の食事や衣服も節約せねばと…!」


 変な宗教にハマったお母さんかな?


「刑部少輔殿は太守様の腹心。竹千代殿も太助丸殿も、瀬名殿も紫吹殿も育ち盛りです。かような折に十分な食事を取られないようでは、務めに支障をきたします。衣服がみすぼらしいのも、外聞が良くありません。」


 ようやく折り返し地点に到着した事に若干安堵しながら、次の項目を読み上げる。


「一つ、関口家中の侍女、女房衆、下人の不和なる事、(はなは)だし。刑部少輔殿、竹千代殿の務めに差し障るゆえ、改めるべき事。」

「不和などございません!皆、ある日突然、何の前触れもなく…!」

「真にそうでしょうか?」


 私は瀬名殿の弁明を遮って、もう一度片手を持ち上げた。再び小春が、別の書状を持って来てくれる。

 私は持っていた紙を一旦脇に置くと、新しい方を手に取り、広げた。


「ここ数か月の間に関口邸から暇を頂戴した方々から聞き取りました。朝夕の二度、無宿人の方々への炊き出しなど、人数に見合わぬ苦労を強いているそうですね。」

「それは…されど、誰も文句など…。」

「言わないのではなく、言えなかったのです。」


 労働基準法もへったくれも無いとは言え、低賃金で休みなく働かせたら使用人から辞職する人が続出するのも当然である。残った人の間でも、嫌な作業の押し付け合いや立場が低い人へのイジメが横行している。

 わざわざ百ちゃんが潜入捜査してくれたくらいだから、間違いない。


「一つ、己が所領にて無断で徳政を敷き、家中に迷惑を与えし事。」

「徳政の何が悪いと申されますか⁉」


 悲鳴のような瀬名殿の声に、私は少しだけ同情した。

 確かに、生まれで人生のほぼ全てが決まるこのパラレル戦国時代において、農民の負担を少しでも軽減してあげたいという善意はむしろ称賛されるべきかも知れない。

 問題は、自分が管轄する所領だからと、義元殿に事前の相談なく税率の引き下げを実施した事にあるのだ。


「数年前より、瀬名殿はご自身の所領に対して徳政を敷き、年貢の割合を低くなされた。相違ありませんね?」


 私の質問に、瀬名殿は何が悪いのか分からないといった表情で頷いた。


「以来、噂を聞きつけた近隣の村の農民が、元々の田畑を捨てて瀬名殿の所領に押しかけておられます。近隣の所領の主からは人手不足の訴えが、瀬名殿の所領からは他所者(よそもの)が押しかけて家や食に難儀しているとの苦情が届いています。…どうやら、瀬名殿に代わって知行の采配を振るっている者は、事実を隠しておられるようですね。」


 私が付け加えた言葉に、瀬名殿が素早く視線を動かした。その先に問題の人物がいるのだろうと見当を付けた私は、責任の一端が瀬名殿にもある事を知ってもらうため、情報を追加した。


「所領で徳政を行い、大勢の無宿人に朝夕の食事や銭を与えた結果、瀬名殿の懐具合は随分と苦しい様子。多額の借銭をするのも致し方ありません。…このままでは屋敷の一部を明け渡さねばならないやも知れませんが。」


 私の言葉に、部屋にいた人々の大半が驚愕の色を隠せない。

 まあ無理もない。今川の重臣が借金で財産の一部を差し押さえられるとか、恥もいい所だ。無軌道な慈善事業がどんな結末を招くのか、反面教師の(かがみ)と言えない事も無い。


「そんな…いつの間にそのような…。」

「若奥様!何卒お助けを!いかようにすれば、この苦境を脱する事が出来ましょうや…!」


 先ほどまでの自信をすっかり喪失し、青ざめる瀬名殿を元気づけるように、竹千代殿が声を張り上げる。

 やれやれ、やっと本題に入れる。


「まず一つ、瀬名殿、いいえ、関口家は今後一切、万念僧侶との縁をお切りください。」

「そんな!万念様の教えは素晴らしいもので…。」


 この期に及んで問題の元凶をかばおうとする瀬名殿に舌打ちをこらえながら、私は選択の余地が無い事を告げた。


「万念僧侶の説法は武家、商家はおろか、所領を持つ公家に寺社、更には公方様や(みかど)まで貶めるものです。既に太守様は万念僧侶の捕縛を手配されました。これと手を切らねば、関口家も同罪と見なされます。」


 お百姓さん達の納税や、商人達の経済活動で生活出来ている武家の娘が、権力者の財産放棄を訴える宗教家に肩入れするとか、悪い冗談だ。万念僧侶がただの『頭のおかしい人』で終わっていればまだしも、実害が出ている以上見過ごす事は出来ない。

 関口家と今川を守るためには、万念僧侶が捕まって処刑される前に、瀬名殿に手を切ってもらう他無いのだ。


「どうしてもと申されるなら、先ほど申し上げた通り、瀬名殿は竹千代殿との婚姻を諦めて、出家なさってください。」


 要は、慈善事業がしたけりゃ一人でやれ、という事だ。


「次に、所領への徳政ですが…今年一杯で取り止めを。太守様が人返し令を出されますゆえ、瀬名殿もお触れを出して、元々の村民以外は退去するよう、申し伝えてください。」

「また元の税率に戻せと⁉それはあまりに殺生な…!」


 周りと十分調整しないでハンパな徳政をする方が殺生だろ。


「お触れを出せないと仰るのであれば、太守様が替地(かえち)を用意されます。しかる後、太守様の代官が取り計らいますので、ご心配には及びません。」


 出来れば駿府館の文官達が余計な仕事を抱え込まずに済む選択肢の方が望ましいのだが。


「最後に、借銭ですが…瀬名殿、こちらの証文にお名前をお願い致します。」


 私はそう言って、手元の箱から数枚の紙を取り出して広げた。


「まず、瀬名殿には借銭の整理をお願い致します。」


 一枚目、瀬名殿が私にお金を借りる証文だ。ただし、無利子無担保で、返済期限も設定されていない。


「瀬名殿の名代が借りた銭は私が全てお支払いしました。その代わり、瀬名殿には私に対して、借銭の返済に当たっていただきます。ひと月に一文ずつでも構いませんので。」


 赤の他人の借金を肩代わりするのが、こんなに嫌な行為だとは思わなかった。だが、借金は放置していれば利子が膨らむ一方だ。それなら私が一括で返済しておいて、後から瀬名殿に払ってもらうしかない。

 瀬名殿が真面目に払ってくれれば、最終的には全額返済されるだろう。

 多分、いつか、きっと。


「次に、『駿河人足(するがにんそく)』の株主になるとの書状にお名前を。」

「わたくしに、商人の片棒を担げと⁉」


 商人アレルギーを再発させた瀬名殿に、私はこれが二つの問題を一度に解決するための手段である事を説いた。


「これは瀬名殿のためのみならず、瀬名殿が面倒を見ておられる無宿人の方々のためでもあるのです。一時ならばともかく、働く事なく米を()み、銭を受け取っていては、正道に反します。無宿人一同を『駿河人足』の預かりとすれば、雑魚寝にはなりますが、長屋暮らしと一日二食、それに日雇いの仕事が保証されます。いずれは長屋を出て一軒屋を買う事も、故郷に戻る事も出来ましょう。」


 半分本当だが、半分はウソだ。

 最低限の衣食住をエサに、無宿人を低賃金で単純労働に従事させる。それ即ち、全寮制の派遣会社に過ぎない。

 それでも、無宿人達を万念僧侶のような怪しい連中から遠ざけ、失業者から労働者に仕立て上げるには、友野屋殿の力を借りてもこれが限界だった。

 友野屋殿に無理を聞いてもらうために、資本金は全額私が出資したんだからこれ以上は勘弁してほしい。


「株主は配当金を受け取るのみならず、商会のかじ取りについて総会で申し立てを行う事が出来ます。瀬名殿はふた月に一度配当金を受け取って、関口家の台所を立て直すと共に、都度『駿河人足』の様子を見て、不満があれば総会にて申し立てを行えばよろしゅうございます。」


 それで意見が通るかは別問題だが。

 私の采配に不満気な表情の瀬名殿を遮るように前に出たのは、許嫁の竹千代殿だった。


「何から何まで、若奥様には礼の申しようもございません。これよりは拙者も、瀬名殿と手を取り合い、関口と今川を支えて参る所存にございます。」


 そう言って竹千代殿が平伏すると、関口殿も頭を下げる。


「過分のお取り計らい、不肖の娘に代わって深くお礼申し上げます。つきましては、お二方の無聊をお慰めするため、ささやかながら舞を(ひと)さし…。」


 関口殿はそう言って立ち上がると、真剣そのものの顔で開いた扇子を片手に舞い始めた。

 仮にも今川の重臣が、主君の息子とは言え、年下の武士の機嫌をとるために自ら踊る。その潔さには、さすがの私も胸が痛んだ。


「…見事なものよのう。儂も加えてたもれ。」


 そう言うが早いか、五郎殿が席を立ち、関口殿と共に舞い始める。

 関口殿はぎょっとした表情になるが、激しさを増す五郎殿の動きに追従せざるを得ない。


「誰か、笛や(つづみ)を持って参れ!今日は我らの婚礼より一年となるを祝す、目出度き日ぞ!我こそはと思わん者は、儂に続いて舞うがよい!」


 五郎殿の呼びかけで、楽器演奏が始まり、誰かが歌いだす。屋敷から運んで来たお酒が配られ、凍り付いていた部屋の空気が溶けていく。

 ――客観的にはともかく、関口殿の責任は有耶無耶になった。五郎殿の思惑通りに。

 私は、客間で歌い踊る人々に手拍子で応えながら、いつの間にか自分の頬も緩んでいた事に気付き、五郎殿と見つめ合って、笑い合った。




「今日は誠にご苦労様にございました。関口殿の面目を潰さぬようにとの機転、お見事にございます。」


 屋敷に帰って一休みしながら、私は五郎殿に言った。

 関口殿の行動は、私…というか今川家の処分に異論が無い事を示すために必須のパフォーマンスだったのだが、同時に、関口殿のメンツを著しく傷付けるものだった。

 それを、とっさに自分も踊って有耶無耶にしてしまったのだから、五郎殿の機転は本当に凄いと思う。


「何を申す、結。このひと月、関口の面目を潰す事なく事を収めんと、東奔西走していたのはお主ではないか。真に…真によくやってくれた。」


 両肩に手を置かれ、真っ直ぐ見つめられたまま言われると、さすがに私も照れる。

 五郎殿が言った通り、ここ一か月の間、いつにも増して忙しかった事は事実だ。

 側付き侍女や使用人を通じて市井の噂話を集めたり、義元殿の屋敷に勤める文官に問い合わせて瀬名殿の所領の様子を探ったり、百ちゃんをスパイとして関口邸に送り込んだり…。

 半月の潜伏期間を経て帰還した百ちゃんが、関口邸の内情をこれ以上無いほど詳細に調べ上げて来た時には、関口邸のセキュリティの甘さに呆れるべきか、百ちゃんのスキルの高さに驚くべきか悩んだが、対策を講じるに当たって大変助けになった事は事実だ。

 ちなみに、久しぶりに重要かつ危険な任務をさせてしまったため、特別報酬を与えようとした所、百ちゃんの希望は『若奥様手ずから甘味を下さる事』だった。

 そんなんでいいのか、と拍子抜けしながらお菓子を渡した所、百ちゃんは足取りも軽く自室に戻って行ったので、まあ本人がそれでいいなら良しとしよう。


「しかし、武士も公家もなく、貧富も戦も無い…言わば天下泰平の世、か。そのような国を、果たして作れるものであろうか。」

「無理にございましょう。」


 五郎殿の純粋な疑問に答えたのは、自分でも驚くほど冷たい声だった。


「乱世を収めるには、合戦で日の本中を手中に納めねばなりません。無論、家中の侍の手を借りて。しかる後、今後は皆刀を捨て、所領を百姓に返せと申しても、その通りにする者がおりましょうや。」


 武士が権力を握っている限り、絶対に無理だ。

 かと言って、江戸時代が終わって、全ての日本人が名目上平等になっても、貧富の格差は無くならない。

 平成になっても、令和になっても、同じ事だ。


「…結よ。」


 五郎殿に抱きしめられていると気付くまでに、数瞬の間を必要とした。


「儂には日の本中を一つにする事も、万民を豊かにする事も出来ぬやも知れぬ。されど、父上にお誓い申し上げた通り、命尽きるまで今川を盛り立てて参る所存じゃ。お主はまだ幼いというに、儂の妻として誠にようやってくれておる。じゃから…今宵はゆるりと休め。」


 衣服越しに伝わって来る五郎殿の体温に、私は声にならないうめき声を上げながら、少しだけ、泣いた。




 数日後、万念を名乗る僧侶が今川の追っ手に捕縛され、即日斬首された。

 友野屋が大株主を務める『駿河人足』が発足し、関口邸の周りからほぼ全ての無宿人が姿を消したのと、同じ日の出来事だった。

お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 結からすれば思いっきり好意的に関口殿の顔を立てた解決方法ですね。 この人足たちの株主という立場から現実を見た結果として瀬名殿がわかればいいのですがなまじ苦労なく他人が穏便にまとめたことを自…
[一言] ア、アイエーー!? 共産主義、共産主義何で!? 珍念は速やかにクビキリ!!
2023/07/22 13:42 退会済み
管理
[一言] 共産主義という社会実験の失敗で現代人は平等公平な社会は無理と悟った訳だけど、未経験の僧侶や小娘が王道楽土を信じても仕方がない 瀬名殿暴発の予感 坊さんと引き合わせた者がいるんでないの?
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