#095 呉越同舟の船出
#101の内容について、お知らせします。
熟慮の結果、若き日の寿桂尼と義母北河殿、その弟伊勢宗瑞(北条早雲)の会話を書かせていただきたいと思います。
活動報告でもお知らせしました通り、今回採用出来なかったリクエストにつきましても、今後本編のどこかに織り込んでいけるよう、努力して参ります。
企画に参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。
「若奥様、それはいかなる思し召しにございましょう。」
私は『河東造船』の商いに参加しない、という宣言に、真っ先に反応したのは外郎屋藤右衛門殿だった。
確かに、元はと言えば、駿河での商いに加わりたいという外郎屋の要求に応じて、今川水軍の『黒船』建造に黒漆を必要とする友野屋に、私が引き合わせた形になってはいる。
しかし、私には『河東造船』の経営に参加出来ない理由があるのだ。
「まず一つ。ここ沼津は私の所領ではございません。寿桂様の所領にございます。駿府や私の所領であればいざ知らず、この地で商いをするのであれば、今川の一門衆として株札をお持ちになるのは、寿桂様であるべきにございます。」
北条領に近く、港がある土地として最初に挙がった候補地が、寿桂様の所領である沼津だった。
仮に私が元株を持っても、一々寿桂様にお伺いを立てるのは面倒で仕方が無い。
そこで、株主総会の議長権限を保証する元株を含む、『河東造船』の株札を、寿桂様に保有してもらう事になった訳だ。
「もう一つ、ここ沼津はいささか駿府より遠くにございます。先ほど外郎屋殿が申された通り、小田原からでは行き来もひと苦労でしょう。月に一度の株主総会のため、度々屋敷を空けるは、誠に心細うございます。」
さらにもう一つ、口には出さなかったが、世間の目も気になる。
いくら株主総会という名分があったとしても、小田原から輿入れした嫁が月一の頻度で相模との国境に行っていたら、余計な憶測を招く恐れがある。それは避けたい。
「我ら相模勢への心配り、お礼の申し上げようもございません。されど、折角の好機を、あえて無碍にされる事も無いのでは。寿桂様もご高齢の身とあらば、駿府と沼津の行き来は体に堪えましょう。株主総会を二月に一度とすれば、若奥様も沼津までお越しになられるは、さほど難しくないのでは?株札の持ち主を寿桂様とされ、その名代として若奥様が来ていただく、という訳には…。」
やけに私の出席にこだわる藤右衛門殿の内心を測りかねた私は、困惑を押し殺して首を横に振った。
「寿桂様のお屋敷には教養あるご親族や、才覚ある家臣の方々がいらっしゃいます。私でなくとも、寿桂様の名代を立派に務め上げてくださいましょう。」
既に寿桂様に内諾ももらっている。
実際に『河東造船』が稼働したら、寿桂様は義元殿と相談して経営方針を確認し、それを信用できる親族や重臣に言い含めて、名代として沼津へ送り出してもらう。
後は私は行く末を見守るだけだ。
「結…御免、今川の若奥様、誠によろしいのか。散々骨を折って、一銭も儲からぬなど…。」
藤菊丸兄者の人の良さに、私は密かに苦笑した。確かに私はお金が好きだが、そのために他の全てを犠牲にする積もりも無いのだ。
私の役目は一にも二にも屋敷の維持管理と五郎殿のお世話。加えて、七日に一度は寿桂様のお稽古、数日おきに株主を務める商会の株主総会、時々お客様の接待と来れば、毎月毎月沼津と駿府を往復するのは正直おっくうだ。
この上、今川の軍事に直接的に関与するとなれば、さすがに私の手に余る。
だから、『河東造船』の事は寿桂様にお任せする。それでいいのだ。
「私の役目は今川と北条、友野屋殿と外郎屋殿が手を取り合う仲立ちを務める事。皆様が利を得られるのであれば、これ以上の仕合せはございません。」
やや気取った私の台詞に、三人の反応は様々だった。
友野屋殿は目をつぶって小さく首を振り、藤菊丸兄者は感極まった様子で、両目に涙を浮かべていた。
そして外郎屋殿は、探るように私を見つめていたかと思うと――片頬を大きく持ち上げ、ニヤリと笑った。
「成程、成程。若奥様の深謀遠慮、お見逸れ致しましてございます。『その時』が来ましたらば…どうぞよしなに。」
『その時』って何?
藤右衛門殿の反応に疑問を覚えながらも、私は曖昧に微笑んで誤魔化した。
その後、私達は『河東造船』の経営に関する諸々の書類に署名していった。
必要な署名は五名分。今川義元殿、北条氏康殿、友野屋殿、外郎屋殿、そして『河東造船』の棟梁さんだ。
と言っても、当人が署名出来るのは二人だけ、勿論友野屋殿と藤右衛門殿だ。『河東造船』の棟梁さんは友野屋殿が代筆するとして、大名の署名は、親族とは言え別人が代筆するには価値が重すぎる。
そこで、私と藤菊丸兄者がそれぞれ起請文を取り出す。義元殿が私に、氏康殿が藤菊丸兄者に預けた、一種の委任状だ。
『「河東造船」の発足に当たり、自分の名代が署名して文書を保証する事を認める。』
大体そんな事が書かれている。
つまり、今日この場に限って、私の署名が義元殿の、藤菊丸兄者の署名が氏康殿の代わりになる。将来的に、どちらか一方が「やっぱりあの委任状無効ね」とか言い出したり、急死してしまったりすれば、一気に失効する可能性もあるにはあるが。
ともあれ、起請文を見せ合った上で、諸々の書類に二人で署名していく。
「…これで最後にございます。」
友野屋殿に差し出された文書に目を通すと、株札の割り振りについての合意書だった。二枚目の。
お互いの裏切り行為を防止するため、同一の書状を一部ずつ、友野屋と外郎屋で持ち合う事になっているのだ。お陰で手間も二倍だが、これまでの商売敵が手を組もうというのだから、双方が疑心暗鬼に陥るのも無理はないだろう。
あとは私が持って来た義元殿の委任状と、藤菊丸兄者が持って来た氏康殿の委任状を交換すれば、全ての手続きは完了だ。
部屋から退出していく藤菊丸兄者と藤右衛門殿を見送ってからようやく、私は長い長いため息をつく事が出来たのだった。
数日後、駿府館に帰った私は、緊張でガチガチになりながら、上座に座る義元殿と、その脇の寿桂様に会談の結果を報告した。
私の隣には友野屋殿が座り、『河東造船』についての書状一式を差し出す。
「つつがなく事が進み、何よりである。結、そして友野屋よ、大儀であった。」
お、終わった…やっと、終わった…。
一通り書状を確認した義元殿の第一声に、私は今すぐ寝そべりたい気持ちをぐっとこらえた。
寿桂様と義父上の前で醜態を晒す訳にはいかない。寝転がるなら、屋敷の自室に戻って、人払いを済ませてからだ。ああでもその前に、留守の間の報告を聞かなくちゃ…。
「わたくしからも礼を言います。」
明後日の方角に飛びかけていた意識を呼び戻したのは、寿桂様の声だった。
「特に友野屋殿。造船所の名を『沼津』ではなく『河東』とするように、とのわたくしの頼み事を聞き入れてくださり、礼の申しようもありません。」
「勿体無いお言葉…寿桂様の心中を思えば、苦労の内には入りませぬ。」
河東…その地名が持つ重みに、私は今更ながら気付かされた思いだった。
稽古終わりの雑談で、寿桂様が河東に特別な思い入れを持っている事は知っている。
かつて今川と北条が争い、十年近く戦場になった地域だからだ。
「これを機に、今川と北条が河東にて手を取り合い、末永く盟を同じくしていただければ…。」
「義母上。」
穏やかながらキッパリとした声色に、冷たい汗が流れるような錯覚を覚えた。
普段だったらあり得ない事だ。寿桂様が公の場で、今川家の外交政策について言及するなんて。
現状の方針を後押しする内容とは言え、女性が政治や軍事に口出しする行為は、今川家でも歓迎される事じゃない。それは寿桂様が一番分かっているはずだ。
「…申し訳、」
「た、太守様の!太守様の思し召し通りに事が運び、祝着至極にございます!」
寿桂様が頭を下げる寸前、私はとっさに大声を上げた。我ながら拙いかばい方だとは思ったが、急な事だったので名案が思いつかなかったのだ。
狙い通り、と言うべきか、義元殿は私に視線を向け、ほっほっほ、と笑った。
「…双方、誠に大儀であった。結よ、今後とも北条との仲立ちを頼むぞ。友野屋よ、支度が整い次第『黒船』造りに取り掛かるがよい。…余は次の用事があるゆえ、席を外す。」
義元殿がそう言って席を立つと、私達は平伏して彼が部屋を出るのを待った。
ややあって、同様に平伏していた寿桂様が口を開く。
「…あなたが口を出す必要は無かったのですよ。」
確かに、寿桂様をかばう行動は義元殿に悪い印象を与えたかも知れない。
正直、後悔する気持ちもある。
でも…いや、うん、これでいいんだ、きっと。
「出過ぎた真似をお許しください。寿桂様の身を案ずる余り…。」
「…真に、出過ぎた事。されど…。」
寿桂様は言いよどむと、長い沈黙の後、立ち上がって、部屋を出る間際に私に言った。
「…もっと自分の身を大事にしなさい。あなたは五郎殿の妻なのですから。」
友野屋殿と二人残された部屋で、私は知らず知らずのうちに固まっていた肩の力を抜き、同時に軽い頭痛を感じた。
屋敷に帰って越庵先生から頭痛薬をもらった私は、それを口実に、五郎殿が帰宅するまでの間、自室で寝て過ごす事が出来た。
その代償として、翌日、朝食を終えて早々に、この数日で溜まった仕事をぶっ続けでやる羽目に陥ったのだが、その後義元殿から何ら追及が無かった事は、本当に幸運だったと言わざるを得ない。
ちなみに、株主総会を二か月に一度にする、という藤右衛門殿の提案は、その後の株主総会のスタンダードとなり、『河東造船』は勿論、私や友野屋殿が関わる商会の総会にも採用された。
これまで出席していた総会が二か月おきになった事で、日々の生活にゆとりが出来たのは、紛れもなく外郎屋殿のお陰である、と言えるだろう。
お読みいただきありがとうございました。