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#094 大事なことなのに一度も言ってませんでした

読者の皆様の応援のお陰で、評価ポイントが2,000ptを突破しました!

投稿頻度が低下気味ですが、粘り強く続けて参りますので、今後ともよろしくお願い致します。

 いつまでも思考停止している訳にもいかない。どうして私が今川と北条の外交にも関わる交渉の場にいるのか、遡って思い出さなければ。




 今川水軍の視察を終えて駿府館に帰ってから、私と五郎殿は揃って義元殿に報告した。主に水軍衆の軍備や規律、そして『黒船』が欲しいという要望について、だ。

 黒漆には軍船の見た目を立派にするのみならず、腐食を防ぐという実用性も見込める、という話に、義元殿は思った以上に関心を寄せ、父上――北条氏康殿と書状で打ち合わせると約束してくれた。

 結果、今川水軍の軍船に小田原の黒漆を使用する方向で話がまとまり、具体的な交渉は今川家の御用商人である友野屋と、北条家御用達の外郎屋の間で詰められる事になった。

 水軍衆は『黒船』が手に入り、友野屋と外郎屋も商売が出来て、三方よし。良かった良かった、と油断していた私に、義元殿からお声がかかったのが一週間ほど前の事だった。いわく、造船所を建設する沼津で最終調整を行うので、今川家の名代(みょうだい)として出席せよ、とのお達しだった。

 かくして、私はまたも輿に乗って東海道を東に向かい、重要な会合に参加する事になったという訳だ。




「今川の若奥様におかれましては、お久しゅうございます!此度は北条左京大夫(氏康)殿の名代として罷り越しました、大石(おおいし)藤菊丸と申します!」


 他人行儀な口調、かつ相変わらずの大声で挨拶したのは、私と太助丸兄者の兄にして北条家次期当主新九郎殿の弟、藤菊丸兄者だ。

 大石というのは北条傘下の有力国衆の名字で、後継者問題を解決するため、北条氏康(ちちうえ)藤菊丸兄者(あにうえ)を養子に送り込んだらしい。

 しかし、北条の息子である事に変わりはない。北条家の代表として出席した以上、北条家の利益を優先する形で動くだろう。


「同じく、お久しゅうございます。外郎屋当主、宇野藤右衛門にございます。」


 相変わらず悪徳商人みたいな顔付きで、藤右衛門殿が平伏した。

 散々外見を悪く言ったが、これまで藤右衛門殿に騙されたり、不快な思いをさせられた事は一度も無い。

 しかし、相手は百戦錬磨の商人。油断は出来ない。

 狙いは株札保有比率の増加と外郎屋への利益誘導のどちらか一方、あるいは両方だろう。


「改めまして、友野屋当主、友野次郎兵衛と申します。お二人共、小田原より箱根を越えて、ようこそお越しくださいました。」


 物腰は柔らかく、しかし鋭い目付きで、友野屋殿が挨拶。

 造船所が建設されるのは今川領内、軍船の発注も今川家からされるとなれば、友野屋殿がこの場を仕切る事は不自然ではない。

 ただし、肝心の黒漆には外郎屋の協力が欠かせない。交渉では、株札の保有比率が焦点になるだろう。


「今川治部大輔(義元)殿の名代として参りました。今川五郎殿の妻、結にございます。此度は皆様揃ってお越しいただき、誠にかたじけのう存じます。」


 最後に、名目上の司会進行役として私が挨拶する。

 頭を下げている間に、藤菊丸兄者のいる辺りから鼻をすするような音が聞こえた。恐らくだが、私が自分を「今川五郎殿の妻」と名乗った事を嘆いているのだろう。藤菊丸兄者は昔から感情豊かだったから尚更だ。

 個人的には嬉しく思う反面、北条の代理人として出席している立場でそれはどうなのか、とも思ったが。


「では、早速ですが、今川水軍の軍船を造り、これに黒漆を施す工房…仮に、『河東(かとう)造船』と致します。当商会の設立に関しまして、皆様方の存念を確かめさせていただきます。」


 友野屋殿はそう言うと、『河東造船』についての確認作業に入った。




 『河東造船』は今川領沼津に工房を構え、今川家からの注文を一手に引き受けて軍船の製造、改装、補修を行うと同時に、民間からの受注で渡し舟や漁船、商用帆船の建造を行う造船企業である。

 ちなみに『補修』には、時間経過と共に劣化する黒漆塗りの再塗装も含まれる。つまり、今川水軍が複数の『黒船』を保有し続ける限り、定期的に黒漆の塗装作業が必要になる訳だ。

 軍船の建造に必要な木材などの材料、それに船大工などは、今川の御用商人である友野屋が用意する。しかしながら、大将格が乗船する関船に黒漆を塗布するために、小田原の黒漆と漆塗り職人が必要である事から、設立には北条家御用達の外郎屋が関与する。

 よって問題はシンプルかつ深刻だ。

 今川の軍備に関する工房に、北条の息がかかった職人達が出入りする事は、機密保持の観点からして問題ないのか。

 そして、誰がより多くの株札を確保するのか。




「では、陸で関船を組み上げた後、外郎屋殿が手配された職人が黒漆を塗る、という手順でよろしいか?」


 友野屋殿の質問に、藤右衛門殿が鷹揚に頷く。


「左様。職人共はその船が誰のものか、今川水軍が何隻の軍船を抱えているか、一切探りませぬ。その代わり、軍船に黒漆を塗る手立てについては、小田原に持ち帰って北条水軍の軍船にも用いさせていただきます。…よろしゅうございますな?若奥様。」


 やや高圧的な藤右衛門殿の口ぶりに、私は黙って頷いた。

 今川水軍の軍船建造で得られたノウハウを、北条水軍の強化のために持ち帰る。小田原特産の黒漆を提供し、今川水軍の強化に協力する北条家が要求するのも当然の内容だ。

 あらかじめ義元殿から承諾をもらっている以上、私に異存は無い。


「では、株札の割り振りにございますが…我が友野屋が六枚、外郎屋殿が六枚、『河東造船』棟梁が六枚、今川家名代殿が二枚、計二十枚、ではいかがでしょうか。」

「お話になりませぬな。」


 藤右衛門殿の声に、藤菊丸兄者の背筋がピンと伸びるのが見えた。

 無理もない。私だって緊張している。

 ここから二人の豪商の駆け引きが始まるのだ。


「藤右衛門殿。お話にならぬとは?」

「言葉の通りにござる。我らは山に分け入って漆を集め、箱根の峠を越えて軍船造りに合力する。こう言っては何でございますが、駿河にて木材を集め、軍船を組み上げる『だけ』の駿河勢が我らと同数の株札をお持ちになるとは…得心が行きませぬなぁ…。」

「そ、その通りじゃ!外郎屋がより多くの株札を持って然るべきじゃ!」


 藤右衛門殿に、藤菊丸兄者が加勢する。私は友野屋殿をかばいたい気持ちをぐっとこらえた。ここで私が友野屋殿の肩を持てば、駿河勢と相模勢という対立構造になるだけだ。


「では、我ら友野屋が五、外郎屋殿が七では?」

「いやいや、友野屋殿が三、我らが九、でござろう。」


 株札保有比率45パーセントという要求にも、友野屋殿が動じた様子は見えない。戸惑った様子を見せたのは、味方のはずの藤菊丸兄者だった。

 私が内心いぶかしんでいる内に、友野屋殿が重々しく口を開いた。


「我らには我らなりの苦労というものがございます。…我らが四、外郎屋殿が八でいかがにございましょう。」

「…よろしい。それで手を打ちましょうぞ。」

「待った‼」


 商人同士の話がまとまりかけた矢先に、割って入ったのは藤菊丸兄者だった。


「外郎屋は此度の元手の過半を請け負ったと聞く!なれば、駿河勢が九枚、相模勢が十一枚を持って然るべきであろう!」


 藤菊丸兄者の主張に、私は危うく頭を抱える所だった。

 私に代わって反論したのは、友野屋殿だった。


「恐れながら、それは今川の水軍を乗っ取らんとの企みにございましょうか。」

「な⁉なにゆえそのような…!」


 今にも斬りかかりそうな剣幕を前に、友野屋殿は淡々と答えた。


「株札の取り扱いについて、我ら商人の間には暗黙の取り決めがございます。株主一人が持つ株札が、全部の半分を超えぬよう取り計らう事…と。」

「されど、友野屋が四枚、棟梁が六枚、今川が二枚では、幾度総会を開こうと、外郎屋の言い分が通らぬではないか!」


 一見もっともな藤菊丸兄者の大声に、友野屋殿は黙って首を横に振った。


「確かに、それがしは今川の御用商人。棟梁を始め、職人もそれがしが手配致します。されど、ひとたび商いが始まれば、株主はいつまでも一枚岩とは行きませぬ。太守様は軍船を安く造れと申され、外郎屋殿は漆を高く買うよう迫り、職人は給金を増やすよう求めるでしょう。…株主一人が株札を五割以上持つという事は、それら全ての申し出を一人で差配せねばならぬという事でございます。」


 お前にそれが出来るのか?

 友野屋殿に、暗にそう迫られた藤菊丸兄者は、押し黙るほか無かった。


「株主おのおのが己の存念を語り合い、ある時は折り合いを付け、ある時は別の株主を味方に着けて、商会のかじ取りを行うのが株主総会にございます。どうしてもと仰るなら、お望み通り株札十一枚を外郎屋殿にお譲りしましょう。ただし、その時は今川水軍に関する責任の一切を、外郎屋殿に負っていただく事になりますが…。」

「ほっほっほ。まさかまさか。この藤右衛門、それ程まで銭に貪欲ではございませぬぞ。」


 味方のはずの藤右衛門殿の発言に、藤菊丸兄者はショックを受けた様子だった。

 ちょっと可哀想だが、これが汚いオトナのやり口なのだ。利益はもらえるだけもらうが、リスクは分散して負担したい、という。

 まあ、そもそも『株札』を提案したのは私だし、藤右衛門殿も身銭を切ってこの商売に先行投資しようとしているのだから、嫌悪感は特に無いが。


「では、先ほど友野屋殿が仰った通りに…。いやしかし、あの姫様を株主総会に招いて共に商いをする日が来ようとは、夢にも思いませなんだなぁ。」

「いいえ?私は『河東造船』の商いに関わりませんが。」


 私の何気ない一言に、上機嫌だった藤右衛門殿と、ふくれっ面の藤菊丸兄者が、目を見開いた。

 えーと、あれ?もしかして、伝わって無かった?

 私が『河東造船』の寄り合いに参加するのは今日限りだって事。

お読みいただきありがとうございました。

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