#092 駿河の海賊
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天文24年(西暦1555年)4月 駿府館
すっかり春らしくなってきたある日の昼下がり。
私はたまたまスケジュールにぽっかり穴が空き、暇を持て余していた五郎殿に頼んで、刀剣や焼き物、絵画などの鑑定に付き合ってもらっていた。
「うむ、こんな所であろう。」
「…はい、私も目録を書き上げましてございます。ご助力いただき、誠にかたじけのう存じます。」
「何の、儂も久方振りに宝物を眺める事が出来、大いに楽しめた。こちらこそ、礼を申すぞ。」
五郎殿の気遣いを心底ありがたく思いつつ、私は疲れ目をぎゅっと閉じたり、開いたりしながら、書き上げたばかりの目録から顔を上げた。そこには、この数か月間で小田原の外郎屋から買い付けた、太刀に茶碗、掛け軸に屛風といった、宝物の山がそびえ立っていた。
外郎屋から宝物を買い入れるようになった切っ掛けは、年明け辺りに小田原から届いた手紙だった。差出人は外郎屋の当主、宇野藤右衛門殿で、私の輿入れから半年経ったが元気か、とか、何か必要なものがあればいつでも連絡して欲しい、といった文言が書き連ねられていた。
だが、手紙を念入りに読み込んだ結果、藤右衛門殿の真の要求に気付いた私は、大いに困惑した。
手紙には、私が小田原にいる間、毎月希少な練り菓子を無償で頂戴していた経緯も記されていた。つまりこの手紙は一種の督促状なのだ。そろそろ初期投資した分を回収させて欲しい、という。
別に外郎屋の魂胆が浅ましいとか、そういう事を言っている訳じゃない。権力も私有財産も無い小娘にせっせとお菓子を貢いでくれたのは、その小娘が今川に輿入れして、今川領への足掛かりが出来る事を見越しての先行投資だったのだから、私がその要求に応えるのはむしろ当然の事だ。一方的にお菓子をもらっておいて便宜を図らないとか、不義理が過ぎる。
私の悩みは、どうすれば外郎屋の要望に答えられるか、その一点だった。
藤右衛門殿からの手紙や友野屋からの報告で、外郎屋も株札を用いた商いを始め、業績を上げているとの情報は得ていた。となれば、友野屋殿にも取り計らったように、新しい商会の設立などに協力して儲けが出るようアドバイスする…というのが最善なのだが、生憎私の頭脳からは新しい商売のアイディアなど出て来なかった。
商売の事と言えば友野屋殿に頼るのが近道、ではあるのだが…この場合、友野屋の利益を損なう可能性があるライバルに手を貸すような真似を、友野屋殿がしてくれるだろうか、という不安が先に立ったため、相談は保留せざるを得なかった。
私が妥協点として選んだのは、毎月入って来る配当金を基に、現物も見ないで宝物の一括購入をすると言う、成金の奥さんみたいな行動だった。
まず希望する宝物の目録とまとまった額の銭を小田原に送る。すると半月後、送った額の範囲内で、外郎屋から宝物の詰め合わせセットが届く、という寸法だ。これなら、外郎屋はひとまず大口の顧客に定期的に宝物を売却出来るため、一応の面目が立つ。
私としても、五郎殿と付き合いのある上級家臣やお公家様などと贈答品のやり取りをしなければならなかったため、ある程度まとまった数の宝物が手に入った事はある意味渡りに船だった。
問題はその量と鑑定で、月を追うごとに蔵に積み上がっていくお宝の山に、頭を悩ませた事は一度や二度じゃない。勿論外郎屋の側でも出荷前に宝物を鑑定し、目録付きで送ってくれてはいるのだが、その鑑定結果が百パーセント正確かどうか、自信が持てなかったのだ。そこで五郎殿に頼んでみた所、嫌そうな顔一つせずに引き受けてくれたという訳だ。
「五郎殿の目利きには誠に頭が下がります。上物とされていた一品が凡作であったり、並の扱いを受けていた物が逸品であったりと…私では見抜けぬ所でございました。」
「外郎屋殿も、お主を謀る積もりはなかろう。されど、こうした物は時と所によって値打ちが異なるという事もある。この漆塗りの化粧箱など、よい例じゃ。」
「漆塗り…でございますか。」
私がオウム返しに聞き返すと、五郎殿は話題の化粧道具入れを私の前に近づけた。
「小田原の黒漆は殊の外艶がよい!その上、固く、軽く、物持ちもよいと良いことづくめじゃ!もし屋敷を新たに構えるとあらば、材木の一切を漆塗りにするも、趣深いやも知れぬのう!」
いつにもまして楽しそうな五郎殿の横顔にほっこりしていた私は、直近でお土産が必要な用事を思い出して目録をなぞった。
「時に、五日後の水軍への視察には、どれをいかほどお持ちしましょうか。」
水軍と言うのは、今川家が抱える、いわゆる海軍の事だ。小田原にいた頃から海が大好きだった太助丸兄者も、頻繫に水軍の本拠地に出入りしているらしいのだが、その今川水軍からのお誘いで、二人で視察に向かう事になっているのだ。
「侍大将に下賜する分、太刀を持って行こう。その他の陪臣には銭を分け与えるとして…他に何か、労う術は無いか?」
「でしたら、お菓子とお茶を全員に振る舞ってもらえないか、『茶店一揆』に相談してみます。勿論、代金の一切は、後日私がお支払い致します。」
太刀を束で持って行くとか、お菓子の無料サービスとか、我ながら随分リッチになったなあ…と感慨にふけっていた私の前に、五郎殿が腰を下ろした。
「菓子と茶の大盤振る舞いか。皆喜ぶであろう。されど…。」
言いよどむ五郎殿に、私は首を傾げた。
「何か気掛かりがございますか?」
「いや、うむ…太助丸の事じゃが、兄君は小田原にありし頃よりあのようであったか?」
「あのよう、と申されますと…。」
「駿府に招かれてひと月ほど経った頃であろうか、父上がお聞きになられたのじゃ。駿府で気に入った所はあるか、とのう。太助丸は即座に『海』と答えた。そこで水軍の港に案内された所…あっという間に馴染んでしもうてのう。」
五郎殿の否定的な口調に、私はにわかに不安を覚えた。
「もしや、とは思いますが…我が兄が文武の稽古を怠り、水遊びに興じておられると?」
「いや、左様な事は無い。ただ…指南役から言い付けられたお題を早々に片付け、暇が出来たと見るや、浜へ走って行くのを幾度となく見た。その上、水軍衆は気性の荒い者が多いゆえ、太助丸も道を誤りはしないかと、気懸かりでのう。」
要するに、太助丸兄者がグレちゃうんじゃないかと心配してくれている訳だ。
五郎殿の懸念ももっともだ。私だって、色白でボーっとしていた太助丸兄者が、駿府で再会した時にはバリバリのスポーツ少年みたいになっていた事に大きな衝撃を受けたものだ。
「ご心配、かたじけのう存じます。私も視察の折、太助丸殿の存念を確かめます。…時に、水軍衆の皆様はそれ程に気性の荒い方々ばかりでございましょうか?」
海軍、と言えば、船長の号令一下、一糸乱れぬ動きで船を操る、みたいなイメージがあっただけに、私は五郎殿に確認せざるを得なかった。
「あの者達はのう…駿河の交易と今川の戦に欠かせぬ、のじゃが…もし不安であれば、お主は屋敷に残ってもよいぞ。」
五郎殿の歯切れの悪さを不思議に思いながらも、私は首を横に振った。
「今川を海から支えてくださる水軍衆、私もご挨拶に伺いとう存じます。駿府の台所に欠かせぬ砂糖や醬油も、港から荷揚げされていると伺いましたゆえ。」
「…左様か。あまり無理をするでないぞ。」
その時の私は、五郎殿の警告を甘く見ていた。
小田原で散々怖い顔を見て来た以上、それ程ビビる事にはならないだろう、と…。
五日後、今川水軍の母港で輿を降りた私は、回れ右して屋敷に帰りたい気持ちで一杯だった。
「此度はかようにむさ苦しい所までお越しいただき、かたじけのう存じます。…てめえら!若君のご到着だ!とっとと集まりやがれ!」
「「「「「うおおおおおおお!!」」」」」
声を張り上げたのは、浅黒い肌をピチピチの裃で覆った、中年の侍。その号令で、あちこちから水軍衆が駆け寄って来る。
袖が無く、すね毛が剝き出しの――前向きに評価すれば動きやすい服装の――誰もかれもぼさぼさの髪とヒゲを蓄えた、強面の男達だ。
「てめえら!若君と若奥様を、丁重にもてなして差し上げやがれ!」
「「「「「へいっ‼」」」」」
率直に認めよう。私のイメージは間違っていた。
これ海軍と違う、海賊や。
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