#085 誰がために店はある
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天文23年(西暦1554年)11月 駿府館
ついにこの日がやって来た。『友野調薬』の第一回株主総会。
会場は引き続き屋敷の客間、参加者は株主である私と越庵先生、友野屋殿に、友野調薬店主の半田直吉さんだ。
本来の株主総会であれば、経営陣――この場合は直吉さん――が司会進行を務めるのが普通だが、実際の席の配置は上座に私、下座に他の三人が並んで座っている。
理由はまず、ここが駿府館の敷地内であり、身分差が席次に影響するから。そして、私が作成した総会規則に則れば、株札の所有数に関係なく、『元株』を持つ株主が株主総会を差配する事になっているからだ。勿論、友野調薬の元株は私が握っている。
さて、何はともあれまずは決算報告だ。直吉さんが提出した紙を、私から順番に回し読みする。
越庵先生を経て友野屋殿の手に決算報告書が渡ると、無言で読み込んでいた友野屋殿の眉間にシワが寄り始めた。
「これはどういう事か、申してみよ、直吉。なにゆえ配当金の総額が元手の半分しか出ておらぬのか。」
やはり、そこが友野屋殿の癇に触ったか。
私は内心ため息をつきながらも、やはり株式会社がこの世界では通用しないのではないかとの危機感を抱いた。あまりに儲けが出ないのであれば、株主への配当はおろか、友野調薬の存続にも関わるからだ。
経営や経済に疎い私としては、とりあえず直吉さんの弁明を聞く他無かった。
「申し上げます。理由は大きく、二つございます。まず、折角越庵先生のご指導を賜りながら、手代や丁稚が薬の調合や保管を誤り、多くを駄目にしてしまった事。次に、あちこちの村や町に薬売りを送り出しました所、効き目の程を疑って手を出さぬ者が多くいた事。この二つにございます。」
問い詰められているにもかかわらず、冷静に弁明する直吉さんに驚きながら、私は手元の紙に直吉さんが挙げた問題点を書き記した。
同時に、さっき見たばかりの決算報告書の内容を思い返すと、薬種問屋や野山から調達して来た材料、それに完成した薬を管理担当者の不手際で多数汚損した、という報告が確かにあった。ご丁寧に、無駄になった材料費の総額まで申告されていたはずだ。
それと、薬の売り上げに関しても、最も売れたのが駿府市中で、ここから遠ざかるほど売り上げが減少していた。人口や領民の手持ち金額が少ない農村はまだしも、相応の需要があるはずの宿場町でも売り上げが芳しくないのは、確かに知名度不足が最大の原因と見て良いだろう。
「お主であれば、と店を任せたに…借銭をしてでも配当金を増やすか、店主を替わるか、ここで決めよ!」
「お待ちください。」
怒り心頭の友野屋殿を制止すると、彼は両眉を吊り上げながら私をにらんだ。小田原でもっと怖い顔を見て来たお陰か、全く怖くなかったが。
「お忘れですか、友野屋殿。ここは株主同士で集まり、友野調薬の行く末を語り合う場です。『店の大筋に関する一切、株札の多少に依りて決すべき事』…寄り合いの掟を蔑ろにしていただいては困ります。」
私の言葉に、友野屋殿は視線を左右に揺らしたかと思うと、今にも舌打ちしそうな形相で渋々引き下がった。
「越庵先生、いかがでしょうか。友野調薬の商いに、何か思う所はありませんか?」
援護を求めて越庵先生に水を向けると、決算報告書をめくっていた越庵先生は重々しく口を開いた。
「正直な所…戸惑っております。薬の代金については直吉殿より相談を受け申した。百姓町民にも手が届くよう、出来る限り抑えていただきましたが…ひと月でこれほどの儲けを出すとは、直吉殿の手際の良さには頭が下がります。」
確かに、下級武士である馬蔵さん達の年収のおよそ五倍を、開業して一か月で叩き出すとか、改めて考えてみるととんでもない成果だ。仮に、来月も配当金の額が同じであれば、元手の回収が開業2か月で達成される事になる。その先は憧れの不労所得生活だ。お店が続く限り、だが。
「直吉殿は先日、わざわざそれがしに詫びを入れに参られ申した。折角調剤や保管の手ほどきを受けながら、むざむざ損なってしまった、と。薬を扱う者として、直吉殿にはこれからも友野調薬の店主を務めていただきとう存じます。」
「…越庵先生はこう仰っているけれど、直吉殿はいかが?今後も店主を続けていく意気はおあり?」
念のため、直吉さんに確認を取ると、強い意志の宿る眼差しが返って来た。
「薬種や薬を駄目にしてしまった事、誠に申し訳なく思っております。されど、手代や丁稚もこのひと月で務めが手に馴染んで来ておりますれば、こうした過ちは今後滅多に起こらぬものと存じます。」
「断言は出来ないと?」
「商人の端くれとして、虚言を申す訳には参りません。とにかく、わたくしは今後も友野調薬の店主として留まりとう存じます。」
これで株札の60パーセントが店主の更迭に反対、という事になった。
私が友野屋殿の方に視線を戻すと、彼はまだ納得がいかない様子で、肩を怒らせていた。
「いかがでしょう、友野屋殿。出来れば満場一致で、半田直吉殿を改めて任じたいのですが。…友野調薬の店主として。」
あからさまに圧力をかける私の言葉に、『株主総会』というフィールドのルールを察したらしく、友野屋殿は目をつぶって大きく深呼吸をすると、これまで見て来たものとは異なる、どこか凄みを感じさせる笑みを浮かべた。
「承知しました。それがしも直吉殿を、友野調薬の店主として認めましょう。若奥様も、同心にございましょう?」
「そうなりますね。」
「結構な事でございますな。それでは、それがしも皆様に聞いていただきたい儀がございます。」
直吉さんの更迭が否決されたと思いきや、プロの商人である友野屋殿がどんな提案をしてくるのかと揃って身構える中、彼はおもむろに口を開いた。
「どうやら越庵先生の名が駿河一国に轟いている事と、その手ほどきで造られた薬の売買とは別の問題であった様子。それがしの見通しの甘さは認めましょう。されど、これはひとえに我ら商人が責めを負うべきにございましょうや。」
「…何を仰りたいのかしら。」
友野屋殿が何を言おうとしているのか、大体の見当を付けながら、私は先を促した。
「若奥様は越庵先生の薬を大層頼りにしておられる様子。されば、その薬が大々的に売り出されるとの事、若奥様の所領に触れ回って然るべきではございませんでしたかな?今川のお達しとあらば、領民も安心して薬を買えたのではないかと、そう考える次第ですが…。」
友野屋殿の指摘に、今度は私が悪態をこらえる番だった。
確かに、今川から宛がわれた所領に対して、友野調薬の医薬品の有効性と安全性を保証する朱印状を発布してはいない。越庵先生の名声を過信していたのは、私も同じだったと言う訳だ。
「…分かりました。私の所領と言わず、太守様や五郎殿にもお願いして、駿河一国にお触れが行き渡るよう取り計らいましょう。越庵先生、直吉殿、構いませんか?」
「若奥様がよろしいのであれば。」
「わたくしからも、何卒よろしくお願い申し上げます。」
議案、今川家の公式見解として、友野調薬の医薬品を宣伝すべきか。
越庵先生も直吉さんも賛成。株札の枚数、八枚で賛成多数だ。
こうなると、私も従わざるを得ない。
「…決まりですな。有難き仕合せにございます。」
仰々しく頭を下げる友野屋殿に、無償でお店の宣伝をする羽目に陥った事を悔やむと同時に、私はある種の安心感を覚えていた。
宣伝の件に関しては、五郎殿はともかく、義元殿が難色を示す可能性はあるが、それは私が責任を持って説得すべき事だ。
それよりも喜ぶべき事は、友野調薬が事業を存続させる見通しが立った事。そして、株主がお互いに協力し、あるいはけん制しあってお店の経営について話し合う『株主総会』が、実用的な形で進行した事だ。
直吉さんが経営者の立場から、友野屋殿が出資者の立場から、越庵先生が医学的観点から意見をぶつけ合い、私はそれを調整する。
プロの商人である友野屋殿を相手に、常に上手く立ち回れる自信は無いが、こちらには議長権限を保証する元株の株札と、大体において味方としてカウント出来る越庵先生がいる。
最悪の場合、株主総会規則の最後の方に小さく書き込んだ株札没収措置もある事だし、何とかなるだろう。勿論、こんな手を使えば株札の信用がガタ落ちになって制度運用が立ち行かなくなるので、本当に最後の手段だが。
「…では、他に話すべき事も無ければ、それがし共はこれにてお暇を…。」
「しばしお待ちください。」
帰り支度を始めた友野屋殿と直吉さんを、私は即座に引き留めた。
「今日は友野調薬が見事元手の半分を用立てられた目出度き日。開業以来骨を折って来られた皆様を、存分に労いとうございます。」
そう言って手をパンパン、と二回叩くと、ややあって、三人の侍女がお膳を抱えて入室して来た。勿論、この時に備えて用意させていた、本膳料理の第一陣だ。万一株主総会の結果が思わしくなかった場合は、「気を取り直してこれから頑張ろう会」に趣旨を改める積もりだったが。
「どうぞ存分に召し上がって、英気を養ってください。無礼講…とまでは申しませぬが、お食事中にお話しになられても結構です。」
「お…これは、何とも思いがけぬ成り行き。若奥様のお心遣い、有難く頂戴致します。」
「めっきり冷えて参りましたゆえ、ささやかながらお酒も用意致しました。どうぞお召し上がりください。」
「折角ですが、それがしは遠慮させていただきます。…飲み過ぎで倒れた方の介抱に当たらねばなりませぬゆえ。」
越庵先生の貴重なジョークが大いに笑いをとった所で、株主への初回限定おもてなし会は幕を開けた。
そして、お酒と料理でお腹を満たした事で、直前のギスギスした雰囲気は一旦棚上げとなり、配当金を受け取った友野屋殿と直吉さんは上機嫌で屋敷を後にしたのだった。
その夜、昨夜と同様に寝室に入って来た五郎殿は、これまで見た事が無いほど嬉しそうだった。
「寄り合いは無事に終わったそうじゃのう。友野屋も、友野調薬の店主も、上機嫌で帰ったと聞いた。さすが儂の妻じゃのう。」
「も、勿体無いお言葉…。されど、薬屋の商いの妨げも、また明らかになりました。その一つを取り除くため、義父上にご助力願わねばなりません。」
「儂にも手伝える事か?」
「はい、恐らくは…。友野調薬が今川のお墨付きを得ていると、広く領民に触れを出さなければなりません。私の所領は言うに及ばず、五郎殿の所領にも…お許しいただけますでしょうか。」
「無論、儂は構わぬ。父上も快くお受けなされよう。」
やけに自信たっぷりな口ぶりに首を傾げていると、五郎殿はその根拠を解説してくれた。
「この所、駿府のあちこちで友野調薬の薬が大いに売れておるそうじゃ。町民はおろか、今川家中の者達も愛用しておる。その噂、父上の耳にも届いておろう。きっとお主の頼みを喜んで聞き入れてくれるはずじゃ。」
そう言うと、五郎殿は部屋の隅から漆塗りの箱を両手で抱え、私の前に置いた。
「お主の取引が波に乗った祝いの品じゃ。受け取ってくれ。」
「有難く頂戴致します。…ここで中を拝見しても?」
五郎殿が無言で頷くと、私は慎重に箱を開けた。
中には、凝った装飾が彫り込まれた硯と、綺麗な柄の筆が数本、その他書き物に必要な一式が入っていた。一言で言えば、筆箱だ。
「お主は何かと書き物の機会が多い。日頃はご実家から持参したものを使っておろうが、代わりが入り用になる事もあろうかと思うてのう。…それともやはり、櫛や簪の方が良かったかのう?」
「いいえ、左様な事は…何と素敵な…あまりに良い出来で、使うのが勿体無い程です。」
筆を灯台の明かりにかざして見ながら、率直な感想を漏らすと、五郎殿は愉快そうに声を上げて笑った。
「お主らしいのう。まあ、時折つけておると言う日記に用いるも良し、ここぞという場に携えて行くも良し、いっそ誰ぞへの贈答品にしてしまってもよいぞ。」
「さ、さすがにそのような無礼は…いずれにせよ、かたじけのう存じます。」
その夜、私の貴重品リストに、愛刀『東条源九郎』と並ぶ大事な逸品…『漆塗りの筆箱』が加わったのだった。
翌日、私は義元殿に事の次第を報告し、友野調薬の売り上げ向上のために、駿河国一帯にお触れを出してもらえないかと打診した。説得に難儀するかと思いきや、義元殿があっさり承諾してくれたため、正直、拍子抜けだった。
義元殿の説明によれば、五郎殿の推測通り、駿府で友野調薬の薬が好評を博している事が最大の要因らしい。
ただ、将来の事務作業への練習も兼ねて、五郎殿と私の所領に対しては、それぞれが朱印状を出すように、とも指示された。結果、私は所領にある村々への書状を書き出し、その全てに『幸菊』の朱印を捺すという作業に、ほぼ一日を費やす事となった。
さすがに今回は、字の読み書きに長けた侍女達――雛菊を始めとした、寿桂様から派遣された六名の手助けが無ければとても手が回らなかったという事実を、潔く認めなければならない。
ともあれ、友野調薬の看板にお墨付きを与える朱印状は駿河国一帯に届けられ、友野調薬の業績は日を追うごとに上昇。やがて今川の領国一帯に商い先を拡大し、『越庵印の友野調薬』と言えば、領民の誰もが知る製薬会社にまで成長していった。
配当金が元手を回収して余りある額にまで増加した事に、友野屋からお礼の手紙が届けられた事は言うまでもない。
付け加えると、友野調薬の事業拡大に伴い、単独で薬師を名乗っていた人々の多くは廃業、転職に追い込まれた。
仕事を奪われたと憤り、友野調薬の店先に押し掛けた彼らを、店主の直吉さんはなんと即戦力として雇用し、人手不足の解消に繋げる事に成功した。
彼らの中には越庵先生に見出され、弟子となってより専門的な知識を身につけていく者もいたのだが、それはまた別の話である。
お読みいただきありがとうございました。




