#084 ぼくがかんがえた最強の株式会社
「ななし」さんから頂いたアドバイスのお陰で、目次ページから作者マイページへのリンクをつくる事が出来ました!
この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!
私の言葉に、友野屋殿はポカンとした表情を浮かべた。
「店を設ける…?恐れながら若奥様、それが此度の話とどう関わりが…?」
その疑問に答えようとして、私は技術面での問題を確認していなかった事に気付き、越庵先生に視線を向けた。
「その前に、越庵先生。幾つかお伺いしたい事がございます。」
「…何なりと。」
えーと、まずは…。
「野山の薬草を主として、調合が容易で、用法や用量を多少誤っても人の体に害が及ばぬ、そのような薬はありませんか。風邪に効く粉薬や、傷口に塗る膏薬など…。」
「…効き目が弱くても構わないのであれば、思い当たる漢方薬が十と少々、ございますが…。」
よし、コストと量産性、安全性の問題はクリア出来そうだ。
「薬の取り違えを防ぐには、どうすればよいでしょう。」
「最善は、やはり包みごとに薬の名を書き入れておく事にございます。包みに用いる紙が上質であれば、なお良いのですが…。」
ふんふん、やっぱり個包装が一番確実だよね。紙の質が良ければ、なお良し、と…。
「お待たせしました、友野屋殿。先の難題を解決する手がかりを掴みましたゆえ、お聞きください。」
友野屋殿に向き直ると、彼は当初の軽薄な態度とは打って変わって、真剣な表情で私を見つめて来た。
…正直、現代日本の経済活動がパラレル戦国時代でどれだけ通用するか、不安の方が大きいが、このままグダグダで進めるよりはマシだろう。私は虚勢を張って、友野屋殿に提案する事にした。
「友野屋殿には能ある番頭と手代を選り抜かれ、新しく店を立ち上げていただきとう存じます。この店は、薬種集めから調剤、薬の保管から販売に至る一切を行います。商い先は、まずは駿河一国。この店に十分な敷地と建屋、調剤に必要な道具や紙などを用意するとして、どれほどの銭が入り用でしょう?」
私の質問に、友野屋殿は視線を左右に振りながら、しばらくブツブツと何事かを呟いていたかと思うと、突然大きく頷いて、私の顔を見た。
「ざっと、五百貫文は入り用かと。無論、それがしが耳を揃えて用立てますが…。」
短時間で必要な金額を割り出した友野屋殿の頭の回転に驚きながらも、私はゆるゆると首を横に振った。
「いいえ、友野屋殿に全額出していただく事にはなりません。ここからが肝要なのですが…お二人には『株札』を持っていただきたいのです。」
今一つ私の提案が理解できない友野屋殿と越庵先生に、私は手元の紙に簡単な絵図を描いて説明を始めた。
私がしたい事とは、詰まる所、株式会社の真似事だ。
友野屋から四百貫文、私から百貫文出資して、事業立ち上げに必要な五百貫文を用意する。そして、『株札』を十枚作って、出資比率に応じて分け合う。この時点で、株札の保有比率は友野屋と私とで8:2だ。
しかしここで終わりじゃない。新しいお店――面倒くさいから『薬屋』と呼ぼう――の店主に4枚、越庵先生に2枚、友野屋から株札を譲渡させる。
勿論、無償ではなく、条件付きだ。
薬屋の店主は、お店を直接経営して利益を上げ、株札の持ち主に配当金――元手から材料費や人件費などのコストを差し引いた残金――を調達する義務を負う。
越庵先生は薬屋の業務を指導、監督し、真っ当に営業出来るよう協力する。
こうして株札の保有比率が薬屋、越庵先生、私、友野屋で4:2:2:2になった所で、お待ちかねの株主総会だ。定期的に株札の持ち主が集まって、配当金の受け取りと今後の経営について話し合う。
配当率と発言力の大きさは株札の多さに比例する。この場においては、私も株札の持ち主の一人。
例えば――議題によっては、友野屋殿が私に要求を飲ませる事も夢ではなくなるという訳だ。
私の解説が一段落した所で、それまで無言で聞いていた友野屋殿が口を開いた。
「成程…株札とは思いも寄りませなんだ。されど、株札を持つ者同士の寄り合いにて事を決するとなれば、薬屋の店主に四枚もの株札を預けるは、いささか不釣り合いかと…。」
「そうでしょうか。薬屋の店主は分け前の四割を元手に、新たな商いに臨む事が出来ます。それに友野屋殿。私の沙汰に不服があれば、店主や越庵先生を抱き込んで株札の枚数で上回り、沙汰を覆す事も出来るのですよ?無論、商いの話に限って、ですが…。」
身分の上では越えられない権力の壁を、限定的ながら突破し、私に言う事を聞かせる事が出来る。その可能性に気付いた友野屋殿の目が怪しく光るのを、私は見逃さなかった。
「…素晴らしき知恵を頂戴し、言葉になりませぬ。早速元手の四百貫文、用地に建屋、株札に調剤の道具、それに人手等々…十日、いや、五日で用立てましょう。」
「私にも都合がありますゆえ、次の寄り合いは七日後と致しましょう。それまでに、寄り合いの決め事などについて、子細を証文に書き付けておきますゆえ、友野屋殿も印判か花押の支度をお願いします。」
その後、薬屋に必要な道具や消耗品、従業員の人数などについて、越庵先生と相談しながら大まかな見通しを付けてから、友野屋殿は屋敷を退出して行った。
部屋に残っていた越庵先生は、どこか落ち着かない様子で私ににじり寄った。
「よろしいのですか。商人達に薬屋のかじ取りの過半を委ねるなど…。」
「どの道、私達に商いの才覚はありません。商いの事は商人に任せるのが筋というものでしょう。」
「されど…。」
「つまり、薬の事は薬師に任せるのが筋。越庵先生に株札をお持ちいただくのは、寄り合いの際に、薬師の立場から物申していただきたいからです。…薬屋が儲けのため、薬の質を落としたりする事の無いよう。」
息を呑んだ越庵先生に、私は続けた。
「それに、株札の多い方が言い分を通せる、とは申しましたが…寄り合いを誰が、どう仕切るかは申し上げておりません。無論、これより書き上げる取り決めにて、寄り合いの長が私になるよう取り決める積もりです。ああ、株札の認証と取り消しも、今川の采配で出来る事と致しましょう。万が一店が友野屋に乗っ取られる事があれば、友野屋と薬屋の株札を取り上げられるように…。」
いやー、前世で企業もののドラマを視聴してて良かった。
小難しい法律の事はよく分からなかったが、名だたる俳優や女優が演じた銀行員や企業戦士達の攻防を見たお陰で、法律の穴を突いて優位に立つ手法をある程度学ぶ事が出来た。
ぶっちゃけ、権力とズブズブな上に、株式保有率二十パーセントの株主の意向で残りの株式が無効になる企業とか、現代日本だったら法律スレスレどころか完璧にアウトだろう。『株式会社』という概念が存在しないパラレル戦国時代だからこそ出来た荒技だ。
あとは寄り合い――株主総会で議題を調整して、薬屋に利益を出させて友野屋を満足させつつ、安易なコストカットで医薬品提供サービスの質を低下させないように立ち回らなければ…と考えていた所で、私は越庵先生の視線に違和感を覚えた。
大きく目を見開き、何か恐ろしいモノを見るような…。
「越庵先生?」
「若奥様、この臼川越庵、伏してお願い申し上げます。」
私が声をかけると、越庵先生は深々と腰を折り、額を床にこすり付けた。
「それがしの漢方薬が広く町民百姓に行き渡る事、夢のようなお話。されど、それが商いの具となってしまう事をそれがしは恐れます。若奥様におかれましては、何卒、何卒薬の質を落とす事無きよう、寄り合いにてご容赦を…。」
「勿論です。株札を介して銭を得たい、という気持ちも本心ですが、それ以上に、越庵先生の薬が安値で行き渡ってほしいと、強く願っておりますから。」
混じりっ気無しの本音で、私は言った。
前世で散々病院のお世話になった身としては、医療関係者に可能な限り協力したかった。
「さあ、七日後の寄り合いまでに法度を定めなければ。越庵先生にもお知恵を拝借する事があるやも知れませぬゆえ、ご助力の程、よろしくお願いします。」
私が軽く頭を下げると、ちょうど顔を上げた越庵先生と目が合った。
越庵先生はぎこちない笑顔で、私に会釈したのだった。
七日後、私達は再び屋敷の客間で寄り合いを開き、薬屋の発足は最終段階に入った。
薬屋の店名は『友野調薬』。店主は友野屋で番頭を務めていた若き有望株、半田直吉さんだ。…どことなく、顔を見た事があるような、無いような…。
それはさておき、直吉さんを含む株札の持ち主――もう縮めて『株主』で良いだろう――四人で、諸々の書状に調印する。株主の寄り合いに関する規則とか、友野調薬の経営方針とか、色々だ。その中には株札の所有者についての記録も含まれる。万一株札の盗難や紛失が発生した場合に備えての措置だ。
それに合わせて、実物としての株札を分配する。事前に友野屋から納品された木製のお札に、私が自筆であれこれ書き入れたり、署名をしたり、印判を捺したりして体裁を整えたものだが、現代日本の紙幣の偽造防止技術には遠く及ばない。無いよりはマシだと思うが。
ともあれ、このお札がいずれは定期的な配当金を保証する事になるのだと思うと、実体以上の重みを感じた。
「ではこれにて、いよいよ明日より『友野調薬』が商いを始める事となりまする。直吉よ、ひと月後の寄り合いまでに確と儲けを出すのだぞ。」
「心得ましてございます。」
私は友野屋殿と直吉さんのやり取りを聞きながら、自分の胸がせわしなく跳ね回るのを感じていた。
この世界でも『株式会社』はやっていけるのか、遠からず、その答えが出る。
「結よ、近頃じっくり眠れておるか?」
五郎殿にそう聞かれたのは、友野調薬が開業してから一か月後の、株主の寄り合いを明日に控えた夜の事だった。
いつものように寝間着に着替えて寝室で待っていた所、五郎殿が入室して幾らも経たない内に、正面に腰かけて心配そうに聞いて来たのだ。
「え、ええ…勿論にございます。」
「…父上より聞いた。近頃せわしなく動き回っておったは、友野屋と組んで銭を儲ける算段を付けておったそうじゃな。」
五郎殿の言葉に、私は冷たい手で心臓を掴まれたような心地だった。
侍女を含めた関係者に口止めしていたのは、五郎殿に気付かれたくない一心からだったのだが、さすがによく分からない書き物をしていたり、ちょくちょく商人と会っていたりすれば、勘付かれるのも時間の問題だとは思っていた。
それでも積極的に話そうとしなかったのは、心のどこかで恐れていたからだ。
お金儲けに走った私を、五郎殿が軽蔑するのではないか…と。
「儂はいずれ今川の当主になる。その時、お主に新たな所領を与える事も出来よう。…それではいかぬのか?」
真剣な表情の五郎殿に、私は本音をぶつけ合う覚悟で向き合った。
「恐れながら、無闇に所領をいただく訳には参りません。元来武家の所領は一門衆や功あった家臣に与えられるべきもの。当主の妻である私が、槍働きも無しに大領を治めるは分不相応にございます。」
「じゃが、あたら銭を欲すれば、かの日野富子殿のごとく、世間から蔑まれよう。お主はそれでもよいのか?」
今川家の、ではなく、私の評判を気にしてくれる五郎殿に、私は涙腺が緩むのを感じた。
「私は小田原にて、武家の正妻としての心得を、こう承りました。『皆の母』としての役目を果たす事である、と…。誰もが真心で語り合い、褒め言葉や労いの言葉で働く事が出来れば、誠に結構な事でございます。されど、世はままならぬもの…。折々の贈答にも、お客へのもてなしにも、何かと銭が入り用でございます。『皆の母』として蓄財が必要とあらば、私は悪女の誹りを受けようとも蓄財に励み、家中の安寧に尽くしましょう。その分五郎殿は気前良く銭を使い、名君の誉れを手にしていただきとう存じます。」
カッコつけて言ったが、要は私のお金儲けの事は心配しないで、という事だ。あくせく働く事なくお金が儲かるんだったら、領民に多少陰口を叩かれても全然気にならない。
それより大事な事は、五郎殿が私を心配してくれている、その一点だ。
「…困ったのう。儂の方がずっと年上じゃと言うのに、中々結に追いつける気がせぬわ。」
「何を仰います。日ごとに逞しゅうなられて…結は嬉しゅうございます。」
寝間着の胸元からちらつく素肌に若干ドギマギしていると、不意に五郎殿が私の左手を取り、両手で包み込んだ。
「お主の覚悟、確と承った。されど、真に迷惑する事あらば、儂にも相談せよ。儂はそなたの夫ゆえな。」
そう言って微笑む五郎殿に、頭が真っ白になった私は、頬に集まる熱を感じながら成すすべなく、ただコクコクと、何度も頷いたのだった。
お読みいただきありがとうございました。