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#083 生姜無い、ことも無い

今回もよろしくお願い致します。


 義元殿と友野屋との会談について約束を取り付けた夜、私は侍女頭のお梅にさり気なくアピールして、風呂場(サウナ)で世話をしてくれる役目を百ちゃんに交代してもらう事に成功した。

 風呂場で百ちゃんと二人きりになったタイミングで、内緒の相談があると持ち掛けると、百ちゃんは人差し指を自分の唇に当て、静かにするよう私に促してから、鋭い目付きで辺りを窺った。


「…ご無礼仕りました。聞き耳を立てている者はおりませぬ。あまり長風呂を致しますとお体に障りますゆえ、どうぞお早く…。」


 さすがの高スペックに感心しながら、私は昼間、義元殿と交わした会話の内容を手短に話した。そして、万が一に備えて小田原とやり取りする裏口を作っておきたい、という要望を伝えた所、百ちゃんは少し悩む素振(そぶ)りを見せてから、やおら口を開いた。


「若奥様、左様な事を他の誰かにお話されましたか?」

「いいえ、五郎殿にも明かせる事ではないし…貴方が初めてよ。」

「それはようございました。されば、今後は何人(なんぴと)にも『裏手』の事をお話になりませぬよう…。駿府より小田原へ、急ぎ伝えたい旨がありますれば、わたくしにお申し付けください。昼夜を分かたず走り抜け、小田原より返事を持ち帰りましょう。わたくしであれば大殿に顔を覚えていただいておりますゆえ、お目通りも容易いかと。」


 ちょっと待て。


「…ごめんなさい、貴方一人で箱根の峠を行き来すると聞こえたのだけれども。」

「左様にございます。」


 いやいや、いやいやいや、ちょっと待て!


「それはあまりに貴方に苦労をかけ過ぎよ。もっと多くの人の手を借りて…。」

「恐れながら若奥様、それは悪手にございます。」


 真剣そのものの表情に、私は黙って続きを促す他無かった。


「多くの人の手を借りれば、誰かが太守様の手の者に口を滑らせる恐れが高まりまする。(はかりごと)はごく限られた人数の内に留めるが上策。ゆえに、『裏手』の事は若奥様とわたくしの心中に留めるがよろしゅうございます。」

「…確かに、貴方の言う通りね。けれど、小田原からの便りはどうすればよいのかしら。」

「それにつきましては、若奥様は存じ上げぬ方がよろしいかと存じます。」


 またも意味を理解出来ず、首を傾げる私に、百ちゃんは改めて理由を説明してくれた。


「もし若奥様が小田原からの密使の氏素性(うじすじょう)を存じ上げておられれば、その者が屋敷を訪れた折の若奥様の声色、足運びなどから、今川の忍びに勘付かれましょう。それを避けるためには、大殿が選び抜かれた使いの氏素性を若奥様が存じ上げぬ事こそ、何よりの…。」

「少し、待って頂戴。」


 百ちゃんの説明に小刻みに頷きながら聞いていた私は、聞き逃せないワードが混ざっていた事に気付いて途中で遮った。


「いるの?今川の忍びが、この駿府にも。」


 百ちゃんはしばらくあらぬ方向を見ていたかと思うと、私に向かって深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。若奥様が気に病まれる事の無いようにと、黙っておりましたが…輿入れの折、今川の領国に入った辺りからそれらしき気配を察しておりました。駿府に入ってよりは更に幾人か、目星も付いておりまする。」

「私を見張っている、という事?」

「駿府館に出入りする様子はございません。むしろ、曲者が駿府館に忍び入るをあらかじめ防いでいるようでございます。されどその分、若奥様への客には特に目を光らせているかと…。」


 今川の忍びが私を監視していたという事実に、お風呂にいながら背筋が凍る思いだった。

 忍者と言えば伊賀、甲賀くらいしか知らない私としては、優雅なイメージの今川が忍者を抱えている事が意外に思えた。

 いや、しかし、今はその前に確認すべき事がある。


「とにかく、小田原に密書を送りたい時は貴方を頼る事。小田原からの使いは見当を付けずにいる事。この二つを守れば良いのね。」

「加えて申し上げれば、今川の忍びについて気に病む事なきよう、重ねてお願い申し上げます。少なくとも今の所、かの者達は敵ではございませぬゆえ。よしんば寝込みを襲われようとも、わたくしが残らず成敗致します。」

「…相変わらず、頼もしいわ。いつもありがとう。」

「勿体無いお言葉…。」


 問題が一段落した所で、私は入浴を再開し、案の定のぼせ気味になって風呂場を出た。

 その夜は、これまで気にも留めなかった障子の向こうが気になって気になって、中々寝付く事が出来なかった。

 百ちゃんの腕前を信じてはいたものの、得体の知れない連中が夜闇に潜んでいるかもしれないと思うと、とても平常心ではいられなかった。




 数日後の昼、私は屋敷の客間で、下座に並ぶ二人の男性と、文机を挟んで向き合っていた。

 一人は勿論、大事な商談の相手である友野屋当主、次郎殿。もう一人は友野次郎殿の要望で同席する事になった、常勤医の臼川越庵先生だ。

 友野次郎殿が満面の笑みを浮かべているのとは対照的に、研究を邪魔された越庵先生は見るからに不機嫌そうにしている。


「越庵殿の同席を願い出ましたるは、それがしがお持ちした儲け話に深く関わるがゆえの事にございます。」


 一通りの挨拶が済んだ後、友野次郎殿はそう言って本題に入った。


「今や駿河国にて、越庵殿の名を知らぬ者はおりませぬ。その名声、人の口を伝って遠江にまで…。されど、そのお手は駿府より遠くには届いておりませぬ。」


 芝居がかった口上をまとめると、友野次郎殿の提案する事業は、越庵一門が調剤する薬の量産と、今川領国一帯への販売だった。

 友野屋が用意した材料を元に越庵一門が薬を造り、それを今川の領国全域への流通網を握る友野屋が売る。越庵先生は遠くの病人に薬を届ける事が出来、友野屋は良質な薬を幅広い層に販売出来て、双方ウィン=ウィンという寸法だ。


「例えば、三百文の薬が一つ売れたとして、儲けを我が友野屋、越庵殿、そして若奥様とで等分致さば、三者に百文ずつ行き渡る計算にございます。越庵殿は薬を造るだけ、若奥様は商売にお墨付きを与えてくださるだけで、湯水のように銭が舞い込むと思えば、よい話かと存じますが…。」

「ちょっとよろしいかしら。」


 生前ニュース番組で見た、某大企業の株主総会で発言する株主の気持ちになりながら、私は友野次郎殿の企画の穴を探った。


「三百文の薬が一つ売れたから、儲けが三百文。そんなはずは無いでしょう。調剤に用いた材料の代金や友野屋で働く方々の給金。それらを差し引かねば真の儲けは分かりません。」

「それがしもよろしいか。」


 それまで黙って聞いていた越庵先生が、眉間にシワを寄せながら友野次郎殿をにらんだ。


「薬を造るだけ、と簡単に申されるが、調剤の苦労を存じ上げておられぬと見える。どの薬種(やくしゅ)をいかほどの割合で混ぜ合わせるか、野山で見付かる薬草と、毒草の区別はいかにすべきか、誰にでも出来るものではござらん。その上、商いに用いるほど大量の薬を作れ、などと…それがしや弟子の労苦を、何と心得ておいでか!」

「あ、いや、これは失礼をば…さ、されど、越庵殿はより多くの病人を救いたいと、そう志しておいでと伺っておりますが…。」

「それとこれとは、別の話にござる!第一、広く領民に薬を売ると申されても、文字が読めぬ者が薬効が分からず、効き目の無い薬を用いたら何とされる。場合によっては病をこじらせ、死に至る恐れも…!」

「んっ、ん!ごほん、ごほん。」


 越庵先生が今にも友野次郎殿に掴みかかりそうになったタイミングで、私は慌てて咳払いをして、二人の意識を自分に向けさせた。


「難題を改めて述べましょうか。一つ、商いの労苦と儲けの分配の釣り合いをいかにして保つか。一つ、質の良い薬を大量に造るにはいかにすべきか。一つ、文字を読めぬ領民が(あやま)たず薬を用いるにはいかなる工夫を凝らすべきか。」


 手元の紙に書き付けた内容を見ながら、友野次郎殿の企画の問題点を整理すると、下座の二人は揃って首を捻り、考え込んだ。

 勿論私も解決策を模索してはいるものの、前世しがない下層労働者だった女の頭脳から、ポンポン解決策が出て来る訳も無い。経営学とか経済学とか、全然詳しくないし。

 代わりに浮かび上がったのは、ごく最近、寿桂様からもらった接客についてのテクニックだった。


「こうして考え込んでいても、よい考えは浮かんで来ないでしょう。軽食を用意しますゆえ、お二人ともお召し上がりください。」


 場の空気が悪くなったら、お茶や軽食、お酒で一息入れて半強制的に雰囲気をリセットしろ、というのが寿桂様のありがたいアドバイスである。実際、私が厨から運ばせた軽食――温かい汁を注いだお椀に直接盛り付けた蕎麦切り――を食べている間、二人の口は塞がり、言い争いをするムードではなくなった。

 見ていると私も食べたくなるが、もてなす側としてそれは出来ない。まあ、二人に出す前に厨で試食したから良しとしよう、そうしよう。


「大変な美味、有難き仕合せにございます。汁の温かき事、冷えた身に沁み入りましてございます。時に、蕎麦切りと共に幾筋も入っておりました細長い物は一体?噛むと甘辛く、手先足先が暖まる心地が致しましたが…。」

「あれは生姜(しょうが)を細長く刻んだものにござる。」


 間食を終えて質問する友野次郎殿に答えたのは、私ではなく、越庵先生だった。


「生姜は水気を抜けば漢方薬の材料となるのみならず、若干手を加えて食しても人体の益となり申す。とりわけこうして飲み食いすれば、血の巡りを良くして寒さに強うなりまする。無論、これも度を越せばかえって毒となりまするが…。」

「ほほう、成程…。生姜に左様な薬効があったとは、ついぞ知りませなんだ。」


 私はと言えば、食前のギスギスした雰囲気が噓のように語り合う二人を見守りながら、友野次郎殿が持ち込んだ事業の問題点をどう解決すべきか、という課題に挑戦していた。

 コンセプト自体は悪くないはずだ。越庵先生が凄腕で、優秀な弟子を何人も抱えていても、屋敷の常勤医と兼業では助けられる範囲にどうしても限界が生じる。越庵先生が発見した調合法で薬を量産し、お手頃価格で今川領内に普及させる事が出来れば、もっと多くの人が助かるはずだ。

 そこに立ちはだかる問題はさっき挙げた通り、コスト分担と利益分配の比率、薬の質と量の確保、誤った薬が使用される事態の抑止。

 実際に事業が動き出したら、もっと多くの問題が発生するかも知れないが、それはその時だ。とにかく目先の問題を解決しなくてはならない。

 何か、何かないだろうか。

 こんな事なら、前世でもっと勉強しておいた方が良かったかも知れない。

 例えば、株式会社の経営方法とか…。


「…(かぶ)。」

「む、若奥様。(かぶ)がいかがなされました?」


 思わず私が漏らした声に、友野次郎殿が敏感に反応した。


「いいえ、少し…案が浮かんで来た所です。しばし、考える時間を。」


 半ば上の空で返事をしながら、私は考えをまとめていった。

 株…株…うん、これならいけるかも知れない。


「友野屋殿、新たに支店を(もう)けるお積もりはございませんか?」

お読みいただきありがとうございました。

今後、実生活の都合で投稿のペースが著しく低下する可能性があります。

楽しみにしてくださっている皆様、申し訳ありません。

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