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#080 氏真邸警固役、五番隊結成の事

今回もよろしくお願い致します。

六月いっぱい、リクエストを募集しています。

詳細は活動報告をご覧ください。

 臼川越庵(うすかわこしあん)先生を採用した翌日、私は週に一度のお稽古のため、侍女達を伴って寿桂様の屋敷に向かった。

 楽器演奏や台所の差配など、お稽古が一通り終わった所で休憩に入る。

 私が温かいお茶に癒されていると、寿桂様が口火を切った。


「時に、薬師と浪人の件はどうなりました。友野屋は役に立ちましたか?」

「はい、それはもう。お会いして二日で駿府中の薬師と浪人の目録を用立ててくださいまして、薬師は昨日雇い入れましてございます。浪人につきましては、ちょうど只今、駿府館で選別を執り行っているものと存じます。」


 越庵一門の皆さんは、これまで借りていた長屋からの引っ越しに借金の返済、荷物やら書類やらの搬入と大忙しで、私も一部の侍女に手伝いを命じてある。お梅が音頭を取ってくれれば、おそらく今日中に一段落するだろう。

 浪人の選抜試験は、五郎殿と打ち合わせた通り、私が寿桂様の屋敷にいる間に実施される事になっている。

 何日も前から練兵場を予約したり、駿府市中にお触れを出したり、当日の人員配置を考えたりと、五郎殿が多忙である事は誰が見ても一目瞭然だった。私はと言えば、五郎殿が快適に過ごせるよう、こまめに部屋の掃除をしたり、美味しいご飯を食べてもらえるよう献立に気を配ったり、寝室で五郎殿がこぼす弱音を聞いたりしていた。


「元服して一廉(ひとかど)の武士になった積もりであったが、まだまだじゃのう。練兵場をお借りするにも、市中に触れを出すにも、父上にお願いせねばならぬ。」


 そう言って自嘲する五郎殿を見ていられず、私は無理矢理笑顔を作って励ました。


「焦る事はございません。元服したとは言え、五郎殿は家督を継いではおられません。太守様をお頼りになるは、むしろ当然にございます。それに、太守様がこたびの一件を五郎殿にお任せし、ご自身は後見に徹しておられるという事は、五郎殿の力量を見定めんとの思惑もございましょう。幸い小田原から連れて参った者の中には、足軽の心得があるものもございます。選抜にはこの者共の知見を活かせば、より良き者が見い出せるかと。」

「…うむ。左様であるな。何より肝心な事は一日で浪人の心身を見極め、儂の警固に相応しい者共を選び抜く事じゃ。思えばこうした段取りも、いずれ大将となる者として知っておくべき事であるのう。」


 五郎殿はそう言って、やや元気を取り戻した様子で笑い返してくれたのだった。

 ともあれ、こうして私が寿桂様とお茶している今も、練兵場では選抜試験が続いているはずである。


「されど、足軽同然の者達を警固役に加えるとは…かえって苦労を増やさねばよいのですが。」

「寿桂様は、足軽がお嫌いにございますか?」


 最近は以前より気軽におしゃべり出来るようになったなあ、と思いつつも、寿桂様の意見に賛成も反対もせず、まずは探りを入れてみる。この辺のテクニックも、寿桂様から教えてもらった。

 まあ、そうやって話題を自分が望む方向に持って行くテクニックもあるらしいので、聞き方には注意が必要だとも教えられたのだが。


「好き嫌いの問題ではありません。わたくしは京で、足軽達の乱行を目の当たりにしました。所領ではなく日銭のために戦をする者達と、由緒ある家の出の者達が足並みを揃えられるかどうか、そして新たに雇い入れた者達が今川の名に傷を付ける事になりはしないか、それが気がかりなのです。」


 寿桂様の懸念ももっともだ。これまで屋敷の警固に当たっていたメンバーは一応全員武家の出身だから、礼儀作法もしっかりしているし、知行と引き換えに五郎殿や義元殿に忠誠を誓っている。しかし足軽待遇の新人さん達は身分の保証なんて無いも同然だし、忠義を尽くすのは究極的には銭、お金だ。

 でも、彼らを雇う事はデメリットばかりじゃない。


「恐れながら寿桂様。ご心配ごもっともにございます。されど…。」

「されど?何ですか。わたくしの言う事に異議があるのなら、はっきりと申しなさい。」


 久しぶりに寿桂様と意見を違えた事に若干の恐怖を覚えながらも、私は寿桂様の目をにらみ返した。


「私が小田原より連れて参った侍の中に、馬蔵と牛吉という者がおります。二人はかつて足軽にございましたが、戦で功あって士分に取り立てられました。もし二人の性根が足軽のままであれば、たちまち騒ぎを起こして御役御免になっていたやも知れません。されど、二人は身なりを整え、家中の者に指南を頼んで礼儀作法を身に付け、今は屋敷の警固を立派に務めております。」


 足軽がみんな根っからのろくでなしではない。

 私が込めたメッセージを読み取ってか、寿桂様は反論する事なく聞いている。


「それに、今川も多少は足軽衆をお使いでございましょう?もし足軽が揃って目先の銭に惑わされるようであれば、いかに大軍でも頼りにはなりませぬ。支払われる銭の分は働き、忠義を尽くす。おしなべて、とは申しませんが、足軽とはそうした筋を通すものと心得ております。」

「…貴方は銭で槍働きをする者を、(さげす)もうとはしないのですね。」

「無論にございます。」


 私が断言すると、寿桂様は顔を逸らし、あらぬ方向を見ながら何事か呟いた。声が小さく、よく聞こえなかったが、『確かに、わたくしこそあの者達を…』の辺りは聞き取れた。意味は分からなかったが。


「…良いでしょう。では新たに雇い入れた者達が(しか)と役目を果たすよう、目を光らせておくのですよ。」


 寿桂様に厳しい追及を受けずに済んだ事に安堵していた私は、大事な用件を思い出して、背後に控えていた百ちゃんに目線を送った。すぐに気付いた百ちゃんは、しずしずと近寄って来て、胸元から一冊の本を取り出し、両手で捧げ持って寿桂様に差し出した。


「寿桂様、本日はお渡ししたいものがございます。こちらをご覧くださいませ。」


 私の言葉に振り向いた寿桂様は、本の題名に目を見張った。


「まあ…これは、『土佐日記』?わたくしにくれると言うのですか?」

「写本にございますが…先日、友野屋殿が屋敷を訪ねて来られた折に、持参された内の一つにございます。日頃お世話になっております寿桂様の、無聊(ぶりょう)を慰める一助になれば、と思いまして…。」


 百ちゃんの手から写本を受け取った寿桂様は、表紙や裏表紙を観察したり、ちょっとめくって中を覗いたりしたかと思うと、胸元に引き寄せて、何かをこらえるように強く目をつぶった。


「寿桂様⁉どこかお加減の悪い所でも…。」

「いいえ、心配には及びません。これは…よい買い物をしましたね。礼を言います。」


 寿桂様に褒められるという珍しい経験に、内心舞い上がっていると、寿桂様は何度か(まばた)きをして、今度は百ちゃんの顔に目を留めた。


「そなた…確か御前試合の折、五郎殿に水を運んで来ましたね。」

「はい。その節はご無礼を致しまして…。」

「いいえ、それよりも確かめたい事が…。」


 その時、寿桂様の声を遮るかのように、近所のお寺の鐘が鳴った。

 気付けば西日がオレンジ色を帯びている。日没が近い証拠だ。


「…もうこんな時間ですか。続きはまたの機会に致しましょう。いつもの通り、言い渡したお題を七日後までにやっておくように。」


 そんな言葉でお茶会はお開きとなり、私と百ちゃんはモヤモヤした気持ちを抱えたまま、来た時と同様に寿桂様の護衛に付き添われて、駿府館に戻ったのだった。




「やはり赤羽(あかばね)陽斎(ようさい)は大変な拾い物であったぞ。」


 夕食後、五郎殿は喜色満面で私に報告してくれた。

 寿桂様の屋敷から帰宅した時点で、屋敷に警固の兵が戻っており、庭で警固役組頭の尾藤さんが見慣れない男四人に訓示をしていた事から、選抜試験が成功に終わったとの見当は付いていたものの、五郎殿の喜びようを見るに、成果はそれに留まらなかったようだ。


「どのようなお方だったのですか?」



 私が聞くと、五郎殿は今日の選抜試験について、順を追って説明してくれた。

 午前中に試験会場である練兵場に集まった浪人はおよそ三十名。

 まずは尾藤さんと馬蔵さんが試験官になって、陣幕を張った面接スペースに一人ずつ招いて面接を行ったものの、経過は芳しくなかった。案の定自己主張の強い者や、見た目があまりにも見苦しい者が混ざっていた事も、人選をより困難にした。

 しかし、そこで異彩を放ったのが赤羽殿だ。彼は自分の武芸の才能を誇るより先に、足軽大将の経験をアピールしたのだ。

 元足軽の馬蔵さんも赤羽殿の言動にいたく感じ入り、高評価を与えたが、尾藤さんは浪人の大言壮語に過ぎないのではないか、と難色を示した。

 すると、赤羽殿は自身の実力を証明するため、面接の後に予定していた模擬戦の内容を変更するよう提案した。なんと赤羽殿が選抜した十名で、残りの浪人を打ち負かすと宣言したのだ。

 陣幕の裏で聞いていた五郎殿も興味を抱き、模擬戦は赤羽殿の提案した形式で実施される事になった。

 赤羽殿を大将とした赤組と、その他大勢の白組に別れ、全員が自軍の色の鉢巻きを頭に装着。赤組は全員の、あるいは赤羽殿の鉢巻きが奪われた時点で敗北。白組は全員のハチマキが奪われた時点で敗北だ。

 武器は双方、木刀と、切っ先を取り外した持槍。

 数で劣る赤組の不利は必至かと思われたが、試合は予想外の結末を迎えた。

 即ち、赤組の完全勝利である。


「赤羽殿は、それ程の豪傑なのですか。」


 驚く私に、五郎殿は赤羽殿の采配の見事さを興奮気味に語った。

 五郎殿が見守る中、試合開始の合図と共に、赤組は練兵場の一角に陣取り、持槍を構えて防御陣形を整えた。それを見た白組の浪人達は、様子を見る者と勢いに任せて突っ込む者に別れてしまう。突っ込んで来た白組の浪人を、赤組は槍で牽制し、隙を見ては突き飛ばした。

 赤羽殿の恐ろしい所は、胸を突かれてのたうち回る白組の浪人を放置して、赤組の防御陣形を徹底して維持させた所だと言う。現実の戦に置き換えれば、個々の武功よりも部隊の規律を優先させたのだ。

 やがて白組の浪人が積極的に近付かなくなると、赤羽殿は陣形を維持しつつ近くに寝転がっていた浪人達から鉢巻きを奪い取って退場させ、やおら前に出て白組を挑発した。

 槍が怖ければ、拙者と一騎打ちせん、と。

 これを好機と見た白組の浪人、五人ほどが一斉に飛びかかると、赤羽殿はあっさり後ろに下がり、両脇から持槍を突き出させて一網打尽にした。


「どっちが卑怯だ。」


 地面に転がって卑怯、卑怯と喚く浪人達から白の鉢巻きを奪いながら、赤羽殿はそう言ったそうだ。

 この時点で、白組の人数は赤組のそれを下回ってしまった。その事に気付いた白組の浪人達がうろたえた瞬間、赤羽殿は赤組に突撃を命じた。

 鳥の群れが飛ぶ時のように、一人を先頭に両脇に後続が続く、いわゆる『雁行(がんこう)』の構えで、持槍を構えた赤組が突っ込むと、白組は一人、また一人と、馬に跳ね飛ばされたかのように打ち倒されていった。

 赤組同様に残りの人数をまとめようと声を張り上げた者は、赤羽殿が投げつけた持槍を食らって倒れ、最も武芸に秀でていた者は赤組の持槍で突き回されて疲労した挙句、赤羽殿の木刀に倒れた。

 こうして赤組は完全勝利を収め、赤羽殿は実力を証明したのである。

 五郎殿は赤羽殿と、赤組から彼が推薦した三名を警固役に取り立て、残る人々にも推薦状と金品を与えた。

 勿論、負けた白組の面々にも、越庵先生に頼んで治療を施した上で参加賞金を支払い、帰したとの事だ。


「幾つか気になる事が。なにゆえ赤組は小勢でありながら、白組に勝つ事が出来たのでございましょう。」

「うむ、儂もそれが気になってのう、陽斎に問い質した。何でも、白組には指図をする者も、指図を聞く者もおらなんだゆえ、だそうじゃ。言われてみれば、白組は人数が多いばかりで大将がおらなんだ。それゆえ多勢を活かせず、ばらばらに討ち取られてしもうたのであろう。」

「成程…もう一つ、それ程の才覚をお持ちでありながら、なにゆえ足軽衆の大将として仕官を望まず、こたびの選抜に応じられたのでございましょう。」

「うむ、それも聞いた。お主ならば三人と言わず、百人、いや千人、あるいはもっと多くの兵を指図出来るであろう、と。されど陽斎が申すには、かつて率いた軍を大敗に導いた身ゆえ、こたびは小勢の長として奉公したい、との申し出でのう…。」


 何だか後ろめたいエピソードを隠し持っていそうな予感。

 素直に喜べずにいる私に、五郎殿は咳払いをしてから言った。


「ともあれ、これで薬師と新たな警固役が揃うたと言う訳じゃ。陽斎が申すには武芸と礼儀作法の稽古にひと月ほどかかるゆえ、輪番表に組み込むはまだ先の事になろうが…。しかし、友野屋にはまたいずれ、礼を言わねばならぬのう。」

「左様にございますね。ともあれ、無事に選抜試験を執り行われた事、お目出度うございます。」

「いや、結よ、お主の助けあっての事じゃ。礼を言うぞ。…時に、ご実家に手紙を書いておるか?」


 五郎殿の何気ない一言に、私は血の気が引くのを感じた。今川に嫁いでから二か月、間に三島での再会があったとは言え、これまで一度も両親に手紙を送っていない。


「失念しておりました。されど、こちらでの出来事を明け透けに書き記して良いものでしょうか…?」

「左様に気にかける必要はないと思うがのう。それ程気に病むのであれば、いっそご実家に送る前に、父上にお見せしてはどうじゃ。」


 義元殿に見られる前提で書けば、自然と自己検閲が働いて内容にも気を使う事になる。とは言え、今の生活に特段の不満も無い以上、内容を勘ぐられるより自発的に義元殿に見せてしまった方が良いだろう。


「仰る通りにございます。明日にも実家宛ての手紙を書き、太守様にもご覧いただけるよう、頼んで参ります。」

「きっとお主の身を案じておられよう。これまであった事、存分にお知らせするがよい。…それでは、そろそろ寝床の用意と参ろうかの。」


 五郎殿の言葉を合図に侍女達が動き出し、私達はお風呂の支度をするため、それぞれの部屋に向かった。

 私は自室に向かって歩きながら、小田原に送る手紙の内容について、思いを巡らせた。

 さて、何から書こうか。




 どこかから聞こえて来る虫の音が、秋の深まりを告げていた。

お読みいただきありがとうございました。

リクエストをお待ちしております。

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