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#079 ドクター越庵によろしく

今回もよろしくお願い致します。

 五郎殿との打ち合わせを終えた翌日、私は三人の薬師に書状を送った。もちろん、例の目録の中でも腕が良さそうな二人と、臼川越庵殿の三人だ。内容は至ってシンプルで、五郎殿の屋敷に常勤の薬師がいないため後任を探している、ついては一両日中に屋敷に来て、その技量を見せてもらいたい、というものだ。

 しかしここで意外な人物が加わった。どうやって薬師の腕前を測るべきか、風魔の里で医療知識を身に付けた百ちゃんに相談した所、面接中に急病を装って倒れ、薬師の力量を測る被検体になると申し出て来たのだ。私の前で披露した演技も真に迫っていて、思わず心配になる程だった。

 結果的に騙す事になる薬師には悪いが、確かに実際の現場でどう動けるか分からない事には安心して雇えない。面接に同席する事になる側付きのみんなにもあらかじめ言い含めた上で、私は百ちゃんの献策を採用する事にした。




 二日後の夕方、私は客間であくびを噛み殺していた。客間には数人の侍女がいるが、下座は空席である。

 薬師の採用候補の内、腕が良さそうな二人は書状を送った次の日に、バラバラの時間帯でやって来た。二人とも武家や商家の出身で、文字の読み書きや一通りの礼儀作法に関しては問題無かったものの、百ちゃんが体を張ってくれたテストの結果は芳しくなかった。

 私が薬師の経歴などを聞いているタイミングで、白湯の替えを運んで来た百ちゃんが突然倒れる。これをどう処置するかが問題だったのだが、どちらも将来が不安になる成り行きだった。

 一人目は、百ちゃんが女性である事を理由に触診を避け、侍女に触らせて病状を探った。結果、『この丸薬を飲ませて様子を見てください。』との事だったので、薬代を支払って帰ってもらった後、ケロッとして起き上がった百ちゃんに薬の効果を確かめてもらった。

 百ちゃんは丸薬を見つめたり、匂いを嗅いだり、舐めたりしてから結論を口にした。


「強い腹下し(下剤)にございます。飲み食いした物を無理矢理出す、という処方かと。」


 何とも強引な治療法に、私は一人目の評価を下げざるを得なかった。

 二人目の薬師は、別の意味で論外だった。倒れた百ちゃんを触診するのは良いが、その手付きが、何と言うか、こう…やらしい。

 周囲の人の目もはばからずに百ちゃんの胸やらお尻やらを撫で回すものだから、たまりかねて百ちゃんの容態を確認すると、あっさり手を離す。言うに事を欠いて、診断は『悪い物を食したと見えます。ついてはこの薬を飲ませて』以下略。

 出された丸薬も全く同じ腹下し。

 最近の薬師の間では腹下し療法が流行しているのかといぶかる私の横で、丸薬を確かめた百ちゃんは何やら考え込んでいた。

 そして私が密かに本命扱いしていた臼川越庵殿だが、二日目の夕方になっても一向にやって来ない。

 こうなったら五郎殿の多頭飼育を咎めて解雇された薬師に頭を下げて戻って来てもらおうか、でも駿府に居づらくなって、どこかに転居してしまったらしいし…。


「若奥様、臼川越庵を名乗るお方がお目通りを願っております。」

「通して頂戴。」


 取り次ぎにやって来た侍女の声に、私は慌てて居住まいを正した。やがて客間に入って来た男性を、さり気なく観察する。

 真っ黒なマントに身を包み、片手に包みを抱えている。短く乱暴に刈り込まれ、結われていない白髪交じりの頭髪。ヒゲは薄く、老け顔の青年なのか、童顔の壮年なのか、いまいち判別出来ない。

 しかし最も印象的だったのはその目だ。多くの人の生き死にを見て来た人特有の、どこかニンゲンを有機物の集合体と捉えているその目。私が前世の幕を閉じた病院で、何度も見た事があるお医者さんの目だ。

 …正直トラウマを刺激されるが、裏を返せばこの人が現代の医者に近い人物である可能性も高い。私は期待を込めて、越庵殿に向き合った。


「ようこそお越しくださいました。私が今川五郎殿の妻、結にございます。本日はご足労いただき、誠にかたじけのうございます。」


 先手を打って深々と頭を下げる。

 身分的には越庵殿が先に頭を下げて然るべきなのだが、こっちは専門職を呼びつけて採用したいと言っている側だ。

 最初くらい下手(したて)に出るのが礼儀というものだろう。


「…これはご丁寧に。薬師の臼川越庵と申します。」


 やや戸惑ったような気配の後で、越庵殿が返事をする。

 ゆっくり頭を上げながら様子を窺うと、越庵殿も頭を上げる所だった。


「お越しいただいて、安堵致しました。てっきり来ていただけないものかと…。」

「ご心配をおかけし、申し訳ございません。昨日今日と、町民の手当てに掛かり切りになっておりまして…。」


 私は越庵殿の言い訳を咎めるべきか、一瞬悩んだ後、やはり褒める事にした。


「百姓町民を無償で治療するとの噂は真だったのですね。その心構え、正に名医とお呼びするに相応しゅうございます。」

「…勿体無いお言葉。」


 相変わらず不気味な目付きで私を見ながら、越庵殿は当たり障りのない返答をした。ともあれ、これでようやく面接を始められる。私は文机を自分の前に動かし、紙を整えて筆先を墨に浸した。

 越庵殿は西国の港町の生まれ。町には南蛮人や中国人が大勢出入りしており、彼らから独学で医術を学んだらしい。成長してからは実際に調剤をしたり、病人を診察したりして経験を積み、理論と実践を積み重ねて独自の医療を行っている、との事だ。


「まずは健やかなる暮らしを心がけ、病にならぬ事が肝要でございます。」


 冷静ながらどこか熱のこもった声色で、越庵殿は主張した。

 米、野菜、肉や魚をバランス良く摂取し、飲酒は質が良いものを少量。水は可能な限り沸騰させたものを口にする――。

 正直、ここまで聞いた時点で、私は越庵殿への期待度を爆上がりさせていた。

 ビタミンやタンパク質をバランス良く摂取すべき、という考えは――私も専門知識がある訳じゃないが――近代の栄養学を先取りしていると言えるだろう。

 『雑菌』や『ウイルス』なんて概念があるはずも無いが、目に見えない『何か』を呪いや物の怪扱いするのではなく、熱湯や清酒で除去出来ると確信している点も、近代の衛生観念に通じるものがある。

 あとは外科手術の技能があれば言う事無しなのだが…。


「越庵殿の風説に、『矢じりが刺さった侍の腕を切り開き、矢じりを取り除いた後で、糸で縫い合わせた事がある。』とありますが、そのような事が出来るのですか?」


 私の質問に侍女達が顔をしかめる中、越庵殿は表情を変える事なく頷いた。


「人の肌には、時と共に傷口を塞ぐ働きがございます。それゆえ、出来る限り早く、小さく切り開いたならば、その跡を糸で縫い合わせる事で、傷口を塞ぐ事が出来まする。」

「まあ…しかしそれでは、傷口を縫い合わせた糸が、そのまま残ってしまうのでは…?」

「縫い合わせた折に『悪しき物』が混じらねば、傷口と縫い跡は徐々に塞がりまする。然る後に糸を抜けば、糸を通していた穴も、やがて塞がりまする。」


 抜糸までちゃんと考えられている訳だ。


「越庵殿がその術で治療された方は、幾人ほど?」

「…ざっと百人はございましょうか。内十人ほどは、術後に落命しております。」

「それはなにゆえ?」

「あるいは血を流しすぎたがゆえ、あるいは『悪しき物』が傷口に入ったがゆえにございます。腹や胸など、血が多く通っている箇所でなければ、またよく清められた道具や場所を用いれば、十中八九、成功致します。」


 下手に自分の腕を過大評価せず、失敗の原因を的確に捉えている所も好印象だ。

 あの国民的医療マンガの主人公だって、超一級の腕を持ちながら患者を救えなかった事が何度かあったはずだし。

 段々辺りが暗くなり、侍女達が灯台に火を入れ始める中、私はいよいよ実技試験に移る事にした。


「あら、随分話し込んでしまったようね。誰か、白湯の替えを持って来て頂戴。」


 私の言葉に百ちゃんが立ち上がり、厨に向かう。後は客間に戻って来た百ちゃんが、越庵殿の目の前で倒れる、という筋書きだ。

 やがて、厨から戻って来た百ちゃんが、お盆に乗せて来た新しい湯吞と私の文机に乗っていたものを取り替える。

 続いて下座の越庵殿の側に寄り、同じ様に湯吞を入れ替え、立ち上がったと思いきや――。


「…はっ、はあっ、はあ…。」


 荒く息をついた百ちゃんが、突然ふらついて床に倒れ伏す。

 私は昨日と同様、慌てた風を装って立ち上がり、


「百⁉どうしたの⁉」


 声をかけながら駆け寄ろうとした――その時、素早く百ちゃんの顔を覗き込んでいた越庵殿が、片手で口を抑えながら、もう一方の手で私を制した。


「誰もお近付きになられませぬよう!衝立(ついたて)と手拭い、水を張った(たらい)をお持ちくだされ!」

「…!皆、越庵殿の言う通りに!急いで!」


 私が侍女達に指示を飛ばす間にも、越庵殿は百ちゃんを仰向けに寝かせ、携えて来た包みをほどき、中から藍染めの布を二枚出して口と前頭部を覆い、それぞれ後頭部で結んだ。その姿は、私が前世で何度も目にした、お医者さんの手術着に近かった。

 やがて越庵殿は衝立で自分と百ちゃんの周りを囲わせ、百ちゃんの胸元に耳を当てたり、お腹を触ったり、手首を握ったりしたが、その仕草は徹頭徹尾事務的で、やらしさは微塵も無かった。

 私達が無言で見守る中、越庵殿は手拭いを盥の水に浸し、目をつぶって荒い息を吐く百ちゃんの額を拭った。


「…やはりそうか。」


 越庵殿はそう呟くと、自らの腰に手をやり――。


 バン、ガタタッ!


 越庵殿が振り上げた手元がキラリと光るや否や、百ちゃんは跳ね起きて衝立を突き飛ばし、私をかばうように立った。

 低く構えた百ちゃんの右手には、逆手に抜かれた短刀が握られている。


「どういう積もりですか。」

「それはこちらの言い分にござる。」


 滅多に聞けない百ちゃんの低音ボイスに怯む事なく、越庵殿は片手で短刀を、もう一方の手で手拭いを突き出した。

 手拭いには汚れが――発熱を装うため百ちゃんが顔に塗りつけた、赤い顔料がべっとり付着していた。


「体のどこにも異常はござらん。加えて今の身のこなし…いずこかの忍びにござろう。わざわざそれがしを呼び出して、一体何の企みか。」

「違う!違います!百、刀を下ろして!」


 私は半狂乱になりながら、百ちゃんを押しのけて越庵殿の前に出た。


「非礼は私がお詫び致します。越庵殿の技量を推し量るための、芝居にございます。」

「今川の若奥様は随分と酔狂にございまするな。変わり者の薬師を呼び寄せて、散々持ち上げた挙句、仮病の診察をさせるとは。そんなに娯楽に飢えておられたか。」

「酔狂ではありません!」


 私は越庵殿に向かって土下座した。

 こんなに優秀な薬師を逃したくない、その一心だった。


「私は北条から嫁ぐ前、病で兄を亡くしました。誰からも慕われ、文武の稽古に励み、日々健やかに暮らしていた兄が、突然、何の前触れもなく。…越庵殿と話していて、思いました。もしもあの場に越庵殿がいらっしゃれば、兄は一命を取り留め、今も生きておられたのではないか、と。私は五郎殿の妻として、同じ悔いを二度と味わいたくはないのです。どうか、どうか!この屋敷の薬師になってはいただけませぬか…。」


 長い沈黙の後、越庵殿が短刀を鞘に納める音がした。


「どうか顔をお上げくだされ。若奥様に頭を下げさせるなど、無礼の極みにございます。」


 越庵殿の言葉に顔を上げると、彼は顔を覆っていた布を取り外し、床に正座していた。


「それがしこそ、若奥様の深謀遠慮を見抜けず、浅はかにございました。何卒お許しを。されど、このお屋敷で働かせていただくには、幾つかお聞き届けいただきたい事がございます。」

「きっと叶えます。何なりと仰ってください。」


 私は上座の文机の前に戻り、越庵殿が提示する条件を紙に書き付けた。

 一つ、越庵殿と弟子一同を一括で雇用する事。

 一つ、上記の面々が居住する部屋を用意する事。

 一つ、これまで通り一般の患者に対する医療行為を容認する事。


「ひとまずはこんな所かと。」

「承知しました。されど、百姓町民の診察や治療をお続けになるのですか?」


 私の疑問に、越庵殿は身を乗り出した。


「それがしは身の回りの患者を助けつつ、後世のための医学書の執筆を試みております。我らの給金を出していただき、部屋をお貸しいただければ、調べ物等に必要な銭は己で用意致します。」

「成程。ではご一同の転居先は…ひとまずこの屋敷でよろしいでしょうか。部屋は幾つ()(よう)で?」

「三…否、二部屋お借り出来れば、何とか。…それと、もう一つ、急を要するお願いが。」

「何でしょう?」


 文机から顔を上げると、越庵殿は気まずそうに口を開いた。


「給金は年に百貫、今年分をこの場でいただきとう存じます。」

「越庵殿!それはあまりに図々しい…!」

「分かりました。」


 大声を上げかけた侍女を遮って、私は言った。


「かたじけのう存じます。」

「越庵殿の腕、それにお弟子を抱えていらっしゃるとなれば百貫も高いとは申しません。ただ、火急の訳を教えていただけますでしょうか。」


 私の質問に、越庵殿はややあって答えた。


「質の良い道具や薬、借家を揃えるに借銭がかさみまして…。金貸しからせっつかれておる次第にございます。」

「それは…何とも越庵殿、いいえ、越庵先生に相応しい理由にございますね。」


 私の言葉に、越庵先生はバツが悪そうに苦笑いし、侍女達はクスクスと忍び笑いを漏らした。

 私は越庵先生達に貸す部屋の段取りを考えながらも、第一級の薬師を確保出来た事に、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。




 ちなみに、百ちゃんが確認した所、昨日面接した薬師が置いて行った下剤はいずれも越庵先生が調合したものだった。

 同業者に売った薬が数倍の値段で転売されていた事実に憤る越庵先生に、これからは今川の看板を活用して直接領民に販売するようアドバイスし、感謝されたのは別の話だ。

お読みいただきありがとうございました。

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