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#072 実家に帰らせていただきます(期間限定)

今回もよろしくお願い致します。

天文23年(西暦1554年)8月上旬 駿府郊外


 このまま小田原に帰ってしまおうか。

 一か月前とは逆の道順で東に向かう輿(こし)の中で、私はぼんやりと考えていた。




 五郎殿の屋敷で働く皆さんと顔合わせをしたその日から、私は多忙な日々を送っていた。

 みんなを解散させてから最初に取り掛かったのは、雛菊と約束した通り、お梅とお銀を交えての四者面談だ。

 雛菊は寿桂様の側付きとしての経歴と家柄の良さを盾に、侍女頭の地位を改めて要求して来たが、それを言うならお梅とお銀には私の側付きとしてのキャリアがある。結局、侍女頭は引き続きお梅が務め、その下の侍女頭副長にお銀と雛菊が並ぶ形で折れてもらう事になった。

 続いては、屋敷の警備態勢について尾藤さんに相談しに向かったのだが、こちらは予想に反してあっさり片付いた。

 私の護衛に選抜されたという自負を持つ小田原勢と、名門今川のプライドを持つ駿府勢との間でメンチを切り合っているかと思いきや、引き続き尾藤さんが警固役組頭、武藤さんが副頭(そえがしら)のままで、馬蔵さん達はその指揮下に入る事で話がまとまっていたのである。

 何でも、父上――もとい、北条氏康から偏諱を賜った馬蔵さんと牛吉さんが率先して下手(したて)に出てくれたお陰で、他の小田原勢も納得してくれたそうだ。

 早雲寺の一件といい、二人の機転には頭が上がらない。

 私があとやった事と言えば、尾藤さんや武藤さんの進言をもとに、十六人の警備兵を四人ずつに組み分け、(1)詰所での待機(兼夜間の見回り)、(2)正門と勝手口の警備、(3)敷地内の見回り、 (4)終日休暇、のローテーションを組んだ事くらいだ。

 今まではトップの二人がその場その場でやりくりしていたらしく、定期的に休みが取れると知った駿府勢の喜びようは相当なもので、その盛り上がりように私は若干引いた。

 ちなみに、尾藤さんが組頭兼一番隊隊長、武藤さんが副頭兼二番隊隊長、馬蔵さんが三番隊隊長で、牛吉さんが四番隊隊長だ。

 頭が痛くなったのは(くりや)や蔵といった、裏方を見に行った時だった。

 五郎殿は私生活が不規則でだらしない割に、下人の気が利かないとか、料理の味付けが気に入らないとか、些細な理由で短期間に何人も御役御免(クビ)にしていた。そのため人の入れ替わりが激しく、チームワークもへったくれもない劣悪な労働環境になっていたのだ。

 私も前世は人に使われる側だったし、労働基準法もロクに知らないが、劣悪な労働環境を放置していると後々問題が発生するという法則は、特に転生してから小田原城で学んだ事だ。現代なみとはとても言えないが、使用人の業務を幾つか兼任させつつ、一か月に数回でも休みが取れるように調整することで、どうにか折り合いを付ける事が出来た。

 屋敷の中の問題が一段落した所で、次に取り組まなければならないのは知行割――つまり財産の管理と配分だ。私の輿入れに合わせて今川家から所領の一部が分割譲渡されており、そこから納められる年貢の中から側付き侍女、小田原からついて来た護衛、屋敷の使用人に給金を支払わなければならない。

 年貢の取り立てと給金の支払いは年に一度、それに関する計算も小田原で散々やって来たからさして苦労する事は無い。今川家が十分な所領を融通してくれたお陰で、全員に給金を支払ってもかなり余裕がある。

 問題は私の知行ではなく、五郎殿の方にあった。五郎殿は義元殿から与えられた所領の経営に全くと言っていいほど関わっておらず、ほとんど放置していたのだ。

 まず自分で年貢や給金の計算をしない。これはまだ分かる。義元殿の屋敷に今川家全体の所領を管理する部署があるため、彼らに任せればまず間違いなくやってもらえるからだ。

 しかしここ数年分の報告書が封をされたまま押入れに突っ込まれているという事は、五郎殿は所領の内情を把握していないという事だ。すると連鎖的に新たな問題が発覚する。

 毎年同じ村々から納められているはずの年貢が、毎年変動する。

 凶作を理由とした年貢減免の嘆願書が開かれずに放置されている。

 ざっと計算しても、警固役や使用人に給金を支払って余りある資産が残るはずなのに、給金の未払いや借金が発生している。

 しかも毎年末、その借金は完済されている、つまりやりくりを間違えなければ借金をする必要が無かった可能性が高い。

 要するに――五郎殿の経営者としての手腕は、前世しがない下層労働者、今世小田原城からロクに外出した事がない箱入り娘である私よりも、ずっっっっっと下だと言う事だ。

 当然危機感を覚えた私は、五郎殿にやんわりと今年からの知行割の見直しを要求した。

 五郎殿の返事は、


「左様な事、儂がするまでもなかろう。そこまで言うなら、お主がやっておいてくれぬか。」


 だった。

 その瞬間、私はあれほど好みだったはずの顔に、右ストレートを食らわせてやりたいという衝動を覚えた。

 しかしこればっかりは私が勝手にやっておく訳にも行かない。鎌倉幕府以来続く武士の約束事、御恩と奉公の原則があるからだ。

 私が、今川家から宛がわれた所領から側付き侍女や小田原勢の侍に給金を支払っても問題は無い。しかし、屋敷の主はあくまでも五郎殿だ。五郎殿に宛がわれた所領に私の名義で安堵状を出し、そこからの年貢を基に警固役の侍全員に給金を支払ってしまえば、それは五郎殿の所領と家臣を私が私物化した事になってしまう。

 従って私に出来る事は、次の年貢の取り立てまでに知行割を(あらた)めるよう、五郎殿に頼み込む事くらいだった。

 その夜、精神的に疲れ切った私は、五郎殿が寝所に来るのを待つ事なく、泥のような眠りに落ちて行った。




 翌日からも、やるべき事は山積みだった。邸内の掃除、消耗品の備蓄の確認等々…。

 そんな時に私に呼び出しをかけたのは、駿府館の外に住む寿桂様だった。


「雛菊を側付きの筆頭にせぬとは、いかなる了見ですか。」


 客間の上座から厳しい顔付きで見下ろして来る寿桂様を見返しながら、私は必死で考えた。

 私の方針を変えさせようと、雛菊が寿桂様に泣きついた。そんな所だろう。

 当たりを付けた私は、寿桂様を敵に回す事は得策ではないと考えながらも、その意向を確かめようとした。


「寿桂様も、雛菊を侍女頭にせよと仰せにございますか。」

「無論です。今川には今川のしきたりがあります。あなたも、小田原から連れて参られた侍女たちも、そのしきたりに従ってもらわねばなりません。」


 寿桂様の機嫌を損ねたくはない、しかし一度決めた人事を撤回したくもない。板挟みになった私は、それらしい言い訳を捻り出して問題を先送りする事にした。


「寿桂様の仰る通りにございます。それゆえに、雛菊を侍女頭に据えるは、ためらわれましてございます。」

「…どういう事かしら。」

「今や私の側付きは十八名の大所帯にございます。しかも、内十二名は小田原勢。これらに今川のしきたりを教えながら私の側付き筆頭を務めるは、無謀と言うものにございましょう。それゆえ、雛菊には耐え難い事と知りながら、副長の座に甘んじてもらおうと考えた次第にございます。」

「…。」


 寿桂様の思案顔を見た私は、とっさに脳裏に浮上したカードを切る事にした。


「実は、私もお梅について案じている事がございまして…かの者は私が幼き頃より侍女頭を務めて参りましたが、それゆえ側付きの中でも最年長にございます。いずれはより若い者に後を継がせようと考えておりますが、今川のしきたりに通じ、才覚ある者がいれば良いのですが…。」

「なれば、その折にこそ、雛菊をその役目に付ければ良いでしょう。」


 寿桂様の反応の早さに、私は喜ぶより先に焦りを覚えた。

 お梅の後釜を探している、ただしすぐ交代するとは言ってない――そんな魂胆を見透かされたように思えたからだ。

 しかし、寿桂様からのそれ以上の追い打ちは無かった。


「ご賢察、恐れ入りましてございます。さすれば、当面はお梅を侍女頭に。雛菊はこれを支えつつ、私どもに今川のしきたりを伝授する、という事でよろしゅうございましょうか。」

「よいでしょう。」


 寿桂様の言質を取った私は、彼女の前を辞して、五郎殿の屋敷に戻って来てから、ようやく大きなため息をついたのだった。

 ただ、やはりと言うか何と言うか、問題を先送りした代償として、雛菊を始めとした侍女六名はウザい風紀委員のようなポジションに収まり、日々のあれこれに嬉々として口出しをしてくるようになったため、小田原から連れて来た侍女達との溝は深まる一方だった。




 そんなこんなで一か月経った頃には、私はかなり参っていた。

 嫁いでから一週間経つか経たないかの内に、五郎殿の私に対する認識は、可愛い妹分からキャンキャンやかましい小娘に変化したらしい。その証拠に、同じ時間を共有するのは朝夕の食事時くらいで、しかもその間会話は無い。

 知行割について確認しようとすると、五郎殿はどこそこに約束があるとか理由を付けて外出してしまう。帰宅が夕食時を過ぎたり、翌朝になる事もザラで、それが厨人達の務めに負担をかけている。五郎殿が外出するたびに、詰所で待機していた一隊を五郎殿の護衛に付けなければならないため、輪番表(シフト)が乱れがちなのも悩みの種だ。

 半月ほど前、せめてもの償いにと、蔵に眠っていた清酒を使用人や警固役一同に差し入れた所、みんな喜んでくれてはいたものの、こんな誤魔化しがいつまでも続くはずは無い。

 おまけに邪魔ったらしいのが、数日おきにやって来る寿桂様の呼び出しだ。よっぽど私の粗を探したいのか、秋の年貢取り立ての準備は万全かとか、暑い日が続いているがちゃんとご飯を食べているかとか、あれこれ聞き出される。

 寿桂様が駿府館の敷地内に住んでいればもっと身軽に会いに行けるのだが、現当主の義元殿とは実の親子ではないとか、そう言った背景もあって敷地の外に屋敷を構えている。そうすると私としても、顔を隠すための笠を被ったり、万一に備えて警固役の一隊を帯同したりと、余計な手間が増えてしまうのだ。

 出来る事なら、五郎殿に本音をぶつけたいし、寿桂様にも甘えたい。

 でも、それは無理だ。

 だって五郎殿はいとこじゃなくて夫で、寿桂様はお祖母ちゃんじゃなくて姑だ。

 そして私の役目は――北条と今川の間を取り持つ事だ。

 だからワガママは言えないんだ。




 義元殿から一時的な里帰りをお膳立てしてもらったのは、そんな時期の事だった。


『たまには故郷(ふるさと)の息吹を感じ、身も心も休めるが良かろう。』


 義元殿にそう言われた時、私は思わず泣きそうになった。

 こんなに気遣いの出来る人が、戦場のど真ん中で酒宴を開いて、奇襲で命を落とすなんて、とても信じられなかった。

 そんな訳で私は再び輿に乗り、北条領の西端である三島まで行って、そこで二泊してから駿府館に帰って来る事になった。

 道中の護衛を率いるのはまたも太原雪斎殿。ただし私の荷物は最小限で、侍女も百ちゃん、小春、お栗の三人だけだ。

 お梅とお銀には私がいない間屋敷の差配をしてもらう必要があるし、今回は短期間に同じ道のりを往復するから、自然と顔ぶれが若くなった。お栗は燃費が悪い分、大量の荷物を平気で運んでくれるから尚更ありがたかった。

 駿府を出発してから一日目、富士川のほとりで宿を取り、翌朝再び東に向かう。

 日が沈む前に三島に到着したが、道中何をする気力もなく、変な姿勢で揺られていた私は、体のあちこちを痛めていた。


「若奥様、お疲れの所申し訳ございませぬ。北条より使者が参っておられますゆえ、お会いいただきとう存じます。」


 こんな所までご苦労様な事だ。

 雪斎殿に案内された先で、私は投げやりな気持ちのまま、襖が左右に開かれるのを棒立ちで見守った。


「あらあら、一月ぶりだというのに随分大人びたわね~。」

「積もる話もあるが…ったく、ひでえ顔してやがる。とっとと風呂に入って来い。」


 ああ成程、これは夢だな。

 私は予想以上に自分が疲労していた事を思い知らされた。

 だってこんな所に、父上と母上がいるはずないもの。




「とっとと風呂に入って来いと、言ってんだろうがぁ‼」

「ひっ、ひいいいいい⁉」


 うそ、本物⁉

お読みいただきありがとうございました。

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