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#068 結の新婚前夜

今回もよろしくお願い致します。

 太陽が西に傾く中、輿入れの行列が市街地に近付くと、小田原を出立した時と同様に、大勢の見物人が行列の左右に押し寄せた。

 私はと言えば、『貴人はみだりに顔を晒すべからず』という慣例に則り、簾をちょっとよけて外を窺うばかりだったが、小田原と同等、あるいはそれ以上の賑わいに、駿府の発展ぶりを痛感せざるを得なかった。

 行列が市街地の中心に進むにつれ、私は周りの風景が少しずつ変化している事に気付いた。

 見物人が集まり始めた辺りでは、稲が順調に育つ田んぼや小船が係留された港、そして簡素な造りの平屋が立ち並び、いかにも農民や漁民の居住区である事が察せられた。

 続いては商業エリア(仮)だ。この辺りから道がタテヨコに直角に交差しており、いかにも計画性を感じさせる。見物人の外見も商人や町人風に変わり、立派なお店や高い塀で囲まれた屋敷もチラホラ見えた。

 更に奥に進むと、見えてきたのは長屋に無骨な構えの屋敷。一般の見物人がぐっと減り、行列を見守るのは武士や雑兵足軽ばかりになる。

 そしてようやく駿府館の正門をくぐる…前に通過したのが、お公家様エリア(仮)。道端に幾つか牛車(ぎっしゃ)が停まっており、その簾の合間から扇で顔を隠しながらこっちを見る人々が確認できたから、まず間違いないだろう。

 国家運営の中枢である駿府館の周りを、武士ではなくお公家様で固めている事に少なからず驚きながら、私は今日から新しい家となる駿府館に運び込まれて行った。




 駿府館に到着した私に案内役が説明した所によれば、私と今川家次期当主、五郎殿との初顔合わせと婚礼の儀は明日の昼から実施。続いて大広間で祝宴を執り行い、その夜、新郎新婦は身を清め、初夜を共にする運びとなる。

 もちろん同じ部屋で布団を並べて眠るだけで、『本番』はまだまだ先だ。私の肉体年齢からして、妊娠も出産も不可能だし。

 …というか、そう思いたい。まさか今川五郎殿が行動派の小児性愛者(ロリコン)だとか、そんな事ないよね?

 私が初夜の床に短刀を持ち込むべきか真剣に悩んでいる間も、案内役の説明は続いた。


「若奥様におかれましては、本日は明日に備えて身を清めていただき、しかる後、太守様を始めとしたお歴々と夕餉(ゆうげ)を共にしていただきとう存じます。」

「行き届いた心配りに感服しきりにございます。されど、これより入浴を済ませていては、夕餉は日が落ちてからになってしまわれるのでは…?」


 遠回しに、風呂(サウナ)も夕食も超特急で終わらせるよう言われているのかといぶかる私に、案内役は我が意を得たりとばかりに笑った。


「恐れながら、当家には日頃から十二分に灯火油(ともしびあぶら)の蓄えがございます。どうぞごゆっくり長旅の汗をお流しいただき、その上で、駿河の山の幸、海の幸を堪能いただきとう存じます。」


 初っ端から今川家の財力を見せつけられた私は、入浴に向かった先で、これまた私の輿入れに合わせて新築されたというゴージャスなお風呂に、度肝を抜かれたのだった。




 私がお風呂もそこそこに着替えを済ませ、指定された部屋に向かうと、日はとっくに沈み、幾つもの灯台が灯された室内で、複数の人が腰かけていた。


「待っておったぞ、結殿。さあ、こちらに参るが良い。」


 部屋の奥で、太刀持と近習を従える男性が私を見据えて言った。

 どこか母上に似た微笑み、上質な武家装束、それを着こなす立派な体格。

 間違いない。この人が今川家現当主――今川義元だ。


「お待たせしてしまい、申し訳ございません。北条左京大夫が娘、結と申します。今川治部大輔殿にお目にかかり、恐悦至極に存じます。」


 部屋に入ってすぐの所に正座し、平伏する。


「ほっほっほ。いかにも、()が今川治部大輔である。もっと近う寄れ。そこなる者の横まで、の。」


 後半の指示に内心首を傾げながら、即座に、しかし騒々しくならないように立ち上がり、上座に近付く。


(おもて)を上げられよ。結殿、そこなる者に見覚えはないかな?」


 私より先に下座にいた若武者の左横に改めて正座すると、義元殿の質問が飛んで来た。

 見覚え、と言われても、顔を見ないと何とも言えない。


「恐れながら、お顔を窺ってもよろしゅうございますか?」

「よい。とくと見るが良い。」


 義元殿の許しを得て体の向きを変え、若武者の外見を観察する。

 全体的にワイルドな印象だ。衣服は上質だけど、髪の毛が若干ゴワゴワしているし、何より肌が日焼けで浅黒い。日中外で過ごしていないと、こうはならないんじゃなかろうか。

 顔は…私よりちょっと年上って感じだろうか。『キリッ』と『ポヤン』の中間みたいな、何とも掴み所の無い表情。

 そうそう、ちょうど2年前に今川の保護下に入った太助丸兄者がこんな感じだった――。


「…太助丸兄上?」


 私が半信半疑で漏らした言葉に、目の前の若武者はゆっくりと頷いた。

 えっ?

 えええっ⁉

 本当に太助丸兄者⁉

 たった2年間会わない内に、どうしてこんなにワイルドになっちゃったの⁉


「ほっほっほ、太助丸は海が好きでのう。武芸の稽古や学問の暇を見つけては浜に出ておる。水軍衆ともすっかり顔馴染みでのう。まあ、詳しい事は追々聞くが良い。」


 私が兄者の変わりように啞然としていると、その向こうにいた男性が居住まいを正した。

 私も我に返り、そちらに体の正面を向ける。


関口(せきぐち)刑部少輔(ぎょうぶのしょう)と申しまする。太守様の命を受け、太助丸殿の後見を務めておりまする。以後、お見知り置きを…。」


 関口殿のお辞儀に応じながら、私は頭の中のメモにその特徴を書き付けた。

 右脇に太刀を置いていたから、武士である事はまず間違いない。ただ、丸みを帯びた顔付きや体格はどちらかというとお公家様っぽい。

 その上で、大事な『人質』である太助丸兄者の面倒を任されている事と、義元殿と私の会食に参加している事を勘案すると、軍事よりも内政や外交の面で重用されているのであろうと見当が付いた。


「では、最後はわたくしが。結殿、こちらをご覧なさい。」


 厳格な雰囲気をまとった声に、体の向きを左に90度回転させると、しわだらけの顔にぎょろりとした両目、分厚い唇をきゅっと引き締めた尼僧が私をキッとにらみつけていた。


「わたくしが今川の奥向きを取り仕切る寿桂(じゅけい)です。そなたには今川のしきたりを一日も早く身に付け、五郎殿の子を産んで当家を盛り立てていただかなくてはなりません。ゆめゆめ怠り無きよう。」


 私は寿桂様に深々と(こうべ)を垂れながら、事前情報の修正を図った。

 母上から聞かされていた所では、寿桂様は今川の先先代当主、氏親殿の正室で、懐も深く、私や太助丸兄者から見て実の祖母に当たるから、何かと世話を焼いてくれるだろう、との見通しだった。

 しかしこうして対面する限り、寿桂様の態度は孫娘に甘い祖母と言うより、嫁に厳しく当たる(しゅうとめ)だ。私は今川家における優先順位について、義元殿と寿桂様を同列で保留せざるを得なかった。


「さあさあ、膳を持って参れ。結殿、遠路はるばる大儀であった。今宵はゆっくりと夕餉を味わうが良い。慌てる事はないぞ。」


 北条のように、油をケチる必要はない。

 義元殿に、暗にそう言われたような気がして内心腹を立てながらも、私は黙って膳が運ばれて来るのを待った。




「大変美味にございました。」


 食事中に一切喋る事なく全ての膳を平らげた私は、箸を置き、義元殿に向かって深々と頭を下げた。

 夕食はフランス料理のようなコース形式で、まずあっさりした野菜類、次に焼き魚、続いて肉料理、最後に口直しのお菓子、といった順番で出された。

 私が美味しく感じたのは、食材が良かったからだけじゃない。以前、母上が北条に嫁いだ直後、塩気の強さに困ったという話を聞いたものだから、逆に今川に嫁いだら塩気の薄い料理を食べる事になると思っていたのだけれど、今回の夕食はそれほどでも無かった。献立を考えた人が、私に気を使ってくれたのかもしれない。


「美味であったか。ところで結殿、四つの膳を食して、何か気付いた事はあるかの?」


 義元殿の予想外の言葉に、私はたった今お腹に収めた夕飯の内容を思い返した。


「…恐れながら、もしやこたびの夕餉は、四季の移ろいを模したものにございましょうか。」


 恐る恐る義元殿の顔色を窺うと、笑顔のポーカーフェイスが返って来た。

 正解とも不正解とも言われない、ならば続けるしかない。


「一の膳には色とりどりの野菜が並んでおりました。これは花咲き、緑萌ゆる春。二の膳には焼き魚に蕎麦(そば)。これは夏の川や海を…。」

「ほう!そなた、蕎麦切りを知っておったか!」


 義元殿の大声に、私は目を丸くした。

 そういえば小田原で蕎麦を食べた覚えが無かったけど、武士はあんまり好きじゃないんだろうか?


「…ああ、すまぬな。さすが、耳聡(みみざと)い事じゃ。先の続きを聞かせてたもれ。」


 上座から乗り出していた身を引っ込めた義元殿に促されて、続きを口にする。


「三の膳には白米と蒸し鶏。実りの秋にございます。四の膳には干し梅と削氷(けずりひ)、言うまでもなく冬…されど、この駿府にいかにして氷を用立てられましたやら、わたくしにはとても考えが及びませぬ。」

「いや、見事見事。その歳でそこまで風流を解するとは。天晴れであるぞ。」


 扇子を開いて顔をあおぎながら、義元殿が何度も頷くのを見て、私は内心胸を撫で下ろした。どうやら及第点だったようだ。


「そこまで分かれば大したものよ。削氷はの、甲斐国(かいのくに)より取り寄せたものじゃ。かの地には一年を通じて冷気を保つ氷室(ひむろ)があるゆえ、冬に積もった雪を夏まで保つ事が出来るのじゃ。」


 天然の冷蔵庫か。でも、戦国時代の人が誰も彼もかき氷を食べていたって話は聞いた事がないから、どの道希少なものである事に違いはないだろう。


「それほどの珍味を、わたくしのためにご用意くださり、感謝の念に堪えません。」

「なんのなんの。お主の言葉、台所の差配役もさぞ喜ぶ事であろう。それよりも、夕餉に込められた趣向を見抜いたお主に褒美を使わしたい。何なりと申すが良い。」


 ここは謙虚さをアピールするチャンス――と即行で断ろうとした私の脳裏に、ふとよぎるものがあった。


「さすれば、太守様にお願いの儀がございます。」


 誰もが私が褒美を辞退すると踏んでいたのだろう、室内の視線が突き刺さるのを肌で感じる。義元殿も、相変わらずの底知れない笑顔で、私を見つめている。

 ぶっちゃけ怖いが、みんなのためにもここは引けない。


「今宵、わたくしの寝所の警固を手厚くしていただきとう存じます。わたくしの側付き一同は、輿にも馬にも乗らず、徒歩(かち)にて箱根の険を越えて参りました。せめて今宵だけは、皆に心置きなく休息を与えとうございます。」


 しばしの沈黙の後、扇子を開いて口元を隠していた義元殿が口を開いた。


「まこと見上げた心配りである。されば、お主の申す通りに手配りを致そう。」

「有難き仕合せにございます。」


 両手を床につき、限界まで頭を下げる。

 多少嫁入り先の心証が悪くなろうと、今日くらいは側付きのみんなに羽を伸ばして欲しかった。


「結殿、明日の婚礼に備え、十分に体を休めるが良い。外に案内役がおるゆえ、寝所へ参られよ。」

「ご配慮、痛み入ります。それでは、今宵はこれにて…。」


 立ち上がる際の一挙一動に気を配りながら立ち上がろうとする私の袖を、何かが引っ張った。

 隣に座っていた、太助丸兄者の左手だった。


「兄上?」


 小声で聞いた私に、太助丸兄者も小声で言った。


「明日、若君の顔を見ても、驚いてはならぬぞ。」


 それきり太助丸兄者は袖から手を離してしまった。

 私は内心首を傾げながら、実家で叩き込まれたマナーを反芻しつつ、室内に残った人々に一礼をして、部屋を後にするのだった。




 小田原からやって来た少女が部屋を出て行ってからしばらくして、席を立ったのは寿桂だった。


「わたくしはこれにて失礼仕ります。太守様もお早くお休みになられますよう。」

義母上(ははうえ)、ご自分の屋敷に戻られるのですか。今宵は孫が二人も揃った有難き一夜。こちらに泊まって行かれては?」


 義元の言葉に、寿桂は足を止めたものの、振り返ろうとはしなかった。


「今川の嫡流は五郎殿ただ一人。それで十分にございましょう。」


 再び歩き出した寿桂の背中に、義元は声を張り上げた。


「義母上が差配された夕餉を美味と申されて、ようございましたな!」


 寿桂はその言葉に反応する事なく、部屋を退出して行った。

 関口刑部少輔が義元に向かって口を開く。


「太守様、寿桂様はまだ…。」

「うむ、自責の念に囚われておる。今宵の味付け一つ取っても、孫娘を愛でたい真心が知れるというのに…。」


 一瞬表情を曇らせた義元は、気を取り直すように下座の太助丸に目をやった。


「ところで太助丸よ。先ほど、妹君が席を立つ折に、何事か申しておらなんだか?」


 太助丸はうつむいたまま、義元に答えた。


「若君の前で慌てふためく事なきよう、申し付けてございます。」

「ふむ…左様か。」


 義元はしばし太助丸を見つめていたが、やがて自身に風を送っていた扇子をぱちんと閉じた。


「何にせよ、歳不相応に(さと)く、その上よく気が利く女子(おなご)であることよ。五郎と夫婦(めおと)となり、一廉(ひとかど)の武士に育て上げてくれれば、これに勝る喜びは無いのじゃが…。」


 外に向けられた義元の視線の先には、一人息子――五郎氏真の屋敷が静かにたたずんでいた。

お読みいただきありがとうございました。

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