#064 渇魂党、早雲寺に討ち入るの事(裏)
今回もよろしくお願い致します。
#059の舞台裏です。
(楽な仕事だ。)
夜半、三人の手下を連れて早雲寺の境内の片隅に身を潜めながら、渇魂党の幹部格である抜け忍、蛇之目は口角を上げた。
彼が頭領の鳶七から与えられた任務は、早雲寺の厨――台所への火付け(放火)だ。
渇魂党はこれまでも商家での強盗や城攻めに火付けを多用し、その効果に絶対の自信を持っていた。
木と紙で出来た建物は炎で呆気なく燃えてしまう。その現実を前にして冷静さを保てる人間は多くない。
問題は北条の兵が厳重に警固しているはずの境内を通って、厨に辿り着けるか、だったが…。
「蛇之目の兄貴、厨のそばに誰かいやすぜ。」
「心配すんな、さっきやり過ごした連中と同じ、見回りだ。もうちっと待てば行っちまう。」
蛇之目は早雲寺の広大さに、誰にともなく感謝した。
昼頃に早雲寺を訪れた行列の警固は多勢ではあったが、境内をくまなく埋め尽くす程ではなかった。正門を始め、主だった出入口と、北条家当主に代わって法要を取り仕切る妻達が宿泊する本堂に人数が集中しており、少数の見回りがまばらに境内を歩き回っている。しかも見回りの兵が松明を掲げているとあっては、蛇之目達が先に発見し、物陰に隠れてやり過ごす事は難しくなかった。
(俺には、里を抜ける前に鍛えた、この夜目もあるしな。)
ほくそ笑みながら様子を窺っていると、厨を覗き込んでいた兵がその場を離れ、別の方へ歩いていくのが分かった。
「よーし、いや、もうちっと待て。も少し…も少し…良し。俺に続け。」
松明が曲がり角の向こうに消えた事を確認してから、厨に駆け込む。
寺の規模に相応しく広々とした土間に人の気配はなく、複数並んだかまどの火も消されていたが、壁の一方に積まれた薪と藁を発見した蛇之目は大声で笑い出したくなる衝動を抑えるのに必死だった。
「頭の固えお侍様はこれだからよぉ…いつも通りだ、俺の指図通りに薪と藁を組め。後は俺が火種を…。」
そこまで言うと、蛇之目は腰の刀の柄に手をかけながら勢いよく振り向いた。
「何もんだ、てめえ。」
蛇之目が問い掛けたのは三人の手下の誰にでもなく、厨の出入口を背にたたずむ女に対してだった。
瘦せぎすの大女。身なりからして、北条の親族に着いて来た侍女だと見当が付く。
しかし蛇之目が警戒を緩める事は無かった。女の周りに、自分が連れて来た手下達が、声も無く横たわっていたからだ。
「…シッ!」
女の胴を目掛けて振り抜いた打刀は、甲高い音と共に止められる。女がいつの間にか逆手に構えていた短刀によって。
「その身のこなし…てめえ、ただの侍女じゃねえな?」
蛇之目の問い掛けに答える事なく、女は左足を振り上げる――蛇之目の股間を狙って。蛇之目はとっさに打刀を振り抜き、反動で距離を取った。
「場慣れしてやがる…てめえ、さては風魔の――。」
蛇之目が言い終わるより速く、女が距離を詰め、短刀を振るう。
蛇之目は瞬きすら惜しみながら一合、二合、三合と捌きつつ、突破口を探して知恵を巡らせた。
女乱破の剣捌きは自分より上手だ。その証拠に、膂力では勝っているはずなのに、じりじりと厨の奥へ押し込まれている。
蛇之目がせまい厨の中で刀の長さを活かせないから――だけではない。何故なら、屋内や木々の間といった場所でも刀を振るえるよう、蛇之目もかつて鍛錬を重ねていたからだ。その上で押し込まれているという事は、女乱破の腕前が自分より上手である証左に他ならなかった。
(だが俺の勝ち目がまるでねえって訳じゃねえ。)
何度も打ち合いながら、女乱破が自分の急所を狙って来ず、しかも加勢を呼ぼうとしない現状に、蛇之目は活路を見出した。恐らく寺の境内、しかも法要を控えているとあって、刃傷沙汰を極力避けようとしているのだろう。
(その甘さが命取りよ。)
蛇之目が足元の砂を蹴り上げると、女乱破は一瞬攻め手を緩め、袖で目をかばった。その隙に胸元から取り出した丸薬を噛み砕き、素早く唾液と混ぜ合わせる。女乱破の目が袖から覗いた瞬間、その顔に向かって、蛇之目は霧状の唾を吹きかけた。
「――ッ!ッ?ッ――!」
先程まで機敏に動いていた女乱破の体が強張り、ガクガクと震えながらくずれ落ちる様を見ながら、蛇之目は口内に残った丸薬の欠片を念入りに吐き捨てた。
「里秘伝の痺れ薬さ。悪ぃが邪魔者は口封じしろとお頭が仰せでな。姫様が無事に三途の川を渡れるよう、供をしてやってくれや。」
自分の忍びとしての力量も、まだまだ衰えてはいない――それが証明された事に気を良くしながら打刀を振り上げた蛇之目の腹部を、次の瞬間強烈な衝撃が襲った。
「げぁ…?」
蛇之目は、首筋に更なる衝撃が加えられる直前になってようやく、目の前でうずくまっていたはずの女乱破の姿が消えている事に気付いた。
厨に侵入した賊の最後の一人が気を失った事を確認して、女乱破――いや、結の側付き侍女の一人である百は、袖口で乱暴に顔を拭った。
(この匂い…信濃の乱破が使うものに似ている。)
風魔の里で幼少期から薬や毒の扱いを仕込まれた百にとって、この程度の毒は効かないも同然だった。
乱破くずれの正体におおよその見当を付けながら、あらかじめ用意していた麻縄で、四人の手足と口を手際よく縛り上げて行く。事前情報から、息を吹き返した賊が機密保持のために自害に及ぶ目算は低かったが、乱破くずれに限っては、かつての矜持が残っている可能性があった。
全員の拘束が終わってから、百はふと、先程の戦闘中に気になった箇所――乱破くずれの胸元に目をやった。お互いに激しく切り結ぶ中、その箇所で様々なものが触れ合う音を、彼女の耳は捉えていたのだ。
百は乱破くずれの体を横向きにして、慎重に胸元を探った。出て来たのは銭袋、丸薬、古びた仏像、それから――金銭の貸し借りについて記された証文。
(…成程。)
渇魂党が早雲寺に掴んだ『伝手』、その正体を察した百は、証文を折り畳んで自分の胸元にしまい込んだ。
離れの間の一角で、草履を履いたまま刀を杖に胡坐をかき、寝息を漏らしていた馬蔵は、障子一枚を隔てた回廊を歩く侍女の足音で覚醒し、慌てて頭を振った。横を見ると、牛吉も全く同じ体勢でイビキをかいている。
「おい、牛吉――。」
「もうちっと寝かしておいてやれ。」
真正面から飛んできた声に視線を向けると、馬蔵が寝入る直前と寸分違わぬ姿勢で、東条源九郎がかっと目を見開き、障子をにらみつけていた。
「昼間は歩き通しだったんだ、疲れるのも無理はねえ。一人が起きてりゃ、曲者が押し入っても残りの二人を起こせる。」
「…さすれば、東条殿こそお休みを。只今は不覚を取りましたが、これよりはこの馬蔵が、今度こそは朝まで…。」
身分を明かせない以上、小田原城から早雲寺まで徒歩で同道せざるを得なかった源九郎に畏敬の念を覚えながら、馬蔵は姿勢を正し、両手で自らの頬を幾度も叩いた。
「気持ちは有難えが、俺も目が冴えちまってな。そんなら、今度はお互い寝こけねえように、四方山話でもすっか。」
「そ、それは恐れ多い…。」
「何が恐れ多いってんだ?俺は城内警固役の東条源九郎だぜ?」
月に雲がかかったのか、障子に当たる月明かりが弱まった瞬間に合わせるように、馬蔵は源九郎と肩を並べた。
「馬蔵の家名は、なんだったっけな。」
「不破と申します。不破と書いて、不破にございます。」
「牛吉の家名は確か…門脇だったな、門の脇で。」
「左様にございます。士分取り立ての折、こやつの生まれ故郷が門前町の近くだったそうで、家名をそのように。」
突然喉を鳴らした源九郎に、馬蔵は首を傾げた。
「東条殿、何かおかしな事でも…。」
「いやな、奇特な巡り合わせだと思ってよ。」
理解が追い付かない馬蔵に、源九郎は少し顔を向けた。
「城門を警固するのが門脇に不破と来りゃあ、誰も押し通れねえとは思わねえか。」
「…は、ははは、これはしたり。考えた事もございませんでした。」
馬蔵が小声で笑うと、源九郎は包帯越しにあごひげを撫でた。
「傍から見ても、おめえらは息の合った取り合わせだと思うぜ。そういう相方には中々お目にかかれねえ。大事にしろよ。」
「…東条殿にとっての相方は、やはりごぜ…んんっ、奥方にございましょうか。」
相手が自らを『東条源九郎』と名乗る度量に甘えて、馬蔵はやや踏み込んだ問いを投げかけた。
「まぁ…奥向きの事は安心して任せらあな。だが、戦場で頼りになるのは孫九郎(綱成)だ。」
「孫九郎殿…玉縄の?」
「不思議な事もあるもんでなぁ、生まれ年が同じ、元服の年も同じ。遠縁だってのに、歳の近い弟みてえな気がするぜ。」
「…戦場でのお働きの割に加増が少ないと、怪しむ者も小田原にはございますが…。」
酒の席での同僚の暴言を、やや穏当に言い直す体で、恐る恐る、馬蔵は言った。
先代北条家当主の娘を妻に迎え、主要な戦にことごとく参陣して武功を挙げる玉縄衆を率いながら、直系の一門衆より一段下の扱いを受ける玉縄殿――北条綱成が不満を抱いているのではないか。そして、それゆえに氏康は玉縄殿を警戒し、大封を与えないのではないか。そんな風聞が家中にくすぶっていた。
「俺も不可思議千万よ。あいつはな、玉縄に腰を据えて槍働きが出来りゃ、それで良いんだとよ。あいつの直臣も、その下の連中もな。お陰で新しく知行割を考える時、真っ先に割を食うってのによ。」
一切の疑念を感じさせない声色に、馬蔵は返す言葉を失った。
「義だけじゃ人は動かねえ、利もねえとな。だが、世間にはたまに損得勘定抜きで手を貸してくれる、奇特な奴もいるってこった。俺の目に狂いがなきゃあ、おめえにとっちゃ牛吉がまさにそれだ。…大事にしろよ。」
馬蔵が返事をしようとした、その時。障子の向こうで、月明かりがその強さを増した。
「曲者!出会え出会え!」
襖と障子を隔てて届いた声に、源九郎と馬蔵は弾かれたように立ち上がった。
「行くぞ!」
「承知!牛吉、起きろ!曲者だ!」
「うえっ⁉お、おう!今行くだぁ!」
左手に打刀の鞘を握りしめて乱暴に障子を開け放ち、回廊から飛び降りる。
声のした方へ回り込むと、小汚い格好の男達が抜き身の打刀を手に、回廊から薙刀を突き出す侍女達とにらみ合っていた。
(一、二、三…六!)
馬蔵が曲者の人数を数え終えるや否や、曲者の一人が何か喚き散らした。と、曲者は三人ずつ二手に別れ、一手は侍女達に、もう一手はこちらに向かって来る。
「東条殿!」
「ここが正念場だ、ふん縛って側付きの連中に加勢するぞ!」
「承知!」
月明かりの下、馬蔵達が放った抜き身の一撃と、曲者の上段からの打ち込みが交錯する鈍い音が響き渡った。
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