#063 望月(もちづき)に叢雲(むらくも)かけて(裏)
今回もよろしくお願い致します。
#058の舞台裏です。
天用院殿の三回忌法要に参列する近親者一同が早雲寺門前に到着し、住職がいる本堂に向かった直後、警固の列から離れる一団があった。
「住職に話は付けてある。お梅、結達が戻って来る前に、離れに荷を運び込め。」
「承知致しました。」
東条源九郎の指図通り、侍女達が薙刀や結の着替えが詰まった長持を運び込んで行く。その時間を使って、源九郎と牛吉、馬蔵の三人は、離れの間の周辺を見て回った。
「見通しが良うございますな。月明かりさえあれば、曲者が近寄ったとてすぐに気付きましょう。」
「思ったより離れの間が広いもんで、安心しましただ。こんなら曲者が討ち入って来るまで、みんな足を伸ばして寝られるだ。」
「牛吉!申し訳ございません、おおと…東条殿。牛吉が呑気な事を…。」
「いや、大事なこった。俺も夜更けまでは足を伸ばしておきてえからな。」
やがて三人は縁側で額を寄せ合った。
「おおと…東条殿、部屋割はいかがいたしましょうか。」
「襖で四つに区切られてんだ、一つは結、その両脇は側付きの連中、あと一つを俺達が使わせてもらやあ良いだろう。」
「それが良うございますだ。姫様の隣で寝っ転がるなんて、恐れ多い事にごぜえますだ。」
「牛吉!申し訳ございません、おおと…東条殿。牛吉が呑気な事を…。」
「…なあ馬蔵。今のは吞気な事か?あと、さっきっから一々言い直すんじゃねえ。」
「姫様がお越しですだ。」
牛吉の言葉に、即座に三人は渡り廊下の方に向き直り、膝をついた。
「お役目ご苦労様です。牛吉殿、馬蔵殿、それに…そちらの方にはお会いした事があったかしら。」
縁側に腰かけてそう問いかける結に、馬蔵が答えを返す。
「姫様におかれましてはご機嫌麗しゅう、悦ばしゅう存じます。拙者どもの名をご記憶くださり、感謝の念に堪えませぬ。」
馬蔵が一息ついて東条源九郎を見やると、源九郎は馬蔵を見つめ返し、浅く頷いた。
「これなるは東条源九郎と申しまして、我ら城内警固役の筆頭格にございます。こたびの法要においても、皆様の警護を仰せつかっておりますが、恥ずかしながら昨日、転んで顔を強か打ちまして…お役目を疎かには出来ぬが、顔の傷をお見せするも憚られる、といった次第で、かような有様に。」
事前の打ち合わせ通りに紹介を終え、馬蔵が安堵のため息をついたのも束の間、
「それはご立派な心掛け。東条源九郎殿、お大事になさってください。もしよろしければ、傷によく効く膏薬を持っている者が側付きにおります。お呼びしましょうか?」
予想外の結の返事に、馬蔵は色を失った。
源九郎を見ると、黙ったまま首を左右に振っている。やむを得ず、馬蔵は新たな言い訳を捻り出した。
「そ、それには及びませぬ。この程度の傷、数日で治りましょう。源九郎は、その…己の声が女性のようだ、と評された事をひどく気に病んでおりまして、以来、口数も甚だ減り申した。直にお答えせぬ無礼、平にお許し願いたく。」
苦しいか?
生唾を吞んだ馬蔵の目前で、結はしばし考え込んだ。
「いえ、わたくしこそ立ち入った事をお聞きしました。引き続き、お務めに励んでくださいませ。」
ここだ、ここしかない。
牛吉と共に小荷駄奉行の首級を挙げた日の興奮を思い出しながら、馬蔵は声を張り上げた。
「勿体ないお言葉。さすれば、今宵はこの離れの間にて、不寝番を務めさせていただき申す。無論、姫様の床とは襖を二つ隔てておりますゆえ、ご心配なく。」
言うが早いか立ち上がり、源九郎と牛吉を引き連れて離れの間の裏手に回り、部屋に走り込む。
二人の入室を確認して障子をぴたりと閉じ、大きく息を吐いた。直後、
「何度も申しておりましょう!これ以上の立ち入りは無用にございます!」
外から聞こえて来た女の声に、馬蔵は身を震わせた。
「ありゃあ百さんの声だなや。」
「寺の連中にも、ここには側付きの連中しかいねえって思わせるための策だな。相変わらず気の利くこった。」
他人事のような二人の口振りに、馬蔵は深々とため息をつきながら腹をさすった。
しばらく経って、三人が刀や荷物の点検を行う中、襖を叩く音がした。
「どなたか?」
「百にございます。失礼仕ります。」
馬蔵の誰何に答えて、百は襖を少しだけ開くと、滑り込むように入室し、後ろ手に入り口を閉じた。
源九郎がにじり寄って小声で問いかける。
「側付きの連中は警固の支度に取り掛かってるみてえだな。結の調子はどうだ?」
「やはりご姉妹と別扱いされた事に不審を覚えておいででした。お申し付けの通り、東条殿の事は伏せてお話致しましてございます。殊の外落ち着いておいでで…我らに警固を任せ、明日まで平常通りお過ごしくださるとの事でございます。」
「さすが、肝が座ってやがる。そんじゃあ、最後の打ち合わせと行くか。と、その前に伝えておく事がある。今朝方注進があった。賊は早雲寺に何かの伝手を持ってるらしい。離れに結がいる事も知られてんだろう。」
「伝手、とは…一体誰が?まさか僧の中に…。」
馬蔵の言葉に、源九郎はゆるゆると首を横に振った。
「さあな、そこまでは分からなかった。だが、向こうが本堂を手当たり次第に襲うって線が消えてくれりゃ、かえってありがてぇ。…こいつを見な。」
源九郎が早雲寺の見取り図を床に広げると、馬蔵、牛吉、百は車座になって覗き込んだ。
「ここが今俺達がいる離れ、こっちが本堂だ。早雲寺の周りは警固役の連中が固めてるが、何せ広いからな、目の届かねえ所が当然ある。とは言え門を押し通るって線はねえだろう。百、おめえだったらどう忍び込む?」
「…塀の側に、巨木が数本ございます。賊はいずれかより塀を越えて押し入って参るかと。」
「逃げ道は?」
「人数の少ない通用門からではないでしょうか。」
「離れで一戦やらかした後でか?さすがに本堂の連中も勘付くだろうが。」
「…手勢を分けるっちゅうんは考えられませんでしょうか?」
不意に口を開いた牛吉に、全員の視線が集まった。
「ほれ、馬蔵、あの…火付けの務めの時みてえに。」
「あ、ああ、あれか。…いや、東条殿、じゃない、ええと、大殿にお引き立ていただく前に、組頭の命で手分けして火付けに取り掛かった事がございまして…。」
「…成程。だったら馬蔵、賊の頭領になった積もりで手勢を差配してみな。おおよそ十人ってとこだ。」
思いも寄らない源九郎の提案に戸惑いながら、馬蔵は見取り図を凝視した。
「…狙いはあくまで姫様のお命となれば、半数の五人は離れに参りましょう。二人を通用門に回して…三人を厨に。」
「厨ぁ?」
「あそこは燃え種に事欠きませぬゆえ。ここで火付けをすれば、早雲寺一帯の目を惹きつける事が出来まする。そうして通用門と離れが手薄になった隙を突いて…。」
「通用門を押さえて、離れを襲うって筋書きか。成程、道理に適ってやがる。」
源九郎は何度も頷くと、百を見やった。
「百、おめえは日が暮れたら本堂の屋根に登れ。押し入った賊の一手が厨に向かったら、後を追って火付けの前に捕らえろ。」
「不殺、にございますね?」
「出来る限り、な。おめえが死んだら元も子もねえ。もし連中が一塊で離れを目指すようなら、こっちに加われ。牛吉、馬蔵。おめえらは手筈通り、俺と一緒に不寝番だ。曲者が来たら側付きの連中に加勢して残らずひっ捕らえるぞ。火付けを防げりゃあ、通用門に向かった連中も難なくとっ捕まえらあ。」
「承知致しましただ。」
「死力を尽くしまする。」
「おう、死ぬ気でかかれ。だが二人とも死ぬんじゃねえぞ、この仕事が終わったら、でっけえ褒美をくれてやるからな。」
矛盾する命令に顔を見合わせる牛吉と馬蔵に、源九郎は包帯の下から笑いかけた。
「『死せんと欲すれば死に、生きんと欲すれば虜となる』…まあ、おめえらには釈迦に説法だな。夜は長え、味気ねえ寺の飯を、とっくり味わおうじゃねえか。」
障子を照らす明かりは徐々に赤みを帯び、夜が迫っている事を示していた。
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